山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

◆民謡民舞全国大会で準優勝

2012年10月31日 | 日記
今朝の山形新聞で、また嬉しい話題を見つけました

東根市にある「大けやきの家」の利用者さんで、県内の民謡大会でも
優勝をしていますし、CDもリリースしていますので、私たちの間では
かなりの有名人ですが、木村里美さんが、また快挙です。

今月18日~21日まで、東京の両国国技館で行われた
民謡民舞全国大会で、民謡歌い手の日本一を決める
内閣総理大臣賞争奪戦・民謡の部で準優勝に輝きました。


里美さんの歌は、私の子がまだ小学部時代に新庄養護学校で県特Pが開かれた時
新養の卒業生という事で紹介され、全体会で民謡を聞いたのが初めてでした。
声にとてもハリがあり、素晴らしくて知的なしょうがいがあっても、こんなに
すごい歌が唄えるんだと驚いたことを覚えています。

それから、今から6~7年前になると思いますが、知的しょうがい者福祉大会が
東根市で開催された時にも、木村さんのステージ発表がありました。
その時私は、一般会員として参加していたのですが、里美さんの歌を聞いて
なぜか涙があふれてしまいました。

その後私が育成会の事務局に入り、1年目の米沢市で開催された福祉大会では、
大会会長表彰も受賞されています。

木村さんは、今回の成績に満足せず「次の目標は日本一。これからも頑張りたい」と
誓ったそうです。

新聞には、準優勝のトロフィー(カップかな)を手にして
満面の笑顔の写真が載っています。

木村里美さん本当におめでとうございます(F)





親は代弁者であっても本人ではない

2012年10月31日 | 地域福祉
 「知的障害者がいる家族の自助グループ」の問題について、本日も下記の学術論文を紹介する。
 津田英二氏によるもの。
 その第13回目。

 育成会の運動が、1990年代に「知的障害者本人の抱える問題と、その親の抱える問題とを明確に分けて取り組むという方向性」が徐々に始まっている。
 その経緯について、以下に引用する。
    
***************************************

【引用始め】

http://www2.kobe-u.ac.jp/~zda/00ken.html

『人間科学研究』第8巻第1号、pp.45-56、2000年12月
知的障害者がいる家族の自助グループにおけるネットワーキング

Networking Activities of Self-help Groups for Families of People with Learning Difficulties

津田英二 *Eiji Tsuda

Ⅱ 知的障害者がいる家族の自助グループの発展

3 「ネットワーキング指向型」に向けた動き

 「閉鎖的活動指向型」の比重が高かった育成会においても、内外の影響によって修正を迫られている。
 「ネットワーキング指向型」への動きは、親の間にある異質性をつなぐ活動ばかりでなく、親と本人の間のネットワークや、知的障害者がいる家族と「市民」との間のネットワークとして表れてきている。

 親と本人の間のネットワークに関しては、

 1971年「精神遅滞者の権利にかんする宣言」(国連)、
 1972年「世界育成会」への加盟、
 1975年「障害者の権利宣言」(国連)、
 1981年「国際障害者年」など、

 障害者の権利に関するグローバルな動きからの影響が70年代以降に強まる。
 また国内での内在的な関心としても、“親は代弁者であっても本人ではない”ことに気づかされ、課題として取り組むことを余儀なくされていく(全日本精神薄弱者育成会、1991、p.87)。

 知的障害者本人の抱える問題と、その親の抱える問題とを明確に分けて取り組むという方向性は、1990年代に入ってようやく育成会の一部で採用されるようになっていく。
 また、知的障害者本人が育成会の会員として認められるなど、育成会の性格自体に変化が現れてきている。

 「本人によるボランティア活動」
 「本人の会の結成」
 「本人決議の検討」
 などは、こうした点での新しい動向と言うことができる。

【引用終わり】

***************************************

 以上、育成会の運動も、親による単独の要求活動のみでなく、
 「グローバルな動きからの影響」
 「親は代弁者であっても本人ではない」
 といった考えにより、「本人を巻きこんだ」運動に変わってきている。
 本人が積極的に主張できる組織づくりが必要である。
 最近では、兄弟のあり方についても議論が持ち上がっている。
 知的しょうがい者の問題を、本人・親・兄弟そして地域社会、さらにはグローバルといった多角的な観点で見直す時代になってきている。
 (ケー)


◆ケアホーム起工(寒河江市)

