ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

評価と生きる

2024-03-15 16:17:09 | 日記
朝日新聞には「耕論」と題された頁がある。何かしらの問題について「論じ」、「耕す(=検討を加えて、掘り下げる)」という意味だろうか。きょうの「耕論」のテーマは、「評価と生きる」だった。

人と関わって生きる限り、誰もが他人からの評価の目にさらされる。『自分は自分』と気にせず生きていきたいけれど、なかなかそうもいかない。つい気になってしまう評価を考える。

これが提題についての説明である。

この問題について「耕論する」人のトップバッターは、 石井てる美さん。
この人はお笑い芸人でありながら、「東大に入って大学院に進み、外資系コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社した」という異色の経歴の持ち主である。
でも彼女は、そういうエリートコースの歩みをわずか1年4カ月で辞め、お笑い芸人に転身した。「一度の人生、本当にやりたかったことに挑戦しよう」と思ったからだというが、これもアッと驚くような意外な転身である。

転身に際して、他人からの評価の目は気にならなかったのか。ーーこれが、今回の問題を耕論する、その論者の一人として彼女が選ばれた理由だろう。

さて、彼女にとって「他人からの評価」はどうだったのか。
彼女によれば、マッキンゼーでは、色々な形の評価を受けたという。理想的な成長速度か、それより速いか遅いかといった査定を受ける定期評価だけでなく、プロジェクトごとの評価や、毎日の仕事ぶりをフィードバックされる形の評価もあった。

彼女は言う。苦手だったのは、仕事がうまくいかない間も、いつも評価にさらされているというプレッシャー。萎縮してパフォーマンスが落ち、さらに萎縮して・・・と、負のスパイラルに陥る。生き生きと仕事ができていない自分の姿が嫌だった、と。

つまり、マッキンゼーの会社員時代、彼女は絶えず他人からの評価の目にされされ、プレッシャーに押しつぶされそうになっている自分に嫌気が差していたのだ。

では、お笑いの世界に転身して、彼女はそういうプレッシャーから解放されたかというと、そうではない。彼女を待ち受けていたのは、観客からのシビアな評価の目だった。しかし、ピン芸人になった今は、チームに迷惑をかけるわけでもなく、次に挽回(ばんかい)すればいいと思えるので、まだ気が楽だという。

彼女の生き様はそれ自体が興味深いが、そこから一つ言えるのは、我々は社会の中で生きている限り、「他人からの評価の目」を逃れることはできない、ということである。我々は自分が他人よりも上か下かを絶えず評価し、逆に言えば他人が自分よりも上か下かを絶えず評価し、他人が自分の仲間たり得る人物かどうかを見定めようとする。

あなたが会社経営者だったら、あなたは、社員のだれそれがウン万円の給料に見合う働きをしているかどうかを、見定めたいと思うだろう。

人間は社会的動物である。社会の中で、他人と共に他人に関わりながら生きていく限り、我々人間は「自分は自分」と唯我独尊を貫くことはできない。人間はたった独りで生きていける神のような存在ではないのだ。それは言ってみれば、しごく当たり前のことである。

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