山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

#地震発生から310日目「水産加工場が津波で流される」

2012年01月14日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から310日目(平成24年1月14日、土曜日)。
 また、大震災発生から310日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、被災した施設の支援が迅速になされるためにも施設間ネットワークを常日ごろから構築しておくことが有効であるとの助言があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その9=最終回】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 施設間ネットワークの構築

【司会者】 ありがとうございました。ではもうひとかた助言者の方にお願いします。

【助言者】 私達の法人は岩手県田野畑村にあります。うちの法人で水産加工の下請け作業をやっているんです。そこの工場が津波によって流された。その水産加工の収入は大きいものです。それが一気になくなったので今後どうしていけばいいかなという感じです。今も何とかかんとか考えて、ボランティアの方とかと一緒に頑張っています。
 今回の災害が起きて、私もここまで大きいものが来るとは思わなかったです。周りの方もそうだったと思うんです。いつ災害が起きるかというのは分からない。これが最後ではないので、次また来るかもしれない。そうした可能性が高いので、常日頃大なり小なり何か起きるんだよということを、各自が心構えを持って過ごしていってくれればいいなと思います。
 地域とか施設に合った避難訓練とかは大事だと思う。ただの訓練だとは思わないで真剣にやるのが大事です。私自身、反省も含めてやらなきゃなと思いました。災害が起きる前に地域の隣の家との交流、挨拶程度でもいいんですが、そういったつながりを持っているといざとなった時に、助け合いというのが迅速に行われます。
 私の家の近くにも足の不自由な方とかいまして、その人と交流があったもので、すぐ行って「大丈夫ですか?何が必要ですか?」と声を掛け合ったりしたのです。そういうつながりは常日頃持った方がいいと思います。
 今回の震災で、岩手県の沿岸の福祉施設はほとんど何かかにかで被災はしてます。協力するにもこっちも大変だし向こうも大変だしどうしようかな、と悩んでいたんです。
 盛岡市の障がい者110番の相談員に連絡が取れました。沿岸部にある三陸鉄道を使って皆さん作業所に通っているんです。その三陸鉄道が無くなってしまった。通う手段がその一つしかなかったもので、これからどうやってみんなと働いていこうという悩みを相談しました。その方から愛知県の社会福祉法人の方に連絡を取って頂いて、車を貸してくれることになった。連絡してもらってから、すぐ車を置いていってもらった。それで私達は今もその車をお借りして仕事とかをしているんです。その車を置いていっただけじゃなくて、また何度か足を運んで頂いた。次どんな支援をというふうに考えてくれて、愛知県の方から今度は北海道当別町の施設の方とも関係を持つことができた。さらには富山県の方、そして全国的にネットワークが広がって、支援して頂いているです。施設間同士、何かあった時でも大丈夫だよというつながりを持っていければいいんじゃないかなと思います。
 私達が、今回こういう状況ですけども、またないことを望みますけども、何か西の方で被害があった場合は、私達がそっちに行けるような体制を作って、すぐに行けるとかといったような、常日頃からそういった施設間のつながり、情報の交換とかをやっていくのは大事だなと感じました。
 ぜひ皆さんもそういったふうにやっていって頂ければと思いました。

【司会者】 ご助言ありがとうございました。それでは二人の方から発言の申し出がありましたのでその方にご発言を頂きます。よろしくお願いします。

【話題提供者】 私は福島県郡山市に住んでいます。郡山市で9月の末に台風で大雨が降って床上浸水がありました。下宿が床上浸水になって私も一時期避難することにしました。それで避難している間に怖い思いをした。その水害があった当日なんですが、私と一緒に住んでいる高校生が普段はそんなに交流を持ったりはしないんですけど、その時は私の部屋にすぐ助けに来てくれて、私の部屋の畳を上げてくれました。それで私は怖くて怖くてただうろうろしているだけで何にも出来なかったんです。大家さんに危ないから下にいる人上に来てと言われて、上に行ってしばらくしたら私達の本人部会であるスタートラインの支援者から、「大丈夫かい?」という電話が来て私は、「大変なことになっちゃった、家が床上浸水になっちゃった」と言ったら、「あらららら」と言われて、それで支援者のところに避難することになりました。
 その前にビッグパレットっていう去年の全国大会でやったところがあるんです。そこに一晩だけ大家さんに連れていってもらって私と友達と避難したんです。一般の人が多くてとても寝れる状態じゃなかった。一晩中私は一人で起きて、次の日にスタートラインの支援者の方と、私の支援をしてくれる相談員さんと2人で来てくれて、一緒に「どうする?」という話をしたら、「じゃあ私のところで避難するところがあるから、そこに一緒に避難しよう」と言われました。
 それでスタートラインの支援者の方と4日間一緒に生活しました。後に、郡山市の施設2カ所に避難して、合計で8日間か9日間くらいは私は避難したんです。地震も怖いけど、水害もとても怖い思いをしました。それで地震で亡くなった人の気持ちが初めてこんなに冷たい、苦しい思いをして亡くなったんだから、自分も亡くなった人の分も一生懸命頑張ろうと思いました。以上です。

【司会者】 ありがとうございました。最後にどうぞお願いします。

【発言者】 ありがとうございます。
 11月5日の全国大会での本人部会の震災に関するところに向けて、全国の皆さんの仲間に役に立つような情報とか、取り組みの例があれば私がこの辺にいますので、終わった後で少し教えて頂ければと思います。先ほどお伺いした話の中ですと、実際に例えば山形の方が被災の仙台の方に行かれた。そうやって実際に被災したところを見てみるというのが一つ大事なことと学ばせて頂きました。また、分かりやすい形での災害にする情報とかそういうものでいい例があれば是非教えて頂きたいと思います。
 先ほどの権利条約の例も紹介させて頂きましたけれども、ピープルファーストの方が入っている内閣府の障害者制度改革推進会議、私たちが中心になって推進会議が出した第一次意見、第二次意見の分かりやすいのも作りました。今は一緒に7月に開催された障害者基本法の分かりやすいものも一緒に作っています。その中には基本法の中で今度は新しく、防災に関するところが入りましたのでそういうものも一緒にやっているんですけれども、そういうわかりやすい情報の伝え方で参考になるものがあれば是非教えて頂きたいと思います。
 終わった後でお声を掛けて頂ければ幸いです。ありがとうございます。

【司会者】 助言者の方と話題提供の方にもう一度盛大な拍手をお願いいたします。
 これで第4分科会を終了いたします。本日は多くの方々にご参加頂き、ありがとうございました。
  
 【引用終わり】

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 地域における連携、施設間連携の重要性が指摘された。それも全国ネットワークの構築である。被災地を支援するには、非被災地からの支援が必要である。こうした強いつながりによって、被災者は「明けない夜はない」と前向きになれる。
 (ケー)



#地震発生から309日目「自分達用の防災マップ必要」

2012年01月13日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から309日目(平成24年1月13日、金曜日)。
 また、大震災発生から309日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、災害ではどんな危険が予想されるか地域を実際歩いて防災マップを作成し、自主防災に努める必要があるとの助言があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その8】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 安全に避難できる自分達専用の防災マップつくり

【司会者】 皆さん、意見質問いっぱい出して頂きましてありがとうございます。
 それでは今まで発表頂いたこと、会場からご発言があったことなどを踏まえて、ご助言を頂きます。よろしくお願いします。

【助言者】 皆さんこんにちは。
 先ほど山形県の方が仙台の荒浜という被災地を訪問した話をしてくれました。私も同行させてもらいました。
 その時の状況をもう一言・二言付け加えさせて頂きます。今まで海岸の風を止めるための防砂林、防潮林がありました。それが今回の津波で全部なくなってしまった。
 名取に行きましたが、そこの小学校が避難所になっていましたが、こちらの方は建物の2階の部分まで水に浸かってしまった。犠牲になられた方も出ました。
 仙台の状況はそんな形でまだまだこれから時間もかかる。僕達の被災地調査では、10年は元の形には戻らないだろうと予想してます。
 阪神淡路大震災では、5~6年の歳月がかかりました。今回はそれ以上もしくは倍以上の年月がかかるのではないかと思っています。
 未だに宮城県内には水もでない場所もあります。信号機もまだ点いていないという場所もあります。そういう細かいのところを一つ一つ拾っていけばきりがないんです。これには皆さんのお力で復興という形の協力をお願い出来ればと思っております。
 山形県には福島から原子力事故により、現在1万3千人避難されています。当初から比べますと一時は減ったんですが、その後、福島、郡山という都市圏から避難された方が多くおられまして今逆に増えている。
 今回の震災は予想以上のもの、それにどういうふうに対処していこうかと私達も日々対処しているところでございます。
 災害は、津波、地震、台風災害、大雨による豪雨水害というのがありますね。皆さん今回地震で色々な怖い思いをしたと思います。水害の場合も怖いです。皆さんの足のひざ以下20センチくらいまでになりますと、歩けなくなります。水のところに色々なものが流れ込んできたり、マンホールであったら上からマンホールが見えませんので、そういうところに落ちてしまったりとか、側溝に落ちてしまう。普段では何気なく感じていないところで災害というものは起こります。そういうのも皆さん承知して頂ければと思っています。

 災害にあったらどうしようか。
 まず自分の身を守ってください。自分の身を守ることが一番の災害に対する安全な方法です。自力で自分の身を守れないという時はお友達、家族、友人などを含めた周りの方からサポートして頂く。これによってケガをするかもしれないが、命を守ることができる。
 今回実際に津波にあわれた方の話です。山の上の少し小高いところに住んでいる方が、まさかこんなところに来ることはないだろうと思っていて、被災されたという例です。反対に、海岸部にいた方はいち早く避難されたんです。
 いつどこでどういう災害が起きても、自分の身を守るにはどうしたらいいかを日頃から考えておくことです。
 自分の身を守るには日頃から皆さんが隣近所の方、町内会という組織の中で「向こう三軒両隣」というつながりを大事にすることです。隣近所の人たちと常日頃から協力して頂ければ、災害の時に手助けになってくれるんです。障がい者の方もそういう皆さんと手をつないで災害に考えて頂ければなと思ってます。
 皆さんが住んでいるお家の中でも災害というのは起こりますよね。地震の場合ですと、タンスが倒れてくる、テレビが飛んでくる、ここにもありますけど上の方からシャンデリアが落ちてくる。こういうものがいつどういうふうな形で落ちてくるかも分かりません。ですから家の中の建物に関しては、注意を払って転倒防止のため、固定をして倒れないようにしておく。これは減災という、要するに災害を少なくしようという取り組みを普段からしておくことです。
 災害があった場合、どこへ逃げようか。その時に自分はどこへ逃げたらいいだろうかを日頃から調べておく。自分の住んでいる町を歩いて、ここが危険、あそこが危険、私達はこういうところで大丈夫だろうかという疑問を持って自分達の防災マップを作る。町の中を歩いて頂くと自ずと場所が分かるんです。
 この中でそういう活動をされた方おりますか?ございますね、北海道の方。これは施設の方にもお願いしたいんですが、そのもの自体ではなくて施設の周り、建物の中、これを日頃から注意して「では皆さんでどうしたらいいだろうか」ということを話し合って頂けると、これが自主防災という形でつながっていくんです。そしていざ災害になった時に、それが役立つのではないだろうかと思っております。
 司会者の方は、どうですか?そういうことをお考えなさってますか?

