ひろし君の読書や旅日記

昨日より今日が少しは面白くなるかな て思って

縄文を訪ねて山梨ー長野を歩く、の2

2024-04-14 17:29:28 | 旅日記
前回は、山梨の釈迦堂遺跡から長野・富士見町の井戸尻遺跡を歩いた報告でした。今回はその井戸尻遺跡から県道17号線で北上して、八ヶ岳エコーラインを抜けて行く尖石遺跡を目指します。
    国宝の土偶に出会う
尖石遺跡の脇に有るのが『尖石縄文考古館』です。この考古館の建物の両脇には「尖石遺跡」の住居跡と「与助尾根遺跡」の住居跡が有ります。時間が有ればこの住居跡は是非見た方が良いと思います。住居の復元の形は、「本当にこんなにも大きくシッカリしてたの?」て言う感じで、少し考えてしまいます。現地で見ると住居を取り囲む周辺の環境や、広さなどが良く分かり縄文時代の人達の感じに少しは近づける様にもおもえます。
横に建っている『考古館』は、駐車場の方から見て入口が良く分からずに周辺を一巡してしまいました。なんと言ってもここには、あの有名な国宝の「縄文のビーナス」と「仮面の女神」の実物が収納されて展示されているのです。現物を見るとその存在感は、確かに圧倒的な感じがします。私は「仮面の女神」のその豊穣感にとても強く惹きつけられました。入口の横の売店でレプリカを買いたいと思いましたが、カードが使えないので諦めました。この『考古館』の展示品は、土偶よりも土器の方が多くて個人的には不満でした。
      黒曜石を訪ねて北上
この時代の遺物で広い地域で特に目に付くのが「黒曜石」と「翡翠」ではないでしょうか。このうち「黒曜石」の産地が、この尖石遺跡から諏訪湖の方に北上した所にある星ヶ塔と言う所です。黒曜石は、この縄文時代には鋭い矢尻になったりナイフの様に使われていたようです。黒曜石の産地は諏訪の街から北の方の山の中に有ります。しかし、この産地は通常は立ち入り禁止になっていますので今回は街の中に有る「星ヶ塔ミュージアム」に行きました。このミュージアムでの見所は、黒曜石の採石現場をジオラマで見せている原寸大の展示です。正直なところ、黒曜石については知っていましたがその採掘がどの様にされていたかは全く知りませんでした。縄文の人達がよくあんな深い穴を掘って見つける事が出来たと、感心してしまいました。また、この黒曜石が遠くは津軽半島まで行き渡り、津軽半島からは茅野の方に「亀ヶ岡式土器」が渡って来ているのですから驚きですね。この黒曜石の事を書くと別に一章必要なので、別の機会に触れます。
そんな訳で、今回は前回の続きをかきました。 5月には津軽半島から函館の方の縄文時代の遺跡を訪ねる予定ですので、その報告はまたさせて頂きます。 

