新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

40)枯露柿の甲州松里に”名前のない甘柿”が実った!     25)の続編

2012-12-08 | 山梨、何!?これ!?

40)”枯露柿”の名産地「甲州松里」に珍種の”甘柿”が実った!

2012年秋、甲州松里に実った珍しい品種の甘柿!2012_11_06_2 2012_11_06

 

 

 

 

 


塩山松里は、標高410m~450mにあるため、昔から甘ガキは移植しても

甘みがつかないと云われた処で、「甲州丸」、「蜂屋柿」や「甲州百匁柿」などに

よる”乾柿生産”が盛んな処です。

特に、江戸時代より松里名品「枯露柿」のブランドとして有名です!

最近は、品種改良が進んでいるのか?地球温暖化の影響か?

松里でも、「太秋」など甘ガキ品種の栽培に取り組んでいる農家

も数件見られるようになりました。

この珍品種(新品種?)「まだ名前がない柿」は、甲州百匁柿を

生産して、松里名品「枯露柿」を出荷しておられる「町田家の

甲州百匁柿の畑」で、昨年、”偶然実生”した甘ガキです。

 

昨年末、ブログNO25で、「どなたか、この珍しい柿の品種を

ご存じありませんか?」とブログ公開しましたが、残念ながら、

反響回答はありませんでした。

併せて、筆者は、山梨県立図書館や山梨県果樹試験場等にある

柿種情報などを検証するも、旧来の品種にはまったく見当たらない。

柿生産農家の知り合いや、市役所の知り合いを通じて調べてもらい

ましたが、最近は山梨県には”柿の専門家”がおられないらしく、

まだ不明のままです。注)奈良県あたりの研究所でないと解明出来ないかも!?

今年ももう一度・・・、ブログ記事の公開で、ご存知の

方を探しています!

どなたか、この柿の品種をご存知ありませんか?

昨年、町田家の甲州百匁柿の畑の中に、他の畑から移植されたという

「新柿樹」に、ブログNO25で”公開したような「あまり見かける

ことのない大きさで、丸みの大きい四溝(十文字)のくびれがあって、

まるで”武田菱”に丸みをおびたような美しい形が特徴の上品な甘みを

もつ絶品が”偶然実生”しました。

半径約5.5cm、直径約10cm、高さ約7cm、一周約31cm

もあり、蔕(ヘタ)も長辺約6cmの見た目も重量感もバランスの

良い美形です。上品な甘さを有する柿だと思います。

とにかくわくわくする珍(新)品種に期待しています!?

”珍柿種”の今年の成長ぶりを記録しました!

注)素人写真で済みません。柿樹の原木は他の甲州百匁柿畑の中に

あったものらしいが、台木や接木などの履歴は、現在不明です。

履歴調査を計画中です。

2012_05_30 2011年秋より、珍柿種が生った柿樹!2012年6月5日 柿の花が咲き始める!2012_06_052012_06_05_2

 

 

 

 

 


9月30日 見事な柿の実をつける!

2012_09_302012_09_30_2

 

 

 

 

 

 


10月9日 色づき始める珍柿種!今年は1本の木に約20個の実をつけている2012_10_09_2 2012_10_09

 

 

 

 

 


10月22日「実り2年目の柿樹」

※こんなに大きく美味しい柿”が育てば、新らたに人気の味覚になりそう!?  2012_10_222012_10_22_2

 

 

 

 

 

 

 


10月22日、もうすぐ収穫できそう!

今年は実りの量は約20粒ほどで少ないが、昨年と同種が実った喜びは大きい!2012_10_22_009 2012_10_22_003

 

 

 

 

  


11月6日 実りの収穫2012_11_06_42012_11_06_3 ※赤みを帯びた見事な大きさの風格ある柿種はやはり絶品!

 

 

 

 

 


11月6日 甘い見事な味覚を”味見”してみると、益々、期待が大きく膨らむ!2012_11_06_52012_11_06_6 

 

 

 

 

 


以下、NO25)記事:再掲載

枯露柿の名産地、松里で「名前のない柿」が見つかった!

恵林寺境内の”一休庵”で「まだ、名前のない柿」として

売っていた!

Photo

 

 

 

 

 

この珍しい柿は、いったい、何という名前でしょうか?

どなたか、ご存知なら教えて下さい!

今号では、新たに「何!?これ!?発見!?」のカテゴリーを増やして、速報します!

「名前のない柿」と銘を打って”一休庵”で売っていた珍しい柿は、

女将さんの実家で実った”偶然実生”の柿らしく、調べても、未だ

名前が分からないらしい!?


”フルーツの里”甲州市では、今年も11月上旬から、銘産”枯露柿”

の仕込みが始まりました!いよいよ”枯露柿の季節”です。

”枯露柿づくり”に最も好評の”甲州百匁柿”の黄金の色づきは、秋の

到来を知らせます!

まもなく農家の軒先では色鮮やかに枯露柿の”吊るし乾し”が始まります。

甲州市塩山風景の”秋の風物詩”です!