2012年10月30日 | 自立支援
秋も深まってきましたね~




黄色が鮮やかです


今朝の山形新聞から見つけました。

寒河江市の社会福祉法人さくらんぼ共生会で寒河江市で初、
来春オープン予定のケアホームの起工式が行われたそうです。

さくらんぼ共生会は、寒河江市育成会の事務局をやっていただいている
さくらんぼ共生園を運営する法人です。

ケアホームの名前は『ORADANA』だそうです。
木造平屋で、定員は6名、ショートステイ2名です。

障がいのある方々の自立を支援してくれるケアホームが
寒河江市にも出来るという事はとても嬉しい事です。
グループホームやケアホームを作るには、一般住宅と違う
法律が絡んできますので、なかなか簡単には出来ないという
事なのですが、こうやって少しずつでも着実に住まいの場が
増えてくれることはありがたいことですよね(F)



◆手をつなぐ11月「虐待防止法がはじまりました」

2012年10月30日 | 日記
全日本手をつなぐ育成会の機関紙11月号が届きました。


手をつなぐ 2012 11月


今月の特集は虐待防止法です。
10月1日から「虐待防止法」が施行されたという事で
特集が組まれています。

この法律の趣旨についてや、実際に通報・届出を受理した後の
流れなどが、挿絵も入り解りやすく書かれています。

それから、市区町村に設置される「障害者虐待防止センター」の
意義についても書かれています。
以前に、全日本育成会がアンケートを行いましたが
多くは市町村の自治体直営という回答が多かったようです。
山形県内にも何か所かアンケートをお願いしたのですが
回答をいただいた市町村はありませんでした。
その自治体では、障害者虐待防止センターの設置は考えていない
という事なのでしょうか。残念なことです。
アンケートをお願いしていない所では設置をしているのかも
知れませんし、育成会としても各市町村にセンターの設置を
お願いしていく必要があると思います。

その他、雇用の場の虐待・学校での虐待・家庭の中で虐待を
生まないための家族支援の重要性などについて、興味深い
内容の記事が満載です。

準備が整い次第発送しますので、しばらくおまちください(F)




若い親の育成会離れ

2012年10月30日 | 地域福祉
 「知的障害者がいる家族の自助グループ」の問題について、本日も下記の学術論文を紹介する。
 津田英二氏によるもの。
 その第12回目。

若い親の育成会離れについて以下に引用する。
 山形県育成会においても、大きな課題になっている。
    
***************************************

【引用始め】

http://www2.kobe-u.ac.jp/~zda/00ken.html

『人間科学研究』第8巻第1号、pp.45-56、2000年12月
知的障害者がいる家族の自助グループにおけるネットワーキング

Networking Activities of Self-help Groups for Families of People with Learning Difficulties

津田英二 *Eiji Tsuda

Ⅱ 知的障害者がいる家族の自助グループの発展

2 若い親の育成会離れをめぐって

 近年、知的障害者がいる家族の中で若い層が、育成会組織に関わろうとしなくなってきたと言われている。
 そこで、筆者は全国の都道府県および政令指定都市の育成会に対して、若い親の育成会離れの進行とその原因に関する簡単なアンケート調査を行った。
 調査は1999年10月に郵送調査によって実施し、配票53票、回収36票(回収率67.9%)であった。(なお、回答は各会の公式的な見解ではなく、事務局や会の代表者の個人的な見解として記入されたものが15票=41.7%であった。)
 まず、「若い親の育成会離れ」については、「とても深刻」あるいは「深刻」と回答した会が過半数(61.2%)を占めた。
 その一方で、「あまり深刻でない」あるいは「まったく深刻でない」と回答した会は1例(2.8%)にすぎなかった。
 このことから、ほとんどの育成会において若い親の育成会離れが認識され、多くの会においてそれが問題として捉えられていることが分かる。

 次に、若い親の育成会離れが起きている原因として、どのようなことが考えられるかを尋ねた。
 その結果、「世代間の価値観の違い」を原因として挙げた会が83.3%に上った他、「若い親の問題意識の欠如」「育成会組織の硬直性」「育成会活動が若い親のニーズにあっていないこと」を原因として挙げた会が、いずれも過半数に達した。
 また、「育成会の他にも自助グループができるようになったこと」を原因として挙げた会も45.8%であった。

