昨日は週明けで、ネジ巻き直しの一日となりました。雑感ですが、日頃ぼんやり考えていることを、少し書かせていただこうかと――。
演奏する場合、いったん弾き始めたら最後まで、間違えても諦めずに、とにかく自分に出せる最良の音を出して、進めていくことになるわけですね。。
間違えたら、消しゴムで消して上から書き直す、というわけにいかなくて、私はそこが“習字”に良く似ていると思っています。たとえ間違えても、その後いかにさりげなく進んでいくかが重要なのですね。
そして一度、紙の上に筆を置いたら、伸びやかに払い・とめるなど、書く作業は勢いをつけたり鎮めたりと、リズムがありつつ…。それは呼吸が大切だったりしますね。
さらに半紙の上では、太い、あるいは細い線が美しい形を作り、全体の文字のバランスはどうかを見たりしつつ、、同時に、「空白」がとても重要ですね。
習字の、払う・とめる、といった筆先の持っていき方を、音に置き換えてみると、そこに演奏者の個性が現れます。
音楽全体の築き方にももちろん個人差がありますが、小さなパーツである“音を収めるところ”とか、“次の音につなぐ部分”をどうするか…。あるいは筆を紙に乗せる瞬間も。そういうところに興味があります。
習字と音楽の大きな違いは、仕上がり全体を確認し易いかどうか?習字は全体をしっかり見ることが出来ますが、音楽は時間の経過を辿ることになりますね。
音楽が長く残るのは人の心の中…記憶・印象ということになり、あとは録音に頼ることになります。
どんな風に音と音を繋ぐか。。それはどう紡ぐか、ということでもあり、音、間合い・空間、繋がれ方、全てが同等に大切なのだと実感します。
私、習字…始めたらきっとはまりそうな気がします(^^;)。