東峰村のとても可愛い子どもたちです。この日は宗春さんの米作りの取材中に集落の公会堂でお大師さんがあると知りお邪魔しました。この子達はつい二日前に同じ鼓集落の水神祭で相撲をとっていた子どもです。
一人の子は宗春さんの孫、わたしも自宅にお邪魔したらばあちゃんの美味しいたくあんを持って来たりしてくれます。お大師さん(祭り)の途中から二人のカメラ取材がはじまりましたが知らぬ間にレンズはわたしのほうにも向いていました。将来を担う村の住民ディレクターさんたちのカメラに納まるのも光栄なこと!
この日は老若男女集まり人数は少なかったのですが和気あいあいとした井戸端会議のようでした。中心には集落の長老、宗春さんがどっしりと座り、役場務めの息子さん、漬け物上手のばあさん、息子の嫁、そして孫と宗春さん一家は3世代が一緒に過ごしました。参加したのは9世帯でしたがわたしは集落の風景を取材中に集落の一番上の高台に住まわれている方のご自宅にもお邪魔しコーヒーをよばれました。
大野城市に自宅があり東峰村は別荘のようなものらしいのですが、奥様と二人で悠々自適の暮らしぶりでした。村に住むご家族、一人一人の暮らしぶりが見えてくるとひとつの村の全体像の輪郭が掴めてきます。国のカタチのまえに村のカタチがあり、都市のカタチがあります。しかし今あらためて村のカタチをしっかり見据えることが今の日本に必要なことになってきているのではないでしょうか。東日本で壊滅してしまったと報道される小さな町村は東峰村のカタチに限りなく似ているはずです。復興にも、新しい地域の創造にも必要なプロセスと考えます。