透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

路傍の石神石仏 松本山辺地区

2012-03-11 | B 石神・石仏


 山辺(やまべ)は松本市の東側に位置する古くからある地区。文字通り、里にある里山辺と東、北、南の3方を急峻な山に囲まれた入山辺からなる。この季節、山辺からは遠く西方に北アルプスの白い峰々がよく見える。



文字書き道祖神(右)と常夜塔、左は青面金剛像(庚申塔)




文字書き道祖神 習字の手本のような癖のない楷書


これが青面金剛像だということは、しばらく前には分からなかった。知識を得ると見えない像でも見えるようになってくる。でも、まだまだ分からないことが多い。



石塔の高さ約1m、幅75cm。整った形の石に鳥居(鳥居は神明(しんめい)系と明神(みょうじん)系に分かれるとのことだが、この鳥居は「明神鳥居」と呼ばれる鳥居だと思う)。鳥居の右側に建立年が彫り込んであるが、文化の文字しか読みとれない。この辺りは江戸末期は林村だったということか。今ある町村よりずっと小さな集落単位の村がいくつもあったのだろう。



入山辺地区には平らな土地が少ない。石積みの擁壁で平らに造成した敷地に民家が建てられている。これは擁壁の祠に祀られた道祖神。上の道祖神と同じで明神鳥居に双体道祖神が納められている。この写真では分かりにくいが鳥居の額束に「道祖神」の扁額が掛けてある。




唐破風の下に彫られた平安貴族風の双体道祖神 

顔のあたりには何か塗った痕がある。地元の人たちが行事として行っているのだろう。雪の残る狭い生活道路に駐車していたので落ち着かず、また人も見かけなかったので、話を聞くこともしなかった。

(追記)誰にも見られることなく道祖神に餅を塗ると良縁に恵まれるという言い伝えがあることを知った。


青面金剛像

像の上にあるのは太陽と月だろうか。これにももちろん意味があるはずだが、分からない。もしかしたら正月の御柱の日天、月天とも関係があるかもしれない。民俗学か・・・。


安曇野市三郷北小倉の御柱

下には見まい、聞くまい、しゃべるまいの三猿が並んでいる。三猿が刻まれるようになったのは江戸時代のことだと資料(「道祖の神と石神様たち」西川久寿男)にある。三猿を三尸になぞらえて悪事を天帝に報告させないという意味から来ているのだという。



青面金剛像の隣の馬頭観音碑 勢いのある文字だ。

山辺地区にはまだまだ石碑があるだろう。新緑の頃、再訪したい・・・。


 ■ 死者15,854人、行方不明者3,155人(11日付信濃毎日新聞朝刊による)を出した東日本大震災発生から今日で1年が経った。私はこれら路傍の石神石仏にそっと手を合わせた。


「戦火の馬」

2012-03-11 | E 週末には映画を観よう



「戦火の馬」チラシの一部  馬のジョーイと少年アルバート 

 スティーブン・スピルバーグ監督作品の「戦火の馬」を観た。この映画は強い絆で結ばれた馬と少年がそれぞれ苛酷な戦火を生き抜いて奇跡の再会を果たす物語だ。

イギリスの田舎、広大な緑の大地で貧しい農家の少年アルバートに飼われていた馬、ジョーイが第1次世界大戦勃発でイギリス陸軍に売られ、軍馬として戦地に駆り出される。イギリス人将校、ドイツ軍の少年兵、両親を亡くして祖父と暮らすフランスの少女・・・。ジョーイはさまざまな人たちとの出会いと別れを繰り返しながら戦地を生き抜いていく。ドイツ軍の苛酷な軍役に多くの馬が死んでいく中、喘ぎつつ黙々と軍役をこなすジョーイ。やがてアルバートも兵士として戦場へ。次々と兵士が死んでいく壮絶な最前線でアルバートも生き抜く。

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イギリス軍とドイツ軍が対峙する戦場を狂ったように疾駆するジョーイ。やがて体に有刺鉄線が幾重も巻きついてジョーイは動けなくなってしまう。万事休す。一方、アルバートは砲弾をかわして生き抜くもドイツ軍が仕掛けた毒ガスで目を傷めてしまう。ああ、なんということだ・・・。

だが・・・、この後、ジョーイとアルバートは奇跡の再会を果たす。それを観て私は安堵の涙を流した。再会までの過程は書かないでおく。

勇気と希望をもってあらゆる困難に立ち向かい、生きていく・・・。3.11 あの大震災から1年。