甲州市の中でも、特にブランド”露柿”の名産地として、”松里”が有名です。

室町時代~江戸時代、松里地域が”栗原筋”と呼ばれた頃、既に、”甲斐国志”において、

「栗原筋の柿は上品で品類多し、甲州丸と名ヅクルものは好品で百目(匁)と云う」

と、甲州百匁柿の銘産地であったと言われている。

”枯露柿の松里”は、武田信玄の菩提寺”乾徳山恵林寺”の周辺を呼ぶが、明治8年に

上井尻東、上井尻西、三日市場、小屋敷、藤木の各村が合併、”松里村”が誕生。

明治22年には下柚木も加わり、以来、”松里”と呼ばれたところ。

甲州市になった現在、旧松里村の字村名は地図上にはなくなったが、現在でも

JA松里が2支所現存して、ブランド”松里の枯露柿”を継承している。


そのように・・・、”柿と云えば「松里」”といわれるところで、

まだ「名前のない柿」があるというので、とても気になるニュースなのです!!

先日、筆者がお茶を飲みに”一休庵”に立寄ったら、偶然に、珍種

の柿をご相伴することになったのだが、あまりにも初めて体験する

”上品な甘い味”なので、紹介せずにはおれなくなったものです。

但し、専門的に解明するまでには至らず、現在はこの写真だけが頼り。

ブログ読者の皆さんに、もし、柿に詳しい方がおられたら、ぜひ、

教えて下さい!?

どなたかご存知ありませんか?また、調べるすべをご存知でしたら、

教えて下さい!

もし、新種、珍種なら”松里”にまた新しい話題が生まれるかも!?


「名前のない柿」は、こんな形をしています!Photo_4Photo_2Photo_3 

 

 

 

 

 


「名前のない柿」の実は、こんな色をしています。Photo_6核種は同類です。Photo_5

 

 

 

 


①富有柿のような豊かな丸み

 ②次郎柿のような上品な風味

 ③西村早生より丸みの大きい四溝がある 

まるで甲斐の名将武田信玄の家紋”武田菱”を丸くした形に見えます。

黒ゴマが殆どなく、柿実は淡い色合いで、味は、ほんのりと甘く、上品な味。

”食いしん坊”の味覚では、富有、次郎、西村早生の人気三種の良い

とこどりで、”偶然実生か突然変異”ではないかと思われます。

周囲は、殆どが甲州百匁柿であるだけに・・・、珍しく甘柿でも、

大粒なので、堂々とした風貌でもある。

まるで”天の恵み”とは、”このような柿の実”のことを云うのか!?


比較参考:

◎富有柿Photo_7 Photo_8          ◎次郎柿          ◎西村早生Photo_12    

 

 

 

 

写真は植物図鑑より


「名前のない柿」は、恵林寺”一休庵”へ立寄って食してみて下さい!

”売り切れ御免”のようですが・・・!?

明日はないかもしれません!?その時はご容赦を・・・!

秋の恵林寺境内 紅葉が始まった参道!Photo_11恵林寺境内、紅葉の”一休庵”Photo 

 

 

 

 

 

 

 


臨時号なので、恵林寺と一休庵の詳細は省略しますが・・・、

一休庵のことは、ブログ2011年2月号をご覧下さい。

お問い合わせは一休庵へ

TEL 0553-32-1919


”里人にとっても、今や忘れ去られようとしている懐かしい想い出、

今や幻になりつつある”アマンドウ”の柿樹!

現在、探求中の”伝説ロマン”があります!

古刹”徳和山吉祥寺”というところに、『一休庵のある・・・、この恵林寺を

開山した名僧「夢窓国師」が若い頃、山号になっている”乾徳山”の岩窟にこもって

90日の禅修行をした・・・。

その修行で、断食同然に日1果半の(当初は半個づつ、後に弟子になる道満が、

日1個運んで1日1個半)干柿を”命の糧”に、・・・満願を達した・・・』

という伝説があります。

※徳和山吉祥寺畧記による『夢窓国師と毘沙門天』に書かれています。

筆者は、地元塩山に松里という枯露柿生産で有名な地域があり、秋から晩秋に

かけて柿畑の景色や枯露柿にする干柿を農家の軒先に干した美しい情景にとても感動

して・・・、いつしか、”柿”のことにも興味を持っています。

この伝説は・・・、武田家累代ゆかりの寺社を探訪している時、当然ながら、

寺社の創建の歴史に興味があるのだが・・・、訪ねた吉祥寺の寺伝には”夢窓国師が

若い頃、乾徳山で禅修行した時の干柿の話”に興味を引かれ、”どんな干柿を携行

したのか?変わったところに興味が湧いてきたのです・・・。

筆者は、ひと言にして『夢窓国師の乾徳山干柿修行伝説』と呼ぶことにした。

夢窓国師が禅修行に携行した干柿は、”アマンドウ”か!? 

夢窓国師が、その時、携行して食したであろう干柿のことは・・・、以前に寺住から、

『”仮想するに”アマンドウ”ではないか・・・?』という話の記憶が消えないで、

宿題であったのですが・・・。

当時を想像するに・・・、周辺には、自生のアマンドウかヤマガキしか!?なかった?

