山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

◆知る見るプログラムがNHKニュースで放送されました

2013年06月30日 | 研修会
本日、本人活動ワークショップ「知る見るプログラム」が
山形県知的障害者福祉協会主催:山形県手をつなぐ育成会共催で
山形市霞城公民館で行われました。

詳しくは後日報告しますが、本日放送されたNHKニュースが
ごらんいただけます。

知る見るプログラムクリックしてください


みなさんとってもイキイキと楽しそうに参加していました。
支援者さんの方がタジタジしてしまった場面もありましたが
それはまた後日

とりあえず、今日のニュースをご覧くださいね(F)

社会保障と税

2013年06月29日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第25回目。

 障がいのある人にとって、地域で普通に暮らすには社会保障といった制度に頼らざるを得ない。
 国の財源にも限度がある。
 優先順をつけて分配されることになる。
 それには国民の納得が得られなければならない。
 国民の声が優先順を左右する。
 政治に声を届ける必要がある。
 妥当な声であれば、社会福祉を推進する法律等ができ、社会保障のための予算が付く。 ただ、財源確保のためには、税を含めて収入をどう増やすかといったことも表裏一体となる。
 政治はそうした難しい舵取りをしている。
 膨大な財政赤字をどうしていくかも緊急の課題である。
 矛盾をかかえた現状を踏まえて、今の最善を選ぶしかない。
 以下、社会保障と税を取り上げている。

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【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者福祉と社会福祉と社会保障  2013.5.17

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社会保障と税制について

 社会保障の問題は、
 人の権利の問題を人の義務として考えることだといってよいと思います。
 
 今、日本では社会保障と税制に関する課題を抱えています。
 この課題に対する取り組みの基本は、
 人の権利の問題を人の義務としてどのように考えるかというところにあります。

 この課題にどう取り組むかということは
 文化社会、文化国家においてはおろそかにできない重要事項であり、
 欠いてはならない必須の条件です。
 それはいうまでもなく国家としての
 ガバナンス(国家統治)の問題ということになりますが、
 それには国家としての社会福祉の理念と
 社会保障に対する明確な姿勢が確立されていなければならないということになります。

【引用終わり】

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 障がいのある人も働いて税金を払うことができる社会が理想である。
 もちろん、それは障がいの程度を十分考慮しての話だ。
 まず税収が増えないことには社会保障制度も維持できない。
 日本の経済力を上げることが先決だ。
 今その上げ潮ムードにある。
 それを本物にしてほしい。
 政治や行政に対する他人だよりだけでなく、一人一人の経済活動も大きく影響する。 
 社会保障も社会福祉も、待っていては進まない。
 (ケー)

◆障害基礎年金研修会(山形会場終了)

2013年06月29日 | 研修会
昨日28日(金)午前10時~12時
山形市総合福祉センター 3F研修室2を会場に
「障害基礎年金」今から心がけておくこと
の研修会を行いました。

これは、赤い羽根競合募金会より分配金をいただいて
山形県手をつなぐ育成会 地域活性化事業として行っています。



参加者のみなさんは小学生のお子さんをお持ちの親御さんから
学校を卒業し、今まさに年金申請の時期を迎えているお子さんの
親御さんの他、年金は支給されているのだけれど、自分が申請を
した時は無我夢中だったので、今一度じっくり年金の勉強をしたいと
いうことで参加を申し込んでくださった方まで、幅広い年代の方が
参加をしてくださいました。
中には、先日の「普通に生きる」の実行委員会でご一緒した方の
娘さんが参加して下さっていました。
(妹さんに障がいがあり、お母さんの代わりに参加しれくれました)





講師には、相談支援事業所 ゆあーずの二関郁子所長においでいただきました。



障害基礎年金の基礎から申請する時の事まで、豊富な事例をお持ちですので
大変わかりやすく説明してくださいました。

さらに、普通は申請時期になって初めて見る方がほとんどであろうと思われる
申立書や、診断書のコピー(診断書は回収させていただきました)なども
実際に見せていただくことができ、今回の研修に参加された方は
本当に良かったとおもいました。
私も、こんな研修会を事前に受けたかったな~と思いました。

それから、年金はもらっているけれどもっと年金について勉強したいと
参加してくれた友人には、なんの打ち合わせもなくご自身の体験を話して
欲しいと急にふったにもかかわらず、快く体験を発表してくれて
たいへん助かりました。ありがとうございました。

内容としては、申立書は本人や親御さんが書くものなので、
お子さんのそれぞれの時期の障がいのようすなどを、記録しておくと良いこと。
あと、一番のネックは診断書を書いていただけるのは精神科の先生なので
その先生への受診をいつからするのが良いのか、というような事になるのだと思います。

