じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

晴れてねぇじゃん

2019-09-12 13:03:13 | 日記的雑談
いや、一粒で2度おいしいことを狙ってバイクでジムに行ったわけですが、帰り道、少し遠回りして走ってこようと目論んだら雨粒がパラパラ来たではありませんか。

空を見れば、白い雲の切れ間に青空が覗きつつも少し目線をずらせばいかにも険悪そうな黒い雲も見えたりして・・・これはダメか❓と、いうことでさっさと帰ってきた次第であります。

まっ、筋トレの内容など記しても栓なきことでありますので端折りますが、一言で言うと、内容が薄い割に疲労度は大きい・・・要するに随分と衰えているなと、ひしひしと感じる今日この頃、木曜日の昼下がり皆様におかれましては如何お過ごしでありましょうか❓

あっ、すでに1時10分ということは、会社勤めの人なら仕事に戻っている時刻でありますね。

かくいう私は3時からの勤務なんでまだ余裕であります。

あれです・・・またバイクの話で恐縮なんですが、以前は110CCのホンダスーパーカブで日本国中を旅して歩いたわけであります。

で、本日は、車で行くと16分でバイクで行ったら15分で行けるスポーツジムにMT-07(中古で買い求めた私のバイク)を走らせたわけであります。

いや、参りました・・・街中を走るならカブに軍配が上がるだろうと確信し、大型車としては軽量とはいえ700CCのバイクでお買い物的走りは苦手で面白く無いと信じ込んでいただけにビックリであります。

いや、いやいや、現実は逆でありまして、裏道小道を行くときでもMT-07の方がとっても楽なのであります。

まっ、その要素を羅列してもバイクに乗らない方には珍紛漢紛かと思うので省きますが、要するにあらゆる条件で走りやすいのでありました。

で、思い返せばスーパーカブで日本中を走り回っていた頃の私は「無職」でありまして、金は無いけれども時間だけはなんぼでも有ったわけです。

と、いうことは、維持費が安いけれども走ることはやや苦手というバイクが苦にならなかったわけであります。

もっと言えば、長距離など走るのが苦手なバイクに敢えて乗るのは、訳あって都落ちした自分の自慮的行為であったと思うわけであります。

いや、スーパーカブで長距離はまさに修行の世界でして時間の浪費を厭わない精神修養であったと思うのであります。

さて、現在惚れ込んでいるMT-07は、走るために生まれたバイクでありまして、どこを走っても快適なんであります。

一つ決定的な違いを述べますと、小さなスーパーカブの方が安定性は悪く、低速でミリミリ動く渋滞等ではふらつくのであります。

で、こなたMT-07はタイヤの太さや重量の関係からか、もはや止まります的な速度で苦もなくミリミリと進めるのであります。

そして停車するときも同じでして、スーパーカブは停車するときにどーしてもふらつきやすいんですが、MT-07はすーっと来てピタッと止めてもふらつくことは無いのであります。

あれです・・・自動遠心クラッチ搭載という半オートマ的機構を持つスーパーガブは停車時等に半クラッチで流すのができないわけでして、だから低速が苦手なんだと思うんですが、しかし、この機構が無いと蕎麦屋の出前が片手運転でおか持ちを持って走れないわけであります。

まっ、今時そんな昭和の遺物のような出前持はいないんですけどね。

と、いうことで、走ることに特化した性能のMT-07はどこを走っても楽しい訳でして、これからは納豆を買いに行くときでも乗って行こうかと思うほどでありました。





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許容量超えつつ

2019-09-12 08:10:28 | 日記的雑談
私の脳みその許容量が減っている・・・たぶん、10年前の半分くらいになっている感じか❓

そして、記憶の持続時間が短くなって・・・要するにすぐ忘れる。

なのでトイレに小さなホワイトボードを置いて大まかな予定を記しているのだが、近頃では予定があることを忘れるのでボードに書き込むべき事柄を忘れていないかをスマホの予定管理ソフトで確認している。

しかし、予定管理ソフトに打ち込んで無い可能性も少なく無いので、バイトの勤務シフトを紙の表で確認し、植木屋の仕事の分は管理用の台帳で確認する。

さらに、友達関係との約束を確認するために机の前のカレンダーの書き込みも見なくてはならないのだ。

だが、一番の問題は、予定を確認することを忘れてしまうことなのだ。

例えば、今日のようにバイトの出勤が午後3時で、しかも午前中の植木屋の仕事も入っていないとなると、呑気にPCに向かって遊び始めてしまい、予定管理の各種仕掛けを確認することさえ忘れてしまうのだ。

ここまで書いて気がついたんだが、机の前のカレンダーをもう少し大きなものにしてすべてそこに書き込めば良いのか、と思ったのだが、書き込みを忘れるので二重三重の仕掛けを構築したのだからそれもなんだかなぁ~ではある。

忘れるといえば悪い方ばかりでは無く、良いこともある。

嫌なこともすぐに忘れて、少し経てば腹を立てたことさえ忘れてしまうのだ。
これは能力的に退化かと言うとそうでは無く、歳を喰って脳みその許容量が減る中で序列的に劣位の事柄を掃除してしまう新たな能力を得たと思うのだ。

忘れてしまうことが多くなったら総じて怒らなくなった。

言ってみれば、自分に今すぐ影響の無い事柄に興味がわかず、記憶して考察しようという気にならないのだ。

よって、日韓関係では韓国の提訴によってWTOで新たな動きがあるとか、新内閣で小泉進次郎が入閣したなどというニュースを聞いても「ああそうですか」程度の反応しか生まれない。

例えば、今はPCに向かっているので脳みそは比較的活発に動いている。
だから小泉進次郎と書いた途端に触発され、入閣させた理由は「獅子身中の虫」を取り込んで勝手な動きを封じ込めるのだうろ、などと書きたくなってしまうのたが、PCのキーボードが無かったらこんな反応はしないのだ。

忘れることは良いことだとおもう。
心中穏やかでいられる。

良かったことも忘れてしまうのは如何なものかという気もしたが、楽しかったことは次の欲につながるのは今まで生きてきて自由分しているのだから、それで良いのだ。

こうして、やがては何を見ても聞いても動じない仏様のような人になれるのだろう。

それをボケているというのは雑事と煩悩の渦に巻かれた娑婆の人が思うことである。

娑婆で十分もがき苦しんだ人生で、やっと餓鬼道から外れられる鍵が忘れることだと思うのだ。

いや、ここに書いているほどには枯れていない自分と承知ではありますが、しかし、行く道はそっちなんだなと、しみじみ思う今日この頃・・・物忘れは悪く無いもだな、と。









コメント (4)
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