♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

南区・中区:京橋川「水辺のオープンカフェ」

2020年01月31日 09時00分04秒 | 建物等
南区稲荷町8  (京橋川左岸)水辺のオープンカフェ


まず、中区橋本町の京橋川右岸に京橋川「水辺のオープンカフェ」が開店しました。
※2005年10月20日に開業しました。
※後れること2017年11月3日になりましたが
南区稲荷町になりますが京橋川左岸にもオープンカフェが開業しました。


(京橋川右岸)水辺のオープンカフェ、2007年1月20日撮影


2007年撮影して頁を編集したままでしたので、
稲荷町電車専用橋・原爆被災説明板を更新するのに撮影に行ったときに左岸のオープンカフェも撮影したのです。
(裕編集の)京橋川「水辺のオープンカフェ

1月31日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:稲荷町電車専用橋・原爆被災説明板

2020年01月30日 08時57分08秒 | 被爆建造物等
中区橋本町の稲荷大橋西詰北側に広島市により建立されている「稲荷町電車専用橋・原爆被災説明板」です。
※爆心地から約1,350mにありました。
(※「原爆被災説明板」が広島市内各所に45基設置されています。)

『京橋川に架かるこの鉄橋は、1945年8月6日人類史上初めての原子爆弾により、爆風でレールが上下左右に波打ち、熱線で枕木が焼けこげました。
市内電車の専用橋でしたが、下流の柳橋が焼け落ちたこともあり、市内中心部から郊外へ避難するため、多数の被爆者がこの橋を渡りました。
橋の下では、無数の死体が浮かぶ川に、水を求める人が殺到しました。』

1945年8月11日 宮武甫氏撮影

碑文は以前のままでしたが、
右岸だけだった京橋川「水辺のオープンカフェ」が左岸にもオープンして、この原爆被災説明板の周辺が変わってきています。
(裕編集の)稲荷町電車専用橋・原爆被災説明板

1月30日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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中区:杭谷一東作品「ESPERIENZA(経験)」

2020年01月29日 09時02分14秒 | 野外彫刻等
中区中町のANAクラウンプラザホテル広島に建立されている杭谷一東作品「ESPERIENZA(経験)」です。

時代は進んでいくもので、10年ひと昔といいますので、多くの頁を編集していると編集当時とは違ってきていることもあり、
その違いがわかっていれば追記をしてきていましたが、ほったらかしのままの頁が多くあり苦慮しています。

ここでは、頁を編集した2006年当時は全日空ホテルと云っていましたが、いまはANAクラウンプラザホテル広島と名称が変わっています。

2007年からANAクラウンプラザホテル広島と名称が変わったと文章では記述していましたが、
2019年になりましたが、ANA CROWN PLAZA(ホテル)と分かるように撮影しましたので、頁を更新しました。
(裕編集の)杭谷一東作品:ESPERIENZA

1月29日(安芸区のわが家付近)天候:晴れてきました


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中区:本川公園

2020年01月28日 09時03分55秒 | 公園・緑地等
中区猫屋町に設置されている「本川(ほんかわ)公園」です。
※国交省の資料によると公園面積は3,737㎡で、供用開始年が1976年だそうです。

平和記念公園から本川橋※1)を渡り、西詰めを北側に行くとすぐに設置されている公園です。
公園北側には道路を挟んで本川小学校があります。
以前よりこの本川公園は知っており、本川小学校平和資料館を見学し平和記念公園に行くときなどに通り抜けたりしていましたが、いままで頁を編集していなかったのです。
※1)天正期に猫屋九郎右衛門が架橋したことで明治期までは、猫屋橋と呼ばれていました。

公園内には、本川公園集会所が建てられ、根際には公衆便所もあります。


(裕編集の)本川公園

1月28日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:元安橋・原爆被災説明板

2020年01月27日 09時15分27秒 | 被爆建造物等
中区大手町、元安橋東詰南側に建立されている「旧・元安橋(もとやすばし)原爆被災説明板」です。
(※「原爆被災説明板」が広島市内各所に45基設置されています。)

当時の元安橋は、
1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾の爆風により点灯装置の笠石が左右逆方向にずれ、欄干も元安川に落下しましたが、橋自体は崩壊を免れました。