知的障がいの場合、年金の申請時期までに精神科への受診歴がなくても
年金申請はできますが、色々な話をきいていると、高等部卒業までには
精神科を受診していた方が、福祉サービスを利用する場合も含めてスムーズに
行くようにも思えました。

私も先日、たまたま久しぶりにお会いした精神科の先生がおっしゃっていた
1度診察しただけで診断書を書くことは本来できない(書きにくい)
書類の時期だけではなく、普段の様子も見せて欲しいというのが本音だという事も
お話しさせていただきました。
これは、ちゃんと先生に研修会で話しても良いか確認を取っています。

次の研修会は、7月12日(金)東根市タントクルセンターで
先輩保護者とざっくばらんに座談会 卒業後の進路について
の研修会を行います。只今参加者を募集しております、
お申し込みをお待ちしております。

なお、障害基礎年金の研修会は11月にも新庄市のゆめりあを会場に行いますので
今回参加できなかった方はこちらにご参加ください。

さて、明日は本人ワークショップ「知る見るプログラム」があります
ちょとオーバーワーク気味ですが、頑張りま~す(F)

働くことの意義

2013年06月29日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第24回目。

 障がいのある人たちの働く場の確保は重要な施策の一つ。
 障害者雇用率が1.8パーセントから2.0パーセントに平成25年4月1日から変更された。
 民間企業等で障がい者の働く場が広がってきていることは、大変喜ばしい。
 以下は、生活保護と就労の意義が述べられている。 

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【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者福祉と社会福祉と社会保障  2013.5.17

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憲法第25条の規定と生活保護法の目的と意味について

 働いても生活保護基準以下の賃金しか得られない
 「ワーキングプア(働く貧困層)」が問題となる一方において、
 生活保護の不正受給の問題がある。
 働いている人が、生活保護の基準以下の賃金しか得られない
 というのは確かにおかしなことかもしれない。
 生活保護の不正受給への対応も必要だ。
 生活保護のための支給基準の見直しを含む生活保護法の改正が検討されている。

 雇用情勢の悪化した現状において、
 生活保護受給者が増加し、
 その数は過去最多とも言われている。
 そうした生活保護受給者のための
 就労支援事業が福祉事務所とハローワークの協同で
 平成17年度から展開されている。
 しかしその就労支援の目的や考え方が単に、
 生活保護の受給者を減らすことで
 生活保護費の抑制を図ろうというのであれば、
 それは一つの対策としてはよいのかもしれませんが、
 必ずしも的確な支援とはいえないのではないかと思います。

 日本国憲法には、働く権利についての定めもあるわけで、
 働く権利の確保も生存権の確保もどちらも
 人の権利を確保するということでは相違はないことあり、
 欠いてはならないことだと思います。
 ただし、働くことが生きることで、
 生きることが働くことというように
 「働く」と「生きる」をまったく同じレベルの
 同列の権利保障の問題として考えてよいのかどうか
 という点には注意を要すると思います。

 確かに働くことで生活の糧を得るということではあるわけですが、
 しかし文化的に高度に進化した人の生活における、
 いわゆる「生活の質」の問題との関連でいえば、
 人が働くというのは、
 単に食べて生きていくためであることを
 意味するものなのかどうかということを
 改めて考えてみることも大切ではないでしょうか。

【引用終わり】

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 働くことは、単なる生活の糧を得ることだけのものでない。
 施設事業所から派遣されて、下請けの仕事をしている障がいのある青年を知っている。 彼は電機部品の不良品選別を行うことが得意だ。
 誰よりも確実で、彼の仕事は会社の上司も太鼓判を押している。
 そして、毎日数量の目標を決め、それ以上にできるととても喜ぶ。
 細かい字で作業日誌も怠らない。
 東日本大震災の影響で、仕事量が極端に減った時期があった。
 そうすると、仕事できないことに対して、イライラ感がつのった。
 落ち着かない時期が続き、自宅に戻っても両親になんで仕事がないと不満をぶちまけることもあった。
 彼にとっては仕事が生きがいでもあった。
 最近は仕事も増え、もとの一生懸命さがもどり、安定した生活をしている。
 ただ、彼の工賃が増えているわけでない。
 ひと月1万円にも満たない工賃で仕事に打ち込んでいる。
 (ケー)

社会福祉の手段としての社会保障

2013年06月28日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第23回目。

 社会保障は、社会福祉を推進するためのものだ。
 以下、その関係が述べている。 

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【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者福祉と社会福祉と社会保障  2013.5.17

