人は、ファクトはともかく、ストーリーを無条件に信じてしまう。
例えば、コンビニ店長が、ある挫折を経験して、その挫折から這い上がって、ある夢を抱いて、コンビニ店長になった。
とか。
こういう「ストーリー」を聞くと、右脳が刺激されて、共感しちゃって、「可哀想だな、頑張っているんだね、じゃあ次からあのコンビニを応援しようか、あそこで買おうか」ってなる。心が揺さぶられる。
昔の細かいファクトは検証できない。細かい検証をするエネルギーもない。
だからそのストーリー(ナラティブともいう)がまかり通る。
「ストーリー最強」の世の中である。
「26歳の可愛い小川さゆりは可哀想だ、だから家庭連合は攻撃しなきゃいけない」ってストーリーが、2年前のちょうど今頃から流行り出した。
そのストーリーは、福田ますみさんの調査等によれば、ほぼ「真っ赤な嘘」だったのですが(月刊Hanadaで何度か福田さんが記事を書いた)、多くの国民は、「小川さゆりは可哀想」ってストーリーを信じちゃっている。
被害者最強。
ストーリー最強。
被害者最強の世の中では、「被害者ストーリー」は、無敵の強さを誇っちゃう。
そう。
被害者ストーリーは無敵。
霊感弁連(紀藤正樹弁護士)がここまで意識していたかはともかく(この項と同じようなことは絶対に考えていたはずだ)、家庭連合が今いじめられているのも、この「被害者ストーリーは無敵」というロジックというか風潮を、うまく利用したのです。
また、だから、反家庭連合は、自らのアキレス腱である「拉致監禁」に知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、無視しているのです。これが明るみにであると、「被害者ストーリーが無敵」という矢が、自らに刺さってきちゃうからです。
家庭連合の解散命令の裁判の、最終的な最高裁の結果が出るまでは、あと2年くらいかかると思う。
この2年で、家庭連合諸氏は、なんとかして、メディアを通じて、拉致監禁のことを、裁判官に、強く、認識していただきたいものですね。