 この原因の評価を4類型に分類してみる。

 ①若い親の育成会離れは、「若い親の問題意識の欠如」によるものだと考え、「組織の問題」とは捉えないパターン。

 ②「組織の問題」を原因と捉え、「若い親の問題意識の欠如」とは考えないパターン。

 ③「若い親の問題意識の欠如」や「組織の問題」を原因として考えず、「世代間の価値観の違い」として没価値的に捉えるパターン。

 ④「若い親の問題意識の欠如」と「組織の問題」の複合的な原因と考えるパターン。

 このように類型化すると、「価値観の違い」とした会が若干少なかった他は、4つの類型にほぼ均等に分かれた。

 若い親の育成会離れが起きている原因として認識される内容と、この件に関する会の方向性との関連は、次のような対応関係にあると考えられる。
 まず、「若い親の認識欠如」が原因として認識される場合、会は若い親への教育的な働きかけが重視されることになろう。
 それに対して、「組織の問題」を原因として認識される場合は、若い親のニーズに対応できる柔軟な組織づくりが必要となる。
 「複合的要因」を原因として考える場合は、若い親への教育的働きかけと組織の変革の両方が望まれ、「価値観の違い」とする場合は放置、あるいは諦念ということになるだろう。
 育成会にとって、育成会にコミットしない若い親を「他者」として捉えるならば、若い親への教育的な働きかけは同化を、また柔軟な組織づくりは「他者」とのネットワークづくりを意味している。
 したがって後者は、成員の同質性を前提としたムラ社会的な団体から、異質性を取り込んだネットワーク組織への脱皮という意味を含んでいると考えられよう。

 具体的な組織や取り組みの改革は

 ①知的障害者本人のボランティア活動や本人部会、青年学級のように、知的障害者の主体形成を促す取り組み)

 ②若い親などによるボランタリーな組織づくりに対する支援の取り組み

 ③「市民」に対する福祉教育活動への取り組み

 ④外部の団体等との連携による事業推進の取り組み。

 このように新しい取り組みは、外部に対する開放性や、組織の成員による主体形成を特徴としている。
 これらの取り組みを通して、育成会はネットワーク型の組織に移行しつつあると捉えることができる。

【引用終わり】

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 以上、若い親たちの育成会離れの原因を次のように5つあげている。

 ① 「世代間の価値観の違い」
 ② 「若い親の問題意識の欠如」
 ③ 「育成会組織の硬直性」
 ④ 「育成会活動が若い親のニーズにあっていないこと」
 ⑤ 「育成会の他にも自助グループができるようになったこと」

 この中で、育成会の組織として直接問題解決に取り組めるのは、

 ③ 「育成会組織の硬直性」
 ④ 「育成会活動が若い親のニーズにあっていないこと」

 要するに、次のような取り組みが必要となる。

 ③ 「育成会組織を柔軟にすること」
 ④ 「育成会活動が若い親のニーズにあうようにすること」

 この二つも「若い親のニーズにあわせる育成会活動を推進する」とまとめてもいい。
 そのために、「若い親のニーズ」を掘り起こす必要がある。
 今中核を担っている会員たちにとって、若い頃の悩みや問題はどんなだったかを振り返ってみることも、一つである。
 そこから、取り組んでいくしかない。
 そんな意味でも、「家族支援」「障害認識」に関するワークショップの取り組みこそ重要な手立てである。
 (ケー)


◆子育ての最初の戸惑い「学校選び」

2012年10月29日 | 研修会
政令都市育成会の「さいたま市育成会」より
会報を送っていただきました。

今回の1面は「どうする学校選び」~子育ての最初の戸惑い~
ということで、今年度の『家族支援フォーラム』の1回目として
「特別支援教育の現状」をテーマに開催したという記事でした。

参加者55名のうち、未就学児の親が34名ということで
子どもの進路について不安を抱いている方からの反響の
大きさを感じたようでした。

講師には、県の特別支援教育のコーディネーターと
市の教育委員会の担当課長補佐からおいでいただいたようで
県立と市立の特別支援教育の違いなどを直接聞く事ができて
良かったとの感想もありました。

質疑応答なども活発に行われたようで、講師の方々からも
「直接、保護者の方の声を聞く事ができる機会はありがたく
保護者の方々の真摯な声を受け止め、今後に生かしていきたい」
とのお話もあったそうです。

山形県でも就学に関しては不安に思っている親御さんは
同じようにいらっしゃいます。
未就学児の親御さんが新しく会員さんになられたという
支部育成会もありました。
やはり、就学問題に関して不安をお持ちだとの事です。

会報にも書いてありましたが、現在のお子さんの状態も大切だけれど
3年後~5年後のお子さんの姿、卒業後のことも考えて
学校見学をし、選択して欲しいと思います(F)


育成会の多様な個別性にどう対応するかが課題

2012年10月29日 | 地域福祉
 「知的障害者がいる家族の自助グループ」の問題について、本日も下記の学術論文を紹介する。
 津田英二氏によるもの。
 その第11回目。

 1960年代に育成会の組織が全国的に確立した。
 しかし、それに伴い会員のニーズが拡大し、それに的確に応えることが大きな課題となった。
   
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【引用始め】

http://www2.kobe-u.ac.jp/~zda/00ken.html

『人間科学研究』第8巻第1号、pp.45-56、2000年12月
知的障害者がいる家族の自助グループにおけるネットワーキング

Networking Activities of Self-help Groups for Families of People with Learning Difficulties