【司会者】 防災してないですけど、交通事故に遭わないように、ここが危ないよというマップは作りましたけども、このような大規模な災害とかはまだ作っておりません。これから作りたいと思います。

【助言者】 育成会の関係の方々にそういうことを考えて頂く。日頃から障害をお持ちのご本人の方々にそういう認識をして頂ければ、実際被害にあった時に自分達が動ける。周りの人が手を差し伸べるのではなく自分達がまず動けるということが出来るのではないかなと思ってます。
 皆さんがそれぞれ毎日毎日そういうことも頭に入れてやって頂ければいいと思います。
  
 【引用終わり】

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 災害に際しては、自らを自らで守ることが重要である。それには、常日ごろの備えが必要だ。地域のつながりを大事にする。地域にあった防災マップをつくる。自主防災活動が機能するようにする。
 こうしたことがなされていれば、いざとなっても「明けない夜はない」と行動できる。
 (ケー)


#地震発生から308日目「被災地に立ってみてがく然」

2012年01月12日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から308日目(平成24年1月12日、木曜日)。
 また、大震災発生から308日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、災害に備えた勉強会をどのようにするか真剣な話し合いが続いた。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その7】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 被災地の復興に要する時間そして大震災に対する記憶の風化の問題

【司会者】ありがとうございました。次の方、お待たせしました。

【発言者】 レインボー青森八戸支部会長をしております。福島の方にちょっと質問があるんですけど、災害に備えた本人活動ということで、災害に対しての勉強会というのはやっているんでしょうか?それを知りたいのでよろしくお願いします。以上です。

【話題提供者】 災害についての勉強会はうちの方では全然やっていないです。申し訳ないです。

【司会者】 他の方どうですか?

【発言者】 私達は3.11のあと、4月になって、本人活動のメンバーとその知り合いの方に来てもらって放射能の勉強はしたんですけど、私達には難しくて全然分かりませんでした。以上です。

【司会者】 ありがとうございました。他の県の方は?

【発言者】 山形県からきました。山形県では委員会を作って勉強をしたんですけども誰かこの前宮城県に行ったお話を紹介して頂けませんか?

【発言者】 山形から来ました。仙台市荒浜に行ってきました。津波によって、家の1階が何も無くなってたり、畑みたいなところに船があったりとかしてちょっとめちゃくちゃになっていました。以上です。

【司会者】 ありがとうございます。もう一人の方お願いします。

【発言者】 山形県鶴岡市から来ました。7月28日に「本人たちによる防災会議」で被災地の方を訪問してきました。それをみて、いかに怖い大きな地震だったのかを思い知らされました。
 宮城県に行き地震と津波によって電線は切れて、電信柱も根っこから折れ、ガードレールや車、家や港にあるはずの船までも押し流されていました。電気も切れて何も情報がなくどれだけ不安だったのかすごく分かりました。テレビで報道されていたんですけど、実際に見た方が無残でひどい感じがしました。改めて避難出来る場所とか避難ルートをどうすればいいのかとかを考えさせられました。
 私達山形の方はあまり被害はなかったんです。現場に実際行ってみて逆に勉強になりました。ありがとうございました。

【司会者】 ありがとうございました。

【発言者】 山形県から来ました。去る7月28日の木曜日に宮城県方面の被災地に視察に行きました。宮城県の名取市から仙台市若林区の方までバスで被災地の方に行ったんです。道路が隆起していたり、津波で家が流されて跡形もなくなっていました。それを見て衝撃的な出来事だったと思いました。
 私が一番恐れているのは、東日本大震災が年月の経過と共に風化されてしまうということです。大体3年くらいで復興は進められているのか。
 そうなると、風化されることを非常に恐れています。どうでしょうか?
 要約しますと、復興までどのくらいかかるのか。風化されたら困るからそれを防ぐにはどういう対策をとるかということ。その2点についてお聞きしたいんです。

【司会者】 じゃあお願いします。

【発言者】 私が知る範囲では復興にはどのくらいかかるかというのは、テレビでも報道はされているんですが、目途が立たない地域とかもいっぱいあります。そこは市とか県の方に完全に任せるしかないような状態です。
 風化とかについても、住民とかも、移動とかなんだかんだで戻るという決意の人はいても、どのくらいという目途も立たないような状態です。
 テレビ報道されている限りでも把握出来ていない状況です。
 
 【引用終わり】

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 東日本大震災の発生から10か月。被災地も厳冬の中復興の槌音が少しずつ聞こえてくる。まだまだの所が多く残っているとはいえ、一歩ずつだが前進している。「明けない夜はない」と実感できるところまできている地域が多いはずだ。冬が過ぎれば春がくる。
 (ケー)


  

#地震発生から307日目「一人暮らしの障がい者が災害に遭遇したら」

2012年01月11日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から307日目(平成24年1月11日、水曜日)。
 また、大震災発生から307日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、緊急時安否確認には携帯電話をもっと活用できるようにしてもらいたいといった要望が出された。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その6】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 緊急時の安否確認ができる体制づくりが必要

【司会者】ありがとうございました。
 先ほど電気さえあればなんとかなるとありました。ライフラインの電気、水道、ガス、燃料、食料といろんなことが欠けました。
 山形県でも停電とかありました。
 そんな中で、こんなことやっていたおかげで、助かったということがあればおっしゃっていただくと助かりますけども。

【発言者】 山形県から来ました。
 3.11の時は私達はちょうど仕事を休んで1日山形でショッピングをしていました。その帰りに車の中で、縦揺れ、横揺れがありました。それが私達にとって一番恐かった。
 ただ、不思議なことに私達の住む米沢は他のところと違って停電がなかった。ガスとか水道も使えました。以上です。

【司会者】 何かその他何でも結構ですけども。

【発言者】 北海道から来ました。本人活動の支援をさせて頂いております。
 お聞きしたいのは、被災した時に携帯電話は通じたのかどうかです。支援の方も含めていかがでしたか?携帯電話が通じたのかどうか。

【話題提供者】 お答えします。安否情報がメールでいつでも出来ると思います。その場合、他のところも無事ですという情報を発信することも大切です。以上です。

【発言者】 私の場合は携帯がauだったのでその時偶然auを持っていた職場の人には少し通じました。
 みんなその人の携帯を借りて家の人に連絡しました。
 他の種類が違う携帯だと、連絡して安否を確認しようとしても電波が通じなかった。色々その場で混乱が一部はありました。二日目になって自分の携帯でも無理やり連絡をとったのですけど、やっぱり他のショップの方とかの電波がどうしても悪いみたいでした。なかなか復旧はしませんでした。私の地域では。
 私達の地域は電気がストップしているので、自宅の固定電話も使えない状態でみんな携帯を頼りになんとか連絡を取り合っていたようでした。

【発言者】 私が持っている携帯は3月11日と12日は電波が届きませんでした。
 でも13日辺りからみんなと連絡が取り合えるようになったので安心しました。以上です。

【発言者】 ありがとうございます。一番最初に被害があった時にみんながどこにいるのか、何をしているのかということをまず把握するというのが私達はすごく大事だと思っているんです。その中で一番大事なのは、携帯電話だと思っているんです。通所の事業所の職員をしているんですが7割くらいの方が一人暮らしをしている方がいます。平日は通ってくるからだいたい行動が分かるんですけど、土日はみんなバラバラに色んなところに出かけます。何か起きた時、どこにいるのか、今どういうふうな状態というのが把握出来ないんです。
 緊急の場合、一番把握出来るのは携帯電話です。
 お話聞いていると、二日間くらい携帯がつながらないという状況です。その時に本当に無事なのかどうかというのをどうやって確認していけばいいんだろう。
 どうしていいか分からないという状態になった時に、こうした方がいいよということを情報を早く伝えるということが大事です。
 東京でも今回の震災で電車が止まったり、バスが止まったりして帰宅困難者という家に帰れない人がたくさん出ています。通所の事業所に通っている仲間の人達にも帰宅困難になった人がたくさんいるんです。
 そういう時にどうしたらいいか。携帯電話でどうしたらいいですか?ということを誰かにいつでも聞けるような状態を作っていく。
 そのためにも携帯電話の会社の人達に、そういう災害時にも必ず繋がるような対策を取ってほしいなとすごく思います。
 あとはみなさんも出来れば携帯電話を持っていた方がいいと思います。持っていない方も色んなところに出かけると、携帯持ってないんだと言う人がいますけど、施設の関係者とか事業所の方々の仲間達に携帯電話を持ってもらう。それが災害に備えたということに少し近づいていくんじゃないかと思っています。以上です。ありがとうございます。

【司会者】 ありがとうございます。その他ありませんか?

