第2回目は、知っているようで知らない、潜水夫研修に関する全体像です。
これを見れば、「サルウミ」という映画の第1作を見るときのある程度の予備知識になるかもしれません。
なにしろあの映画ときたら、うちの会社の潜水夫が「全職員のわずか1パーセント!」だの「究極のきつい研修!」みたいな、まるで毛唐のクソ映画を「全米が震撼!」とかいって売り出すのと同じような表現をしているため、逆に実態が見えにくいと思いますので、等身大の全体状況をご紹介いたします。
1 実施時期
1年に2回あります。前期は5~6月、後期が9~11月です。
カリキュラムや受講時間数は全く同じなのですが、国民の休日が多い関係上、後期の方がちょっと長い状態になっています。
ただ、広島市や呉市近郊の、他大学の女子大生と仲良くなりたいなら、前期のほうがいいんじゃないっすかね(学生祭があるため)。
当然モテないことでは今も昔も人後に落ちない私には、なんにも関係ない話ですが!!!!!!(ガックリ)
2 研修生の数
各研修ごとに16名、8バディです。
かつてはプールのコース数が7コースだけだったので、7バディ14人だったのですが、むりやりコースラインを1つ増やし、私が参加した時から、現在の8バディ16人になりました。
うちの会社の地方本社の数が11。その地方本社が1回の研修につき1~2人の研修生を送れます。ですので、たとえ前期の研修で1人しか研修生を送れずとも、後期でもう1人送れることができますので、潜水行政的に支障を生じたことはありません。
ただ、無駄にたくさんの潜水夫の乗る船や、漫画でも有名になった「トッキュウ鯛」という、脳みそ筋肉組織を持つ「横浜地方本社」と、オタクの間で話題沸騰の「とくしゅぶたい」なるものを持つらしい「神戸地方本社」は、恒久的にたくさんの潜水夫が必要らしく、けっこうたくさんの人を研修に送り込んでましたっけか。
え、お前の枠はどこの「地方本社」だったって?まあそこは、アハハハッハハ・・・・(汗)。
3 カリキュラム
前半の1ヶ月は午前座学、午後プール実習です。
水曜日は体の休養を兼ねた「潜水止め」の日で、この日の午後は体育や資機材整備などに充てられます。当時の潜水教官のU教官が野球大好きだった関係で、よくソフトボールをしてましたっけ。
後半の1ヶ月は、研修の行われる幹部学校の前面海域での慣海実習と、よその海域での海洋実習に充てられます。映画「サルウミ」で、ちびノリダーが死んだ実習は、この海洋実習になります。
映画のせいで、海洋実習で行われる深深度潜水はとても危険な訓練、というイメージを持たれがちですが、1年に単純計算で32人の研修生がヤレル程度のことですよ。死ぬことを前提とするほど、難しい訓練なはずないでしょうが(呆)。
映画のせいで変な先入観を持ってしまった方に言いますが、「潜水夫研修は、手足がちゃんと合計4本付いている人間なら、誰でもできます!」
4 教官
研修を主催する幹部学校には、この研修専門の教官が2人います。映画では藤竜也しかいませんでしたが、本当は2人います。
ただ、教官2人だけでは16人を見るには全然足りないので、プール実習時に1隻、海洋実習時に2隻、うちの会社の潜水夫を積んでいる船を派遣し、その潜水夫を「アシスタント教官」、乗組員をデッチとして使う制度が確立しています(ちなみに私は若き日、この「デッチ」を4回やりました!!)。
派遣船の潜水夫教官のことを、各バディに1人ずつ教官がわりにつくことから、「バディ教官」などと呼んでいます。
このバディ教官、たまにはすごい人もいますが、大方が普通、あるいは普通以下の「教官」です。私の時はたまたま、プール・海洋ともおだやかなで実力ある方であったため、(私が)暴力を振るうことがなくてよかったです。