縄文を訪ねて山梨ー長野を歩く、の1

2024-03-22 11:16:02 | 旅日記
先日から、縄文を訪ねて山梨ー長野に有る遺跡や展示館を歩いています。ご存知の様に「縄文時代」と一口に言ってもその期間は、15000年前の草創期から2500年前の晩期までかなり長い間のことです。今回歩いた山梨ー長野で出会った遺跡や遺物は、縄文中期の物が多かったと感じました。縄文中期は約5500年前から4500年前の期間ですから、昔々の事では有るのですが。
    山梨・釈迦堂遺跡博物館は土偶が一杯!
昭和55年の頃、中央自動車道の建設に先立って発掘調査が行われ石器時代から平安時代までの多くの遺物や遺跡が発見されて、この博物館に展示されています。展示は縄文時代の物が中心で、特に「水煙文土器」は釈迦堂遺跡を代表する物と言われています。しかし、入って感じるのは圧倒的な土偶の数です。この圧倒的な数の土偶を見ていると、縄文の人々はこの土偶に何を仮託しようとしていたのだろうかと、考えさせられてしまいます。1116点の出土した土偶の大部分は縄文中期のものだそうです。中央自動車道「釈迦堂サービスエリア」に車を止めて、階段を上がって行く事も出来ますよ。それにしても、急峻な坂が続く地形を見ていると昔の人の苦労を感じてしまいました。
     山梨・北杜市金生遺跡と考古資料館は八ヶ岳の裾野
甲府盆地を挟んで東が釈迦堂遺跡なら、西の八ヶ岳南麓に広がる所に有るのが金生遺跡です。縄文後期頃の住居の遺構と思われるこの金生遺跡は、特に特徴的なものとして多分何らかの祭祀などが行われていたと思われる石を敷き詰め、大き目の石を立てた場所があります。現地で見るだけではその石の配置などが良く分かりませんが、そばに有る北杜市考古資料館でジオラマで解説されているのでご覧ください。金生遺跡にしても、発掘調査されたのは全体の1割チョツトらしいので何か別の場所に環状列石などが有るのではないかと、勝手に想像してしまいました。北杜市考古資料館では繊細な「中空土偶」がお薦めらしいです。それにしても、八ヶ岳の稜線上に有る資料館に立っていたら風花が舞って寒かったです。時代的には、縄文後期以降気候の寒冷化が進むそうで、この様な高地からの移住が有ったのではないかと思います。金生遺跡の住居の復元は、写真で見ると3棟有るのですが今は1棟しか有りません。
次回は、長野県富士見町の井戸尻遺跡から縄文のビーナスが発掘された棚畑遺跡を目指します。

関西を通って山陰・島根に神を訪ねる

2023-10-17 11:22:48 | 旅日記
毎年、関西にいる友人に会うために甲府の私と埼玉の友人でこの時期に遊びに行ってます。今年も、異常な高温の夏が終わって来たので先日関西に行ってきました。
    甲府から大阪・神戸を巡る
甲府からはお馴染みの高速バスで関西に行きます。甲府から大阪までの運賃を考えると、JRの運賃は行く経路にも拠りますが、新幹線の自由席でも約16000円位です。高速バスは、現在甲府から大阪方面は一社しか運行していません。この会社の運賃は、甲府から大阪・なんばまでで8000円ですので半額と言う安さです。僕は新幹線の小さな窓からチラチラと風景を見ているよりは、バスの大きな窓でゆったりと風景を楽しむ方が好きで昼便のバスが有る時はバスを選びます。朝の7時半に甲府を出て、途中昼食を取って午後3時過ぎには大阪・なんばのバスターミナルに着きます。この日の宿は、道頓堀そばのホテルですので歩いて15分位で着きました。串揚げで一杯やって、翌日は大阪の友人の車で神戸の異人館南京町を歩きました。それにしても神戸の坂道を歩くのは、疲れてしまいました。幾つかの異人館を見ましたが、英国館が一番見どころが有った感じです。神戸の中華街はコンパクトにまとまった所で、お昼ご飯をたべましたが味は個人的には中華料理の日本人向けの味付けと言う感じだと思います。夜は有馬温泉に行って泊り、翌日に僕は出雲市に向かいました。
     出雲にどうして出雲大社が有るのだろうか?
出雲大社に付いては、色々と解釈されているけれどもスッキリしない事が色々と有ると思います。何故あの場所に造営されたのでしょうか?何故神社ではなくて大社と呼ばれているのでしょうか?何故45mもの巨大な本殿の造営を必要としたのでしょうか?この辺を、「出雲大社宝物殿」と隣の「古代出雲歴史博物館」を巡りながら考えましたが、あまりスッキリしませんでした。謎は深まるのでした。翌日は、この地域にある弥生時代後期の様々遺跡・遺構を巡りました。まずは「西谷墳墓群」です。ここは前方後円墳などが現れる前の四隅が突き出た墳丘墓が有ります。ここか数キロ離れた所に、荒神谷遺跡が有ります。同じく弥生後期の遺物の銅剣が、同じ所になんと358本も整然と埋められていたのです。この銅剣の数は全国で300本余りし見つかっていない事を考えると、異様な数と言えます。最後に銅鐸が39個も纏まって出土した加茂岩倉遺跡も見ました。たまたま農道の工事で見つかったらしですが、見つかった場所は山間の傾斜地で本当にここに有ったの?て感じてしまいました。この三つの遺跡は、数キロの距離であり時代的にも近い事を考えるとこの周辺にはかなり有力な勢力を持った集団がいたのでしょう。この事と、古事記の国譲り神話を関連して夢想すると出雲のこの地域が、特別な色彩を帯びて浮かび上がってくるように思いました。