津田英二 *Eiji Tsuda

Ⅱ 知的障害者がいる家族の自助グループの発展

1 育成会の理念と歴史

(3) 安定期

 1960年代に入ると、育成会は全国組織としての体裁が整うようになる。
すなわち、市町村や学校、施設単位の地区育成会を組織の中心とし、地区育成会の集合体として都道府県育成会を、都道府県育成会の連合体として全日本育成会を置くというように、三重構造を採用したのである。
 この組織改編によって、地区育成会におけるネットワーキングの充実と、全日本育成会を中心としたボトムアップ型の個人的な利益追究を組織化する活動の充実が保障されたと言うことができる。
 実際に、1968年には精神薄弱者相談員制度が確立し、知的障害者の地域福祉の中心的存在として期待された。
 また、仲野好雄は育成会の20年史で次のように振り返っている。
 “自分はこの子に対してなすべきをなした立派な親と自負していたものが、自分より立派な親が非常に多く、自分こそ悪い親であったとの反省の上に立って、親としての視野を拡げ考え方の基本を改め、希望と勇気をもって自分の子のことだけでなく、他人の子の幸せもともに考え手をつなぎあって勉強し、工夫し、努力することにより子どもが目に見えて良くなり、親自身も大きく人間的に成長し、これに伴い家族も理解を持ち家庭中が明るくなり、この子こそわが家の宝であり光りと考えるまでに禍を転じて福となした親たちが非常に増えつつあります。
 このことは手をつなぐ親の会運動の当初予期しなかった大きな収穫であり、これこそ私たちの運動の根底をなすものであることに気がついたのであります。”(仲野、1971)
 すなわち、「閉鎖的活動指向型」を中心に組織化してきた育成会が、組織の安定とともにネットワーキングの効果に目を向けることができるようになっていく。
 同時にこの頃、「閉鎖的活動指向型」の問題が表れ始め、「ネットワーキング指向型」に向けた外圧も生じていた。
 1964年に「全国重症心身障害児者を守る会」が発足したが、その際に“育成会はなにもしてくれない”という声が聞かれたという。
 育成会は対象を知的障害全般に設定しており、その種類と重さの幅は極めて広い。
 したがって、個別のケースについての取り組みがどうしても行き届きにくい傾向にある。
 この後も、日本ダウン症協会、日本てんかん協会、日本自閉症協会など、対象の障害を狭くして個別的な取り組みを行う自助グループが成立していくことになる。
 “地域を単位とし生涯を期間とし全障害度を幅とする育成会はどのようにかかわり、どのように組織化を図るべきか-大きな新しい課題が生まれた”(全日本精神薄弱者育成会、1991、p.72)。
 組織は整ったものの、多様に分散した個別性を、共通の関心や共感をもとにしてネットワーキングしていくという課題を前に、活動の内容そのものや成員の意識が問われてきているのだと言えよう。

【引用終わり】

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 組織が整備されるとともに、会員間の多様なニーズをどうまとめ、個別な課題にどう対応すべきか、難題に直面しながら育成会は運営されてきたのである。
 現在、障がい者別の様々な組織ができて、独自の活動を行っている。
 上記の次のようなエピソードは、育成会に対する批判として受け入れることである。

 「1964年に「全国重症心身障害児者を守る会」が発足したが、その際に“育成会はなにもしてくれない”」

 これは、育成会が個別の課題を十分すくい上げることができなかった事実である。
 これからは、育成会と関係する組織とも連携しながら、「共生社会づくり」に近づく運動を継続していく。
 さらに、組織をつなぐ連合体の組織化に力を入れる必要がある。
 (ケー)


◆向陽園の就労支援「まき」販売

2012年10月28日 | 就労
昨日の山形新聞に、向陽園の就労継続支援事業で行っている
芋煮会などで利用される「まき」の販売が好調である
という記事が載っていました

最近は芋煮会用にだけではなく、薪ストーブに利用したりするのに
購入する方もいるのだそうです。

そういえば、新築の住宅にも、最近は暖炉を作る人も
増えてきているという話しですので(東日本大震災の影響でしょうか)
これからも「まき」の需要は増えていくのかもしれませんね。

私は、毎週末に息子の帰省のために向陽園さんに迎えにいくのですが
よく、玄関のところで話しかけてくれる利用者さんがいます。
彼は、この「まき」つくりをやっているらしく、いつも私に
「まき作りしてきたんだ」と教えてくれます

新聞に載っていた写真は顔が判りませんでしたので
私に話しかけてきてくれる利用者さんなのかは判りませんでしたが
芋煮会シーズンが過ぎても、仕事頑張らないといけませんね

そういえば・・・
円形脱毛症になってしまって「医者に行くんだ」と言ってましたが
良くなったかな~~~(F)

◆くまのプーさんの心がふっとラクになる言葉

2012年10月28日 | 日記
昨日、たまたま入ったコンビニでふと見つけたPHP研究所編著
「くまのプーさん 心がふっとラクになる言葉」
『老子』『荘子』が教えてくれる人生で大切なこと

という小さなハンドブックのような冊子、中身も見ないでつい買ってしまいました。


表紙の可愛らしさにも魅かれました


育成会のワークショップで、先日も行った

心に栄養を注ぎましょうにも出てくるような言葉があるのかな?