【発言者】 3月11日は、私の娘の養護学校の卒業式だったんです。
 鶴岡でも電話が全然通じなかった。通じなかったというか、混んでて通じなかったんです。酒田は停電になっていまして固定電話が使えなかった。頼りはコンビニの公衆電話です。災害時優先電話とかがあるんです。でも、使えなかった。今の電話は電気がないと使えない。昔の電気だと停電があっても電話が使えたんですけど今はそうでなくなったみたいです。

【司会者】 その他ありませんか?

【発言者】 宮城県から来ました。今、店と家では節電しているところが多いじゃないですか。ちょっと節電するのが大変なんですけれど、節電する方法は、どうすればいいんでしょうか?

【話題提供者】 お答えいたします。僕の場合は昼飯の時は、テレビとか見なかったりします。使っていないものは全部消して台所で1カ所に集中し、そこで電気を使っています。家から出ていく時も節電には心がけています。使っていない電気を消したりします。一つでもやっていくことで、節電という意識につながっていきます。僕はそう思います。

【発言者】 分かりました。どうもありがとうございます。
 皆様に気を付けてもらいたいことがあります。電気は使いぱなっしには気を付けましょう。コンセントは使わない時抜くことが大事ですね。寝る前に電気をこまめに消すことが大事です。皆様も参考にして下さい。以上です。
  
 【引用終わり】

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 災害に備えた安否確認、節電対策をしっかりしておくことが、災後における私たちの役割である。そうすれば「明けない夜はない」とどんなときでも立ち上がれる。
 (ケー)

#地震発生から306日目「大雨洪水警報は大雨で危険ですと表現」

2012年01月10日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から306日目(平成24年1月10日、火曜日)。
 また、大震災発生から306日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、非常時にわかりやすい表現で危険性が直接伝達できる工夫をしているとの報告があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その5】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 福島県は農作物で生きてきた、お力添えを

【司会者】 ありがとうございました。はい、前の方。

【発言者】 福島県から来ました。
 皆様に放射能について心配かけたこと、福島県人としてすまなく思っております。突発的な出来事でした。
 福島県は農作物によって生きてきました。皆様のお力をお借りすることで福島県が立ち直り、そうすれば全国の皆さんも立ち直るのではないかと私達も考えております。福島県のこうした事情をお察し下さいまして、お力添えを下さることをお願い申し上げます。どうも失礼しました。

【司会者】 ありがとうございました。他にいらっしゃいませんか?

【発言者】 青森から来ました。弟は仙台の青葉区にいます。マンションに住んでいます。ガスと水が出なくなってずっとお風呂にも入れなかった。その間、お嫁さんの家に行って、お風呂をお借りしました。今はお風呂も水もガスも出るので、少し安心しています。家に電話をよこして青森は地震どうだった?とか、ガス出たの?とか水は?とかストーブは?とか電気はどうなってるの?とか聞いてきます。弟の友達もわざわざ青森の家によってくれました。なにごともなかった様子を見て安心出来たと言っていました。以上です。

【司会者】 ありがとうございました。

【発言者】 青森県のレインボー青森の役員をしています。宮城県に質問ですけれど、今でも地震の方は続いてるんですか?

【発言者】 今でも余震の方はかなり何回も来ています。

【発言者】 分かりました。ありがとうございます。

【発言者】 私は全日本手をつなぐ育成会国際活動委員会で特別委員しています。私自身の出身は青森県の八戸市で、今は神奈川県の横浜に住んでいます。
 先ほど今回の被害総額がいくらかというご質問がありました。手近のアイフォンで調べましたら大体20兆円くらいという数字が出てきました。ただこれは福島第一原発の放射能関係の数字は入っていない数字だと思います。放射能を取り除くということにはもっともっとお金がかかるかも知れません。
 20兆円というとなかなか数が大きくてどれくらいか掴みづらい。国の予算がだいたい90兆円くらいなので、日本の国の予算の4分の1です。お金にするとたくさんのものが失われたということをご参考までに申し上げたいと思います。
 2つ目は国際活動委員会についてです。分かりやすい障害者の権利条約というのを3年前くらいに作らせて頂きました。多分お持ちの方もいらっしゃるかも知れません。障害者の権利条約を全体として分かりやすくしたものです。その中に第11条が危険から守られるということです。日本の国の責任として、地震や津波、台風などの災害があった時安全を守ります。例えば大雨洪水警報とか避難勧告とかの言い方だとなかなか伝わりづらいので、大雨で危険です、避難所に逃げなさいというイラストを含めて示してあります。
 この危険から守られるという説明だけではなくて、みなさんに実際に考えてもらうようになっています。あなたが住んでいるところの避難所はどこか知っていますか?はいですか、いいえですか?いいえの人はすぐに調べてみましょうというふうに書きました。また、地震や台風の時に備えて何か準備をしていることがあれば教えてください。そして皆さんにそれぞれ書いてもらうという取り組みをしています。
 地震とか災害に関するところは1ページだけでとても短くなっています。皆さんが障害者の権利条約について勉強する機会があったら、この第11条のところも特に注意して勉強してほしいと思いました。
 今日の話題提供の方から本当に大事なお話をしていただいてとても勉強になっています。
 質問ですけれども、特に実際に被災された方は、災害に備えて以前にどういう準備をしていて今回役に立ったのか、前から準備をしていて役に立ったことがあれば教えてほしいと思います。
 11月5日に全国大会が東京であります。その時に本人部会で、震災のことについて私は助言者を頼まれています。今日皆さんから教えて頂いたことを全国大会の方にも参考にさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

【司会者】 はい、じゃあお願いします。

【発言者】 何かあって避難する時に、うちの人は水とか色々ものをカバンとかに入れて、逃げやすいように前々から心がけていました。
 震災では、水、マスクを準備しておけば万が一の時役に立ちます。以上です。

【発言者】 私個人は何も実施していませんでした。2階の方が無事だったので、2階にあった懐中電灯と、電池も使えるやつがあって、灯りくらいはなんとか不自由なく出来ただけです。その他に関してははっきり言って準備も何もしていない状態でした。偶然にもちょうどまとめ買いしていた飲み物があって、地震とか津波とかかぶってあちこちに放り投げられていた状態でしたけど、1回も開封していない状態だったので、それらを持ってとりあえずはなんとか飲み水とかは困らずに過ごせました。

【発言者】 私が住んでいるところは原発も何もなかった。私が住んでいるのは福島県郡山市です。郡山市に富岡とか浪江の人達が来ています。私は何も用意していなかった。今お金があまりないのですが、今度お金がいっぱい入ったら懐中電灯は100円ショップで買っておこうかなと思います。
 
 【引用終わり】

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 みんなに危険性が伝わる工夫を社会全体で認識する必要がある。そんな工夫がなされることにより、「明けない夜はない」となり得る。
 (ケー)

#地震発生から305日目「札幌の仲間達とカンパ活動」

2012年01月09日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から305日目(平成24年1月9日、月曜日)。
 また、大震災発生から305日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、非常時に知的障がいのある人にもわかりやすい情報提供を行ってほしいとの要望があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その4】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 津波で流されたのでないかと心配で自分の車探し回った

【司会者】 ありがとうございました。以上で6名の方、話題提供が終わりました。次に協議です。
 それではただ今6名の方に話題を提供して頂きましたけども、それに関する質問とか、ご意見とかございませんか?

【発言者】 北海道札幌から来ました。今日会場でA4の紙を配らせて頂きました。ピープルファースト北海道の運動を仲間とともにやっています。東日本大震災を受けたあと、3月17日に札幌市内でカンパ活動をしました。私達は自分達がどんなことをしたらいいだろうかと、なかなか思い浮かばなくて、札幌の仲間達とカンパ活動をすることにしました。
 私達には分かりやすい情報が必要ではないかと思います。震災を受けた時には難しい言葉や、分からない言葉でいっぱいでした。今日発表した仲間達からも情報という言葉が文書で書かれています。自分達には、分かりやすい情報が大切ではないかなと思っています。
 困った時にはお互い様ということで、自分達も活動をしていきたいと思ってます。福祉避難所のことも含めてこれからどうしたらいいのだろうか話し合っていきたいと思っています。以上です。

【司会者】 ありがとうございます。北海道の活動について発表いただきました。その他ご意見・質問おありの方は?

【発言者】 山形県の鶴岡市から来ました。3月11日に起きた大震災ではどのくらいの被害総額があったか教えてください。

【司会者】 すみません、被害総額を私は把握しておりません。どなたかご存知の方いらっしゃいますか?お答え出来る方もいないようですのですみません。

【発言者】 八戸市から来ました。地震というのは縦揺れとか横揺れがあります。作業中に物が倒れてきて地震は怖かったです。海辺はほとんど全滅でした。3月11日は震度6。
 問題をひとりで抱えないでみんなで頑張っていけばいいんじゃないかなと思います。皆様はどうでしょうか。以上です。

【司会者】 ありがとうございました。その他。

【発言者】 レインボー青森八戸支部の会長をしてます。
 僕は岩手県の二戸市金田一という造園屋で働いています。3月11日は仕事が冬期休業中でした。僕は趣味のピアノレッスン中に地震にあいました。揺れが収まってから帰ろうとしました。でも、信号も止まっているしバスも全然動かない。親に電話したら迎えに行くということで、迎えに来てもらって家に帰りました。よく皆さん八戸の方は大丈夫ですかと聞きます。僕は八戸からちょっと手前の南部町の剣吉というところに住んでいます。そこは津波の影響もなかった。停電になりましたが、かろうじてガス、水道は使えました。
 僕は中学校3年生の時に三陸はるか沖地震を経験しました。今回の地震は中学校3年生の時にあった地震に比べても怖かった。母親の車はテレビを見ることができた。福島の状態も十分把握していました。原発大丈夫かなとか、津波でやられたというのも夜通し見ていて心配でした。
 うちの両親は、岩手県の野田村に5月の連休に行ってきました。両親の話では、野田村の道の駅は大丈夫だったと言っていました。野田の道の駅からそっち側がもう全滅だったと聞きました。岩手県では、避難の時に一番困ったことはなんですか?