帰りは、松江のお城小泉八雲旧宅を訪ねて幕末・明治の雰囲気を味わって岡山経由で帰って来ました。岡山で一泊したのですが、大きな街なのでビックリでした。なんと言っても市電が走っていて、夕方なんか綺麗でしたよ。

幻の九州行き

2023-05-03 17:45:30 | 旅日記
昨年の5月は、北海道への一人旅をしたので今年は九州への一人旅を計画して準備しました。しかし、残念なことに4月下旬の出発予定の5日前に発熱などで体調を崩してしまい、急遽予定をキャンセルせざるを得なくなりました。幸いなことにコロナやインフルエンザではなかったのですが、大変でした。今回は、行けなかった幻の旅のアレコレのご報告になります。
    行きはフェリーで、帰りは飛行機での計画
調べていくと九州は、意外に遠いところだと思いました。フェリーの航海時間は、北海道行は大洗ー苫小牧が約17時間位ですが九州行は横須賀中央-新門司港が約21時間位になります。帰りは、長崎空港から羽田空港行で帰って来る予定で予約を取りました。しかし、この予約のキャンセルがとても大変でした。ネット予約ですので、キャンセルもネットでしなければならないのですが、キャンセルする画面を探すのもとても複雑です。また、フェリーなどのキャンセル料金に比べても5倍以上もする高額なキャンセル料を請求されます。とても使いづらいのが、飛行機だという事が良く分かりました。でも、新幹線や高速バスの料金よりも、かなり格安な飛行機チケットも有りますので、次回もチャレンジしようかなと思っています。
     各地の食べ物を調べてみました
旅行の楽しみの一つである各地の食べ物を、調べて行くつもりでした。私は、食べ物はどちらかというと各地のB級グルメに関心が有って、そのせんで調べました。まずは、下関では「資さんうどん」と「瓦そば」でした。博多は、とても有名なものばかりなのでパスします。長崎市では「出島カレー」や「佐世保バーガー」などはいかがでしょうか。また、島原観光に行ったら「かんざらし」や「具雑煮」などがあるそうです。食べ物ばかりは写真を見ても味の事は分かりませんので、現地に行ってその場の雰囲気と一緒に感じるが必要なのでしょうね。長崎のお土産と言えば、何んと言っても「カステラ」ですが少し寂しい感じですね。
そんな訳で、色々と旅行に行く前に調べていたのですが、今回は幻の旅行の報告でした。

