イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

NUR ICINDE YATSIN!(光の中で眠ってください=安らかに)

2007-08-25 18:37:49 | Weblog
 2003年の冬、元気な笑顔。

8月17日に夫のアナアンネ(母方の祖母)が亡くなりました。ずっと98歳だと言われていたので100歳まで生きるといいなあと思っていたのですが、死亡届を出すのに役所の古い戸籍台帳のようなものをひっくり返したらなんと1907年生まれの100歳だったということがわかるというオチつきの最期でした。1907年といえばトルコ共和国が成立する前のオスマン帝国時代。暦もイスラム暦を使っており、西暦に直した時に数え間違えたのでしょうか。

 2005年12月ビルテンの誕生日に。 

 2007年1月、生まれたばかりのエリフを抱っこ。


私がトルコへ来た頃はもうアルツハイマーでほとんど寝たきりの状態だった為、会話をすることもあまりできなかったアナアンネ。でも調子がいい時はベッドに座ってとりとめのないことを話してくれることもありました。「子供なんか作らないでどんどん旅をしろ」とか、「私は食べるものも食べずに着るものも着ないで子供たちを育てたのに今は誰も来やしない」「娘は上で寝てばっかりいる、私からだと言って殴ってやってくれ」というのも得意のフレーズでした。若い頃から塩や油、美容には人一倍気をつける人だったそうで最期まで肌はしみひとつなく真っ白でつるっつる、ほっぺもりんごのように赤くていつもいい匂いのしたアナアンネでした。心臓と肝臓がとても丈夫だったおかげで何回も医者にもうだめだと言われながらも持ちこたえてくれました。

  
2006年7月、お茶目なポーズで皆を笑わせてくれました。

自分の娘にさえ「あんたは誰だ?娘はいつ来るんだ?」と言うほどだったのに最後までトイレだけは教えてアンネたちの手作り簡易トイレに座って用を足し、おしめのお世話になったのは最後の数週間だけでした。


2006年11月、アンネー、いつ帰ってくるの?早く帰ってきて、と必死の訴え。

最期まで二人で面倒を見たアンネとテイゼ(アンネの妹)、永遠の命があるわけはないとわかっていても何も食べられなくて眠り続けている状態でもずっと生きていてほしかった気持ちは痛いほどわかります。二人の嘆きようを慰める言葉に困りました。イスラム教を信じる人は死後どうなるのか、変なことを言って余計悲しませたらと思うと何も言うことができませんでした。


2006年10月手を振ってポーズをとってくれました。

亡くなった翌日、アンカラとイスタンブルに住む夫の弟二人の到着を待って埋葬することにしたので当日は遺体安置所へ送りました。埋葬はアナアンネが好きだったイズミルから30キロほどのウルラの墓地へ。最後の礼拝もウルラのジャーミー(モスク)で行われました。お昼の礼拝の後に葬儀の礼拝が行われるのでそれまでジャーミーの入り口にアナアンネの棺おけが安置されました。礼拝に来る人たちがそれぞれアナアンネの棺おけにお祈りをし、遺族に対してお悔やみの言葉をかけてくれます。お昼の礼拝の後、ジャーミーから出てきた人たちが全員今度はアナアンネの棺おけに向かって礼拝をしてくれました。家族だけではなくたくさんの見知らぬ人達がアナアンネを見送ってくれ、イスラム教と言う信仰でひとつになるということにとても感動しました。


2006年4月、写真を写そうとしたら顔を隠した。

墓地へ行くと既にアナアンネの場所が決まっており穴が掘られていました。親族、友人の男性たちがアナアンネの遺体を埋葬し土をかけました。盛り土をした前後に甕を埋めて水をいれ、墓堀人の方がゼラニウムの花をどこかから摘んできてアナアンネの眠っている土の上に植えてくれました。


ゼラニウムが植えられたアナアンネのお墓。

お葬式後1週間の間毎日夜20時半から知り合いにコーランを詠みにきてもらいました。近所の親しい人も一緒に集まってくれます。食事も1週間の間毎日誰かが届けてくれました。二人とも一緒に倒れてしまうんじゃないかと心配していたアンネとテイゼもそんな周りの人に助けられて笑顔でアナアンネのことを話せるようになってきました。本当の寂しさはこれから自分たちだけになった時に突然襲ってくるのかもしれません。



最期の頃、ある時アナアンネはアンネに向かって「アンネー、アンネー、(アンネのことを自分の母親だと思っていました)私はいつ死ぬんだろう、もう私にはわからない、あなたが知っているんだったら教えておくれ」と言ったそうです。


ANAANNE NUR ICINDE YATSIN...






