■ 昨晩アルコールな気分で書いたブログ。
「夏にさようなら」って短編小説になりそうなくらいストーリー性のある歌詞だと思いましたが、高橋真梨子の「とまどい小夜曲(セレナーデ)」のような展開、つまり 本気になってもいいのね・・・となるとそれは通俗的な小説にしかならないな、と今朝思いました。
やはり理性的に判断して終止符を打たなくては・・・。
北杜夫の『木精(こだま)』は、まさにそのような展開です。主人公は人妻との不倫の恋を清算するためにドイツに渡ります。そこで作家として生きていくことを決意して『幽霊』を書き出すのでした。こういう展開にすることでこの小説が「文学」になっているのです。
寂寥感、孤独感は文学の主要なモチーフですから。
伊東ゆかりが歌うように、寂しさに耐えて冷静に幕を引くのが文学的には正解ですね、きっと。
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秋立つや
一巻の書の
読み残し
この句は漱石が芥川龍之介に書き送った手紙に記されていたそうです。昨日の朝、ラジオで聞きました。この手紙を書いてから数ヵ月後に漱石は亡くなったそうですから、これは最後の句なんでしょう。読み残して心残りだったのは一体どんな書物だったのか・・・気になりますが、きっと難しい本だったでしょうね。
秋立つや
一巻の春樹
読み残し
私の場合、村上春樹の長編『ねじまき鳥クロニクル』第3部の途中で秋になりました。