関西走り旅で高知まで行ってしまった

2022-11-13 11:08:30 | 旅日記
先日、友人たちと大阪経由で四国に行ってきました。昨年もこの時期に、大阪経由で四国に行ったので経路は違いますが方向は同じ様なものでした。
     赤いロードスターでお出迎え
東京の友人が中央道経由で、赤いロードスターで今回はお出迎えをしてくれる事になりました。中央道双葉サービスエリアで待ち合わせしました。ここはバス停が有るので一般道から入る事ができます。今回の経路は、中部横断自動車道を使って山梨県から静岡市に向かい東名高速に入ります。初めてなのでどんなものかと、少し期待をしていたのですが富士川沿いを走る道なのでトンネルが多くて景色を楽しむ感じはしませんでした。また、片側一車線の区間が多くて走りを味わうには不満なかんじでした。
     奈良で泊り、大阪・四国へ
当日は奈良で二月堂の観光などをして、お泊りしました。秋の夕暮れの頃の二月堂は、また独特の雰囲気で良かったです。翌日は大阪の友人と落ち合い、友人の車で四国に向かいます。神戸を通り過ぎて明石海峡大橋で淡路島を経由して、徳島から高知県を目指します。淡路島と言えば玉葱だそうです。淡路島のドライブインで、玉葱が一つまるまる乗ったカレーライスを食べました。美味しかったですよね。徳島から高速道路で高知に向かいます。高知市に着いて一休みしたら、夕食に出かけます。ここで有名なのは、県庁そばの「ひろめ市場」と言う飲食が出来る所です。大き目の建物の中に料理を出す店や飲み物を出す店が多数集まって、客は通路に置かれたテーブルで飲食いするのです。独特な雰囲気で、楽しそうな場所ですよ。ただし、お客が多いので座れる場所を確保するのが大変です。高知で食べた鰹のたたきは、甲府でいつも食べている鰹と全然違う美味しいたたきでした。ビックリ
     高知城や桂浜、はりまや橋の定番観光
高知観光と言えば、定番の観光はやはり県庁そばの高知城、そして桂浜に向かう途中のはりまや橋の跡、そして桂浜で大きな坂本龍馬の像を見る事でしょうか。朝に高知城を観光するなら、そばので開かれている「朝市」もブラブラみるのも面白いです。特に地元の野菜で、関東の方ではあまり見かけない野菜や食べ方など、興味が尽きません。定番の観光を終えて、また高速道路で徳島を目指します。徳島では四国一番霊場の霊山寺から、幾つかの霊場を巡りお祈りしてきました。

そんな、少し駆け足の観光でしたが今回も色々と興味深いものに触れる事ができました。

北へ行く旅ー北海道を歩いた

2022-05-28 11:28:28 | 旅日記
先日、昨年行こうとしてコロナの影響で断念した北海道を歩いてきました。四月ではまだ寒く、六月になると北海道旅行は色々と費用が増えるので五月の連休明けがベストだと思いました。
     往復はフェリーが安くてベスト
北海道に行くには色々な手段がありますが、費用の面ではフェリーが一番格安ではないかと思います。今回利用したのは、「東京駅<ー>札幌駅」9,900円と言う格安プランです。東京駅からバスに乗って大洗港に着き、フェリーに乗り換えて苫小牧港まで行きます。苫小牧港から札幌駅までのバス代金も含まれています。あとは、フェリーの中の部屋で値段が大きくかわります。独り旅ならば、コンフォートと言うカプセルみたいな感じのものでも楽しめますよ。フェリーは夕方に出港して翌日の午後には苫小牧港に着きます。大きな船なので揺れもあまり感じませんでした。大浴場もレストランも有って、くつろいで船旅を楽しめると思います。ただ、顔を洗ったり歯を磨いたりする場所が無くて、トイレでしましたがあれは少し不満でした。
     札幌に着いたら、北を目指そう
今回の旅の目的は、北を目指す事なので札幌の観光名所はあまり見ないで北を目指します。でも、高い所に上るのが好きなのでさっぽろテレビ塔は、観光しました。この時期は、ライラックの花が満開で楽しめます。このテレビ塔の直ぐそばに有る「大通りバスセンター」から稚内に向けたバスが出ます。高速バスと書いてあったので、札幌から道央自動車道で旭川を経由して稚内を目指していくのかと思っていたら違いました。バスは途中で自動車道を降りて、一般道を留萌に向かいます。留萌からは、海沿いのオロロンラインをひたすら北上して稚内に向かいます。日本海に面したオロロンライン沿いに走って行くと、海に日が沈む少し長めの夕焼けが見れます。ただ、立ち並んでいる建物を見ていくと廃屋ではないかと思われる建物が、多く目につきます。この様な感想は、この旅の中でとても多く経験しました。それにしても、札幌から稚内まで約6時間ですから長いバスの旅です。
     稚内には北の記録がいっぱい
日本の最北端と言えば宗谷岬が有名ですよね。稚内に泊まってレンタカーで岬に向かいましたが、海沿いの道にはほとんど信号が無くて、地元の車がスピードを出すので私もついつい早く走ってしまいました。日本最北端の碑を見て、強い海風に吹かれていると何か遠くに来たなと言う気持ちに成るのでは。稚内駅に行くと、改札口の横から「最北端の線路」と言う看板が見えます。ここがJRの路線の一番北だそうです。その他にも「最北端のガソリンスタンド」みたいな感じの看板があります。また、礼文島に渡って晴れた日にはサハリンの島影が見れるという最北端のスコトン岬で、崖の下から吹き上げる海風を味わうのもいいですよ。

