ひろし君の読書や旅日記

昨日より今日が少しは面白くなるかな て思って

また関西を、駆け抜けてしまった

2019-11-16 20:02:38 | 旅日記
先日、友人達と関西を駆け抜ける旅をして来ました。私は甲府から、まずは京都に向かいます。高速バスで、朝7時30分に甲府を出発すると京都・八条口には午後2時には着きます。昨年までは4列シートで片側2席でしたが、今年からはナント1席づつの1列が3席と豪華に変身をしていました。外の風景が見られる昼間のバスの旅は、とても快適で好きです。そして、運賃も甲府ー京都が、ナント7000円ですのでお安いと思います。
      京都で嵐電に乗る
京都駅から嵯峨野線に乗って、嵯峨野嵐山駅にむかいます。駅に降りると、もう外国に来たみたいに色々な国の言葉が聞こえます。駅から南に、天龍寺の前を渡月橋に向かうと路は人がぞろぞろぞろぞろと歩いていました。今回の目的は、嵐電に乗る事なので嵐山駅に向かいます。嵐山駅のホームの先頭の所に、「足湯」が有りますが200円の有料です。山梨県の足湯は、「石和温泉駅」前の足湯など多くは無料で利用出来ますよ。嵐電に乗って京都を東西にを横断して、終点の「四条大宮駅」で降りて横にある阪急京都線で大阪に向かいます。
     大阪の夜は道頓堀で
関東から大阪に行くと、オヤジのぼくなどが思い浮かべるのは通天閣や道頓堀ですが、大阪の友人はあべのハルカスやアメリカ村も勧めます。でも、夕飯はまた道頓堀横の法善寺横丁で、おやくそくの二度漬け禁止の串カツでした。でも、行く度に食べているので少し飽きてきた感じでした。次回は美味しいどて焼きのお店を、探そうと思いました。
     何故か鳥取砂丘を目指します
翌日は、大阪観光はなくて大阪の友人の車で鳥取砂丘を目指します。関西方面の高速道路網に付いては、全く分からないのでカンバンを見ていたら兵庫県出石市(いずし)に着きました。但馬の小京都と、呼ばれているらしいです。出石城の下に路が、碁盤状に作られていて落ち着いた雰囲気の街並みになっています。。そして、ここは皿蕎麦が名物料理だそうです。30件以上のお蕎麦屋さんが、軒を連ねています。皿蕎麦て初めてなので、ドキドキしながら待っていると10cm位の小皿にお蕎麦が盛られて出されます。一人分の標準が、5皿みたいでした。僕らが入った「そば庄」は、裏道沿いに有るのに待たないと入れません。美味しいお店は、皆よく知っているんですね。また、真白な白磁の出石焼も素敵ですよ。
      鳥取砂丘は、「砂の美術館」がお勧め
鳥取の砂丘て、テレビなどで見ている方が大きい感じがします。鳥取砂丘に行ったら、お勧めは砂丘の前に有る「砂の美術館」です。今年は南アジア編で、ガンディー像や仏陀像などとても大きくて迫力があり、これて本当に砂で作ったの、という気持ちになります。中で写真も自由に撮れますし、印象深い見学になります。
     帰りは丹波篠山で猪肉を食べた
翌日は帰りに向かいます。高速道路が未完成なので、無料の自動車専用道路になっている所があちこちにあります。そんな路を走って、帰り道の観光で丹波篠山の篠山城址に向かいます。篠山城祉は、取り立てて言う事は有りません。お城だと、そばに有る八上城の方が注目されているみたいです。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の舞台になるそうです。八上城の城代を、本能寺の変の前に明智光秀が勤めていたからです。沢尻エリカはもう出ませんが、面白そうな感じがします。そんな訳で、篠山で名物料理の猪肉料理を食べて帰りに向かいました。
忙しい関西の駆け抜け旅ですが、見どころ満載て感じでした。


SF、もしくは「未来の恐怖」を想う

2019-11-04 19:52:12 | 読書感想
このところ、何故だか分からないけれど、気が付くとSF小説を何冊か読んでいました。SFと言うジャンルは、日本語的な感じでは「空想科学」というふうに昔は訳されていた様な気がします。第二次世界大戦の前からこの傾向の小説はあった様ですが、戦後原子力やコンピュータの登場によって本格的に書かれ、読まれて行きました。そして1990年代位までは、SF小説のテーマは、まだ科学技術の発展によって紆余曲折が有っても社会の発展や生活の豊さがもたらされると描かれた作品が多かっと思います。では、最近の傾向はどうでしょうか?今回は、1982年生まれのドイツのマルク・ウヴェ・クリングの「クオリティランド」・1963年生まれの中国の劉慈欣の「三体」そして1939年生まれのカナダのマーガレット・アトウッドの「洪水の年」で感じて行きたいと思います。
      AIによる人間達の支配は?
人間達はコンピュータの発展によってどうなるのだろうか?と言う漠然とした思いは、最近ではテレビでも語られています。私達のような市井の人間でも、耳を澄ましていると「2045年のシンギュラリティ」とか「2030年頃には45%の仕事が失われる」と言う話を聞きます。この三冊の小説でも、置かれた状況は異なりますが、科学技術の発展が一部の人達に恩恵をもたらして進み、そこから排除された人達は下層に押し込まれます。それが人為的な行為としてではなく、AIによる自動的な分類として進んで行く社会が描かれています。「三体」では、その視点が異星人であることが異なっていますが。この様な自動的な分類を実行する方法として考えられたのが、アルゴリズムです。問題には必ず答え(解)が存在する、と言うのが基本で、その答えに向けた具体的な演算方法がアルゴリズムと呼ばれています。そのアルゴリズムのソフトを組むのは、しかし人間です。そう考えると、AIによる人間の支配とは、AIを利用した人間による人間の支配でしかないのです。
      恐怖は外からか、内からか?
未来に対する不安・恐怖は、何処から来るのだろうか?科学技術の発展は確実に寿命を延ばし、生活の質を向上させ快適にしているのに。「洪水の年」では人為的に作られた新型ウイルスが地上を荒廃させ、「クオリティランド」ではアルゴリズムによる格付け階級社会がコンピュータの大統領を生み出してしまいます。そこに描かれているのは、AIの発達に抗しがたく屈する人々の姿といえます。何故ならAIは、多くの人々にとっては理解不能なブラックボックスになっているからです。
しかし、この三つの小説の終わりは、何故か同じように荒廃した状況から再興に向けて立ち上がるシーンに向かって行きます。「聞こえる。ジミーの言う通り。音楽だ。かすかに遠くから。でも、近づいてくる。大勢の人が歌っている響き。ゆらゆら揺れるたいまつの炎が見える。木々の暗闇を抜けてこちらにうねって進んでくる。」(洪水の年)と終わります。
まだ、希望は有る、と小説を終わらせます。でも、それは本当でしょうか?
日本の作家では、1986年生まれの小川哲がお勧めです。「ユートロニカのこちら側」や「ゲームの王国」の上巻のことなどは、またいつか書きたいと思う位力作です。