【話題提供者】 お答えします。家に戻ったのは3月12日夕方6時頃です。その時は、家は大丈夫でしたが、電気もガスも水道も全部止まっていました。学校の避難所に一泊だけしました。自分の車を探しに駅に行ったのですが、町には金沢とか滋賀県警の車が来ていて、ちょっと近づけなくなっていました。町中が全部水に浸かり結構やられた状態でした。山の方から歩いて、うるさいサイレンを聞きながら、自分の車を駅の方でなんとか見つけました。電気が点いたのは3月13日の日曜日夕方頃でした。

【司会者】 ありがとうございました。それでは他に質問。

【発言者】 岩手県から来ました。津波で水かぶってないところだったら電気すぐ点きました。僕達のところも電気は一日ちょっとで点きました。水道も2日で出ました。田野畑辺りでは水道は何日くらいで出ましたか?それが知りたかったです。お願いします。支援者の方でもいいです。以上です。

【発言者】 田野畑村にある施設は、沿岸部といっても海沿いから300mの高さにある丘の方だったので、水道は遮断されていなくて3月11日も普通に水は出ていました。
 ただ下の海沿いの方に行くと全く水道は使えませんでした。1カ月水道は使えなかったので支援物資で水を頂いていたと聞いています。現在水道は通っていますが、飲める状態ではない。塩素とかがきつい感じがすると地元の方が言っていました。今は水道水を飲むものではなくて、お風呂とか食器を洗うのに使って、飲料水は購入している方もいるそうです。

【発言者】 山の方は思ったより早かったですか?高いところだと何日で戻ったんですか?

【発言者】 山の方の水道は、震災が起きてからも使うことができました。

【発言者】 分かりました。電気さえあれば何でも出来るということです。それから私これまでに震災のボランティアとして県内だけでも10何回行ってきました。その様子を本にして綴っていこうかなと思っています。
 特に岩手県内のみなさんに読んでもらいたい。以上です。
  
 【引用終わり】

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 知的障がいのある人にとって、非常時に正確でわかりやすい情報を得られるシステムを求めている。必要最小限のことが、誰にでも伝達できるようにしておくことによって、多くの命が救われる。それには、常日ごろからの備えや訓練が大切となる。
 いざという時「明けない夜はない」とするためにも。
 (ケー)


#地震発生から304日目「夏でも長そで長ズボンマスクの生活」

2012年01月08日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から304日目(平成24年1月8日、日曜日)。
 また、大震災発生から304日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、福島県では放射能汚染により生活に支障をきたしている状況について報告があった。災害に対する備えを自分達で勉強していこうとがんばっている仲間がいることもわかった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その3】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 私はずっと福島で暮らしたい

【司会者】 ありがとうございました。それでは「ふくしま県のようす」について、スクリーンをご覧頂きながらお話を聞いてください。よろしくお願いします。

【話題提供者】 これから始めます。第4分科会「本人活動と防災学習~被災に備えた本人活動」について。福島県郡山市から来ました。

 1.3.11に起きた出来事

 大きな地震ですごく恐かった。震源地が宮城県だと知って悲しかった。たくさんの人や家が流されてしまいました。多くの大切な命まで亡くなってしまいました。私は学校時代仙台市の養護学校に寮から通っていたので、友達や先生がたくさんいたのでとても心配になりました。
 この写真は地震直後の写真です。支援者の職場ですが書類が散らばっています。ここからの写真は私たちのメンバーが撮影したものです。これはいわき市の海水浴場の駐車場です。地震でひび割れています。また、津波で木が倒されています。
 次に海の近くの写真です。家の中の物が波に流されて無くなっています。津波で流されてきた物が色々なところに散らばっています。消防署もめちゃくちゃです。コンクリートの建物も柱だけになりました。工場もめちゃくちゃです。家が無くなったのにお風呂場だけが残っていました。

 2.困ったこと

 お風呂場が壊れてしまい、お風呂に入れなかった。震災のあといっぺんにお客様が来て、お店に物がなくなった。放射能があって心配だから、10日間くらい仕事に行くことが出来ませんでした。

 3.福島原発と放射能

 私達の住んでいる福島県には原子力発電所があります。3月12日には発電所が爆発してしまいました。爆発が起こったことで放射能が出てしまいました。

 4.避難している友達

 今も避難している友達がいます。福島県外に避難している友達もいます。避難している友達の中には仮設住宅で生活し、避難所で生活している人がいます。悲しくても辛くても前に進もうと一生懸命だと思います。群馬県ののぞみの園に避難している友達の写真です。去年全国大会で一緒に頑張った仲間達です。

 5.風評被害

 福島県は風評被害で悲しい思いをしている人達がたくさんいます。お米、魚、お肉、野菜、果物などが対象になっています。福島県産のものを毎日でなくても、週に1、2回食べてください。

 6.今のふくしま県

 今の福島県は少しずつですが復興しています。原子力発電所の近くの人達は今も別な場所で避難生活をしています。放射能問題があることで、夏でも、長そで長ズボンにマスクで生活している人がいます。小学生は学校でプールに入ることが出来ません。
 原子力発電所の近くから郡山や二本松に避難している人達です。避難する前の仲間と一緒に作業所に通っている人もいるし、郡山の作業所を利用している人もいます。皆明るく元気で前向きに頑張っています。

 7.福島県の将来

 今も福島は放射能で苦しんでいます。近い将来必ず復興します。負けないぞ福島。避難している人達は生まれ育った家に帰れると思います。

 8.みんなに伝えたいこと

 福島県も山があり海もありおいしい果物がたくさんあります。皆さん是非遊びに来てください。私はずっと福島で暮らしたいです。だから皆さん福島県に力を貸してください。お願いします。
 最後にもしも、二度と起きては欲しくはないけれど、またこんなことがあったらあなたはどうしますか?
 以上で発表を終わります。ありがとうございました。

【司会者】 ありがとうございました。昨年福島県郡山市で全国手をつなぐ育成会の大会がありました。私も参加しました。大変いいところだなと思いました。全国大会になった会場がテレビに映っていて、避難所になっているので、非常に驚きました。
 大変な状況で地震、津波に加えて原発の放射能の被害がありました。原町共生授産園の全員が鴨川青年の家に避難されたということも聞いております。
 それでは最後に「東日本大震災はこわかった」について、山形県の方にお願いします。

【話題提供者】 「東日本大震災はこわかった」。山形県米沢市から来ました。
 3月11日、大震災が起きた時私は、老人ホームで実習中でした。いつまでもいつまでも長く揺れて怖くて動けませんでした。でも職員の方がすぐに駆けつけてくれて、安心しました。あれから7カ月が経ちました。自分達も災害にあったらどうしたらよいか心配です。自分達で被災地の人達から話を聞いたり、仲間と集まって話し合いをしなければと思います。そこで、次のことを勉強しようと思います。
 1.災害にはどんなものがあるか
 2.災害が起きるとどんな困ったことが起きるか
 3.日頃から準備しておくことは何か
 4.困った時どうしたらよいか
 5.話し合った内容をまとめて、私達のためのハンドブックを作ります
 以上です。
  
 【引用終わり】

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 東京電力福島第一原子力発電所事故で、福島の人びとは多くの困難に直面している。それでも、ずっと福島県に住み続けたいと思っている人が大半だ。緊急避難区域の人たちだって、いつか帰ることができると信じている。なんとでもそうしなければならない。困難を跳ね返す。今できることをみんなで協力してゆく。解決の道は見つかる。時間をかけても見つけてゆく。今はまさに暗いトンネルの中だ。でも、前に進めばいずれ「明けない夜はない」。暗いトンネルをぬけることができる。
 (ケー)


#地震発生から303日目「父の消息4日目にわかった」

2012年01月07日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から303日目(平成24年1月7日、土曜日)。
 また、大震災発生から303日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、昭和57年の日本海中部地震の時の思い出、父の安否確認に4日間も要したことなど話題提供があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その2】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 自分の住んでいる地域は知らないことばかり

【司会者】 ありがとうございました。津波が来て非常に大変だった報告でした。それでは次の方お願いします。

【話題提供者】 秋田県から参りました。「災害に対する準備をしましょう」の題で話をします。
 今年3月11日14時46分、想像を絶する東日本大震災が起きました。
 秋田県男鹿市でも約2日間停電になりました。その後、岩手・宮城・福島のことを報道で知りました。毎日のテレビ・ニュースで色んなことがわかるようになりびっくりしました。被害にあった皆さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 地震で思い出すのは昭和57年、日本海中部地震の時のことです。僕は入所施設におり、自転車店で実習の最中でした。すごい揺れ、破損したことが今でも思い出されます。
 僕は昭和55年に入所施設に入り、平成元年グループホームに移行しました。自動車運転免許も取得、就職も決まり絶好調でした。その後、会社を解雇、仕事を転々としました。不摂生がたたり糖尿病で入退院を繰り返し、平成18年に再度施設へ入所。3年後の平成21年には再度グループホームに移行し、日中は通所施設を利用しています。
 今年は、大震災、余震、原発の問題、大雨での土砂崩れなどが今でも続いている状態です。これから、僕らは、災害などに対しての心構え、準備をしなければならないと思います。普段からの訓練、火事に関しては火元の確認をしていくことを、改めて感じております。
 もう二度とこのような大震災が起こらないことを願っている一人です。また、本人活動を通じて、県内の仲間、東北の仲間と連絡などを取り合って情報を共有し、絆を深めて皆で元気な東北にしましょう。終わります。

