水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

作者の死

2017年06月21日 | 国語のお勉強(小説)

 

 作者と語り手はちがう人だ。
 森鷗外と太田豊太郎とが別人であるように。
 作品内で「私」という語り手が、作者本人の行状とおぼしき物語をつづったとき、「私」=作者と勘違いしやすい。
 しかし、太宰の小説に出てくる修二さんと太宰本人とは別人だ。
 だから、おっさんが「あたし」と自分を呼ぶヒロインを造形することもできる。
 他ジャンルでも同じで、映画で役を演じる小出恵介さんと、実人生の小出恵介さんがまったく別人だ。
 アイドルを演じる須藤さんと、実生活の須藤さんとは別人格だ。
 ちゃんとした国語教育さえ受けていたなら当然の知識だが、そうなっていない。
 国語と言わずとも、せめて日本人がみなプロレスを楽しむ土壌があるなら、不毛な議論をしなくともすむにちがいない。
 ヒーローショーにたとえてもいいかな。「仮面ライダーとショッカーが、ショーのあとに打ち上げするのはおかしい!」と叫ぶのはおかしい。

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