そんな訳で、今回はコロナの影響で伸ばし伸ばしに来た北に向かう旅の報告でした。それにしても、稚内周辺の観光はパック旅行の人達が一杯いて、お元気な高齢者が大半でした。
最後になってしまいましたが、北海道と言えば地元のコンビニの「セイコーマート」の事に触れないわけにはいきません。オレンジ色の看板ですが、少し地味なので最初はコンビニのお店と思いませんでした。調べると北海道以外にも店舗が有るそうですが、北海道では店舗の数は圧倒的に多く有ります。買い物をした感じでは、価格的には格安だと思います。例えば、通常500円位のお弁当が390円位です。日常生活の買い物では、品揃えの面でも不足感なく利用できました。北海道に行ったら、体感してみたらどうでしょうか。


幻の北海道行きへの、妄想

2021-04-30 20:04:38 | 旅日記
5月になったら昨年から計画していた、北海道への旅を今年こそと夢想していました。しかし、残念な事に今回もコロナ感染の影響を受けて中止する事にしました。そんな訳で今回は、机上の北海道旅行の話を書いてみました。北海道では、今回は「北に向かう旅」がテーマです。
    商船三井フェリーで北海道へ
商船三井フェリーの割安プランは、なんと東京⇒大洗港⇒札幌までのバス代とフェリーの代金がセットで11,000円と格安なのです。船の旅は、何十年も前の大分⇒東京の旅からしてなかったのでこれで行きたいと思いました。船での宿泊は、ツーリストクラスは追加料金はかかりません。その上のクラスで独り旅なら、コンフォートで追加料金は2,040円でお手軽ではないでしょうか。大洗港は夜の7時45分の出港で、苫小牧港には翌日の午後の1時30分には到着します。船旅で夜の海も、朝の海も楽しめるお手軽なコースではないでしょうか。
     札幌から稚内へと
苫小牧港で札幌行のバスに乗り、札幌駅前に午後の3時半過ぎには着きますのでそれから少しは観て歩くも出来る時間ですね。二泊目はこのまま札幌で泊り、船旅で疲れた体を休めるか夜のすすき野を探索すると言う、どちらかを選びます。そして翌日は長距離バスで、稚内を目指します。札幌⇒稚内のバスは、午前7時40分発で稚内午後の1時30分着か午後1時発の午後6時30分着のどちらかが良いと思います。早いバスで行って稚内の観光をするか、午前中に札幌観光をしてから稚内に向かうかですね。難しい選択ですが、バスで5時間半の旅をして稚内に到着します。電車の旅も有りますが、調べるとバスに比べて割高で時間もかかる感じがします。
     稚内から利尻島にも行く
今回の旅のテーマの「北に向かう旅」では、稚内が終点ですが稚内周辺には北を強く感じさせる色々なものが有ります。北と言ってもっとも有名なのが、日本最北端の宗谷岬ですよね。ここは観光コースの定番ですよね。少しマイナーな所では、宗谷岬の先の海沿いの直線的な道路のエサヌカ線や日本海側のオロロンラインなんかも良いかなと思います。レンタカーを借りて北の直線の道を、走りましょう。そして、ここまで来たら利尻島や礼文島の観光もいいと思います。ただ、ここは観光のメッカなので、両方の島を巡るのにどちらかの島で1泊すると宿泊代が高いみたいです。