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社会福祉と社会保障の関係

 社会保障論の立場でいえば、
 社会福祉は社会保障の一分野であり、
 社会保障概念の下位に位置づけられることになるのでしょうが、
 社会福祉と社会保障の関係において
 勘違いをしてはならないきわめて大切なことは、
 「社会保障による社会福祉」 ではなく、
 「社会福祉のための社会保障」 と考えるべきものであるということです。

 なぜなら社会を構成する人々のすべてが
 人として幸福に暮らす権利を生まれながらに有しているわけですから、
 「福祉」 は権利です。
 その権利を保持するために
 人々が協力し合って手段を講じるのが
 「保障」 であるはすだからです。

 要するに、「社会福祉」 と 「社会保障」 は
 権利と義務の関係にあり表裏一体のものといえますが、
 考え方の筋道としては、社会保障による社会福祉ではなく、
 あくまでも社会福祉のための社会保障と考えるべきものと思います。

【引用終わり】

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 社会福祉は社会保障が成り立つことが必要である。
 社会保障の基盤は、経済力。
 経済の安定がなければ、社会福祉も成り立たない。
 みんなで稼いで適切な配分を行う政治に期待したい。
 さらに、社会福祉に対して柔軟な姿勢を示す行政でありたい。
 そして、障がい福祉の需要者も可能な限り自助努力が求められる。
 それぞれの立場による努力があって、社会福祉は推進される。
 (ケー)

◆研修会が続きます!

2013年06月27日 | 日記
明日は、山形県手をつなぐ育成会 地域活性化事業
ひと 学校 地域 輝け 未来
「障害基礎年金」~今から心がけておくこと~
の研修会が山形市城西町の山形市総合福祉センター3Fの研修室2を会場にして開かれます。



講師として、サポートセンターゆあーずの二関郁子所長をお迎えして
肩ひじ張らない研修会にする予定にしております。

そこで、明日は育成会事務局はこの研修会を行うために留守になります。
研修会は午前中で終了しますので、午後2時くらいには事務局に戻ることが
できると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
御用の方はFAXかメールを入れていただけますと大変ありがたいです。

ご迷惑をおかけしますがどうぞよろしくお願いいたします。


そして、今週末の30日の日曜日ですが、山形県内で初めて
知的障害のある本人向けのワークショップ
「みんなで知る見るプログラム」ファシリテーター養成講座
正式名称:知的障害のある本人による「障害を知る・可能性を見るプロジェクト」

を山形県知的障害者福祉協会主催、山形県手をつなぐ育成会共催という形で行います。

このプログラムは全日本手をつなぐ育成会の総合研修センターで開発されたもので
いつもお世話になっている明星大学教授で全日本手をつなぐ育成会理事の吉川かおり先生が
開発委員長となり、障害のあるご本人さんもこのプログラムの開発に入っております。



こちらの方は、県内の本人活動のリーダー養成講座として今後3回の研修会に
参加していただき、8月に天童市で開かれる知的障害者福祉協会の東北地区研修会の
本人部会と、10月に寒河江市で開かれる山形県知的しょうがい者福祉大会の
本人分科会でファシリテーターとして参加をしていただくようになります。
そして、このワークショップをどんどん山形県内に広めていただく役割を担っていただきます。

と、このように書くと、とても難しいように感じてしまいますが
実際に体験してみると、とっても楽しく勉強できるように考えてあるプログラムですので、
まるでゲームをやっているような感覚で参加できるものになっています。

講師には開発委員長の吉川かおり先生と、開発委員の羽村龍さん、同じく開発委員で
障害のあるご本人の立場の奈良崎真弓さんをお迎えして研修を行います。

各研修会終了後には、またこのブログで報告させていただきます(F)
 


憲法が規定する健康で文化的な生活

2013年06月27日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第22回目。

 憲法では、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定されている。
 それは、障がい者も含めて保障されるべきことである。
 以下、その詳細を述べている。 

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【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者福祉と社会福祉と社会保障  2013.5.17

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国民の生存権と国の保障義務について

  日本国憲法の第25条には、
 国民の生存権、国の保障義務として
 「すべて国民は、健康で文化的な
最低限度の生活を営む権利を有する」 とあります。

 文化的な最低限度の生活とはいったいどのような生活をいうのでしょうか、
 もっと明確であるべきだと思いますが、
 同条の第2項には、 「国は、すべての生活部面について、
 社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」
 とあります。
 ということは、文化的な最低限度の生活とは
 国の文化的レベルの問題に関連することであり、
 国の努力、力量によって明確になることだと解釈すればよいと思います。

 国が、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に
 努めるというのであるならば、
 「社会福祉」と「社会保障」の意味を合わせて改めて考えてみることだと思います。
 それは文化国家としては忘れてはならない大切なことだと思います。

