水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

漢文不要論

2017年04月07日 | 教育に関すること

 

 百田尚樹先生が、「学校では漢文教えなくていい」と雑誌「SAPIO」で主張してらした。
 漢文などを勉強しても使う機会はないし、なにより中国文化を有り難がることになる、それはおかしいという、氏ならではの論拠にもとづいている。
 ただし、その主張を書き表している日本語の文章は、漢文が和文と混じり合うことによってできあがったものだ。
 漢文を土台にする言葉を用いないとなると、百田先生は『影法師』も『永遠のゼロ』も書けなかった。
 ていうか、今の学校で教えているレベルの漢文が、若者の中国文化信仰を生むことはないし。
 教えても教えなくても三国志オタクは生まれるし、教えても教えなくても中国に対する見方がそれによって変わることはない。
 日常生活で使わないことを理由にするなら、数学など中学レベルでさえ必要なくなってしまう。
 あ、だからやらない子が増えているのか。
 我が国の歴史や文化に対する敬意を養おうと国が考えるなら、むしろ漢文をもっとちゃんと教えるべきなのだ。 大学の先生だって、そう思っている人はけっこういるにちがいない。
 なのに、漢文を入試に出すと受験生減るから、やめようかという発想でどんどん少なくなり、別に百田先生が心配するまでもなく、漢文を勉強する人は減る一方だ。
 ふだん使うかどうかで判断するなら、この日本で普通に生活していて、英語を必要とする人はいったいどれくらいいるだろう。中国語や韓国語の方がその気になればよほど使えるではないか。東南アジアの言葉を話せる日本人が多くなれば、どれだけ国際的に貢献できるか。たとえば小学校の先生がベトナム語を話せたりしたら。
 グローバル化を目指すと称する大学が、「本学は多くの講義を英語で行っている」とうたっていることが多い。
 時間もったいなくね? お互い不自由になるだけだ。大学までいって、つまんない中身を英語でいいかえてみて、何の意味があるのだろう。
 せっかく母国語で高等な概念をやりとりできる国に生まれたのだから、その恩恵はうけながら、別のチャンネルで語学を学べばいい。

コメント (2)
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