ひろし君の読書や旅日記

昨日より今日が少しは面白くなるかな て思って

縄文を訪ねて青森ー函館を歩く、の1

2024-06-03 11:33:22 | 読書感想
今回は、縄文の遺跡を訪ねて世界遺産の指定も受けた青森から函館を巡る旅の報告です。まずは、青森の方の報告から始めて行きたいと思います。
     まずは三内丸山遺跡からです
この『北海道・北東北の縄文遺跡群』の世界遺産の中でも抜群に有名で、また内容も盛りだくさんの遺跡は三内丸山遺跡だと思います。ご存知の様に三内丸山遺跡は、縄文の前期から中期(現在から5900年前から4200年前)まで縄文の人達が居住・生活した所です。この遺跡で特に有名なのが「大型掘立柱建物跡」と呼ばれている遺跡です。それは直径1mもの長い栗の木の柱を6本建てて、高層の建物を建てたと考えられています。しかし、現在でもこの様な大きな建物が、何を目的として作られたのか諸説紛々でハッキリした事は分かっていません。その他にも「大型竪穴建物」と呼ばれているおおきな集会場の様なものがあります。中にはいると、その大きさを実感してもらえると思います。この様な大きな建物を作るには、ここにかなりしっかりした住人の社会的な組織が有ったと考えるべきだと思います。三内丸山は、5000年前の大きな街みたいな感じだったかもしれませんね。
     大平山元遺跡・亀ヶ岡遺跡も訪ねた
津軽半島には遺跡や遺構が幾つか有りますが、今回は大平山元遺跡と亀ヶ岡遺跡を巡って来ました。大平山元遺跡は、石器時代からの居住跡で縄文の中期頃まで続いたところです。遺物を展示している「む~もん館」の解説によると、この地域は蟹田川に面した高台が幾つか有ってそこに石器時代から定住していたみたいです。狩猟生活から縄文の定住生活へと移行していく、変化が分かる場所みたいです。すごい時代の変遷を、感じる事ができるかもしれませんね。続いて「遮光器土偶」で有名な亀ヶ岡遺跡です。なにか宇宙服みたいな感じの体形で、その眼形が遮光器みたいな感じであることから以前は「異星人」では?なんて言われた事も。しかし、この亀ヶ岡遺跡の重要なところは、亀ヶ岡式土器と呼ばれる土器の存在です。亀ヶ岡式土器は、曲線状の複雑な文様と高度な技術で作られる赤漆によって彩色された土器でとても特徴的ものです。この土器は、現在までこの周辺に限らず北海道の函館などの渡島半島から福島まで確認されています。更に、関東や北陸地方、そして最も遠くは沖縄北谷町からも出土しました。この時代の交易は、この土器に限らず新潟の翡翠や長野の黒曜石など、現代でもその交易実態の多くが不明のままになっています。
でも、文字もない数千年も前の事は、それに触れる人の想像力に依って組み立てる事しか不可能なのでしょうか?
そんな訳で、次回は北海道の世界遺産を訪ねてみます。