【司会者】 ありがとうございました。それでは次に「3.11東日本大震災を経験して」ということで、宮城県の方お願いします。

【話題提供者】 3.11東日本大震災を経験して。
 私はその時宮城県の塩釜市にある「マルブン」という揚げかまの工場で働いていました。そこでは、年に1回~2回くらい火災の避難訓練をしていました。小学校、中学校、高校の時はよく地震訓練はしていましたが、会社ではそういった地震の練習や訓練などはしていませんでした。
 2月にも地震がありましたが、会社が休みでした。今回の3.11では働いていた人達も多く、どういうふうにして避難したらいいのかわからず、もうみんな適当に逃げていた状況でした。
 私が働いていた建物は、全壊という判断で何もできない状況でした。荷物もろくにとれない状態でとにかく身一つで逃げろと言われました。その時は外で無線で避難命令が出されていたので、荷物とかも全部置いて避難しました。
 2日目になって避難解除となりました。避難所にいた人達は荷物を取りに一度会社に行ったり、近くのアパートを借りていた人も荷物を取りに行ったりしました。私の会社は扉も変形していて中に入れず、窓を外してそこから侵入して荷物をとりました。
 携帯の電源を入れっぱなしだったので、母からのメッセージが入っていて、私が避難していたことを知って親も安心していました。父も仕事だったので、繰り返し連絡しても通じませんでした。
 4日目になってようやく父との連絡も取れました。家は浸水して、家にはずっといられない状態だったので、猫も連れて叔母さんの家に皆で避難しました。
 1カ月経ってから家の片づけとか大体終わったので、自宅に戻り仕事にも復帰できました。今では普通に生活しています。今回の震災では避難することになりましたが、初めての経験の割には落ち着いて避難出来ました。
 ですが自分の住んでいる地域に関しては、知らないことばかりでした。今後、自分の住んでいる地域のことを知ることが一番大事だなと理解出来ました。
 震災後選挙が行われました。選挙では地震を知らせるための無線設備が必要になんだなと言っていました。これで終わります。
  
 【引用終わり】

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 自分達が住んでいる地域のことを全然知らなかった。災害に備えて十分な訓練もしていなかった。ふだんから県内の仲間、東北の仲間と情報を共有し合う必要がある。
 「明けない夜はない」と非常時にも直ちに立ち上がることができるようにしなければ。
 (ケー)


#地震発生から302日目「僕の知っている野田村がなくなった」

2012年01月06日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から302日目(平成24年1月6日、金曜日)。
 また、大震災発生から302日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「本人大会=第4分科会」(平成23年10月16日)を開催。知的障がい者本人たちによる協議を実施した。
 そこで、知的障がい者本人たちによる震災相談会の開催、津波被害で水産加工の仕事がなくなったといった話題提供があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
本人大会=第4分科会(平成23年10月16日) 【その1】 「本人活動と防災学習」(災害に備えた本人活動)
協議

 本人による本人のための震災相談会開催

【話題提供者】 レインボー青森の会長をしています。よろしくお願いします。
 始めに、去る3月11日に発生しました東日本大震災により被害にあわれた方々に心よりお見舞いを申し上げます。
 さて私が所属していますレインボー青森のことを紹介します。レインボー青森が発足したきっかけは平成14年に青森で育成会の全国大会が開かれたことでした。それまで青森に本人の会は全くありませんでした。全国大会の本人分科会の準備に何人か参加しているうちに、大会終了後このまま解散しないで本人の会を作りたいという声が上がり、県の育成会の協力で発足することが出来ました。最初は全然会員が集まらず、何回も集まる機会を作り、周りに参加を呼び掛けていくうちに徐々に会員が増えてきました。今では、会員数が60名になりました。レインボー青森は、青森・八戸・弘前の3支部があります。主な事業は、県総会・3支部合同レクリエーション・勉強会などです。又、各支部でもそれぞれ支部総会・レクリエーション・勉強会・新年会などを行っています。今年度の合同レクリエーションは、八戸支部が担当し、八戸でパークゴルフを計画しています。私達の会費は二千円です。この会費は主に役員会の旅費・研修会費・支部への助成費・通信費に使われています。
 3月11日に東日本大震災がありました。その時、私は作業所におりました。
 青森市内は、停電になり、ストーブが消えとても寒かったです。翌日電気がついて、テレビで映った八戸市内や岩手県・宮城県・福島県の映像を見てびっくりしてしまいました。今までは、自立支援法のことや、権利のことなど色々勉強をしてきましたが、災害のことについての勉強会は一度もしたことがありません。役員会で話をしたら「災害の時に、必要な情報が入ってこない」とか「障がい者のための福祉避難所がほしい」など沢山の意見がでました。レインボー青森では、10月30日、本人による本人のための相談会を開く予定にしています。中身は、震災についてです。
 最後に東北六県の本人の会の人たちと一緒に東北をもり上げ、共に頑張りましょう。がんばろう東北。

【司会者】 大変分かりやすいお話ありがとうございました。それでは次に岩手県より話題提供お願いします。

【話題提供者】 岩手県から来ました。仕事は田野畑村という所でしています。自宅は野田村にあります。
 僕はいつも通り作業所に出勤し、通常は午後3時くらいまで水産加工の仕事をしているのですが、その日は仕事が早く終わり、午後はパン工房で仕事をしました。作業を終えようとした時、スタッフの緊急地震速報のサイレンを聞き、その瞬間大きな地震にあいました。停電となりテレビやインターネット、携帯電話、固定電話は遮断されラジオからだけ情報を得る状態でした。10mを超える津波が岩手県沿岸全域を襲い、仕事場のある田野畑村や僕が住む野田村もすさまじい状態になっていることだけを知りました。
 三陸鉄道も国道も利用出来ないため、その日は作業所に泊まりました。突然の出来事で何がどうなっているのか分かりません。田野畑村の沿岸地域に住む方が作業所に避難し、ずぶ濡れになりながら、「津波で家が流れされた」と一言つぶやき、初めて置かれている状態の深刻さを実感しました。
 翌朝、スタッフの方と県道や農道を車で走り久慈方面へ行きました。野田村は被害が深刻で立ち入ることが出来ず、うな垂れながら作業所へ戻ってきました。しかし、夕方に別のルートでスタッフの方が野田村へ連れて行ってくれました。その時見た光景は僕の知っている野田村ではありませんでした。とたんに僕の家族と家は大丈夫なのか不安になりました。でも奇跡的に無事でした。両親は僕が津波に流されたものだとあきらめていたと言っていました。
 無事帰宅しましたがガス、水道、電気が使えないため、一時避難所で過ごしました。2~3週間くらい自宅待機となり、「仕事はいつ始まるのか」と不安でした。暇だったので村中を見ていたら、大好きな三陸鉄道のレールが消えていました。
 4月から作業所が再開し、みんなと会えました。水産加工場が浸水したため、工場のがれき撤去をしました。現在は水産加工の仕事はありません。パン工房で頑張っています。手先の器用さと繊細さを必要とします。今は見習いですが、一番上のレベルを目指して日々努力したいと思います。以上です。
   
 【引用終わり】

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 障がい者本人たちも東日本大震災によって相当の被害を受けた。今までやっていた仕事もできない状況にある。しかし、新たな仕事に挑戦している。そうしたことを聞くと「明けない夜はない」と思わずにはいられない。
 (ケー)


#地震発生から301日目「原発事故で福島県から9万人避難」

2012年01月05日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から301日目(平成24年1月5日、木曜日)。
 また、大震災発生から301日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(平成23年10月16日)において、東京電力福島第一原子力発電所事故の放射能汚染でいろんな影響が出ることが予想されると話が出た。それで、人体はもちろん、自然への悪影響がどのようにあらわれていくか長期間にわたって注意深く調査していく必要があるとの提言があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(平成23年10月16日) 【その15=最終回】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 放射線被害は線量の強さより量が問題

【司会者】 どうぞ一言発言お願いします。

【発言者】 原発事故について少しはお話になったんでしょうか?全然なかった?それでは皆さん、持って帰って考えてほしいことを申し上げます。
 今度の震災で、人間は物を失うとそれと一緒に心を失うんだなということをしみじみ感じました。
 どんな心を失うのかというと、人に対する優しさが失われるのです。障害者を取り巻いている心は、その優しさで支えられております。それが一つはがされ、二つはがされして障害者の周りに優しい心がだんだん無くなっていった。
 ですから本当に優しさを失わない、物がなくなっても心の優しさを失わない。そういうことを日々考えて自ら訓練していくことが災害を乗り切っていく、障害者と一緒に歩いていく力になると思いました。
 そういう心がこの集会の中で育ってくれればいいなと思いまして原発の事故について、福島県の今の状況をお話申し上げます。
 今から3週間ほど前の新聞では、福島県から避難している人が9万人を超しました。十万人も今の段階では超していると思っています。そういう人達がこの原子力の事故に伴って起きた。
 放射能という目に見えないものに対する取り組み、進め方が国も県も全く出来ていません。皆さんで新聞・テレビで目にしたことを整理してみますと、私達は断片的に物事を理解していますから、そのジグソーパズルを組むように、きちっと組み合わせると誰にでも、ああそうだよね、という形で理解が出来るのでお話します。

