選挙の効果

総選挙の意味

供託金300万円 バリケイト伊東

2022-06-29 11:06:01 | 政治

 暑い、口にしないほうがいい。言うとさらに暑くなる。心頭滅却すれば、火もまた涼しと言って、信長に焼き殺された坊さんの言葉を思い出す。暑さを超越しなければいけない。家に選挙公報が届いた。おもしろい。経歴、政治公約、写真が掲載されてる。日本の国政選挙では、供託金というお金を選管に払わなければいけないのだ。意外と知られてない。その額は300万円だ。極端に低い投票数だと、没収される。比例と重複する場合は600万円だ。鼻くそほどの金額ではないであろう。大きい金額だ。政治家になって弱い人を助けたいとか、腐った日本を変えたいとか、政治的理想、信念を実現させたいと思っても、金がないばかりにあきらめる事はあるのだ。今回の候補者は、誰も供託金について発言してない。政治討論番組を良く見るが、供託金廃止なんて誰も言わない。マスコミも言わない。変な国だ。世界を見ると、供託金制度のある国はわずかだ。あってもその金額は微小だ。300万円なんてとんでもない金額だ。日本世論も供託金問題を提起しない。そもそも日本人は、政治には関心ない。供託金を不動産を借りる時の保証金ぐらいにしか思ってないのだろう。供託金があるから候補者の乱立が避けられると、本には書いてあった。乱立は、悪いのか。一選挙区に100人が立候補してもいいのではないか。多くの政治家、立候補者にとっては、競争相手が少ない候補者のほうがいいのだろう。それで供託金制度の廃止なんて言わないのだ。最近の日本では、良く多様性を強調するが、口だけだ。供託金がなければ、多様な人材を政界に送れる。現役のストリッパーが、元やくざが、日雇い労働者が、学歴なくても、金もなくても政治家になれる可能性を残しておかなければいけない。日本は、自由と民主主義の国なのだ。選挙の根幹を形成しているおかしな供託金制度は、廃止にしなければいけない。意義なし。ちんこがゆで卵になりそうだ。超越だ。