透明タペストリー

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円周率

2008-08-03 | A あれこれ


 今日の朝刊(信濃毎日新聞)に小学校での円周率の扱いに関する記事が載っていた。**小学校の新学習指導要領で、円周率(3.14)は「目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する」との現行要領の記述が削除された。「円周率は3と教える」との誤解を生み、「ゆとり教育」批判にも使われた部分だ。**とリード文にある。

この記事には**3.5ならともかく3.1程度ならば、3で概算しても問題ない。日常生活で活用するには概算の力を付けたほうがいい。**という小林道正・中央大教授のコメントも載っている。

この記事を読んで私は学生時代に読んだ『時間・空間・物質』小野健一/三省堂選書を思い出した。この手のタイトルの本はやはり理系の学生の関心を惹く。

この本には次のような記述がある。少し長くなるが引用する。

**物理学は精密科学である。ところが精密というのがまたいろいろ誤解の多い言葉である。精密とは一口で言うと適用限界を心得ていることであって、有効数字の桁数の多いことではない。実験値をグラフの上にプロットした結果が散ってしまって、あまりきれいに一つの曲線の上に乗ってくれなかったとしよう。物理学者ならば目分量で大体の傾向をにらんでなめらかな曲線を一本引くであろう。あるいは、鉛筆の代わりに太いチョークを使って、どの実験値も曲線の上に乗るように太い線を引くであろう。こんなやり方に対して反応の仕方に二つのタイプがあるようである。
第一のタイプは若い研究者に多いタイプで、物理学は精密科学なのだから、太いチョークなどを使うのはとんでもない。データが散ったらそれはそれで仕方がないから、測定値をそのままぎざぎざの線で結ぶべきという反対である。(中略)
第二は技術者に多いタイプで、はじめのデータが散っていたこと、それを太いチョークで結んだことを忘れて、太い線で描かれた公式を使って小数点以下何桁でも計算するタイプである。(中略)
物理学者が太いチョークを使うのは少しもさしつかえない。物理学が精密科学であるというのは、細い鉛筆を使うことではなくて、使った鉛筆の太さを最後まで忘れずにいることなのである。**

著者の技術者に対するこの指摘を否定することはできない。日常的に経験することだから。

まず全体像をザックリと把握するという姿勢はどのような対象にも必要だと思う。その際には例えば円周率などは3でまったく差し支えないことだってあるだろう。常に3.14で扱おうとするとその場で暗算できない場合が出てきてしまって概算が出来なくなってしまう。とんでもない桁違いをしても全く気が付かないなどという事態だって起こり得る。その意味では目的に応じて円周率を3として処理してよいという内容が学習指導要領から削除されたことが残念でならない。

『時間・空間・物質』から引用した先の指摘を常に頭の片隅に置いておかなければならないだろう。


「こころ」を読む

2008-08-03 | A 読書日記



「読書の秋」といいますが私の場合読書といえば夏というイメージが強いです。やはり小中学生の頃、夏休みに長篇小説をよく読んだ記憶がそのような印象を抱かせるのかもしれません。あまり「名作」を読んだという記憶はありませんが。

このところ小説を読む気にならず新書をよく読んでいましたが、ようやく小説モードになりました。これを維持すべく『こころ』を読み始めました。例の限定スペシャルカバーの白い新潮文庫です。偶然にも夏休みで帰省したMも『こころ』を読み始めていました。ただしMは角川文庫。

日本を代表する作家を一人だけ挙げるとすればどうでしょう。村上春樹?いや、やはり夏目漱石ではないでしょうか。そして代表作ということになると『我輩は猫である』を挙げる人が多いかもしれませんね。いかがでしょう。では、漱石の最高傑作を挙げるとなると・・・。この『こころ』ということになるかもしれません。現に角川文庫のカバーには**時代をこえて読み継がれる夏目漱石の最高傑作。**とあります。

今年のお盆休みには緑陰で漱石を読もうと思っていますが叶うかどうか。