【引用終わり】

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 国は障がいのある人にも、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上・増進に努める義務がある。
 現在のニーズに対して的確に応える必要がある。
 きめ細かくニーズを把握し、スピーディーな対応が求められている。
 育成会としてはどんな福祉サービスを求めているか、まとめていく役目がある。
 個人個人は、意外とわからないままでモヤモヤ状態。
 そして、ただ不満を述べていることが多い。
 そうした不満を単なる不満のままにしておかない。
 この不満を福祉施策実現に向けての原動力にしていく。
 それには、ぐちるだけでは前に進まない。
 賛同者に声をかけ、関係機関に協力を求め、目的達成に向けて一歩ずつ課題解決を図る戦略が必要だ。
 物事は一石二鳥というわけにいかない。
 でも、確実に前進しているプロセスが見えると賛同者は増える。
 会員同士が頻繁に顔を合わせる機会を増やす。
 それが物事の出発点といえる。
 忙しさに任せて人頼みしていればいつまでたっても不満やグチのままで終わってしまう。
 他人事を脱して、当事者として動かなければなんの解決策も生まれない。
 今までできないからこそ難しい課題なのだ。
 その解決には、仲間と語り仲間とともに一歩・二歩と前に進む。
 それがさらに多くの仲間の共感を呼んで、前に進む原動力になる。
 「今からやりましょうよ」という前向きの姿勢を大事にしたい。 
 (ケー)

◆普通に生きる

2013年06月26日 | 日記
先週の21日(金)・22日(土)に行われた上映会
ドキュメンタリー映画「普通に生きる」の記録(DVD)を、
知的障害者福祉協会の事務局を通していただきました。
ありがとうございました。

「普通に生きる」公式HPクリックをどうぞ




私も上映会実行委員として微力ながらお手伝いさせていただいておりましたので
実行委員会での試写から当日の上映したものまで何回も見せていただきました。

最初の試写を観たときは、私の友人が感想を送ってくれたように
親の立場として感想を持ちました。
「やれないんじゃない、やらないだけなんだ、もっと頑張らなくちゃ」ということでした。
もちろんその気持ちは今もあるのですが、何度も映画を通して
親たちの頑張りと、子供たちの笑顔をみていたら
きっと、50年前の育成会の親御さんたちもあんな風に頑張っていたのだろうなぁ
と、思う気持ちが出てきました。

今よりもっともっと障害者に対する差別や偏見が強かった時代、
障害者の人権などはないに等しい時代に、育成会の親たちは
わが子の人権を求め、教育を受けさせたい!作業所を作りたい!
親亡き後のわが子が安心して生きていける場所が欲しいと、様々な
運動をしてきたのですから。

50年前とは言わなくても、私の息子と10歳も年齢が違わないお子さんをお持ちで
一緒に育成会の仕事をしているYさんも、養護学校に高等部を新設してもらうための運動を
一生懸命にやったということです。
そうして、私はそのような運動の経験もせずに、当然のように高等部へ
息子を通わせることができていたということです。

今はある程度のサービスができ、ニーズも多様化してきて
以前のような一致団結した運動がしにくくなってきておりますが
虐待防止法や差別解消法など、本当に障害があっても普通に生きるために
さまざまな仕組みや法律が必要なのであれば、育成会は当事者団体として
活動を止めてはいけないのだろうと思います。

映画のなかで「でら~と」の小林所長がおっしゃっていました。
「最初から制度化されているものなんて何一つないんです」
「訴えて初めて制度化されるのです」

まったくその通りなのです。
親が頑張って動くのが一番良いのです。わが子のことなのですから。

でも、ときどき弱音も吐きたくなる時があるんです。
いったいいつまで親は頑張らなくてはならないの?
親が気が付かないと誰も気が付いてくれないの?
そうなのでしょうかねぇ・・・・・・・・・・(F)




障がい者の暮らしを守る

2013年06月25日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第21回目。

 障がいのある人が地域で安心して暮らせる社会になってほしい。
 今それが本当に実現しているかというと、なかなかそうなってない。
 障がい者の工賃倍増計画なんて掛け声倒れだった。
 福祉施設で支払われる工賃は平均月1万3千円程度。
 山形県で1万円以上支払っているところはごくわずか。
 日当換算で500円。
 時給60円。
 障害年金が7万程度もらっても生活できない。
 障がい者の暮らす権利をどう守るかが問われている。
 以下に、その主張が述べられている。 