と思って、ページを開いて見ましたら

本当にそうでしたプーさんの可愛い仲間たちの挿絵とともに

優しい言葉たちが沢山ありました。

ひとつ、ご紹介します(どれにしようか迷っちゃいます

水のようにしなやかに

水みたいに生きるのがいちばんいい

すべてのものにうるおいを与えながら

なににも逆らわず、いやがりもしないで

身をまかせて流れていくよ。



      


なんだか最近、心も身体も疲れがたまっているような気します

だからこの本が目に留まったのかもしれません。

どれ、もっと流れに身をまかせて、ゆったりのんびりいきますかね(F)




5円の会費が集まらない

2012年10月28日 | 地域福祉
 「知的障害者がいる家族の自助グループ」の問題について、本日も下記の学術論文を紹介する。
 津田英二氏によるもの。
 その第10回目。

1960年、「精神薄弱者福祉法」が制定された。
 その実現には育成会の力が大きく働いたことが、以下に述べられている。
   
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【引用始め】

http://www2.kobe-u.ac.jp/~zda/00ken.html

『人間科学研究』第8巻第1号、pp.45-56、2000年12月
知的障害者がいる家族の自助グループにおけるネットワーキング

Networking Activities of Self-help Groups for Families of People with Learning Difficulties

津田英二 *Eiji Tsuda

Ⅱ 知的障害者がいる家族の自助グループの発展

1 育成会の理念と歴史

(2) 展開期

 1955年に法人化した育成会は、いっそう個人的な利益追究を組織化する活動に傾斜しているようにみえる。
 法人化にあたってのスローガンは、
 ①総合的立法、
 ②社会保障による完全保護化、
 ③義務教育の充実、
 ④自活指導センターの建設であった。

 総合的立法への取り組みは、1960年に制定された「精神薄弱者福祉法」に結実する。
 この法律の制定は、事実上育成会が動かしたと言ってもよい(厚生省、1960)。
 その際、1958年に与党である自民党への請願が成功し、以後育成会と自民党とが懇談会をもつようになっている(翌年には、精神薄弱者福祉法の制定連絡協議会)。
 政治過程への直接的な介入が成功し、個人的な利益追求の組織化を中心とした展開を見せている。
 また、自活指導センターの建設への動きも活発で、そのための資金づくりにバザー、イベントなどを催している。
 しかし、1958年に達成されたこの巨大プロジェクトは、ほとんどがお年玉年賀葉書と財界からの寄付により、親からの拠金はほとんどなかった。
 それどころか、“5円の会費が集まらない”(全日本精神薄弱者育成会、1961)という状況であった。
 強力なリーダーによって推進される巨大プロジェクトと、一般会員のニーズとの間には、すでに一定の溝があったと考えることができよう。

【引用終わり】

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 以上のように、“5円の会費が集まらない”といった事実はどういうことを意味していたのか。
 1958年(昭和33年)というのは、筆者が10歳の年である。
 翌年(昭和34年)に少年週刊誌が発刊された。
 「少年マガジン」(40円、講談社)「少年サンデー」(30円、小学館)。
 その当時、子どもがもらう小遣いが1日10円ぐらいだった。
 育成会としては、当時から会費といった経費で苦労していたことがわかる。
 「5円の会費が集まらない」のだから。
 育成会の一般会員にとって、会運営は全て育成会のリーダーに任せておけばいいとの考え方が主流であった。
 組織的目標と個別的目標には、はじめから溝があった。
 その溝を埋める努力が足りなかった。
 それが今ある組織運営の難しさにつながっている。
 互いの健全なる歩み寄りが必要だ。
 その具体策を打ち出していく。
 それが育成会の活性化につながる。   
 (ケー)


精神薄弱児育成会の草創期

2012年10月27日 | 地域福祉
 「知的障害者がいる家族の自助グループ」の問題について、本日も下記の学術論文を紹介する。
 津田英二氏によるもの。
 その第9回目。

 育成会の草創期、どんな活動に重点を置いていたか。
 発足当時(1952年)の考え方について、以下に述べている。
  
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【引用始め】

http://www2.kobe-u.ac.jp/~zda/00ken.html

『人間科学研究』第8巻第1号、pp.45-56、2000年12月
知的障害者がいる家族の自助グループにおけるネットワーキング

Networking Activities of Self-help Groups for Families of People with Learning Difficulties