1993年現在の元安橋に架け替えられました。
撮影した画像にも写っている対岸の(被爆当時:燃料会館)被爆建物・広島市平和記念公園レストハウスが、耐震改修その他工事で2018年12月17日~2020年5月15日の工期、総工事費4億4280万円で始まっています。

(裕編集の)元安橋・原爆被災説明板

1月27日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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南区:廣島驛原爆被災説明板

2020年01月26日 08時36分59秒 | 被爆建造物等
南区松原町の広島駅南口前広場に建立されている「広島駅原爆被災説明板」です。
(※「原爆被災説明板」が広島市内各所に45基設置されています。)

(当時の)廣島驛は、
『1945年8月6日原爆投下により駅構内の屋根は崩れ落ち、正面玄関の前に建てられていた待合室も破壊しました駅舎は炎に包まれ全焼し、旅客や駅職員に多くの死傷者が出ました。
しかし、生き残った職員の懸命の努力によって復旧がすすめられ、翌8月7日に宇品線(現在は廃線になっています)が開通、8月8日には山陽本線が部分開通し、被災者の避難や物資の輸送に大きな役割を果しました。

(裕編集の)広島駅原爆被災説明板

1月26日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:広島瓦斯株式会社跡原爆被災説明板

2020年01月25日 08時33分49秒 | 被爆建造物等
中区大手町の元安川緑地帯に広島市によって建立されている「広島瓦斯株式会社跡・原爆被災説明板」です。
(※「原爆被災説明板」が広島市内各所に45基設置されています。)

広島瓦斯(ひろしまガス)株式会社は、
『鉄筋コンクリート造り、地上3階・地下1階の建物でした。
1945年8月6日原爆により、南側の一部を残して崩壊し、屋内にいた約35人の職員は、全員が死亡しました。
すさまじい爆風圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩れ落ちました。』


(裕編集の)広島瓦斯株式会社跡原爆被災説明板

1月25日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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安芸郡府中町:千代南児童遊園地

2020年01月24日 08時56分31秒 | 公園・緑地等
安芸郡府中町千代に整備されている「千代南(せんだいみなみ)児童遊園地」です。
*名称は、遊園地ですが小さな児童公園です。
ブランコ、雲梯、鉄棒、砂場が設置されています(公衆便所はありません)。

山陽本線根際に整備されていますので、鉄道好きな子どもたちには愉しく時間を過ごすことができる公園なのではと思います。
ただ、現在JRの電車は227系(通称・レッドウィング)になっていますので、
以前のように山陽本線、呉線などでの車体の色違い、形違いなどのバラエティーには欠けてしまいましたが、貨物列車も通り、時期が来ればたまにはカープ応援ラッピング電車も見られることもあるでしょうから。

(裕編集の)千代南児童遊園地

1月24日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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安芸郡府中町:千代城跡

2020年01月23日 16時21分14秒 | カテゴリー以外
安芸郡府中町千代に過って築かれていた「千代城(せんだいじょう)跡」です。
※標高38.2mの千代山に築かれた中世白井氏の城跡。
文政12年編纂の芸藩通志の府中村絵図に「千代山・古城址」と記されているそうです。

現在、千代城の残り香はありませんので、説明板の写真を使用しました。

戦後1954年の写真ですので、
工場の煙突も見えます。東洋工業(現・マツダ)関連の工場でしょう?


2019年県道164号を歩いていて、この辺りに千代城跡の説明板があったなとみていて、説明板が新しくなっていましたので、撮影しました。
説明文も以前のものと違う部分がありましたので頁を更新しました。
(裕編集の)千代城跡

1月23日アーモンドの日だそうです。※
(安芸区のわが家付近)天候:雨模様のくもり



※ホームテレビの方に教わりました。
(裕編集の)アーモンドの木
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中区:(千田公園内外)被爆クスノキ(個々)

2020年01月22日 09時00分13秒 | 被爆樹木たち
(信号機の後側)S20a49-01 と(2本にみえますが)S20a49-02

中区千田町の千田公園内外にいまも残っている「被爆クスノキの並木」の個々の木々を取り上げました。
※もともと旧制広島高等工業学校の校庭に植樹されたもので、1945年8月6日ここで被爆しました。
※爆心地から2,030mの位置でした。

(2015年から市内各所の被爆樹木に順次新しい白色被爆樹木標識が取り付けられました。
ここ千田公園内外22本の被爆クスノキにも被爆樹木標識が取付けられていることを広島市の被爆樹木リストで知りました。