********************************************

【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者福祉と社会福祉と社会保障  2013.5.17

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人権としての障害者福祉

 人はみな人として暮らす権利を生まれながらに有しています。
 人として暮らす権利を保持することに困難を抱えたときに、
 人は障害をもつということだと思います。

 障害者福祉の問題は人権の問題であり、
 人権の問題は社会福祉の問題です。
 社会福祉の問題はすなわち社会保障の問題です。

 支えられる権利と支える義務を有する人々で構成されているのが
 「社会」 です。
 そこに 「共に生きる」 ということの意味があると思います。

 「支える」 ことは 「支えられる」 ことであり、
 それは互助・人権の尊重を意味します。
 その互助・人権の尊重が社会保障制度の仕組みの基礎であると思います。

 障害をもつ人を排斥するような社会は
 脆弱な社会であると考えるところにこそ、
 高度に進化した優れた人間が獲得できる社会的文化があるのです。

【引用終わり】

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 地域に様々な人がいて当たり前。
 そして、そこに住む人たちがそれぞれに対して尊重し合うことができる。
 障がい者のグループホームやケアホームをつくろうとすると、地域住民の反対にあう。
 そんな事例も少なくない。
 今までにない異な者が来ることに対する反対である。
 よそから引っ越して、新築の住宅を建築することに反対なんてあり得ない。
 でも、障がい者が住むことに対しては違う。
 いい迷惑という感覚が働く。
 障がい者を他人に迷惑かける犯罪者扱いにも等しいところがある。
 なんか変で怖いといった腫れ物に触るような感覚でもある。
 付き合ったことがないのでイメージだけで反対を主張する。
 その誤解は簡単に解けない。
 思い込みは頑固で説得するのも難しい。
 でも、繰り返し話をすることで誤解も解ける。
 そこは時間をかけてやるしかない。
 あわてると誤解をさらに増す結果になる。
 障がい者が街中に暮らしてはダメだと思っている人はいないはずだ。
 (ケー)

支え、支えられての共生社会

2013年06月25日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第20回目。

 障害者福祉は、社会福祉のあり方をいかにすべきかに直結する。
 さらに、社会保障のあり方をどうするかとなる。
 経済が低成長基調で進む社会である。
 さらに、高齢化社会をむかえている。
 公助にも限界がある。
 自助・共助に比重をおく時代である。
 そうした覚悟で臨まなければならない。
 そのような義務を果たしてこそ、権利も主張できる。
 以下、浅井氏は次のように述べる。 

********************************************

【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者福祉と社会福祉と社会保障

   2013.5.17

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 人には、人とし生存する権利があります。
 人には、人として生存できるよう努力する義務があります。

 人はただ一人では人として生存できないと思います。
 人はみな権利の主体であり、義務の主体です。

 支える一方で支えられる人々で構成されているのが
 「社会」 です。
 そこに 「共に生きる」 ことの意味があると思います。


 障害者福祉の問題は  「人権」  の問題です!

 人 権 の 問 題 は 「社会福祉」 の問題です!

 社会福祉の問題は 「社会保障」 の問題です!

 ≪ 「社会保障に関する問題」は、
 人の権利の問題を人の義務として考えることだと思います ≫

【引用終わり】

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 一方的に支えるだけの人もいない。
 一方的に支えられるだけの人だっていない。
 互いに支え、支えられる関係だということを知る必要がある。
 互いの支え合いがあってこその共生社会といえる。
 (ケー)

◆障害基礎年金の研修会 本日参加締切日です

2013年06月24日 | 研修会
今週末(6月28日)に行われる 地域活性化事業 「ひと 学校 地域 輝け 未来」
障害基礎年金の研修会の参加申し込み締め切りは本日までになっております。

クリックすると拡大します


先日、東京で全国事務局長会議がありましたが
愛知県育成会でも障害基礎年金の研修会をやるそうです。
そして驚いたことは、参加定員40人の募集だったそうですが
130人の応募があったということで、急きょ研修会を増やすことにしたと
話をしておられました。 
皆さんもその応募人数の多さに驚いていましたが、
やはり生活するには必要なお金ですから、真剣に考えるのでしょうね。

山形県では、今回6月28日(金)の山形市で行う研修会と
11月8日(金)に新庄市で障害基礎年金の研修会が開かれますので
今回、さくらんぼのお仕事などで参加できない方は、11月の研修会にでも
ご参加していただけるとよろしかと思います。
ちなみに山形ではどの研修会も20数名の参加者であろうと想定しております。

6月28日(金)障害基礎年金研修会の申し込みは本日までとなっておりますが
その後に控えている、座談会、研修会は随時申し込みを受け付けておりますので
どうぞよろしくお願いいたします(F)