津田英二 *Eiji Tsuda

Ⅱ 知的障害者がいる家族の自助グループの発展

1 育成会の理念と歴史

 以下では、育成会1)の発足から今日までを振り返ることで、この自助グループの歴史的性格を概観する。

(1) 草創期

 育成会は、知的障害児をもつ母親たちが、“精神薄弱は結核にまさるとも劣らぬ社会的な大問題なのに、しかるべき運動がないこと、それは精神薄弱の人々自身には訴える能力がなく、親は恥ずかしがって、人知れぬ苦労を重ねているためであることに気づき、母親が立ち上がらないで誰が立ち上がるのかと”思い立ち、1952年に結成された。

 最初の行動は、文部省や厚生省などへの陳情活動であった。
 陳情の趣旨は、“精神薄弱児の教育の機会均等と厚生保護のために、その法制強化並びに予算措置及び施設設置を講ぜられたい”というものでだった。
 また会則には「運動目標」として、
 “1、精薄児のための養護学校および特殊学校設置義務化の速やかなる実現。
 1、精薄児施設の増設および内容の拡充。
 1、精薄者福祉のための法的措置の整備および職業補導施設の設置”が挙げられている。
 このように、育成会は当初から、個別の利害の追求を組織化する取り組みを原動力としていた。
 障害者をもつ家族の行き詰まりを打開するために、直接的に政治過程に働きかけるのは、社会の理解や資源が未だに乏しかった当時としては、当然の方針であったと言えよう。
 しかし、もちろん当初から共感に基づいた「ネットワーキング指向型」の活動も土台となっていた。
 機関誌である「手をつなぐ親たち」に、その様子がよく表れている。
 例えば、“かねてから「手をつなぐ親たち」「光まつ子ら」等の御本を通じまして、同じ悩みをお持ちの全国のお母様方のお声、それに識者の方々のご理解深いお心ざしの程をお読みして、いかほど励まされ慰められて参りました事か……。”(重松、1955)
 また、“精神薄弱児育成会が結成されたという記事を新聞紙上で拝見致しまして、それまで前途に希望を失っておりました私共はどんなにか力づけられた事でございましょう。”(伊藤、1955)などの記事が見られる。
 育成会の結成は、全国にこのような波紋を広げ、同様の組織が「支部」として発足していった。

 しかし、1953年の第二回全国大会で糸賀一雄は、育成会を「なぐさめあいの会」から「具体策を推進する会」に脱皮させようと呼びかけている。
 当時は、共感に基づくネットワーキングよりも、制度上の成果を評価する合理性が働いていたと考えることができる。
 会の運営に当たっても、三木安正、花岡忠男、小宮山倭など、男性リーダーの活躍が目立っていた。

【引用終わり】

***************************************

 育成会の発足理由は、当時(1952年)の時代背景を感じる。

 「精神薄弱は結核にまさるとも劣らぬ社会的な大問題」というのだ。

 当時、不治の病として恐れられた結核同様に精神薄弱について社会の問題として、取り組む必要があることを訴えた。

 さらに、親たちが結集し、自ら運動しなければ問題は解決しないと、以下のようにさらに訴える。

 「精神薄弱の人々自身には訴える能力がなく」
 「親は恥ずかしがって、人知れぬ苦労を重ねている」
 「母親が立ち上がらないで誰が立ち上がるのか」

 当時の止むに止まれない母親たちの切迫感が伝わってくる。

 さらに、育成会は「なぐさめあいの会」でなく、「具体策を推進する会」であるべきと、発足当初から主張している。

 現在の育成会もその原点に則り、運動を進めていく必要がある。  
 (ケー)


◆会報「手をつなぐ親たち」ができました!

2012年10月26日 | 業務
平成24年度 会報≪前期≫
手をつなぐ親たちができあがりました。

ちょっと斜めになってしまいました

今回から表紙の絵と、題字が変わりました。
絵の方は、わぉ!展にも出品されていましたが五十嵐勝美さん
題字の方は、昨年個展も開かれた山野井整さんです。

田中俊久新理事長の挨拶から始まっています。

前期に催しがたくさんありましたので、タイムリーな記事にするために
発行の日程を少し遅らせる事になりましたが
その分、記憶に新しい記事が満載です

山形県知的しょうがい者福祉大会

若葉青年教室(本人活動実践報告)