調子がいい時はこうやって「悩み」を打ち明けていました(?)。
      






☆現在のイズミル☆




36 コメント

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ご冥福をお祈りします (不思議な世界旅行)
2007-08-25 20:48:07
1907年といいますと、日本では日露戦争の少し後ぐらいですか。
オスマン朝の時代から生きていたとは、歴史の生き証人のような人ですね。
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Unknown (TAKE)
2007-08-25 22:43:32
大往生ですね。
ウチの母方の爺ちゃんも105歳で亡くなりましたが、昔の人は気骨があって誇り高く亡くなっていくのが素晴らしいと思います。

アナアンネが亡くなったことを悲しみ・想うことで、皆の絆がまた強くなる事と思います。

安らかにお眠りください。

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ご冥福をお祈り致します。 (おりーぶ)
2007-08-25 23:04:28
命あるもの全て、いつかはその時が来ると分かっていても、やはり大切な方の最期は切ないものですね。
愛する人達に看取られて、アナアンネさんも幸せだったことでしょう。
yukacanさんの仰る通り、これから時間が経つにつれ、いつも傍にいてくれた人の不在が心に堪えてくるかもしれません。どうか残された方達の傍にいてあげて下さいね。そしてアナアンネさんの思い出話をたくさん聞いてあげて下さい。
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安らかにお眠りください (naonao)
2007-08-25 23:19:22
お写真を拝見しても、
あたたかい笑顔や表情が素敵で、
かわいらしいおばあさんですね。
ご家族のみなさんにもたくさんいい思い出を
残していかれたでしょうね。
アンネさんとテイゼさんも、きっと言葉はかけられなくてもyukacanさんがそばにいらっしゃるだけで
心で通じていると思います。。。
心からご冥福をお祈りします。
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ご冥福をお祈りいたします (koepekkaya)
2007-08-25 23:45:40
すごく素敵な笑顔のアナアンネさんですね。
子ども達、孫、ひ孫に見守られて旅に出られたのですね。命があるものはいつか死ぬと知っていても、いつまでも傍にいて欲しいと思いますよね。
アンネさんと一緒にいろいろな思い出話をしてあげてくださいね。
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悲しいけど (Asya)
2007-08-26 00:39:31
悲しいけど、神様が決めてくれた時間に旅立ったのかも、と思うと、気持ちの重さが癒されます。
私もトルコに行って、次の年にアンネアンネを失くし、その翌年の同じ日にはエニシテを、、、
エニシテが亡くなったときは涙が、噴出すようにこぼれ落ちました。
今思い出しても涙が出ます。
知り合って数年もたっていないのにこの気持ち、私は不思議だと思うんです。

yukacanのアナアンネに関する日記はよく覚えていて、ベッドのビルテンの横で身動きできなくなっていた写真が今でも忘れられません。
認知症で放置される人も多いこの世の中で、アナアンネ、たくさんの人に愛されて大事にされて、うらやましいくらいです。(アンネは大変で悲しかったでしょうが)
アナアンネ、安らかに、、、
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Unknown (maryam)
2007-08-26 00:48:16
バシンサーオルスン・・・
本当に、ステキな写真がたくさんで、涙がこぼれてしまいました。長寿を全うされたのですね。
帝国時代のトルコの雰囲気はどんな感じだったのかしら。buyukada.orgの古い写真集に出てくる年号の中には、彼女が生きていた頃の写真も多く載っています。
本当に、どの写真のお顔もヌールがいっぱいで、これからは本当の光の中で、永遠の天国で安らかに過ごされますように。アーミーン。
インナーリッラーヒ ワ インナーイライヒ ワ ラージウーン

>棺おけに向かって礼拝
は、多分棺おけがキブラの方角になかったですか?(キブラ以外の方角に向かって礼拝するのはあり得ないので。)
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Unknown (suusuu)
2007-08-26 03:53:59
インナーリッラーヒ ワ インナーイライヒ ラージウーン

悲しいお別れをされたんですね。大往生だったんですね。
曾孫さんまでいて、大勢の方に見守られてのお別れで、おばあちゃまも幸せだったのではないでしょうか。
どのお写真もとっても素敵に写っていますね。
安らかに。。。
神様にお祈り申し上げます。
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不思議な世界旅行さん (yukacan)
2007-08-26 05:40:50
ありがとうございます。トルコ共和国が成立した1923年には16歳だったことになりますから、激動の時代をしっかりと記憶していたと思うのですが、いかんせん昔のことが何も聞けなかったのが本当に残念でした。アタトュルクが家に来て踊ったとかありえないことを面白く話してくれたことはあったんですけどね。
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TAKEさん (yukacan)
2007-08-26 05:43:56
大往生でしょう?でもそういって慰めていいものなのかわからなくて何も言えませんでした。夫や義妹はアナアンネもアンネたちも楽になってよかった、十分生きてくれたと言う想いはあるのですがアンネたちには言えませんでした。でもアンネもテイゼも自分の母親に対してできることはすべてして後悔は何もないときっぱり言っていました。
ありがとうございました。
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