S20a49-15

15本撮影して全部と思ったのが間違いで、
ストリートビューでみると、千田公園北側の広島市総合健康センターの方にも被爆樹木標識を付けたクスノキが写っていまっしたので、今後機会をみて撮影に行くことにしていますので、
まだ編集途中の頁ですがよければ見てやってください。
(裕編集の)(千田公園)被爆樹木・クスノキ(個々)

1月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:(千田公園内外)被爆樹木・クスノキ(概説)

2020年01月21日 11時15分09秒 | 被爆樹木たち
中区千田町の千田(せんだ)公園(広島工業技術センター横など)に残っている「被爆したクスノキ(複数=並木)」です。
※もともと旧制広島高等工業学校の校庭に植樹されたもので、ここで被爆しました。
※爆心地から2,030mの位置でした。


2005年10月10日撮影時の被爆樹木標識


*2015年から市内各所の被爆樹木に順次新しい白色被爆樹木標識が取り付けられました。
ここ千田公園内外の被爆クスノキにも(現在は)取り付けられています。

(二本のクスノキに見えるからでしょう)
二つの幹には(形式が違う)S20a49-02の標識が付けられています

昨(2019)年撮影に行き、千田公園のところか南へ広島工業技術センター横のところまで
S20a49-15からS20a49-01まで撮影しました。これで全部撮影したと思って帰宅したのですが、違っていたのです。そこで編集頁を(概説)として再編集しました。
(裕編集の)(千田公園)被爆樹木・クスノキ(概説)
広島市内にのこる被爆樹木たちです。
被爆樹木一覧

1月21日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:(上幟町)町名変更記念イチョウ

2020年01月20日 08時42分40秒 | 各種記念碑等
中区上幟町の上幟町公園に上幟町への町名変更記念として7本のイチョウが寄贈されたことを示す石柱が建立されています。
※イチョウは、公園(街路)樹として大きく育っています。
※上柳町(かみやなぎちょう)は1965年4月1日に、
現在の町名である上幟町(かみのぼりちょう)、幟町、橋本町に町名が変更されました。


側面:いちょう 七本

(裕編集の)(上幟町)町名変更記念イチョウ

1月20日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:吉島稲生神社

2020年01月19日 09時28分52秒 | 神社寺院等
中区吉島西に鎮座している「吉島稲生神社(よしじま・いなりじんじゃ)」です。
祭神は、宇迦之御魂神、大歳神です。
1787年3月本川町の空鞘稲生神社(そらさやいなおじんじゃ)の分祀としてこの吉島の地に建立されました。


本殿:一間社流造り 屋根・銅板葺き

このブログでは、先に境内に残る被爆樹木たちから紹介してきましたが、
当然参拝していますので、吉島稲生神社神社の頁も更新しました。
(裕編集の)吉島稲生神社

1月19日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


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中区:(吉島稲生神社)被爆樹木:クロマツ

2020年01月18日 08時42分19秒 | 被爆樹木たち
中区吉島西の吉島稲生神社に残る被爆樹木のうち「被爆クロマツ」が2本あります。
※爆心地から≒2,160mで被爆しました。

*クロマツはは参道入口に1本あり、境内中ほどに1本あり両方とも傾いています。
爆心地の方向に傾いていますので、被爆の影響のようにはわたしは初めて見たとき思わなかったのですが、
爆心地方向と反対側には樹木成長に被爆の影響で差異があるのかもしれないと考えるようになりましたが。


(裕編集の)(吉島稲生神社)被爆クロマツ

2020年1月18日ブログ開設から5500日
(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:(吉島稲生神社)被爆樹木:エノキ

2020年01月17日 08時50分39秒 | 被爆樹木たち
中区吉島西の吉島稲生神社に残る被爆樹木の内「被爆エノキ」です。
※爆心地から≒2,160mで被爆しました。
※広島市保存樹の資料によると、このエノキは、高さ14.5m、幹の周囲210cmだそうです。


エノキと本殿(その後側にクスノキ)

2019年久しぶりに訪ね最初に目に入ってきたのがやはり被爆クスノキでしたがそのクスノキに隠れるようにここで取り上げた被爆エノキもみえました。
(裕編集の)(吉島稲生神社)被爆エノキ

1月17日がんばれ神戸・淡路
(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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