BUYUK KADURCALI ISHANI。
以前少しだけこのブログでも触れたことがあるのですが、イズミル湾から1本道を隔てたムスタファケマル海岸通に面して古い趣のある建物がいくつか並んでいるところがあります。その建物の一つBUYUK KARDICALI ISHANI(ブユク カルディチャル イシハヌ)、1928年にMEHMET FESCI(メフメットフェスチ)と言う建築家により建てられました。
1922年火災後のイズミル。
1922年9月9日、イズミルはギリシャ軍から解放されるのですが、それにさきがけトルコ軍がイズミルに迫っていることを知ったギリシャ軍は撤退を始めると同時にイズミルの街に火を放ちます。9月13日には街の中心部から火の手が上がりこの火事は18日まで燃え続けイズミルの街は20,000から25,000戸の建物が焼け計2,600,000平米が燃えてしまったそうです。
このビルができた頃。
その後新しいシティプランによって共和国初期の公共の建物が建てられ始めました。このBUYUK KARDICALI ISHANIも当初からそうだったのかはわかりませんが、かつては税関として使われたそうです。現在の名前につくISHANと言う言葉は日本だとテナントビルの様な感じでしょうか。小さなオフィスがいくつも入っています。現在は1階部分は店舗、2階部分はTOBAV(国立演劇オペラバレエ労働者互助会?)のアトリエ、3階はほとんどのテナントがギャラリーやアトリエらしく、芸術家っぽい人達が多く出入りをしています。
JIKADオフィス前の廊下。
このビルの3階にJIKAD(日本イズミル文化交流友好協会)として念願のオフィスをかまえることになりました。実はJIKADはこれまでオフィスがなかったのです。収入と言えばわずかな会費くらいでスポンサーもない地味な協会が、オフィスをやっと借りることができました。ちょっとだけですが海も見えます。
JIKADオフィスからの眺め。
ささやかな事務用品を購入したり壁を塗ったり有志が準備を進めています。昨日立ち寄ったら扉の立て付けが悪いらしく修繕中でした。そして廊下ではお隣さんが音楽に合わせてタンゴを踊っていましたよ。
今週末1月22日にはJIKADの創立1周年記念パーティーがあり、その前にオフィスの開所式も行われる予定です。「トルコにおける日本年」は終わりましたが、JIKADのこれからの活動に期待です。
※白黒の写真2枚はarkiteracomより拝借しました。
古い映画に出てきそうなエレベーター。
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白菜が簡単に手に入りそうで嬉しいです。
部屋の模様替えが終わったら、日本らしい物で飾るのでしょう。それを見るのも楽しみです。
素敵な海が見えていますね。夕焼けが見える角度なのでしょうか。穏やかな海が羨ましいです。
おしゃれなエレベーター、そこにあるだけで、絵になりそうです。
JIKADのオフィスは、高校や大学のサークル部屋みたいな用途で使われるので働く人はいません。
白菜、ネヴィシェヒルのパザルでも見つかるといいですね。
日本らしいもの、トルコ人が持っている日本らしいものが主になると思うので(駐在以外でトルコにいる日本人は意外と日本的なものは持っていないものです。持っていても大切な思い出のものだったりするので私は部外持ち出し?はしたくないなあ)ちょっと不思議な世界になるかもしれません。私も読み終わった美しい写真のある雑誌などは持っていこうと思っています。この写真の部分しか海が見えないのですが、先日は空と海が夕日に赤く染まるのが見えました。
このエレベーター、本当にあるだけで雰囲気があっていいですよ。
そして1年目にして立派なビルにオフィスを構えられたとのこと、おめでとうございます。
古い建物は大好きです。こんな素敵なビルにオフィスができたのは素晴らしいですね!