 宇宙探査機はやぶさは、7年間宇宙を指示された通りに動いて帰ってきましたね。途中2カ月ほど音信不通になって、宇宙を迷子になったんだなと思っていました。しかし、はやぶさは自分の体を自分で直してその目的をちゃんと達成してくれました。その時の科学者の姿勢は、宇宙に出たらこれが起きるだろう、これも起きる、これも起きる。それが、自分の体を自分で直して戻っていくことにつながっていくんです。
 皆さん原子力発電所の事故はどうですか?山形県を流れている最上川の水の3分の1くらい必要ですかね。その水がないと原子力は冷やせない。海水で冷やしたいたのですが、一旦冷やす水が無くなった。皆さんどんな姿を見ましたか?ヘリコプターで水を持っていって、あの原子炉にかけて何とか冷やそうとした。あれしか頭の中には手当がなかったということです。こんな事故が起きたらこう、この事故が起きたらこう、これとこれが起きたらこうというふうにしてやることを原子力安全保安員が一番先頭に立って、俺が言ったとおりに起きたんだからこれやれ、あれやれと、きちっとした行動を私達に見せてくれるはずだったんです。ところがそれが出来てない。
 放射能に汚染されている地域がどういうふうになっているのかも全く分からない。そういうふうな状況で今、福島県は進んでおります。福島県の知事が昨日一昨日、福島県で取れた米は安全圏内の500ベクレル以下でしたと言うんです。じゃあ501ベクレルだったらどうするんですか?食べられないっていうことですか?0.0001ベクレルだったら安心なんですか?
 米が出したベクレルの数字は絶対公表しない。そういうところで子どもを育てることが出来ますか?そういうふうな思いで福島県の人は県外に避難をするということなんです。放射線について、私は科学者ではありませんが皆さんと話をしているのです。
 ガスコンロの上に手を長くかざしたら火傷しますよね。ところがあの熱い炎の上をすーっと手でやっても、やけどはしない。ところがホッカイロを腰に当てて眠ってしまったら、深いところでやけどを起こすんです。放射線というのは線量の強さではなくて量なんです。私の友達のお医者さんに聞きました。人間の体を調べる時に、7万ベクレルの試薬を人間の体内に注入して心臓とか頭とかを検査するそうです。すぐに体外に出る物質に乗せて検査するから7万ベクレルに比べれば500ベクレルなんていうのは150分の1です。
 なぜそういう低いものでも危険だという指定がいるかというと、365日24時間浴び続けるということです。特に米なんかの場合は毎日食べます。体の大きい人と小さい子どもの間では小さい子どもの方が被害が出る。
 福島の梨、黒斑病という小さい黒い点々が出て腐る原因になるんだそうですが、今年は一個も出ない。放射線によって一番影響を受けているのは菌です。山にきのこが出来ているか、放射線に敏感なムラサキツユクサは綺麗な紫色で花を咲かせているか。これは東大の大学院の研究者よりも、長い間大地と付き合ってきた農民の方がはるかに優れて自然の変化については知っているはずです。ですから晩酌飲んでくだ巻いて寝る親父の力も借りて、福島県は全力を挙げてこの放射線に立ち向かって自分達の将来を切り開いていかなければならないという状況です。
 ぜひとも地域に帰って自分の身近なところでどんなことが起きているのか関心を示してください。私のところの山のきのこは今年は全然出ませんでした。ムラサキツユクサはきれいな紫色でした。そういう情報を皆で集めて自分達の将来を開かなくてはならない厳しい状況でございます。コオロギの触角が2つあるか、キリギリスはきれいに羽をすって音を出しているか、ミミズはどういう形になったんだろうか。
 そういうふうなことを皆で考えて福島県の将来を切り開きたいと思っています。
 今福島県がそんな厳しい環境の中で生きています。私のところから原子力発電所までの間には人は住んでいません。私が一番端っこで今生活しています。避難することが許されない地域という意味です。それが将来どうなるのかについて、私自身も分からないんですが、皆さんの心を支えにして福島県は頑張って参ります。
 放射能に対する考え方や原子炉がどうなったかについて皆で考えて頂きたいというお話でございました。ご清聴ありがとうございました。よろしくお願いします。

【司会者】 どうもありがとうございました。
 本当に長時間にわたりご協議ありがとうございました。助言者のお二人からも出ました通り、最終的には地域のつながりです。
 絆という東北六県の地域のつながりを大事にして、進めていって頂ければと思います。こうしたことを持ち帰って頂いて各県毎、地域毎に色んな話し合いをして頂ければありがたいと思います。
 発表者及び助言者の皆さま本当にありがとうございました。
 
 【引用終わり】

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 福島県は放射能汚染という厳しい状況に置かれている。福島の将来のためにはあらゆる可能性に向けた取り組みが必要。住民、東京電力、行政、科学、技術、そして日本国民全体が一致団結、協力体制が必要である。特に、他県の人たちが他人事で済ませてはならない。福島の原発事故が解決しなければ、日本の将来はない。「明けない夜はない」と今できることから課題解決に向けた取り組みをしてゆく。
 (ケー)


#地震発生から300日目「持っていた米で炊きだし」

2012年01月04日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から300日目(1月4日、水曜日)。
 また、大震災発生から300日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、被災者であってもできることはあるという思いで、地域に役立つ炊きだし、入浴の提供、義援金集めをしたという報告があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その14】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 非常時に助かる人はいつも地域とつながっている人

【司会者】 じゃ、よろしくお願いします。

【助言者】 私は3月11日会議があって福島に行ってました。
 連絡は全然取れなくって本当に大変だった。帰って来て皆に聞いたら、いつもと違っていたが、避難訓練を毎月やっていた事がすごく活かされたという職員の声でした。
 施設長がいなくても責任を持って利用者を守るという思いを、皆職員持っていたことが本当に有難かったと思います。
 私は当日職員を皆帰した。職員が家に着いたのは9時過ぎていた。ああやっぱり帰すべきではなかったなと思います。
 いわき市は水道が1カ月以上出ませんでしたが、私の2つの施設共にライフラインが丸でだめでした。
 地域の人からお風呂入りに来な、洗濯しに来な、水汲みに来なと声をかけてもらいました。
 利用者さんは3月14日から引き受けました。そんなことがありまして、私達が今出来ることはなんだろう、被災していても私達が出来ることがあるはずだという思いがありますす。義援金集めをして、原発の地区に送ろうということをやりました。
 ある大学の先生が3月11日の時にどうだったかということを、色んな地域に伺って聞き取りをしたそうです。
 その時に助かる人はいつも地域とつながっている人、いつも地域のコミュニティの中に加わっている人。
 助からない人は「いいんだ、おらげでは自分で出来るから面倒見てくれなくて結構」といった人はやっぱり助からなかったという話を聞きました。
 私は常に言っているんですけど、親子で地域に出ましょう。そして障害者もお母さんも仲間作りをしましょう。これは育成会の役割ですよね。
 地域の皆さんが、「どうした?大丈夫かい?」と声を掛けてくれるような関係作りを常にしていくべきだと思います。ほっかむりしては生きられないですから。常に地域の人の中に入って活動していってこそ親の会が活かされていくと思います。
 そして困った時に行く。「助けてちょうだい」というサインを出せるような、そういう自分の心の中に柔軟性を持つことです。また、困っている人がいたら手を貸すよと言えるようにしておく。
 私達の二つの作業所では、持っていた米を使って炊き出しをしました。近所の来る人来る人みんなにご飯を出しました。
 少しの食べるものをみんなで分かち合う喜び、温かいものを食べる喜びは本当に幸せ感がありました。こんな災害時でもみんなが支え合って生きるということの大事さを私は学ばせてもらいました。
 いつも私達のところにはボランティアがたくさん来ます。そのボランティアさんにもお風呂入りに来てもらいまして、とっても喜んでもらいました。
 ですから私達が出来ることを、被災者であっても出来ることをやるということです。こうしたことが、本当に大事なことではないかなと思います。これも親の会の役割かなと思います。全国の親の会からたくさんの義援金を頂きました。頂くだけじゃだめだと私は思います。もらったら返すこと。おかねで返せなくても心で返すことってあるでしょう?そういうことをつなげていくことが、親の会の活躍でないかなと思います。

 【引用終わり】

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 地域の中でいかに助け合うことができるか。それはふだんの付き合いが大切になってくる。なんにも困ったことがないと、地域のつながりも少々うっとしいことだってある。でも、それ以上にふだんからお付き合いしていれば、地域の協力の大切さがわかってくる。特に、いざという時みんなの力をあわせると、「明けない夜はない」と前向きになれる。
 (ケー)

#地震発生から299日目「いざとなったら命を守るオーラが出る」

2012年01月03日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から299日目(1月3日、火曜日)。
 また、大震災発生から299日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、非常時になると大人も子ども今までにないような力が出るとの報告があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その13】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 子どもも大人も非常時に発する火事場のくそ力

【司会者】 助言者の方からよろしくお願いします。

【助言者】 宮城県の多賀城市育成会から参りました。
 私は児童デイサービスを多賀城でやっています。津波があった日にも9人のお子さんが利用していました。
 4人の職員と一緒に避難しました。自分の携帯に津波の警報が2時55分に入りました。すぐに職員に指示して歩いて避難しました。避難場所は大人でも20分くらいかかるところです。子ども達と雪も降る中、30分以上かけて避難しました。
 一緒に避難した子ども達には津波を見せずに体育館に避難できました。ただ避難している時に、「あ、そこまで水が来ている」という声を聞きました。津波の状況を子ども達には見せずに避難出来たのは、不幸中の幸いでした。

 保護者に対する引き渡しはどうするのか。大きな課題です。
 私も学童保育を含めて、子ども達を守っていかなくっちゃいけない現場に長く勤務しています。
 災害時に関する講演を聞いても、自分の命を守る事が最優先で、まず自分の命を守って周りの人達の命を守ることだといいます。
 保護者に対する引き渡しというより、まずは子ども達を安全な場所に移動するという事を最優先しました。
 施設にはここに移動したという張り紙をして、移動先から保護者に対する連絡を始めました。
 うちは児童デイサービスを立ち上げて一年経つという時の地震だったので、保護者の人達とこういう時にどうしたらと、確認を出来ていなかった。
 今回改めて確認したのはお互いに自分の命を守りましょう。保護者の人達が自分の命を守って安全な所に避難して下さい。
 私達はお子さんをきちんと守ります。お互いに自分達が大丈夫になった時に連絡を取って、次に進んでいきましょうという確認をしています。

