みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

鬼の攪乱?

2024-02-21 12:47:53 | 日記

本当にいろいろありました。

楽しい尾鷲・熊野の旅から帰って、その余韻に浸る毎日、

その後の生活は知らず知らずのうちに、私の心と体を蝕んでいたらしく、

17日の夜に激しい吐き気と呼吸困難で、またまた救急車のお世話になってしまいました。

恥ずかしい限りです。

 

その前に2月11日は結婚記念日で、先にそのお話を。

大学を卒業してたった2年経って結婚してしまいましたので、

今年は結婚54年になります。自分でもビックリ!

結婚50年の金婚式には記念にスイス鉄道に乗る旅をしようと思っていたところ

コロナ旋風で中止となり、今更ねぇ、と思っています。

もうこんなに長く結婚生活をしていると、お互い病気もして、いろいろあっても

何も感じなくなるものです。

夫はこの頃は自分のことしか考えなくなり、「私の誕生日よ」とか「結婚記念日よ」とか言っても

「それがどうしたんだ」と言う態度でした。

それでも”よくできた妻”の私は結婚記念日のパーティーをしようとささやかながら料理をして

お気に入りのスペインの発泡酒CAVAを用意しました。

 

料理が出たら出たで、満足そうに食べる我が夫を見て、ため息が出ます。

私もそうですが、歳は取りたくないとしみじみ思います。

そういうことが私のストレスとなり疲労になるんではないでしょうか?

私の体の具合を診てくれているかかりつけ医は「疲れをためないように」と言いますが、

朝6時に起床するリズムで生活したい私と、朝4時に起床し生活を始めたい夫にとって

私はグズグズした妻なのだと思います。

何も言われませんが、そう思うだけで私は疲れてしまいます。

そして、最近は時々眩暈をして倒れていたのです。

 

そして、ついに17日の深夜、激しく嘔吐を繰り返し、呼吸困難になってしまいました。

苦しみの中で「ついに死ぬのね」と思いました。

その時に考えたのは「明日のKUUのエサはどうしよう?」だったのですから

人間とは面白いものです。

 

救急車要請をする夫には区の消防から「今、救急車が1台もない」と言ったそうです。

夫は「妻は顔が青白く呼吸苦しそうで死にそうです」と言うと「それでは他区の救急車を呼びます」

と言い「その前に消防が出動します」と言ったとかで、

「死ぬわ」と言う私にオロオロしていました。

後から聞くと、まさに「妻が死ぬ」と思ったそうです。

やがて激しく男たちの足音が私を取り囲み、「救急車が来ますよ、元気出して」と言います。

そして救急隊員が到着したようで、そのあたりは私は全く知らないのです。

「生ものを食べましたか?」とか「胃が痛いですか?」とか「腹痛は?」とか

首を振るのが精いっぱいでした。

消防車と救急車とが来て大騒ぎだったでしょう。

ストレッチャーに乗せられて救急車に乗せられたようですが、それから後が大変でした。

どこの医院も私を受け入れてくれないのです。

時間にしてどれだけ経ったかわかりませんが、やっと受け入れ先が決まり救急車は

救急医療センターに到着し、少し落ち着いた私は問診に応えられるようにりました。

血液検査と点滴、全身のCTスキャンをとられたようです。

あれこれ医師たちの会話があったようですが、わかりません。

「どうですか?立ち上がって帰れますか?」と聞かれ、「はい、大丈夫です」と

言って、待合室で待つ夫に迎えられてタクシーで自宅へ帰りました。

処置台から起き上がって「ここはどこですか?」と尋ねると、なんと二つ先の区にある

大学病院でした。

「ご自宅まで遠そうですね」とほほ笑む研修医らしき医師に照れ笑いをしましたが、

正直言って、まだ都内でよかったと思いました。

神奈川や埼玉だったら大変です。

夫に「○○区ですって」と言うと

夫は「来るとき山を見たからどこへ行くんだと思ったけど、良かった」ですって。

日付はとっくに変わっていました。

 

その翌日は1日中激しい胃の痛みで参りましたが、処方してもらった薬を飲んで

やっと4日目の今日は落ち着きました。

まだ食欲が全くなく、体重が2キロ落ち、フラフラしますが、いずれ回復するでしょう。

 

そして「死ぬかもしれない」と思ったときに「明日のKUUのエサは?」と思っただけあって

KUUはどれほど心配してくれたのか、調子が良くなっていた胃の調子が乱れたらしく

翌日は吐きました。

最初は遠巻きに私を見ていましたが、すぐに甘えて顔を寄せてきました。

今はソファでお眠りで、私が立ち上がると、自分も急いで立ち上がるのです。

ごめんね、ねんねの邪魔をして。ゆっくり寝てね。

コメント (4)
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なぜに尾鷲?

2024-02-05 20:03:02 | 日記

2月2日、3日 仲良しの友人と二人旅をしました。

数年前に計画した旅行、それは『クエを食べる旅行』でした。

それがコロナのせいで幻になりました。

そして今回、”決行”の運びとなりました。

日本全国のおいしいものを求めての旅を二人でしてきましたが、今回は1泊2日です。

”クエ”と言えば三重県の尾鷲でしょう!

私の情報を元に相棒が詳しいプランを立ててくれました。

 

新幹線で名古屋まで名古屋から特急南紀(JR)で尾鷲着

尾鷲から紀勢本線で賀田(かた)着。

なんと無人駅で、駅にはホテルの自動車が迎えに来てくれていました。

 

どんなホテルか行くまでわからないのがいいのです。

でも、行ってすぐにそれがわかりました。

尾鷲シーサイドホテルはとても居心地がいいホテルでした。

シーサイドホテルと言うだけあって部屋の窓からは美しい海が一望です

 

さて、いよいよ待ちに待った”クエ”です。

クエ鍋

 

うまい魚と言えば”クエ”というだけあって、これが美味しいのです。

私は東京の料理屋で食べたことがありますが、相棒は初めてで、

感激していました。

私も養殖ではない海からの新鮮な”クエ”を堪能しました。

鍋のほかに鱗やヒレの唐揚げ、煮込み、なども抜群のおいしさでした。

”クエ”だけではなく、地元の魚たちの活き造りも絶品でした。

地酒もおいしくて二人で4合いきましたよ。

 

 

 

朝の尾鷲

 

翌日、さぁ帰るだけと思っていたら、ホテルのお薦めで熊野方面へ行ってみました。

 

世界遺産となっている鬼ケ城は激しい崖の続きで、よく歩いたと思います。

というより熊野灘の美しい海を横目で見ながら「きれい、きれい」の歓声でした。

 

タクシーに乗り継いだりして世界遺産の『花の窟神社』を詣でました。

 

熊野市駅から帰途につきます。

ただ、驚いたことに特急南紀号に乗って窓から景色をノンビリ観ていたら

突如「沿線火災のためにこの列車は次の駅で止まります。近鉄にのりかえてください」

との車内アナウンスがあったんです!

私たちは何のサポートもなく電車を降りて津で近鉄に乗り換えました。

お蔭で予定していた新幹線に間に合いませんでした。

どうするか・・・

そこは社会で活躍するキャリアウーマンの私の相棒の鮮やかな手腕で

スムーズに新たな新幹線に乗ることが出来、最初とは1時間遅れでしたが

無事に東京に帰れました。

 

翌2月4日は私の”嬉しい”誕生日です!

朝には昨日までの旅行の友からお祝いの花束が届きました。

気持ちが行き届いているなぁと涙がこぼれました。

KUUが花から離れません。

猫ながら美しいものは解っている子なのです。

 

 

 

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