そんな北海道旅行の妄想でしたが、コロナ感染の予防のためにも県境を越えた移動は止めました。と言うより家族に反対されて中止しました。残念でした。




駆け歩きの関西旅の思い出は、食べ物だけ?

2020-11-01 11:04:17 | 旅日記
先日、また関西の大阪・奈良・京都の三都を駆け抜ける様に旅してしまった。その様子を書き留めてみました。
   甲府から大阪へ
いつもの様に、甲府発7時30分の大阪行きの高速バスに乗りました。昨年から変わった横三列シートで、余裕を持って座ることが出来ます。ただ今年は、土曜日なのにコロナの影響だと思いますが乗客は例年の半分程度の感じでした。バスの事で言いますと、例年帰りに利用している梅田発の「花バス」はこの時期運行していませんでした。甲府から大阪までは、途中の休憩時間を含めて約8時間です。今までは大阪までは行かないで、京都八条口で降りて京都の観光をしてから電車で大阪に行くのですが、今回は大阪に直行しました。大阪のバス停は、「近鉄なんば駅」バスターミナルとなっていますが、全く知らない所なのでドキドキして降りました。そこで先に着ていた友人と何とか合流し、地下鉄「千日前線」と並行している「なんばウォーク」を歩いて「黒門市場商店街」を目指しました。この日の夕食は、黒門市場から近い道頓堀まで歩いて行き法善寺横丁の「串揚げ」になりなした。でも「串揚げ」で有名な「ソース二度漬け禁止」はなくて、自分でソースをかけてたべました。コロナの影響は、ホント色々とありますね。そして「土手焼き」を、今回はたべました。でも、関西の土手焼きは少し甘すぎて、不満でした。
      大阪から奈良へ
翌日は、友人の車で奈良の観光に行きました。奈良の観光は山の辺の道沿いの、「三輪神社」「長岳寺」です。長岳寺は、古いお寺なのですが参拝する人は少なくヒッソリと佇んでいました。私たちが訪れた時も、5~6名の参拝者しかいませんでした。本堂にある「大地獄絵」を見て、己の振舞いを振り返るのも良いかと思います。参拝を終えて昼食は、ここでは「三輪そうめん」という事になります。この時期は、そうめんを温かくいただく「にゅめん」です。「箸墓古墳」の直ぐそばにある三輪そうめん山本で40分待っていただきました。大阪への帰り道で「當麻寺」を参拝して、無事に大阪に帰り大阪の友人と別れて、今日の宿の有る京都に向かいます。京都での夕食と言えば色々と有りますが、今回はまず「錦市場」で食事をと思って行ったのですが夕方の6時頃には多くのお店は閉まっていました。仕方がないので、そのまま「先斗町」に向かいます。先斗町といえば鴨川沿いの夏の「鱧料理」ですが、今回は通りの居酒屋で夕食を頂きました。
      京都から甲府へ
翌日は、埼玉の友人の真っ赤のロードスターで甲府を目指すのですが、その前に比叡山へと向かいます。比叡山ドライブウェイを走って根本中堂に向かいます。駐車場に停まり、中に入つて根本中堂に向かう所に50円で鐘を突ける鐘楼が有ります。鐘を突くと、鐘の音の大きさにビックリしてしまいます。根本中堂は現在は大掛かりな改装工事で、全体の雰囲気が良く分かりません。中をお参りしてから奧比叡ドライブウェイで坂本の町に向かいます。ここには比叡山の山神様と言われる「日吉大社」が有ります。坂本の町に来たら坂本名物手打ちそばです。今回は「本家鶴喜そば」を頂きました。寒かったので温かいおそばを、美味しくいただきました。
そんな感じで食べ物に引きずられて、駆け足で関西を駆け巡った旅日記です。