 あとメールの有効性っていうのもすごく感じてますので、今活用している所です。

 実際にお子さん達と関わって避難した時に「あ、子ども達の力を信じていいな」と思った事があります。
 常にパニックを起こしたり、ちょっと歩いても「抱っこ、おんぶ」ってくるお子さん達がその時には黙々と歩くんです。私1人で守れるのは最大2人です。男性職員には3人お願いしました。黙々と職員に従って一緒に歩いているお子さんを見ました。
 体育館の方には割と早めに着いたんですね。それぐらいの人数の所に入った時には落ち着かないお子さんが多いんです。でも、その中で職員と一角にきちっとブルーシートの所に座っていることができました。
 うちの理事長に、「子ども達ってすごい。ああいう時って頑張れるんだね」って言ったらそれは違うと言われました。私が本当に常とは違うオーラを発していたから、それを子どもがしっかり受け止めて従わなくっちゃいけないんと思ったんだというのです。
 あるお母さんも次のようなこと言ってました。睡眠障害があったり偏食があるお子さんが、津波に襲われて近くの小学校に避難した。その日はとても心配した。でも、不思議と7時に寝ついて次まで熟睡した。配給された支援物資の味も素っ気ない物だったけれども、それを口にする事が出来たと。
 災害の時にはそれに順応する力は子どもにあるんだなと。平常の生活になったらまた睡眠のリズムも戻った。お家では食べたくないって偏食も戻っている。でも、子ども達の力はいざとなったらすごいなと思いました。
 今回の災害の後、東北大のワークショップに参加しました。
 先生達のお話の中でもありました。日常とは違う災害時には、子どもだと赤ちゃん返りしたり、大人もすごく不安になったりする。それは非常時時に起きる当り前の行動だと。
 それは大人も子どもも同じですと。
 子ども達は避難所で、地震ごっこをしたり、絵を描いた時に暗い黒い津波の絵を描いたりする。それで子どもは表現する事によって昇華されてくる。
 育成会の果たす役割はネットワークだったり、防災マニュアルだったり、避難所だったり、福祉避難所の整備もとても大事だと思うんです。
 手をつなぐこと、地域に知ってる顔が近くにあって、不安な時に話せる人が側にいるっていう事が大きいと思うんですね。
 多賀城市の役所の人と話をすると、在宅の人達には何も手を差し伸べる事が出来なかったと言ってます。
 そういう時に手を差し伸べられのはこの育成会なんだろうなとすごく感じています。
 今、多賀城では通所施設、福祉施設とネットワーク会議を開いています。
 お互いに今までは連携とかお互いに行き来しなかった。
 施設の職員同士で、災害に向けてお互いの作業所が出来る事について、行政を入れない会議をやっています。
 自分達が受け入れられる垣根を越えた対応をしてきました。
 今回の地震のあと、宮城県ではデイサービスの事業所に所属していたので、次のような情報が入ってきました。
 今まで受給されていないサービスでも、ニーズがあった時にはどんどん受け入れて下さい。受給者証の手続きに関しては後で構わない。ニーズがあれば受け入れる。
 うちの法人ではグループホーム、ケアホームがあります。七ヶ浜の方で自宅が流されて帰る所がなかった人がいました。グループホームは利用されていなかった人を、1カ月グループホームで過ごすっていう形を取りました。
 多賀城市役所には、ニーズがあればお互いに連携して応えていくので窓口に来た時は情報を流して下さいと伝えました。でも、役所は手いっぱいな状態でした。
 こういう時だから連携取らないと駄目だからって、担当の人達には伝えて来たんです。しかし、福祉窓口担当職員も自分の窓口の業務だけじゃない事もやっている。
 緊急時には育成会とか現場の施設とか地域の人達を繋げる必要があるんです。

 在宅の人達に声をかけるもの、今大事な事なんだなと思っています。
 福島の方達は本当に辛い状態だろうと思います。
 子ども達も大人もやっぱり地震の前に過ごしていたような当たり前な暮らしっていうか当たり前の時間を過ごす事が心の安定に繋がる。
 子ども達は学校に行って学校のお友達と過ごして元気にお家に帰って来て家族と過ごす、そして地域の人たちと関わる。
 だから、地震の前に普通にやっていた当たり前の生活をする事が心を癒し元気にしていく事なんだと思っています。
 東北大のワークショップに参加して知ったことですが、個人を対象にしたその支援も大事ですが、グループ、コミュニティーを対象とするような支援も大事だということです。
 地域を癒して活性化する事が大きな力になるって言葉もあった。それも育成会で果たすべき事なんだなと思っています。
 以上です。

【引用終わり】

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 五木寛之著「下山の思想」(幻冬舎刊)の新聞広告に次のような言葉がある。
 「どんな深い絶望からも、人は起ちあがらざるを得ない。すでに半世紀も前に、海も空も大地も、農薬と核に汚染され、それでも草木は根づき私たちは生きてきた。」
 そうした現実を受けいれて「明けない夜はない」と少し前向きでいいから、一歩踏み出すことから始める。
 (ケー)

#地震発生から298日目「一斉メールで安否確認訓練実施」

2012年01月02日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から298日目(1月2日、月曜日)。
 また、大震災発生から298日目の新しい朝を迎えた。

 新年二日目、山形市内も雪が40㎝。氷点下の日々が続いている。仮設住宅にいる人たちはさぞかし寒いだろう。あたり一面うす白色。どんよりした天気。気持ちも朝だというのに晴れ晴れしない。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、施設としては保護者の安全が確保できるまで利用者を預かると発言があった。一斉メールを使って安否確認訓練を定期的に実施している施設もあるという報告もあった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その12】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 一斉メールによる安否確認訓練

【司会者】どうも有難うございます。
 通所施設で利用者を1週間も預かってくれたことに、保護者の方よりとても感謝していると言われると、有難いなあと思います。
 じゃ、他の方でありませんか?はい。

【発言者】 すみません。
 先程、研修会をしたらどうかというお話がありましたよね。
 それで私達、青森県は3年前から知的障がい者福祉協会と手をつなぐ育成会の合同の研修会を年に1度やっております。
 今度の研修会は11月20日ですけれども、その時にこの災害についてのお話をするつもりです。
 それから利用者さんは家に帰さない方がいいと出ました。
 私もそれは同感です。保護者会があった時に、親が安全で迎えに来ても大丈夫となったら直接引き渡します。その時、迎えに来て下さいと言ったら、保護者の1人が何時間置くんですか10時間ですか?って言うんですね。
 いや、何時間でも迎えに来るまで置きますと、それまでちゃんとご飯も食べさせますし、暖かくして避難させておきますって言いました。
 もう1つどうしても電話が繋がられない時メールが良いって言う話を聞きました。
 それで後になって、一斉メールをやろうとして色々調べたんです。
 利用する側保護者の方が月千円かかるって言うのです。「ああ、月千円だと年に1万2千円。それだと出来ないな」となりました。ところが、うちの支援員が別の方法を探しました。チームメールっていうのがあるそうです。
 それが100人まで年間3000円から5000円以内で出来るっていうんですね。
 1カ月のお試し期間があるという事で、今そのお試し期間をやっております。
 メールがある人はそれに自分のアドレス入れると施設から発信したメールが届くようになってます。
 ただ、電気が消えてから何時間以内じゃないとうまくいかないみたいです。一斉に電気が消えた場合、どうなるか研究中です。以上です。

【発言者】 うちでは、yahoo!のメールを使って一斉配信する訓練やってます。
 毎月の1日、5時から施設側から登録している親の所にメールを送信してます。
 ただ、料金の方はわかりません。施設の方で全部やってくれてますんで。
 受け取ったらその時点で返信メールを、元気でいますとか遊んでますとか送ります。返信メールをして安否確認の訓練を毎月1回やってます。
 毎月1日の夕方やるという事で実際やっております。仙台市育成会のコーポすずかけでやってますので、問い合わせして頂ければ詳しい話聞けます。ご紹介しておきます。

【司会者】 yahoo!はそういうサービスやっております。今携帯持っていない方いらっしゃいませんので、事業者、団体が協議して一番適切な方法を取って頂ければと思います。
  
【引用終わり】

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 東日本大震災を教訓に安否確認の重要性を認識して、その対策を始めている。一斉メールを使って定期的な訓練を実施している。できることを試みている。こうした試みをしている限り、「明けない夜はない」と前向きになれる。
 (ケー)

#地震発生から297日目「通所施設で預かってもらって助かった」

2012年01月01日 | 第51回東北ブロック大会
平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から297日目(1月1日、日曜日)。
 また、大震災発生から297日目の新しい朝を迎えた。

 新しい年が始まる。平成24年、2012年、辰年。昨年は3.11の大震災から始まった感じがする。そして、毎朝「地震発生から○○○日目」のブログ書き続けてきた。これほどの自然災害が起きることをあらためて知らしめた。原子力発電所も絶対安全でないこともわかった。
 政治も、経済も、国際関係も、そして私たちがかかわっている福祉の世界でも変革期にある。常に不安定で不安と不満が充満している。批判ばかりがのし歩いている。大事ばかりを論じて解決にいたらないケースが多すぎる。それより、脚下照顧。自分の身のまわりを見つめなおし、解決策を自ら提案し、実行し続けることが近道。ひとに説教たれるより、自らできることを一つずつやれるところからやるっきゃない。
 まずは、「東北ブロック大会」の記録をまとめることが、私にとっての課題。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、通所施設でそこの利用者が災害時に1週間面倒みてくれたことにとても感謝していると発言があった。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その11】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 通所施設で災害時利用者を預かってもらった

【司会者】 どうもありがとうございます。
 今、利用者さんを安易に家に帰さないという事がありました。石巻の方でも保育園の子どもさんが亡くなって、そのご家族の方が施設でそういう時に帰した事で訴訟問題も起きています。
 想定外というのは言い訳と今回の災害を見聞きして感じています。
 障害者総合福祉法の骨格に関する提言も出されました。
 今の宮城県の方の提言でも、今まで障害者について家族責任だったものが、地域責任に変わっております。
 地域で障害者を支える総合福祉法が進んでいけばと思っております。どういうふうに変るのか。措置という形から支援費、自立支援法、そして総合福祉法という形に進んでおります。制度も内容もわかりにくい。どうやれば地域の中で、そしてこの災害と戦っていかなれければならないか、頭がもやもやしてくるんです。何か皆さんからご発言ありませんか。