各地区育成会開催・レクリエーション教室

山形県知的障がい者レクリエーション大会

手をつなぐ育成会東北ブロック大会宮城県大会

手をつなぐ育成会「元気がでるセミナー」

学校紹介「県立上山高等養護学校」

その他、役員紹介や団体会員、賛助会員の紹介などもあります。

県内支部育成会事務局や団体会員さま、賛助会員さまには
先日お送りさせていただいております。
山形県総合社会福祉センターの1階ロビーにも置いてありますので
どうぞご自由にお持ちになってください(F)

育成会の役割を変えていく

2012年10月26日 | 地域福祉
 「知的障害者がいる家族の自助グループ」の問題について、本日も下記の学術論文を紹介する。
 津田英二氏によるもの。
 その第8回目。

 自助グループの活動のあり方について、「閉鎖的活動指向型」「ネットワーキング指向型」とは、具体的に以下で説明している。
  
***************************************

【引用始め】

http://www2.kobe-u.ac.jp/~zda/00ken.html

『人間科学研究』第8巻第1号、pp.45-56、2000年12月
知的障害者がいる家族の自助グループにおけるネットワーキング

Networking Activities of Self-help Groups for Families of People with Learning Difficulties

津田英二 *Eiji Tsuda

Ⅰ はじめに

2 自助グループにおける2つの理念型

 障害者がいる家族の自助グループとして想定される2つの理念型の輪郭を明らかにすると、次のようになるだろう。

「閉鎖的活動指向型」

 ・社会からの抑圧や孤立を認識していないか、あるいは問題化しない。
 ・社会からの抑圧や孤立によって歪められた親の障害者に対する思いが組織化される。
 ・結果的に、社会から要請される「当事者(障害者とその家族)」による問題解決が体現される。
 ・「当事者」の個別の利益の追求が、行政や一般社会に対してなされる。
 ・結果的に、他者の利益追求と競合することが多く、排他的、閉鎖的な活動が指向される。
 ・障害者よりも健常者である親がリーダーシップを握り、ヒエラルヒー的で形式的な組織を持つ。

「ネットワーキング指向型」

 ・障害者やその家族に対する社会からの抑圧や孤立を問題状況として捉える。
 ・障害者やその家族と社会との関係性を変革しようとする意志が組織化される。
 ・問題の所在を社会に置き、社会による問題解決を指向する。
 ・他者との共同の利害や共感に基づいた問題解決を指向する。
 ・他者との協力関係の形成が重視され、協働的、開放的な活動が指向される。
 ・障害者とその親、双方の自立と両者の対等な関係形成がめざされる。

【引用終わり】

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 障がい者がいる家族の問題を解決する自助グループにとって、個別の問題も、社会との関係における問題も双方に対応できるようになっていなければならない。
 それがあってこその自助グループと言える。
 現在の育成会はその機能を果たせているだろうか。
 50年~60年の歴史を積み重ねてきた。
 どうも新陳代謝がうまくいかない。
 時代の要請に十分応える体制が整っていない。
 若い世代にとって魅力的な自助グループには見えなくなっている。
 今までどおりの大規模な「大会」開催といった、世間へアピールする自助グループでは不十分である。
 会員一人一人につきささるような課題解決を図ることのできる自助グループのあり方を模索する必要がある。    
 (ケー)


◆NPOハイテンションから会報をいただきました

2012年10月25日 | 本人活動
NPO法人ハイテンションさんから会報が田中理事長の所へ
送られてきました。

大変申し訳なかったのですが、私はハイテンションさんの事は
存じ上げていませんでした。
でも、法人の代表のかしわ哲さんのお名前は
最近、よくお見かけしておりました。

かしわ哲さんクリックをどうぞ

昨年の東日本大震災の後、宮城県の育成会の催しに
サルサガムテープというバンドがよく来るようになり
その代表がかしわ哲さんという方。
そして、今年の育成会の東北ブロック大会の本人分科会
でも、サルサガムテープさんがひとつの分科会を受け持ち
ご本人さんたちと一緒に大盛り上がり、大成功だったこと。

サルサガムテープクリックをどうぞ

私は、かしわ哲さんは「サルサガムテープ」のリーダーとして
障がいのあるなしに関わらず、音楽を通して共に生きることの
意味を発信している方だということくらいしか知りませんでしたが
なんと、昨年から生活介護事業「Jump」
放課後ディサービス事業「スローバラード」を開設し
そしてこの度、新たに居宅介護・重度訪問介護事業「Love jets」
手がける事にしたのだそうです。

福祉事業所を始めようと思ったわけ
サルサガムテープの活動は、16年前から行っているそうですが
障がいのあるご本人と親御さんの家族に出会い、障がいのあるお子さんと
まさに二人三脚で、ここまでがんばってこられた親御さんの
肉体的、そして精神的疲労を目の当たりにしながら、
「がんばってください」と外側から平気でいつまでもエールを
おくり続けられるはずがない。
との思いからだそうです。

