じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

午後はバイトです

2021-01-27 12:21:24 | 日々の雑感
私の春は物入りです😂 
税金関係やら車の保険やら車検やらと、梅の花から始まって葉桜の頃まで続くんであります。

まっ、国民としての義務も含め生存経費として支払わ無いとダメなのは承知していますが、生き続ける限り銭をむしられるような感じで嫌であります。

で、今朝のNHKで「鍋ラーメン」なるものを放送していたんですが、それに関連して包装に使われるプラスチックゴミの問題を語っていた訳であります。

まっ、プラスチック容器を排して持ち込みの鍋にラーメンを入れるという話なんですけれども、自分は時代の螺旋を思い出しつつ、コロナ一発でこれでは文明も大したことは無いな、なんてことを思った次第であります。

いや、コロナ以後持ち帰りの食品が増えて器に使われるプラスチックがゴミとして大量に出るのは如何なものかという問題提起なんですが・・・私に言わせるとなにを今更、であります。

あれは忘れもしない自分が14歳の梅雨時、それまで牛乳は瓶しかなかったのにテトラパックなるものが現れたのであります。
いや、テトラパックは既に見られなくなったので若い人は知ら無いかもしれませんが昭和の一時代流通したのであります。

私ゃその頃わけあって牛乳配達をしていたんで妙チクリンな形のテトラパックを見たときの衝撃をしっかりと記憶しているのであります。
まっ、配達するのに軽くて良いんですがテトラを入れるケースが六角形で自転車に積むには不都合だったのであります。
なので自分の配達分は瓶のままでありましたが、時代は紙パックが瓶の牛乳を追いやって今に至った訳であります。

余談ですが五合瓶なんてのは重くてねぇ・・・これを国鉄官舎の四階まで階段で届けるなんてのは足腰の鍛錬にはとても良いことでありました。

で、私の小遣い稼ぎの始まりは豆腐屋だったんですが、これはもーどこの家の人も鍋を片手に買いに来るのが当たり前でして、崩さ無いように軽く水を張って一丁とか半丁とか入れたものでありましたよ。

あれです・・・油物の瓶や缶以外は再利用が当たり前だったと思うんであります。
で、手ぶらで買いに行くと牛乳瓶やビール瓶は「瓶代」を取られたものでありまして、返すと5円戻ってきたのでありました。

いや、空き缶拾いや瓶拾いってのは今時のホームレスの仕事ってことでは無く昔からあったんですが・・・話が逸れるので戻ります。

で、街にはそれぞれ商店街が形成されていまして、米屋・肉屋・魚屋・八百屋・雑貨屋なんてのがこじんまりとあった訳です。

で、肉でも魚でも包装は経木で、下手すると魚屋なんてのは新聞紙にそのまま包むなんてのも普通でありましたが、ここから出るゴミは家で燃やせるものでありました。

あれです、この頃の新聞は価値がありましたね。
いや、記事云々では無く新聞紙としての利用価値であります。

まず思い浮かぶのが弁当箱の包み紙であります。
まっ、ちょっと憚られる話ですけれども、はばかりでの利用も普通でして、よく揉んでから使わ無いと上手く拭けないなんてのは水洗の時代には考えられない話であります。

つい先日食品ロスの話で頓珍漢を書いたばかりなんですが、問題の根っこは同じでありましょう。

要するに、どこかで楽をすればそのツケは必ず払わされる訳でして、洗って再利用をしない食器は食品ロスと一緒で用をなさなくなった時からゴミなのであります。

いや、ゴミ処理が問題なのか資源の無駄遣いが問題なのかはわかりませんけど、一番厄介なのはリサイクルされようがゴミ焼却に回ろうが、その循環の良し悪しに関わらずそれが仕事になって誰かの経済を支えているということだと思うんであります。

どんな理屈であってもそれが仕事として存在すればそれが経済だと言うことであります。

さて、ここからが本題でして・・・コロナはこの手の問題を一気に片付けるための仕込みなのではないか、と私ゃ勘ぐっている訳であります。

世界中の民百姓に植え付けられたコロナに対する恐怖によって何事があっても「コロナですから」の一言で政府はやりたい方向に持っていけ、余計な説明もいらない訳であります。

で、コロナが要因で世界経済は収縮している訳でありますが、膨らむ方向への兆しはまだ見えていない訳であります。

いや、コロナが収束しなければ話は始まらない訳ですが、仮に胡散臭いワクチンが有効だったとしても集団免疫を確保し、コロナがただの風邪になるにはまだまだ時間が掛かると言われている訳です。

で、私の勘ではコロナが収束する頃には世界の経済は萎みきり、さて、ではと拡大に向かおうとしても既にコロナ対策で様々な法律が作られ、世界全体が見えない社会主義(全体主義か?)になっている訳であります。

その結果は、見事な格差社会の完成でして、世界中の一般国民はいわゆる上級国民の下で労働者として位置づけられるのであります。

あっ、いや、バイトに行く時間が迫っているので無理やりオチに持ってきましたが、言いたかったことは、コロナを錦の御旗にしてジワリと国民を縛りにきている政府を警戒している、とそう言うことであります。

わかるかなぁ・・・わかんねぇだろうなぁ、なんちゃって。










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4 コメント

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Unknown (知青)
2021-01-27 21:52:19
ここに書かれていることはよくわかりますよ。

まず、ゴミのことですが
醤油がむかしむかし(小学生の頃かな)は
村落の一か所の家に、ある一日だけか
醤油樽が持ち込まれて、
瓶を何本か持って分けてもらいに行っていましたよ。

この前のくみ取りの話も我が家地方と同じでした。
そうそう、新聞紙のことも

江戸時代は、そういった循環システムが
上手く機能していたとかですよね。

上手く消費生活の始末をつけていた、
ということですかね。

それから、コロナにかこつけて
個人の自由の制限(罰則規定まで)は
最もおそれることですね。
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Unknown (おばちゃん)
2021-01-27 23:43:19
懐かしいです。

おばちゃんも小さい頃、お使いで容器を持って
酢やトコロテンを買いに行った記憶があります。
豆腐屋さんはラッパを鳴らして売りに
きていましたから鍋に入れてもらっていました。
あっ、そうそう畑には肥えたごもありましたね。

今のようにゴミは出ていなかったことは確かですね。




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Unknown (0yazi)
2021-01-28 17:04:23
知青さん コメントごっちゃんです

資本主義ってのは消費させないと回らない仕組みですが、近頃は手に取れない、目に見えないものを売りつけるので厄介であります。
最たるものが「健康」と「アンチエイジングり」であります。
そして、環境問題と称して二酸化炭素という目に見えない物で金を集めようとしている・・・なんちゃって。
で、昔に戻れるのかと問われるとうつむくしかないんですが。

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Unknown (0yazi)
2021-01-28 17:09:00
おばちゃんさん コメントごっちゃんです。

昭和が良かったというのも懐かしさだけでは無いような気がします。
今の時代とは違った余裕があったように思うのであります。
たしかに、豆腐屋はラッパを吹いていましたね
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