【発言者】 宮城県から参りました。
 仙台市育成会にも入ってます。仙台市育成会の事を含めて我が家の経験をお話しします。
 この震災で全国の皆さんから多大な義援金を頂きましたので、宮城県を代表して御礼したいと思います。
 私の子どもは間もなく40歳になりますけれども、グループホームに入って通所施設に通っています。
 震災当時はグループホームから施設に通って、施設でコーヒー豆の分別の作業していました。地震だという事で迎えに来てくださいと連絡が入り、私も家にいましたんで迎えに行きました。
 この時車使うと駄目だという事で歩いて迎えにいきました。引き渡しを受けその途中、生協で被災物資の配給をやってました。
 2人で並びました。私の前までは勝手に皆持って行ったんです。でも、私達もいっぱい持って行こうとしたら、こっから駄目です。これだけしか駄目って言われた。
 2人分カップラーメンとかもらって大分暗くなってから帰ってきました。
 その晩は隣のご夫婦とうちの車の中で一晩過ごしました。
 次の日、水がないものですから給水に行きました。
 家族3人で給水に行ったところ、施設の職員も給水に来てました。何でこんな所に来ていると聞いたら、職員の人達が家を流されたりして帰っていないんだと言うのです。施設の中で生活しているんだという事でした。そして、私達見てやるから子どもさん預かっていいですよっていう声掛けしてもらったんですね。
 それなら、子ども頼んで家の中片付けられるという事で、一週間程施設で家の子だけではなく5、6組の避難者が見てもらいました。
 別に布団とか何とかあるって訳ではないですけれども、何とかその場での昼食時の備蓄等がありましたんで、何とかやりました。
 私も米を提供はして来ました。
 そんな事で一週間見てもらいました。私の施設は大したものだなと思って、感謝しております。
 給水では2~3時間ぐらい並びました。町内で井戸ある所を見つけまして、井戸水を何とか確保しました。命の次に大事な水を確保して生活することができました。
 たった一言あんたの子ども見てあげるからねっていってくれた施設、近くに指定避難所があったんですけれども、見てもらった事が本当に有難いなと今でも仏の様に感じております。
 
 【引用終わり】

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 困ったらお互いさま。究極の状況で助け合ってきたことがわかる。こうした話を聞くと「明けない夜はない」なあとつくづく思う。互いにがんばれる。
 (ケー)


#地震発生から296日目「引き波で外に出ていた利用者・支援員が亡くなった」

2011年12月31日 | 第51回東北ブロック大会
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から296日目(12月31日、土曜日)。
 また、大震災発生から296日目の新しい朝を迎えた。

 さて、第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会「第3分科会」(10月16日)において、災害時におけるリーダーのあり方、避難所の実情にあった対応、施設における送迎のあり方についていかなる教訓を得たか問題提起があった。
 また、育成会が安否確認の支援を行ったことの報告がなされた。
    
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【引用始め】

第51回手をつなぐ育成会東北ブロック大会・(併催)第23回山形県知的しょうがい者福祉大会(平成23年10月15日~16日、山形国際ホテル)
大会スローガン「東北はひとつ、みんなでの力で東日本大震災をのりこえよう」
第3分科会(10月16日) 【その10】 「災害と家族」(育成会の被災支援活動の推進)
協議

 1週間はサバイバルな状態を生き延びる工夫が必要

【司会者】はい、どうもありがとうございます。
 声掛けとか研修会、放射能除染の問題といったことが、アンケート調査で顕著に出てきました。
 その他ございませんか?はい、どうぞ。

【発言者】 宮城県から参りました。
 災害当日の状況について3つの事例について、お話しいたします。
 1つは静川という南三陸町の現状です。丁度その時間は作業中でした。
 地震という事で誰でも机の下、椅子の下に潜って揺れが納まるまで静かにしていました。納まってから全員中庭に逃げたそうです。
 中庭に逃げて安心だから戻って部屋の物を片付けようという事で、沢山の利用者と職員は部屋の片付け方を始めた。
 その中に庭で遊んでた2人の利用者がいた。木のそばでぐるぐる回りっこしていて、それを支援員が近くで見守っていたというのです。それを想像してみて下さい。
 そのうち、地震の後津波が来る事に気づいた人がいて、地震が来るって言い始めたそうです。
 あ、そうだっていうので窓の外を見たんです。丁度窓の外には松の木がびっしり生えてまして見えなかった。
 真っ黒い津波がどんどん近づいて来て、その松の木を越えた時に初めて気づいた。それ事で逃げ場を失ってしまいました。
 その中にいた利用者と職員はもう下からどんどんと水が上がってきて体全体水に浸かってしまった。一階の天井の傍まで水が上がったので首だけ出して足をつんつんさせながら、大丈夫か大丈夫かと言いながら水が引くのを待っていた。
 10分ぐらいして水が引いていった。その引潮の時に中庭にいた方々が引いて行かれてしまって、命を落としたというお話でした。
 ですから、ここで気になる事は皆で同じ行動する中での誰かリーダーがきっちりとものを発する事が大事です。勝手な行動をさせておいて、まずいという所がそこで教訓として残されました。
 その後、全身水に濡れた方々は避難所の方に移動する事が出来たそうです。

 ある場所では避難所へ一緒に、小中学校の体育館に逃げたんです。大勢の人が入っていて、施設の職員と利用者が入っていられない状況になってしまった。その避難所の人にお願いしたら図書室が空いてますというので、障害のある方々の為に図書室を貸して頂いたという事例がございます。
 それから、福祉避難所になっていなかったが、福祉施設に近所の人が皆入りこんできた事例もあります。
 そこは避難所でなかったので、何も支援物資が届かなかった。
 単なる施設だった訳ですね。ところがご近所の方々が停電だから冷蔵庫が使えなくなるからというので、冷蔵庫にある物を皆持ちだしてきてくれた。
 それで一晩そこで利用者と地域の方々と一緒になって福祉避難所の支援は無かったんですけれども、一晩過ごしたという施設もございました。
 そういったことを考えた時に、利用者達を安易に自宅に戻さない方がいいという事が結論として言えます。

 ある所ではお母さんが子どもの迎えに行かなくてはということで、車を動かして渋滞に巻き込まれお母さんが亡くなってしまったというお話も聞いています。
 施設の方では保護者と連絡がつくまで動かさない方がいい。保護者は連絡がついて迎えに来て下さいと連絡が入るまで動かない方が、お互い良いのではないか。
 石巻では、あの混乱の中でスクールバスを出して、支援者と利用者がバスのまま流されたという事例もあります。その施設で動かない、あるいは自宅で動かないでお互い連絡をとれてから会わせましょうという事を、今後施設と育成会の中で考えていた所でした。

 ところで、JDFは、ジャパン・デスアビリティー・フォーラムの略でございます。
 ジャパン・デスアビリティー・フォーラムは、身体障害の方々が中心に立ち上げた団体です。、全日本育成会も加盟をしております。

 サバイバルな状態が一週間程続くという事を覚悟しなきゃいけないと思いました。
 自衛隊とか警察がどんどん応援には入りますけれども、一般の方々は被災地に入れない。何かしてあげたいと思っても行かれない。
 ですから、被災地の方々はそこで一週間は耐えることを覚悟する。一週間生き伸びる事を覚悟して助け合って待っていなければならない。
 宮城県では4月7日にその応援の為の対策本部を設置しました。JDFとは別に作りました。
 JDFはJDFで3月の下旬に全国から入って来ました。
 宮城県の場合には育成会と福祉協会と重症児者を守る会、この3団体で対策本部を作って全国組織から応援を頂いて4月7日から派遣を始めました。
 被災地に人を派遣しました。
 被災地の方々はお互い何とかしてあげようと思っても、自分の生活を守る事が大事なってきます。他人の事まで手が回らない。自分の家族と自分の子ども達を守る事がサバイバルな中では大変でした。
 従って、他の力を借りて生活の復旧をする事が求められます。宮城県では知的障害者関係団体だけの対策本部を作りまして、そこから被災地に派遣をしました。
 被災地に入る場合も勝手に入れないんです。きちんとしたプレートを付けて対策本部の職員であるという事を明記して、それなりの車を使って被災地に入っていく事が必要です。
 全日本育成会には、緑色の全日本育成会と書いたジャンパーがあるんです。
 それを着てその職員達は車で現地に入りました。誰が見ても、「あ、全日本育成会の支援者だな」という事で、不審者じゃないなという事で堂々と必要な方々に手を差し伸べる事が出来ました。
 対策本部ではローラー作戦により施設の利用者安否確認をしたおかげで、ほとんどの安否が分かりました。
 施設の方を通してどの方がどういう状態であるのかという事が分かりました。
 在宅の方は分からなかったんです。一般就労していた方達で仕事がどうなったかという実態が分からない。
 ローラー作戦ということで、安否確認は在宅の方々を中心に育成会が足で動きました。
 福祉協会のように、施設を持っている所は自宅が何処にあるかすぐに分かります。
 在宅の方は自ら手を挙げないと分かってもらえない。
 地域の相談支援員にうかがって住所を聞いて、その方が何処に避難しているかという事で避難所を訪問しながら個別にニーズを発掘していった。
 例えば、親がいなくなっているとしたら成年後見制度を使わなきゃならない。
 あるいは本人の施設や家族がなくなったという事であればグループホームを紹介しなければならない。
 そういったニーズを福祉に繋ぎながら、対策本部の活動を続けてきました。
 以上でございます。どうもありがとうございました。

【引用終わり】

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 1週間は自ら生き延びるための努力が必要である。そして、隣近所の人たちと助け合う。行政やボランティアの支援がいずれ入ってくる。こうした自助、共助、公助がうまく組み合わさって「明けない夜はない」と前向きに解決の道を探る。
 (ケー)