今日、5月1日は令和の初日だ。昨日は日本各地で新年を迎えるようなウキウキ感で新時代の幕開けを待った。若者達が路上でバカ騒ぎしたり、天皇陛下、万歳の声が大きく響いた。歓迎ムードの中、天皇制反対のデモも行われた。そして、令和の扉が開けられた。扉が開けられたところで、日本は何も変わらない。今、日本が抱えてる多くの問題が解決するわけではない。少子化、人口減少、高齢化、虐待、詐欺、格差、犯罪など多くの問題があるのだ。時代が変わったところで、負の側面がきれいになくなるわけではない。日本国民、特に、若者達にとっては、天皇は芸能アイドルみたいに、とらえられてるのではないか。政治的意味合いなんて全然わかってないようだ。安部達の政治的演出は成功したように見える。日本は天皇の国のように世界に発信した。もちろん、天皇に政治的主権はない。主権は国民にあるのだ。象徴の天皇なのだ。わかりやすく言えば、お飾りなのだ。戦前のような政治的権力を持ってはない。天皇の政治利用は慎まなければならない。マスコミの最近の退位、即位の儀式報道はやりすぎの感がある。前回の昭和から平成への変換には、今みたいに大騒ぎしなかった。政治的演出が見え隠れする。戦前みたいな政治体制を復活させたい安部にとっては、天皇が政治の中心にあるような印象を国民に与えたいのだ。しかし、安部の意図など、多くの国民は理解してない。お祭り騒ぎを楽しんでるようだ。今の政治的状況を一番理解しているのが、天皇自身なのではないか。天皇は、自ら何度も私は象徴の天皇だと発言している。暗に安部らの天皇の政治利用をけん制しているのではないか。戦前のように天皇を政治利用して国民から自由を奪い、侵略戦争をした政治、政治家に、二度と同じ過ちを犯すなとけん制してるようだ。多くの儀式を行い、天皇は非常に疲れてるようだ。天皇でなくなったのだから、天皇としての仕事はなくなった。ゆっくりお休みください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます