いや、今日はバイトですが午後2時に家を出れば良いのでかなりの時間があります。
で、買ったまま積ん読してある本をマジで読もうかと思ったんですが気が乗らないのであります。
なんと申しましょうか、もともと小説はあまり好きでは無いと言いますか、特に推理小説はほとんど嫌いかも知れない領域でありまして本を持っていないし読んでいないのであります。
んじゃ、何が好きなのかと言うと、第一は紀行文、ノンフィクションの旅行記であります。
しかし、昨年のコロナ以来お出掛けしている人は少ないようで自分の好きな作家も新鮮なものは出していなくて過去の記憶的なものがチラホラであります。
と、言うことで、それなら何を積み込んだのかと言いますと、これがまた未知の分野ばかりでして、だから気後れして手に取るのも重い感じなのであります。
いや、みなまでは言いますまい、と言いつつ書いちまうと・・・字数が極端に限られたあれの類でして、ついでに関連書籍として情景や接続の言葉を集めた辞書的な本などを積み込んだわけですが、どーにも箸が進まないと言いますか、食べきれないのであります。
あっ、碧巌録・・・あれも読みかけで放ってあるんですがひよっとすると死ぬまで読み終えないかも知れない気もします。
いや、上中下と3巻あるうちの上巻さえ読み切れないんであります。
こーしてみると時間って使い方が難しいなぁ、と思うのは自分が欲張りだからでありましようか?
スキーには行きたいし、その為には小遣い稼ぎもしなくちゃならないし、そして本も読みたいし、ブログも書きたいし、チェンソーの目立てや草刈機の手入れや耕運機の整備も・・・俺があと二人はいても良いな、なんてね。
あれです、そう言うと本を読んでいないのかと言うとそんな事は無くて、もはや一行読むと次の行が思い浮かぶほど読んでいる本には何故か手が出るから不思議であります。
なんと申しましょうか、あれは本を読んでいるのでは無く脳みそのリセットをしているのかと思うのであります。
それは当然好きな文章であり、過去に共鳴しているものなわけでして、読み返す事で過去の精神状態に立ち帰れると言いますか、なんであれ良い気分になれるものを知らず知らず開いちまうのであります。
そーかぁ、もう脳みその空いたキャパが無いのかも?
自分の周りには変化を好まない人がたくさんいると言いますか、新しいことに手を出して面倒な思いをするなら現状のままが良いと言う姿勢の人が少なからず居ます。
いや、自分はその気持ちは理解不能と言いますか、埋没的日々なんて屁である、と真っ向から否定して来たんですが、どーなんでありましょうか。
なんと申しましようか、自分ごときの行動や思考は社会になんの影響もなく、全く私的な世界の話でありまして、求めているのは完璧な自己満足であります。
だとすると、どーせ自己満足なら労せずして得られる結果の方が断然楽だよな、となるのも宜なるかな、思いつつあるわけです。
あいやぁ・・・その考えは危険だ!!!
なんとなれば、私が努力や精進と思っている事は所詮自己満足となると、これは無駄な生き方か? と思うわけですが、そーすると私の人生の粗方が否定され、存在そのものが無駄である、となりはしないかと思うのであります。
へっ? そろそろ支離滅裂になったのでヤメたら、ですか?
いや、だからタイトルがけっこう暇だな、でありまして、これはただの暇つぶしなんですぜ。
おおっと、バイク屋が来るんで準備しなくては・・・んじゃ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます