♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

中区:土橋地区・原爆被災説明板 //国の新型ウィルス対策を

2020年07月31日 08時48分26秒 | 被爆建造物等
中区小網町に広島市によって建立されている「土橋地区・原爆被災説明板」です。
爆心地から約800m
説明板には、
『第二次世界大戦の末期、空襲による火災の延焼を防ぐ目的で、木造家屋を解体する建物疎開が市内の各地で実施されました。この作業には、隣組や職場の人たちで組織された義勇隊をはじめ、国民学校や女学校、旧制中学校の学徒も動員されました。
〔1945(昭和20)年8月6日(月)〕被爆当日は第6次の建物疎開作業中で、この土橋地区(小網町・西新町・堺町)にも多数の義勇隊員や約1,800名の学徒が動員されていました。人類史上最初の原爆投下により、その多くが痛ましい犠牲者となりました。』とあります。

(原爆被災説明板の板や説明文が新しくなったものを散見しましたので)ここ土橋地区原爆被災説明板はどうなっているかと2019年久しぶりに訪ねました。
ここ土橋地区原爆被災説明板は以前(2004年当時)のものと変わっていませんでした(が)、撮影しましたので、頁を更新しました。
(裕編集の)土橋地区・原爆被災説明板

7月31日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


---------------------------------------------
昨日(7月30日)TVニュースを見ていると東京都では367人(過去最高)の新型コロナウイルスの感染者を確認したそうです。
そして、都知事は『・・・感染者数の動向を今後も見極め、国ともしっかりと密接に連携しながら、この国難とも言える新型コロナウイルスの感染拡大の防止に努めたい」と語っていましたが、
国(現政権・安倍首相の部下・菅官房長官)は『・・・・若い世代の感染者が多く、重病者が少なく、4月の緊急事態宣言時とは異なる・・・』という理由で国難とは考えていないようで、のんびりした記者会見での回答・言動をTVでみると、腹立たしさえ感じてしまう老人のわたしです。
コメント

中区:広島市役所本庁舎・原爆被災説明碑

2020年07月30日 05時56分37秒 | 被爆建造物等
中区国泰寺町の広島市役所電車通り側植込みの中に建立されている「広島市役所本庁舎・原爆被災説明碑」です。
爆心地から≒1,000m
説明板には、
『鉄筋コンクリート4階建の市役所には、広島県防空本部が置かれていたこともあり、この周辺は建物疎開によって空地化され、焼夷弾などに対する防火体制は整えられていました。
しかし、〔1945(昭和20)年8月6日(月)〕人類史上最初の〔米軍による〕原爆投下により猛火に包まれ、内部はほとんど焼きつくされ、中にいた数多くの職員が犠牲になりました。
火災のおさまった後は、助けを求める多くの負傷者を収容し、臨時の救護所となりました。』とあります。


平和記念資料館東館地下1階展示パネルを2019年8月22日撮影
パネルを見ると昭和3年というものの自動車ではなく人力車、自転車が

(裕編集の)広島市役所本庁舎・原爆被災説明碑

7月30日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
11時に(九州北部、四国)中国地方の梅雨明けが発表されました。

コメント

中区:広島瓦斯株式会社跡・原爆被災説明板

2020年07月29日 07時57分17秒 | 被爆建造物等
中区大手町の元安川緑地帯に広島市によって建立されている「広島瓦斯株式会社跡・原爆被災説明板」です。
爆心地から約210m
説明板には
『鉄筋コンクリート造り、地上3階・地下1階建てのこの建物は、、〔1945(昭和20)年8月6日(月)〕原爆により、南側の一部を残して崩壊し、屋内にいた約35人の職員は、全員が死亡しました。
すさまじい爆風圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩れ落ちました。』とあります。


平和記念資料館東館地下1階展示パネルを2019年8月22日撮影
爆心地330mの富国館から画像左端が広島ガス

原爆被災説明板の写真とは、違った角度から撮影されていましたので撮影掲載しました。
(裕編集の)広島瓦斯株式会社跡原爆被災説明板

7月29日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(雲多し)

コメント

休刊:日照不足・・・ 

2020年07月28日 04時23分29秒 | いまだ初心園芸
新型ウィルス感染者の広がりを抑え込む国の施策を強く望みます。
明確な感染拡大防止策を打ち出すのが国の役割でしょうが。
--------------------------------------
休刊:日照不足のようで 27日
ことしは実が生るわけではありませんが、雨続きでさんさんとした太陽光がなく。元気がないですわが家のパイナップルたち。

7月28日(安芸区のわが家付近)天候:あめ


---------------------------------------
休刊:黄色く熟れるまで 27日 08:48:07

黄色く熟れるまで待ってもらいたかったと、ストロベリーグァバ。

7月27日(安芸区のわが家付近)天候:あめ


---------------------------------------
休刊:ゆずも実が生ってきて 26日 08:22:39

わが家なりの柚子なりとは言えないようですが、少しばかり実が生ってきました。
野猿たちも楽しみにしている?