また関西を、駆け抜けてしまった

2019-11-16 20:02:38 | 旅日記
先日、友人達と関西を駆け抜ける旅をして来ました。私は甲府から、まずは京都に向かいます。高速バスで、朝7時30分に甲府を出発すると京都・八条口には午後2時には着きます。昨年までは4列シートで片側2席でしたが、今年からはナント1席づつの1列が3席と豪華に変身をしていました。外の風景が見られる昼間のバスの旅は、とても快適で好きです。そして、運賃も甲府ー京都が、ナント7000円ですのでお安いと思います。
      京都で嵐電に乗る
京都駅から嵯峨野線に乗って、嵯峨野嵐山駅にむかいます。駅に降りると、もう外国に来たみたいに色々な国の言葉が聞こえます。駅から南に、天龍寺の前を渡月橋に向かうと路は人がぞろぞろぞろぞろと歩いていました。今回の目的は、嵐電に乗る事なので嵐山駅に向かいます。嵐山駅のホームの先頭の所に、「足湯」が有りますが200円の有料です。山梨県の足湯は、「石和温泉駅」前の足湯など多くは無料で利用出来ますよ。嵐電に乗って京都を東西にを横断して、終点の「四条大宮駅」で降りて横にある阪急京都線で大阪に向かいます。
     大阪の夜は道頓堀で
関東から大阪に行くと、オヤジのぼくなどが思い浮かべるのは通天閣や道頓堀ですが、大阪の友人はあべのハルカスやアメリカ村も勧めます。でも、夕飯はまた道頓堀横の法善寺横丁で、おやくそくの二度漬け禁止の串カツでした。でも、行く度に食べているので少し飽きてきた感じでした。次回は美味しいどて焼きのお店を、探そうと思いました。
     何故か鳥取砂丘を目指します
翌日は、大阪観光はなくて大阪の友人の車で鳥取砂丘を目指します。関西方面の高速道路網に付いては、全く分からないのでカンバンを見ていたら兵庫県出石市(いずし)に着きました。但馬の小京都と、呼ばれているらしいです。出石城の下に路が、碁盤状に作られていて落ち着いた雰囲気の街並みになっています。。そして、ここは皿蕎麦が名物料理だそうです。30件以上のお蕎麦屋さんが、軒を連ねています。皿蕎麦て初めてなので、ドキドキしながら待っていると10cm位の小皿にお蕎麦が盛られて出されます。一人分の標準が、5皿みたいでした。僕らが入った「そば庄」は、裏道沿いに有るのに待たないと入れません。美味しいお店は、皆よく知っているんですね。また、真白な白磁の出石焼も素敵ですよ。
      鳥取砂丘は、「砂の美術館」がお勧め
鳥取の砂丘て、テレビなどで見ている方が大きい感じがします。鳥取砂丘に行ったら、お勧めは砂丘の前に有る「砂の美術館」です。今年は南アジア編で、ガンディー像や仏陀像などとても大きくて迫力があり、これて本当に砂で作ったの、という気持ちになります。中で写真も自由に撮れますし、印象深い見学になります。
     帰りは丹波篠山で猪肉を食べた
翌日は帰りに向かいます。高速道路が未完成なので、無料の自動車専用道路になっている所があちこちにあります。そんな路を走って、帰り道の観光で丹波篠山の篠山城址に向かいます。篠山城祉は、取り立てて言う事は有りません。お城だと、そばに有る八上城の方が注目されているみたいです。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の舞台になるそうです。八上城の城代を、本能寺の変の前に明智光秀が勤めていたからです。沢尻エリカはもう出ませんが、面白そうな感じがします。そんな訳で、篠山で名物料理の猪肉料理を食べて帰りに向かいました。
忙しい関西の駆け抜け旅ですが、見どころ満載て感じでした。


