ひろし君の読書や旅日記

昨日より今日が少しは面白くなるかな て思って

ぼくらは何処から来たのか、を三内丸山で想った

2019-09-13 18:00:59 | 旅日記
先日青森県などの縄文時代の遺跡・遺構を訪ねる旅に行って来ました。ご存知の様に、この縄文時代は今から15,000年前の縄文草創期からその終焉の2,300年前までの、ナント13,000年もの間のことです。ですから、全国に多くの遺構・遺物が有ります。今回の旅では、北東北の5000年前位の縄文時代中期からの遺構・遺物を訪ねました。
訪ねたのは、合掌土偶が発掘された是川遺跡・掘立柱がある三内丸山遺跡・遮光器土偶が出土した亀ヶ岡遺跡そして大湯環状列石などが主な所です。
    縄文時代にはもう、職人達がいた!?
縄文時代には、多くの土器が作られてその用途は様々です。多くの物は、日常生活に直結した皿・壺や煮炊きする道具などと考えられています。また、人的な感じを表している土偶も多く作られていました。これらの土偶の大部分は、その造形から女性性を表していると考えられています。土偶には、土器の様な実用性はない事からその製作目的について、様々な事が考えられて来ました。土偶の多くが、破損された状態でゴミ捨て場に遺棄されている事から災厄を祓う儀式などに供せられとも考えられています。青森には、全国で15000個とも言われる土偶の中でも突出している土偶が有ります。それは、前記した国宝に指定されている「合掌土偶」と重要文化財に指定されている「遮光器土偶」です。とくに「遮光器土偶」の完成度は素晴らしいと思います。長野県で出土した国宝の「縄文のビーナス」より、その姿は見るものに様々な想い喚起すると思います。
でも、この様な完成された作品を一体誰が作ったのでしょうか?「木造亀ヶ岡孝古資料室」のボランティアガイドで陶芸家の方は、作品の完成度から考えて普通の縄文の村人が作るレベルを超えていると言いました。内部が空洞の「中空土偶」で「立像土偶」は、制作にかなりの能力や経験を必要とするらしいです。この事から、縄文の中期(5000年前位)には土偶などを作る職人集団がいたと考えるのが妥当なようです。
       三内丸山遺跡に新潟・糸魚川のヒスイをみる
青森・三内丸山遺跡には深さ・直径2mの柱を6本建てた遺跡が有って、大型建造物の跡ではないかと思われています。また、大型竪穴住居跡などもあり復元された建物の中に入ると、百人は入れる大きな物で有る事がよく分かります。住居跡や土壙墓の状態から最盛期には、500人位の人口がいたと思われる大きな集落だったらしいです。そして、この集落からもヒスイの装飾品が見つかっています。これらのヒスイは、新潟県糸魚川市の姫川の産らしいです。黒曜石の話を聞いても、ヒスイの話を聞いても、5000年も前の人達が一体どの様な方法で何百キロも離れた地点と交易をしていられたのだろうか、と考えるととても不思議な気持ちになります。
私達の祖先にあたるこの人達が、何処から来てこの地に住み、何を願って生きていたのだろうか、と思わせる遺跡の旅でした。

大原環状列石や、そのそばに有る280mの黒又山(現地の人はクロマンタと呼ぶ)の地下に有ると言う石造りのテラスなどの不思議に付いては、またの機会にして縄文の旅は未完のままで終わりました。
もしも、遮光器土偶のレプリカのお土産を買うなら、御所野縄文博物館のショップで販売している物がとても良く出来ていてお勧めですよ。


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