多分、私達にとっては中国・チベットは本当に縁が遠くて、そこで何が起きているかなんて多くは関心の外に有るとおもいます。中国にはこのチベット自治区の他にも、漢民族ではない民族の自治区が内モンゴル自治区や新疆ウイグル自治区が有りますが、新疆ウイグル自治区はシルクロードなどが有って日本の旅行者も結構多く関心も高いとおもいます。
しかし、チベットは高度が4000m付近で高山病の心配もあり、また観光向けにはラサにあるチベット仏教のポタラ宮が有名な位で普段はあまり関心を引かないと思います。しかし今回は四川省北部にあるチベット仏教都市のラルンガルの事を書いた『ラルンガル・天空の聖域』を読み解きたいとおもいます。
中国の宗教弾圧の凄まじさ
中国では宗教に対する弾圧は、繰り返し行われて来ました。その中でも近年の経過をみると、1999年前後の気功集団・法輪功に対しては凄まじい取り締まりを行ったそうです。投獄者数百万人で収容中の死者は4000人以上との報道も有りました。また、2008年にはチベット仏教都市のラサでのチベット騒乱でも多数の死傷者があったと言われています。最近では、キリスト教の民間団体の地下教会に対する取締りや公認の教会の建物の十字架の破壊などが報じられています。この十字架の破壊はキリスト教の教会の多い河南省では数千ヶ所に及ぶと言われています。また、近年の新疆ウイグル自治区内におけるイスラム教徒の強制収用所は、大きな所で30ヶ所以上、収容人数は100万人と言われています。これらの報道のどこまでが正しいのかは、確かめようが有りませんが、宗教に対する過酷な弾圧が行われている事は間違いはありません。
ラルンガルは宗教都市から漢人の観光地にさせらている
四川省成都の北西約600キロの、チベット自治区のそばにチベット仏教ニンマ派の高僧ジグメ・プンツォが1980年に「ラルン仏教講習所」を開設した。これを基にして1997年には四川省政府による認可を得て「ラルン五明仏学院」が公認された。この仏学院を中心として出家した僧侶が約1万人が、小高い丘陵の斜面に小さな僧坊を作って住み着いてきました。この地域をラルンガルといいます。中国でこの様な宗教都市が新たに作る事が出来たのは、時代的な背景がこの時期ラルンガルにとて幸運に働いたからだと思います。
しかし、2000年代に入ると中国政府は宗教全般に対する抑圧的な政策を強化していきます。それは上記した様な具体的な展開として現れます。ラルンガルでも、同様の事がおこります。2000年から2001年頃にはラルンガルの僧坊の多くが政府の手により解体され、僧は帰郷させられたそうです。その後も宗教都市から漢人向けの観光地にするための多くの工事が行われているそうです。この辺は、NHK・BSで放送された「改善か、信仰か」で詳しく描かれています。NHKアーカイブでも見る事が出来ると思います。
遥かに遠いチベットの事ですが、仏教の教えを求める多くの僧侶が今も抑圧に苦しむ姿を見ると、とても苦しい思いにさせらます。
しかし、チベットは高度が4000m付近で高山病の心配もあり、また観光向けにはラサにあるチベット仏教のポタラ宮が有名な位で普段はあまり関心を引かないと思います。しかし今回は四川省北部にあるチベット仏教都市のラルンガルの事を書いた『ラルンガル・天空の聖域』を読み解きたいとおもいます。
中国の宗教弾圧の凄まじさ
中国では宗教に対する弾圧は、繰り返し行われて来ました。その中でも近年の経過をみると、1999年前後の気功集団・法輪功に対しては凄まじい取り締まりを行ったそうです。投獄者数百万人で収容中の死者は4000人以上との報道も有りました。また、2008年にはチベット仏教都市のラサでのチベット騒乱でも多数の死傷者があったと言われています。最近では、キリスト教の民間団体の地下教会に対する取締りや公認の教会の建物の十字架の破壊などが報じられています。この十字架の破壊はキリスト教の教会の多い河南省では数千ヶ所に及ぶと言われています。また、近年の新疆ウイグル自治区内におけるイスラム教徒の強制収用所は、大きな所で30ヶ所以上、収容人数は100万人と言われています。これらの報道のどこまでが正しいのかは、確かめようが有りませんが、宗教に対する過酷な弾圧が行われている事は間違いはありません。
ラルンガルは宗教都市から漢人の観光地にさせらている
四川省成都の北西約600キロの、チベット自治区のそばにチベット仏教ニンマ派の高僧ジグメ・プンツォが1980年に「ラルン仏教講習所」を開設した。これを基にして1997年には四川省政府による認可を得て「ラルン五明仏学院」が公認された。この仏学院を中心として出家した僧侶が約1万人が、小高い丘陵の斜面に小さな僧坊を作って住み着いてきました。この地域をラルンガルといいます。中国でこの様な宗教都市が新たに作る事が出来たのは、時代的な背景がこの時期ラルンガルにとて幸運に働いたからだと思います。
しかし、2000年代に入ると中国政府は宗教全般に対する抑圧的な政策を強化していきます。それは上記した様な具体的な展開として現れます。ラルンガルでも、同様の事がおこります。2000年から2001年頃にはラルンガルの僧坊の多くが政府の手により解体され、僧は帰郷させられたそうです。その後も宗教都市から漢人向けの観光地にするための多くの工事が行われているそうです。この辺は、NHK・BSで放送された「改善か、信仰か」で詳しく描かれています。NHKアーカイブでも見る事が出来ると思います。
遥かに遠いチベットの事ですが、仏教の教えを求める多くの僧侶が今も抑圧に苦しむ姿を見ると、とても苦しい思いにさせらます。