ぼくらは何処から来たのか、を三内丸山で想った

2019-09-13 18:00:59 | 旅日記
先日青森県などの縄文時代の遺跡・遺構を訪ねる旅に行って来ました。ご存知の様に、この縄文時代は今から15,000年前の縄文草創期からその終焉の2,300年前までの、ナント13,000年もの間のことです。ですから、全国に多くの遺構・遺物が有ります。今回の旅では、北東北の5000年前位の縄文時代中期からの遺構・遺物を訪ねました。
訪ねたのは、合掌土偶が発掘された是川遺跡・掘立柱がある三内丸山遺跡・遮光器土偶が出土した亀ヶ岡遺跡そして大湯環状列石などが主な所です。
    縄文時代にはもう、職人達がいた!?
縄文時代には、多くの土器が作られてその用途は様々です。多くの物は、日常生活に直結した皿・壺や煮炊きする道具などと考えられています。また、人的な感じを表している土偶も多く作られていました。これらの土偶の大部分は、その造形から女性性を表していると考えられています。土偶には、土器の様な実用性はない事からその製作目的について、様々な事が考えられて来ました。土偶の多くが、破損された状態でゴミ捨て場に遺棄されている事から災厄を祓う儀式などに供せられとも考えられています。青森には、全国で15000個とも言われる土偶の中でも突出している土偶が有ります。それは、前記した国宝に指定されている「合掌土偶」と重要文化財に指定されている「遮光器土偶」です。とくに「遮光器土偶」の完成度は素晴らしいと思います。長野県で出土した国宝の「縄文のビーナス」より、その姿は見るものに様々な想い喚起すると思います。
でも、この様な完成された作品を一体誰が作ったのでしょうか?「木造亀ヶ岡孝古資料室」のボランティアガイドで陶芸家の方は、作品の完成度から考えて普通の縄文の村人が作るレベルを超えていると言いました。内部が空洞の「中空土偶」で「立像土偶」は、制作にかなりの能力や経験を必要とするらしいです。この事から、縄文の中期(5000年前位)には土偶などを作る職人集団がいたと考えるのが妥当なようです。
       三内丸山遺跡に新潟・糸魚川のヒスイをみる
青森・三内丸山遺跡には深さ・直径2mの柱を6本建てた遺跡が有って、大型建造物の跡ではないかと思われています。また、大型竪穴住居跡などもあり復元された建物の中に入ると、百人は入れる大きな物で有る事がよく分かります。住居跡や土壙墓の状態から最盛期には、500人位の人口がいたと思われる大きな集落だったらしいです。そして、この集落からもヒスイの装飾品が見つかっています。これらのヒスイは、新潟県糸魚川市の姫川の産らしいです。黒曜石の話を聞いても、ヒスイの話を聞いても、5000年も前の人達が一体どの様な方法で何百キロも離れた地点と交易をしていられたのだろうか、と考えるととても不思議な気持ちになります。
私達の祖先にあたるこの人達が、何処から来てこの地に住み、何を願って生きていたのだろうか、と思わせる遺跡の旅でした。

大原環状列石や、そのそばに有る280mの黒又山(現地の人はクロマンタと呼ぶ)の地下に有ると言う石造りのテラスなどの不思議に付いては、またの機会にして縄文の旅は未完のままで終わりました。
もしも、遮光器土偶のレプリカのお土産を買うなら、御所野縄文博物館のショップで販売している物がとても良く出来ていてお勧めですよ。