広島市中区袋町の NTT袋町ビルに建立されている「広島中電話局鎮魂碑」です。
※広島中電話局は、爆心地より≒540mに位置していました。
『1945(昭和20)年8月6日、午前8時15分、原子爆弾が投下されすざましい爆風と熱線により、建物が壊滅状態となりました。
当日勤務していた職員、女子挺身隊、動員学徒等451名のうち約半数におよぶ尊き命が失われました。』
『旧局舎屋上に使用されていた被爆タイルを埋め込み、当時をしのぶこととしました。』
2002年(わたしは)はじめてここを訪ね撮影し頁を編集しましたが、
屋上で被爆したタイル(のモニュメント)を単独で撮影していなかったので今回撮影しました。
(裕編集の) 広島中電話局鎮魂碑
※広島中電話局は、爆心地より≒540mに位置していました。
『1945(昭和20)年8月6日、午前8時15分、原子爆弾が投下されすざましい爆風と熱線により、建物が壊滅状態となりました。
当日勤務していた職員、女子挺身隊、動員学徒等451名のうち約半数におよぶ尊き命が失われました。』
『旧局舎屋上に使用されていた被爆タイルを埋め込み、当時をしのぶこととしました。』
2002年(わたしは)はじめてここを訪ね撮影し頁を編集しましたが、
屋上で被爆したタイル(のモニュメント)を単独で撮影していなかったので今回撮影しました。
(裕編集の) 広島中電話局鎮魂碑
4月8日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
19.0℃、63%
以前のタイルがどの様なタイルか知りませんが
熱線の凄さを物語っているようです。
モニュメントで遺すことによりより強烈な
印象を与えるでしょうね。
茶色の床タイルだったのだろうと思います。
タイルを焼く温度が1,200℃~1,300℃くらいだそうですから
原爆の3,000℃~4,000℃の高温を浴びると赤黒くなり、一部では泡立つのでしょうね。
何をしでかすかわからない人がいる現代ですので、
大っぴらに勧めることはできませんが。
〔触ること禁止とはなっていませんので〕
このモニュメントのタイルを自身の手で触り、
目をつぶり触ってみながら、このタイルが人間だったらと考えてみれば、
原爆許すまじの感情に支配されるのではと(わたしは)思うのですが。
市内に多々あるであろう石碑ですね。
つい先日オッペンハイマーという映
画について語られていました。
そんなことをつい..
目を悪くして全く見ませんので感想は云えませんが、
報道などでは被爆被害を取り上げていなかったようですが、
広島で≒140,000人もの方々が亡くなった事実はあるのですから。