なぜこの場所に、御上神社を建てたのか?
たぶん、丹波への近道を作るためでしょう。
丹波から奈良への道はかなり以前からあったようです。
その道につなげると、伊勢との距離はだいぶ近くなります。おそらくそれが理由でしょう。
それともう一つ、琵琶湖を使うための港を造ること。
すると、白髭神社を経由して日本海に出ることが容易になります。
椿大神宮創建の1年前に、白髭神社が出来ています。
以前に、年代を調べています。(半年~1年ほど誤差があるかもしれませんご容赦)
302年から304年まで飯野ノ高宮に滞在。
304年白髭神社創建
305年椿大神宮創建
この、椿大神宮奥宮のレイラインがはっきりしないのです。
ここから夏至の日の出を見ると
春日井の高蔵神社の磐座の少し南を通るのです。
でも、いくら調べてもライン上にはそれらしきものは見つかりません。
御上神社からのレイラインとか、白髭神社のレイラインがあるので、
この、椿大神宮奥宮のレイラインだけがおかしいとは思えないのです。
最初の場所は、もう無くなっているのかもしれませんね。
それとも、御上神社、白髭神社を建てた後に、サタヒコ達と天目一箇神は、別々に行動して
その後に椿大神宮奥宮を建てた。その時には、レイラインの測量集団はいないわけですから
誤差が出来たとなります。ちょいと苦しいかな・・・
あれこれいろいろと考えましたけど、それ以上の良い状況が思い浮かばない・・・