7月26日(安芸区のわが家付近)天候:くもり


---------------------------------------
休刊:自作自消 25日 08:49:34

自家製ネギだけでは間に合いませんがもう何年も育てています。
昨日は、息子と仏具店に行きました。
盆提灯を求め、
(店員の方の話を聞いていると今まで備えていなかった)御霊供膳も求め、その膳用の仏膳用惣菜セット(電子レンジOK)もありますと云われそれも求めました。初盆の段取りです。

7月25日(安芸区のわが家付近)天候:くもり


---------------------------------------
休刊:カキ玉太りしてきて 24日 08:16:11

柿らしい形になって来たでしょう、秋には母さんに食べてもらいたかったな~。

7月23日(安芸区のわが家付近)天候:雨
大雨警報が広島市に出ています。


-----------------------------------------
休刊:ブラックベリー熟してきて 23日 08:35:44

母さんにも食べてもらいたかったな~ブラックベリー。

7月23日(安芸区のわが家付近)天候:くもり


------------------------------------------
休刊:金木犀剪定中1個落とす 22日 07:34:05

順調だったわが家のキウイ、
金木犀を剪定しているときに1個落としてしまいました。
母さんが楽しみにしていたキウイ、もう一ヶ所脚立を使わないと撮影が無理なところにも生っていますが。

7月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

番外:(熊野本宮大社)八咫ポスト

2020年07月21日 08時10分02秒 | 何処へ行っても
和歌山県田辺市本宮町本宮の熊野本宮大社境内に設置されている「八咫ポスト」です。
※八咫烏(やたがらす)像がポストの上に置かれていることから“八咫ポスト”と呼ばれるのでしょう。
(八咫烏は、熊野本宮神社の主祭神・家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えなのです。)

取集時間:平日土曜9:30頃 祝日9:00頃  田辺郵便局

参拝後、女房(ガイドさんの一群)と離れて撮影したのです。
バスに戻るかなと女房の一群に行ったとき、女房に“八咫烏のポスト”があるよと教わったのです。
教わらなかったら頁の編集にならなかったと思うこの八咫ポストでした。

(裕編集の)(熊野本宮大社)八咫ポスト

7月21日(安芸区のわが家付近)天候:薄曇り
ミンミンゼミ初鳴き

コメント

番外:(熊野本宮大社)白河上皇歌碑

2020年07月20日 07時49分55秒 | 何処へ行っても
秩父宮勢津子妃殿下 御筆
 

和歌山県田辺市本宮町本宮の熊野本宮大社境内に建立されている「白河上皇歌碑」です。
※1986年11月建立

根際に説明板があり
咲きにほふ 花のけしきを見るからに 神のこゝろぞ そらにしらるゝ
早春、白河上皇さま熊野行幸の折 御宝前にて御詠み給うた御歌です(熊野本宮)』とありましたので、御歌が(わたしは)わかりました。

(裕編集の)(熊野本宮大社)白河上皇歌碑

7月20日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

番外:(熊野本宮大社)和泉式部祈願塔

2020年07月19日 08時47分47秒 | 何処へ行っても
和歌山県田辺市本宮町本宮の熊野本宮大社境内に建立されている「和泉式部祈願塔」です。

根際に説明板があります。
『和泉式部祈願塔  (平安朝の宮廷女人歌人)
熊野へ詣でたりけるに女身のさわりありて奉幣かなはざりければ
“晴れやらぬ身に浮雲のたなびきて 月の障りとなるぞかなしき”
その夜、熊野権現の霊夢ありて
“もろともに塵にまじわる神なれば 月の障りの何かくるしき” 
かくて身を祓い清めて多年あこがれの「熊野詣で」を無事すませしと云う。』

わたしには、ピンとくるものがない無神経さだったのです。
和歌山県の資料(紀州民話の旅)を見るとそうだったのかと、“熊野権現の懐の深いところ”を広める意味も持った祈願塔だったのかと知ったのです。

(裕編集の)(熊野本宮大社)和泉式部祈願塔

7月19日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

番外:熊野本宮大社

2020年07月18日 07時31分44秒 | 何処へ行っても
和歌山県田辺市本宮町本宮に鎮座している「熊野本宮大社」です。
熊野本宮大社の公開資料などによると
『熊野本宮大社は、熊野三山の一社です。
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉を主祭神とする神社です。・・・・・
この熊野本宮大社は、平成7年12月26日に社殿が国の重要文化財に指定されました。
かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが、明治22年の洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社3棟を明治24年に現在地に移築・遷座しました。』とあります。


女房とわたしは、ここ熊野本宮大社の参拝を第一殿より順番に参拝しましたが、
参拝順序が違っていた(第三殿から参拝する)ことを頁を編集しながら知ったのです。
(もといということで正しい順番で再び訪ね一緒に参拝はできなくなってしまいましたが。)

(裕編集の)熊野本宮大社

7月18日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

中区:被爆アオギリ2020年7月15日

2020年07月17日 08時19分18秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ」をことし2020年も見て行ってます。
※1945年8月6日当時基町(もとまち)の広島逓信局(ていしんきょく)中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。

7月15日13時半頃でした。小雨が降っていました。
小雨だからというだけでなく、見学・観察する人もなく静かなアオギリの回りでした。
アオギリの花は咲き終わりのようでした。


ここ数年ほぼ毎月この被爆アオギリを見ていますが、ここ三ヶ月ほど平和記念公園を含めて閑散としているのは初めてです。

(平和記念資料館東館休憩所に休んでいる人はいませんでした)


(裕編集の)(被爆した)アオギリ2020年

7月17日(安芸区のわが家付近)天候:くもり


広島市は、概ね,2000m以内で被爆した樹木を「被爆樹木」と呼んでいます。
∵2,000m以上では原爆の爆風で倒壊した樹木は認めたれなかったことからだそうです。
過去に枯れていった被爆した樹木も見てきました。

(裕編集の)「被爆した樹木一覧」編
コメント

中区:平和記念公園2020年7月15日

2020年07月16日 06時45分47秒 | 平和記念公園
昨日(7月15日)13時過ぎでした。平和記念公園についた時くもりから、小雨が降り出していました。
(わたしは、傘はさしませんでしたが)


今月は乗ってきたJR電車の乗客などからも日常を取り戻しつつあり、平和記念公園への人出もそれなりにあるのかと思っていた(わたしでした)。
しかし、閑散とした平和記念公園でした。

(先月に続き、人影をみるとホッとするわたしでもありました)


(先月とは少し違っていたのは)入場制限をしている平和記念資料館に整理券をもらおうとする少しばかりの列ができていたことぐらいでした。


(裕編集の)平和記念公園広場の四季(2020年)

7月16日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
1945年7月16日米国ニューメキシコ州アラモゴード砂漠で世界最初の原子爆弾爆発実験実施
(裕編集の)核開発関連略年表

コメント

安芸区:平原橋東詰交差点

2020年07月15日 09時09分12秒 | 旧瀬野川町附近
安芸区中野東の国道2号にある「平原橋東詰交差点」です。
※2014年を中心に平原橋が拡幅され、
東広島バイパスへの車線が増やされ、
横断歩道橋が架替られ、平原橋東詰交差点は様変わりしました。

2014年以前はこの平原橋東詰交差点は、交通渋滞をきたす事もしばしばでラジオの交通情報では常連の交差点だったのです。
(現在、東広島バイパスが瀬野西まで延長されましたので、渋滞は東広島バイパスと国道2号線が合流する(上瀬野)一貫田に移り、以前よりも渋滞が慢性化し激しくなっています。
東広島バイパス以東の安芸バイパスが開通し海田からのバイパスが西条方面につながるまではこの渋滞の解消は無くならないでしょうね。)

2006年1月21日撮影の画像から、
バイパスへの車線が増え、横断歩道橋も架替えられました。


(裕編集の)平原橋東詰交差点

7月15日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

安芸区:平原橋(拡幅後) // 当地でも新型ウィルス感染者拡大

2020年07月14日 08時22分50秒 | 旧瀬野川町附近
車道:中野東から中野側車線、右折車線、左折・直進車線+歩道(拡幅部)。


安芸区中野と中野東を結び瀬野川に架かる「平原橋」(拡幅後)です。
※3径間の鋼製桁橋です。
※平成26年度を中心に歩道部(3径間鋼桁橋、幅3m、長さ61m)が拡幅されました。


(裕編集の)平原橋(拡幅後)

7月14日(安芸区のわが家付近)天候:(現在)小雨


----------------------------------------
地元TVニュースなどを見聞きしていると
7月10日に市職員が新型ウィルス感染者(東京に出張したとかで)したその総責任者である(はずの)松井市長の記者会見のTVニュースを見ていると、
(厚労省官僚出身特有?の自身には責任は無いというような首長としての責任を放棄するような)今まで(も他の場面でも)しばしば見てきたモゾモゾとした本質をはぐらかしたような話しかたでした。
〔あなたは被爆二世の広島市長、新型ウィルス感染拡大にはっきりとした言葉で、どう行動しているのかと(また、どう行動するのか)市民に示すべきと思えてなりません〕。
そして、昨日もこのブログで云いましたが、
当地民放第一のRCC 中国放送・50代男性社員の接触者で、RCCとは別の会社に勤める男性会社員が7月13日感染者とわかったそうです。
ニュースを聞いているとRCCとは別会社と強調することでRCC中国放送には責任がないと云わんばかりの報道です。
地域住民の命を守る放送をするのがRCC中国放送の使命と思っているならばそういう報道にはならないはずでしょうに。
コメント

安芸区:平原橋拡幅工事 // 新型ウィルス感染者拡大

2020年07月13日 09時01分20秒 | 旧瀬野川町附近
2009年3月21日撮影
調査名:安芸1区平原線設計その他業務 ボーリング名:BorNo.6


安芸区中野と中野東を結び瀬野川に架かる平原橋の「拡幅工事」を取り上げました。
※幅3mの歩道部(幅3m、長さ61m、3径間鋼製桁橋)として既設平原橋の上流側に沿って拡幅されました。
*2014年度の施工を中心に拡幅工事は行われました。

2013年4月15日撮影 工事看板の図を使用



2014年1月25日撮影 アスファルト舗装工事中

2018年7月6日西日本豪雨で瀬野川に架橋の四橋が倒壊するという事態になり、
この平原橋上流側下流側左岸の護岸が崩壊し国道2号線がえぐられ長く交通が遮断されました。ここで取り上げた平原橋拡幅工事が確実に施工されたことを思い、各工程を全部撮影したわけではないのですが、撮影していた少しの画像で、いまになりましたが頁を編集しました。
(裕編集の)平原橋拡幅工事

7月13日(安芸区のわが家付近)天候:雨模様


----------------------------------------
新型ウィルス感染者が東京では(国が緊急事態を宣言した時よりも)多くの感染者を連続して出しているのに、
若年層の感染者が多い、特定地区での感染者が大多数だ、
また、当時とはウィルス検査をしている数が多いからなどなど、
云い訳としか思えない理由で、経済優先
東京都も国(安倍内閣)も、地方自治体、国としての国民の命を守る責任を放棄しているように思えてなりません。
当地でも、民放第一のRCC中国放送に(東京出張したことが原因と云っているようですが)感染者を出したことへの責任感はあるのかと思う(常々RCCラジオを愛聴しているわたしは)いまのRCCラジオ放送を聞きながら思っています。
老人のわたしは、これからの国造りに貢献していけるわけではありませんが、
おまえら老人はどうでもいいのだと云外に国(口先だけの安倍首相が責任を放棄しているとわたしは思う政権)が云っているように思えてなりません。
コメント

番外:那智勝浦町のマンホール蓋

2020年07月12日 08時43分20秒 | 何処へ行っても
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山の飛滝神社駐車場でみた「(那智勝浦町の)マンホール蓋」です。

マンホール蓋を探して撮影する余裕は無いと云うほど、盛り沢山の南紀ツアーでした。
飛瀧神社への参拝でバスが駐車したところでみたのが、この汚水用のマンホール蓋でした。
デザインされたマンホールではありませんでしたが、中央のデザインは何かなと思ったのです。
帰宅後みた那智勝浦町のweb siteでツツジと云うことがわかりました。

この一枚しか撮影していない頁ですが。
(裕編集の)那智勝浦町のマンホール蓋

7月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

番外:熊野古道(大門坂付近)

2020年07月11日 08時34分51秒 | 何処へ行っても
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山に整備されている「熊野古道大門坂付近」を取り上げました。
熊野本宮観光協会の公開資料によると熊野古道を次のように解説しています。
『古代から中世にかけ、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、上皇・女院から庶民にいたるまで、多くの人々が熊野を参詣しました。「蟻の熊野詣」と例えられるほど、多くの人々が切れ目なく熊野に参詣したと伝えられています。
田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)・・・最も多くの参詣者が歩いたとされる熊野参詣道・中辺路。
その難行苦行の道のりを終え、最初にたどり着くのが熊野本宮大社。最初に熊野本宮大社を望む「伏拝王子」の名は、やっとたどり着いた熊野本宮大社を伏して拝んだ、との由来からと伝えられています。・・・


和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々を流れる振ヶ瀬川(那智川の支流)に架かる「振ヶ瀬橋」です。
※橋名は、俗界と聖域とを振り分けるという意味から付けられたそうです。

大門駐車場からわずかな距離でしたが、案内していただきました。
“なでしこジャパン記念モニュメント”、“夫婦杉”、“多富気王子・跡”などを取り上げました。
(裕編集の)熊野古道(大門坂付近)

7月11日(安芸区のわが家付近)天候:(現在)くもり

コメント