誰もが暮らしやすい社会環境の構築を目指す

2013年06月24日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第19回目。

 人は互いに対して「配慮」することで、安定した生活を送ることができる。
 「配慮」とは、相手に対する尊重である。
 その尊重によって、暮らしよい生活が成り立つ。
 それは、障がいのある人も含めて、どんな人に対しても、暮らしよくすることである。
 以下は、その詳細である。 

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【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者の権利条約と「合理的配慮」について

作成 2010.4.10/更新 2013.1.12

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合理的配慮に関する課題

 人への配慮を何も要しない人の暮らし方などないはずです。
 その一方で人はみなそれぞれの可能性を秘めた
 価値観や人生観を伴う多様な生き方をし、生きがいをもっています。

 そうした価値観や人生観は、
 ある人にとっては意味のあることであっても、
 ある人にとっては意味のないことかもしれません。
 そこに万人すべてに共通する
 “合理的” という難しさがあるのではないでしょうか。
 
 要するに多様な人々の生き方や生きがいを
 互いにどのように尊重し、認め合い、どのように共に生きていくか
 というところに 「合理的配慮」 に関する課題があると思います。
 
 それは人々が日々の暮らしの中で、人としての自律性とともに、
 人を思いやる気持ちを大切に育み、
 生活感覚としての満足不満足の度合いとも
 関連するところの価値観や人生観に連なる
 「生活の質」 や 「生活のしづらさ」 の問題について
 どのように考えるかということであり、
 すぐれた人間社会だけが獲得できるであろう
 心ゆたかなさらなる発展にかかわる課題だといってよいかもしれません。

 換言すれば、誰もが暮らしやすい社会環境の構築を目指す
 専門的なあらゆる分野が連携し、物事をどのように理解し、
 どのように満足又は納得できるようにするか、
 あるいはどのように合意や妥協が得られるようにするかを考えることだと思います。

 ただし、そこで留意すべき重要なことは、
 幼弱、老齢、病気や障害、その他の事情により、
 自らの意思や力で、自らの権利を主張し、行使、確保することが
 むずかしい場合の権利擁護の問題です。

 つまり自主的(自発的・自律的)に思考し、
 自らの意思を周囲に的確に伝え、
 あるいは周囲の状況を自ら理解し判断することがむずかしい場合、
 あるいはおそらく大多数の人々に共通するであろう
 価値観、人生観に沿った暮らし方になじめない場合に対する
 「合理的配慮」という問題です。  

【引用終わり】

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 以上、多様な価値観をいかに認めることができるか。
 様々な人がいて、当たり前といったことを素直に受け入れることができる社会づくりである。
 障がいのある人にとって暮らしよいとなれば、障がいのない人にもそうしたことは享受できることになる。
 (ケー)

◆上映会 無事終了しました!(追記あり)

2013年06月23日 | 日記
6月21日(金)~6月22日(土)
山形市総合福祉センター 交流ホールに於きまして
ドキュメンタリー映画「普通に生きる」の山形上映会が行われ
大盛況のうちに終了することができました。

クリックすると拡大します


私は記録係ではなかったので、写真はまた後日UPさせていただきますが
昨日、上映会終了後に「上映会の事は、明日あたりには育成会のブログには
出るのではないかと思います」と上映会事務局からプレッシャーをかけられ
メールで感想を送ってくれた友人からは、まだブログはUPしてないのか
突っつかれたこともあり・・・ 中途半端ながらUPさせていただきます

土曜日は「でら~と」の小林所長さんのトークショーがありますし
家族会の方々も土曜日に来るとの事でしたので、土曜日は観客の方が
多い事は予想が付きましたが、金曜日はひょっとしたらガラガラかも・・・
という予想もしていました。でも、蓋を開けてみたら
金曜日の午前中、準備した椅子が足りなくなるのでは?
というくらいにたくさんの方がおいでくださいました。
午後からのために、急きょ椅子を追加して並べたりもしたのですよ。

最終的な人数はハッキリしていませんが、
目標としていた400名は超えたようで本当に良かったです。

観に来てくださった方々も本当に様々な方に来ていただいたようです。
私が存じ上げない方も沢山いらっしゃると思いますが、
医療関係者や学校関係者、行政の方もいらっしゃいました。
もちろん、手をつなぐ育成会関係の方もいらっしゃいましたし
映画の中の方々のようなお子さんをお持ちの「重症心身障害児者を守る会」の方々
施設の職員さんもいらっしゃいました。