そして、16年間という長い期間を障がいのある親子と
接してきたからこその文章をこの会報の中に見つけました。

要約して書き出します。
      


お子さんにお子さんの人生があるように、
親にも親の人生があり、
それぞれが輝いてこそ、幸せは実っていくのです。
誰かの犠牲の上に成り立つ幸せは、やがて
いびつな形へと姿を変え失った時間を悔いる日々だけが
それぞれ内面へ積っていくのです。

サービスを利用することに「うしろめたさ」や「遠慮」を感じられて
いる方もおられると思いますが、そんなことはありません。
元気でタフなスタッフが新たに加わりエネルギー全開ですので
どんどん利用して、楽しいときを積み上げてください。

      


サービスを利用することに「うしろめたさ」や「遠慮」があるという事を
理解しておられるという事が、私にはとっても嬉しかったです。

この、サービスを利用する「罪悪感」のようなものを乗り越えるのが
親にとっては、ちょっと高めのハードルだったりする事を理解して
くださっているサービス提供事業所の方は、そう多くはいないように
私はこれまでの経験で感じています。

サービスを利用しないと、結婚式やお葬式に出席できない、とか、
利用しないと入院できない。というような、差し迫った状況でないと
サービスをなかなか利用できない。という方が私の周りにも
まだまだいらっしゃいます。

自分の時間を作るためにサービスを利用しようと考えると
どうしても「うしろめたさ」を感じてしまうのです。

その事をしっかりと理解してくれ、言葉で発信してくれた
かしわ哲さんの事業所に、とっても興味がわいてきました。
こういう事業所がどんどん増えていってくれると良いですよね(F)



育成会活動の発展

2012年10月25日 | 地域福祉
 「知的障害者がいる家族の自助グループ」の問題について、本日も下記の学術論文を紹介する。
 津田英二氏によるもの。
 その第7回目。

 以下において、障害者問題を「個人モデル」から「社会モデル」とすることで、大きな変遷と発展があったとしている。
  
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【引用始め】

http://www2.kobe-u.ac.jp/~zda/00ken.html

『人間科学研究』第8巻第1号、pp.45-56、2000年12月
知的障害者がいる家族の自助グループにおけるネットワーキング

Networking Activities of Self-help Groups for Families of People with Learning Difficulties

津田英二 *Eiji Tsuda

Ⅰ はじめに

2 自助グループにおける2つの理念型

 障害学では、「個人モデル」と「社会モデル」といった分析枠組みが用いられている。

 「個人モデル」は、障害者問題を「当事者」の個人的な問題として障害者の社会への適応を求めるモデルであり、また「社会モデル」は、障害者問題を社会の問題として捉えて差別に対する権利を求めるといったモデルである(Oliver、1996、p.34)。

 「社会モデル」を主張する障害学の流れを汲むShakespeare は、障害者運動の新しさのひとつは、政治概念を投票や代議制などの政治過程のみでなく、個人的な課題や家族関係、社会関係などにまで拡張したことだと述べている。
 また彼は、個人的な悲しみなどに基づき、他のグループと競合する利害を追求する運動に対して、価値指向に基づき、他のグループと共同の利害を追求する運動を、新しい社会運動と位置づける(Shakespeare, 1993)。

 また、Drake は、障害者運動における障害者の位置と役割を明確にすることによって、Shakespeare の仮説を肉付けした。
 すなわち彼は、健常者がリーダーシップを握るイギリスの伝統的な慈善団体は、障害者が運営する新しいタイプのグループに比べて、多くの助成を行政などから引き出すなどによって、多くの資源とスタッフを確保しており、またヒエラルキー的で形式的な組織をもつ傾向にあることを明らかにしたのである(Drake, 1994)。

 さらに久保らは、自助グループ活動の発展過程を、第一に行政や一般社会に個別問題への対応を求める段階、
 第二に個別の問題を社会の協力関係の中で解決していこうとする段階、
 そして第三に前二者を統合する段階としている(久保他、1998、pp.25-9)。

【引用終わり】

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 現在、育成会がめざしている「共生社会づくり」は、久保らが唱える「自助グループ活動の発展過程の第三段階」にある。
 第一段階「行政や一般社会に個別問題への対応を求める」
 第二段階「個別の問題を社会の協力関係の中で解決していこうとする」
 第三段階「個別の問題を行政や一般社会に求めるだけでなく、社会に対して自らも協力関係を築いて問題解決にあたる」

 それは、第一段階は「自助+公助」
 第二段階は「自助+共助」
 第三段階は「自助+公助+共助」と言い換えることも可能である。
 こうした関係がうまくかみあってこそ、「共生社会」の実現に近づく。   
 (ケー)