らしいのですが、甲斐国志の柿の項に出てくる『信州坂城の小柿は皮共干して食す』

と記されている信州小柿が、山梨では”アマンドウ”なので・・・、

その点にこだわって調査研究をしているものです!!

①現在、甲州百匁柿で生産する”松里”ブランドの枯露柿は、甲州百匁柿樹の殆どの

台木になっているのが地域に自生していた”アマンドウ”であることが分かっています!

もしかしたら!?「逸品”松里の枯露柿”の普及ルーツは、”夢窓国師の導き”かも

しれないという・・・話は、ますます、ほんとうの話のようになってきました。

伝説って面白いですネ!?

②昔の話のため、現在の干柿生産農家の専門家の皆さんは、”アマンドウ”は現実には、

小さすぎて不可能ではないかと思われていたが・・・。

何もない時代に、地域の皆さんはアマンドウをオヤツ代わりに食べたことを懐かしむ

人々も多くおられて、やはり、実験をして見ようと思っていたところ・・・、

実はネット情報で、八代農協に”庭樹のアマンドウを干柿にしているという話を聞いて、

先日、八代グリーンファームで、生産者の小澤さんを訪ねてきました。

お話も直接伺ったり、試食品を頂いたりして、大変、参考になるお話を伺えました。

2012年1月吉日・・・、山梨の”アマンドウ”が、甲斐国志に記されている

信濃の”小柿”と同じ”小柿”だということが特定出来ました!

実際に、小澤さんが再現下さった”アマンドウ干柿”を試食して見て、”この干柿に

違いない”と手ごたえを感じたところです!

※信州でも、坂城町、信州大学などで、裏付けが取れました。

”アマンドウ”は、間違いなく干柿になるのです!

しかも、極小だけどとても香り高く柿味がする!美味しいではありませんか!

それより、お茶の友として、懐かしい話題の菓子ですネ!?

甲斐国志に記されている『信濃坂城に”小柿”という者あり、指頭くらいの大きさで、

皮ごと干して食べるもの』とあるが・・・、それが、山梨県では”アマンドウ”と

呼ばれる自生の小柿であるが立証できました。

信州では”シナノガキ”とも言いますが・・・、面白いですね!

参考:地方によって随分、呼び方が違いますが、ネットでも詳しく呼び名を調べて

紹介している人がおられたので、筆者も大変勉強になりました。

正式な和名は、”マメガキ”と云います。別名は”ブドウガキ”とも言い、

熟すとブドウのような甘さがあります。

これを干して食べることができることが分かったのです。

追記:八代でアマンドウ干柿の再現に取り組んでおられる小澤さんのお話によると、

八代の小澤さん宅には、ご主人が、以前、塩山辺りから”アマンドウ”を移植して

庭樹にされたものが、今ではたくさんの小柿を実らせるようになっているようです。

ご近所の奥さま方が、小澤さん宅に、お茶会で集まられる時など・・・、

庭樹のアマンドウの柿実を見て「懐かしい・・・!子供の頃は、良く食べたね!」

と興味深く、いつも話題になるそうです。

そんな時、せっかく、アマンドウが実っているのだから・・・、懐かしい人もいる

かもしれないし・・・、昔子供のオヤツであった忘れられたアマンドウを・・・、

是非、再現して・・・、八代グリーンファーム(農産物直売所)へ出して・・・!

と励まされて・・・、

数年前から庭のアマンドウ柿樹から収穫できる分だけ試みに作ってみているのだと。

もしかしたら、誰かに、興味を持って買ってもらえるかもしれないと思っていたが、

先日も珍しくて買って行かれた観光客の方がインターネットで紹介してくれて、

その反響もあるそうです。

ご本人も、興味のある人がおられるのでビックリしているのだと言っておられました。

”アマンドウ干柿”の再現生産(但し庭樹の収穫分限定)に取り組んでいる小澤さんに、

お目にかかってお話を伺った話では、『12月にブドウ色になる頃、収穫して、通常、

数日から一週間干すが、少し長く干せば翌年夏にも食べられる保存食になるであろう』

とも教えて頂きました。

何しろ、賞味期限は一応3か月程度の標示があるのですが、夢窓国師の干柿修行伝説は、

13世紀末~14世紀初頭の話で、恵林寺開山(1330年)の前の話ですから・・・、

江戸時代に書かれた甲斐国志ですら、そんな昔の柿のことは書いていません。

とにかく、幻の小柿の干柿ロマンが、段々と絵に描けるようになっていることだけ

は事実です。もう一息です!

少々分けてもらいましたので・・・、今年、夏まで”アマンドウの干柿を保存して、

試してみたいと思っています。乞うご期待です!

夢窓国師の乾徳山干柿修行伝説(筆者の仮説)が・・・、現在の恵林寺周辺の

松里名産「枯露柿」普及のルーツになっているのではないか・・・!?

夢窓国師の導きか・・・!?

学者の範疇にはないであろう”伝説ロマン”を探究しているところです。


 

 

 

 



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