前売り券を購入せずに当日券を求めてくれた方もたくさんいました。
私の知り合いも、障がいのあるご本人を連れて家族みんなで観に来てくれました。

感想の方は、こちらも私はアンケートの係ではなかったので読んではいないのですが
私にメールで感想を送ってくれた友人は(掲載は許可とってますよ

お母さんパワー、見習わないといけないと痛感しました。
  できないんじゃなくて、やらないだけなんだ!と気づかされました。
  トークも良かったあちこちメモ取りながら・・・勉強になりました。
  子どもが利用している事業所の職員さんたちにも観て欲しかった。
  もっと、宣伝すれば良かった。
との事でしたよ。

上映とトークショーが終わってから、私に声を掛けてくれた方(医療関係)
この映画、私の高校の先輩が撮ったのよ。面識はないのだけれど
  ずっと見たいみたいと思っていたの。山形でも上映しないかな~と思っていたら
  やるんだと知ってうれしかった。これに携わっていたのね
  いつ声かけようかと思ってたのよ。と言ってくれました。そして
 似てる人は似てる人を呼ぶのねぇ(笑)と言ってました。
どうも、上映会の言いだしっぺなのに上映会当日は他の用事が入って
県内にいることができなかった、福祉協会の井上博会長と小林所長の事を
言っているみたいでした
午前のトークショーでは「これからどんな事業展開をしようかワクワクしている」
とおっしゃっていましたから、そのあたりが井上会長と重なったのでしょうね

それにしても、でら~との小林所長さんは、素敵な方でした。
(このブログを見てくださっているということで持ち上げている訳では決してありません)
前日も、実行委員と一緒に食事をしてくださったのですが、
優しい語り口ながら信念は明確で分かりやすかったです。

親御さんの気持ちをつかむのも本当に上手だと思いました。
私も親なので、つかまれました

親御さんの負担を「大変だろうから、こちらで代わりにやりますよ」
という言葉を使うのではなく、
『親御さんの仕事を、どんどん取っちゃうんです。
そうすると、親御さんはやることがなくなっちゃって、
「仕事でもやろうかな」と自分の事を考える事ができるようになるんです』

というように、子離れが難しい親子関係を、イヤミなく子どもから
離れる事ができるような配慮をしています。
(歯科通院も、散髪も日中活動の中に組み入れているという事でした)

午前中のトークショーの中でおっしゃっていた事は
「支援の仕方は、生まれてからずっと子どもを育ててきた親御さんに勝てる訳がない
教科書で習うより、親御さんに教えてもらった方がずっと良い支援ができる」
という内容のこともおっしゃっていましたが、この言葉は親御さんの気持ちを
ググッと掴みますなにせ、これまでは親がやるのは当然だ!ということで
誰からも褒めてもらった事が無い子育てを、全面的に認めてくれている言葉ですから。

これで、親御さんたちは小林さんを信頼して所長にぜひ!と引きずり込んだ
(言葉がわるいですね)のだと思いました。

それから、私は親の立場なので事業所経営に関してはさっぱりなのですが
小林所長のところの事業所は給付のみで運営しているとの話もありました。
それって、とてもすごい事なのだと思います。
だから、モデルになるのだとおっしゃっていました。
山形だってできるはずともおっしゃっていました。
ぜひ、親御さんたちの願が叶い、子どもなりの人生、
親自身の人生、充実した人生をそれぞれ送れるような
社会になって欲しいと思います(F)

追記
わざわざ山形までおいでいただいた小林所長さん、
フリーアナウンサーの前川さん、職員研修として
映画を観にきて、いろいろお手伝いをさせられた
愛泉会のみなさん、本当にありがとうございました。

そして、休憩室で障がいのあるご本人の見守りをしてくれた
学生ボランティアのみなさん、大学でそう言うように指導が
あるのかどうか分かりませんが、お子さんを保護者さんに
お返しするときに、「とても楽しかったです」と言ってくれたこと、
親としてはとってもホッとする言葉です。

学生ボランティアさんにご迷惑をおかけしているのでは?
と観覧席も端の方に座り、トークショーの余韻もそこそこに
お迎えに行った親御さんは、その一言でその日いちにちがハッピーに終れます。

「大丈夫だったのだろうか」と心配している親御さんに
「大丈夫でしたよ」と答えるのも、もちろん良いのですが
「とても楽しかったです」と言ってもらえるというのは
自分の子を対等に扱ってもらえたというような妙な安心感が生まれます。
そして、とても嬉しい気持ちになります。

友人もおそらくそうだったのではないかと思います。
だから私にも教えてくれたのだと思います。
学生ボランティアさんも、どうも有難うございました。

そして、実行委員のみなさんありがとうございました。
そのうちに反省会?慰労会?があるようですので
大いに語らいましょうね!


障がい者の権利は特別な権利でない

2013年06月23日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第18回目。

 合理的配慮といっても、それは障がい者だけのものでない。
 障がいのない人に対する配慮でもある。
 以下、それに関する内容が記されている。 

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【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者の権利条約と「合理的配慮」について

作成 2010.4.10/更新 2013.1.12

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合理的配慮に関する課題

 人はみな生まれながらに人として暮らす権利を有するとはいっても、
 それぞれがそれなりに暮らしていくための努力をしているはずです。

 それは人として暮らす権利を確保するには、
 そのための努力義務があるということであり、
 人はみな権利の主体であり、義務の主体であることを意味します。

 「合理的」 とは、広辞苑(岩波書店)を引用すれば、
 ①道理や理屈にかなっているさま。
 ②物事の進め方に無駄がなく能率的であるさま。とあります。

 道理や理屈にかなっているかどうか、
 物事の進め方に無駄があるかないか、
 能率的であるかないか、
 その基準(目安)となるのは、人々の日々の暮らしの中にあるはずです。

 人の暮らしにおける道理や理屈、
 物事の進め方に関する問題を考えた場合、
 それは障害者の権利にかかわることであるというだけでなく、
 人々すべてにかかわる問題だと思います。

 したがって障害者権利条約でいう合理的配慮とは、
 障害当事者のことだけを考えた配慮ではなく、
 障害のある人もない人もその両者を含めた
 「人の暮らし」 を考えた配慮でなければならないわけです。

 そのため障害者の権利とはいっても、
 それは特別な権利ではなく人の権利である
 ことにほかならないという理解認識が大切だと思います。
 
【引用終わり】

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 障がいのある人にとって生きやすい世の中は、障がいのない人にとっても生きやすい。
 障がい者に対する「合理的配慮」は、障がいのない人の配慮にもなる。
 「合理的配慮」は初めは特別のことかもしれない。
 それが続けば、特別のことでも何でもなくなる。
 今後、「合理的配慮」のハードルを低くしていくことが必要である。
 (ケー)

障害をもつ人ももたない人も同じ「生活者」

2013年06月22日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第17回目。

 国際生活機能分類は、画期的である。
 障がいのあるなしにかかわらず、同じ「生活者」というとらえである。
 以下、その説明である。  

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【引用始め】
   
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage9.html

障害者の権利条約と「合理的配慮」について

作成 2010.4.10/更新 2013.1.12

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 国際生活機能分類(ICF)と合理的配慮

 この国際障害分類試案の考え方をさらに推し進めて作成されたのが、
 2001(平成13)年5月に世界保健機関(WHO)の
 第54回総会において採択された国際生活機能分類(ICF)です。
 国際生活機能分類(ICF)の考え方は、
 障害をもつ人も障害をもたない人と同じ「生活者」である
 という認識を促す意味では画期的であり、
 障害(者)をどう理解するかの指針となる最新のものといえます。

 ICFの考え方は、従来の障害の概念を一新するものです。
 その特徴は、障害をもつ人だけのものとして
 障害を分類しようとするものではなく、
 すべての人々の生活機能と生活能力に関わるものとして分類するものであり、
 障害の原因となる個人因子のみならず、
 環境因子(物理的環境、人々の意識的環境や制度的環境、
 生活情報や福祉サービ等を含む)の重要性にも着目するところにあるといえます。

 人々の生活機能や生活能力というものを
 単に個人の問題としてとらえるのではなく、
 環境との関係にも着目するという点でICFは障害の本質を理解し、
 問題の解決に向かう方策を講ずる上で
 有効性を備えていると考えることができます。

 しかし人の生活機能や生活能力というものを
 個人の健康状態だけでなく環境条件等との相互作用として
 構造化することは障害を客観的にとらえることにはなるかもしれませんが、
 それは障害当事者の価値観や人生観、満足度などに
 関わる主観的側面をもとらえるものではない
 ということが問題として提起されています。
 また障害を構造化すること自体についての疑問も出されているようです。

 こうした問題も提起されていますが、
 ICFは障害についての理解を
 世界共通のものにしようと意図するものであり、
 障害をもつ人ももたない人も同じ生活者である
 という認識を促す意味では画期的です。
 それはまた障害者の権利に関する条約にある
 「合理的配慮」の問題を考える上でも重要な意味をもつといえます。

【引用終わり】

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 障がいのある人が地域で普通に暮らすことが大きな流れになってきている。
 ケアホームやグループホームで生活する人も増えてきた。
 障がいのある人も、地域住人として隣近所の行事や集まりにもごく自然に参加する。
 それが当たり前になってこそコミュニティを安定させる。
 誰もを受け入れ、生活できるようにする社会づくりである。
 共生社会の実現である。
 (ケー)