5 お休み
カレンダー通りです。
ですんで、金曜日の夕方になると私はとにかく、実家に帰ることしか考えていませんでした。
コンパなんて馬鹿らしくて(←モテないから)。
いちおう研修中、しょうがないのでイヤイヤながら人数合わせで出たコンパがありましたが、当然早く帰って実家でメシを食ってました。
考えてみりゃ、寂しいヤツですね。
6 サラメシ
ウィークデーのごはんは、幹部学校の食堂です。
同じ学校の食堂なのですが、私が韓国語研修をしていた頃のメシは、本当にひどかった。
ゴムのような肉、ダシのない味噌汁(しかも具がキャベツ)、糊のようなゴッチンメシ。ちなみにそんな飯を供与していた当時の補給長は、後日、収賄で捕まりました(笑)。
なので4年ぶりに潜水夫研修で戻ってきたとき、メシがあまりにも普通の飯になっていたので、違う意味でびっくりしました。
でも、昼イチで行われる呼吸停止が苦しいので、どんなにうまいものが出てきても、月、火、木、金曜日の飯は腹いっぱい食えませんでしたっけ(泣)。
学校の寮内では酒が飲めないので、当時学生寮で売っていた、ノンアルコールビールをよく飲んでいましたっけ。
(その3)からはまた、個別のお話に戻しますね。
これを見れば、「サルウミ」という映画の第1作を見るときのある程度の予備知識になるかもしれません。
なにしろあの映画ときたら、うちの会社の潜水夫が「全職員のわずか1パーセント!」だの「究極のきつい研修!」みたいな、まるで毛唐のクソ映画を「全米が震撼!」とかいって売り出すのと同じような表現をしているため、逆に実態が見えにくいと思いますので、等身大の全体状況をご紹介いたします。
1 実施時期
1年に2回あります。前期は5~6月、後期が9~11月です。
カリキュラムや受講時間数は全く同じなのですが、国民の休日が多い関係上、後期の方がちょっと長い状態になっています。
ただ、広島市や呉市近郊の、他大学の女子大生と仲良くなりたいなら、前期のほうがいいんじゃないっすかね(学生祭があるため)。
当然モテないことでは今も昔も人後に落ちない私には、なんにも関係ない話ですが!!!!!!(ガックリ)
2 研修生の数
各研修ごとに16名、8バディです。
かつてはプールのコース数が7コースだけだったので、7バディ14人だったのですが、むりやりコースラインを1つ増やし、私が参加した時から、現在の8バディ16人になりました。
うちの会社の地方本社の数が11。その地方本社が1回の研修につき1~2人の研修生を送れます。ですので、たとえ前期の研修で1人しか研修生を送れずとも、後期でもう1人送れることができますので、潜水行政的に支障を生じたことはありません。
ただ、無駄にたくさんの潜水夫の乗る船や、漫画でも有名になった「トッキュウ鯛」という、脳みそ筋肉組織を持つ「横浜地方本社」と、オタクの間で話題沸騰の「とくしゅぶたい」なるものを持つらしい「神戸地方本社」は、恒久的にたくさんの潜水夫が必要らしく、けっこうたくさんの人を研修に送り込んでましたっけか。
え、お前の枠はどこの「地方本社」だったって?まあそこは、アハハハッハハ・・・・(汗)。
3 カリキュラム
前半の1ヶ月は午前座学、午後プール実習です。
水曜日は体の休養を兼ねた「潜水止め」の日で、この日の午後は体育や資機材整備などに充てられます。当時の潜水教官のU教官が野球大好きだった関係で、よくソフトボールをしてましたっけ。
後半の1ヶ月は、研修の行われる幹部学校の前面海域での慣海実習と、よその海域での海洋実習に充てられます。映画「サルウミ」で、ちびノリダーが死んだ実習は、この海洋実習になります。
映画のせいで、海洋実習で行われる深深度潜水はとても危険な訓練、というイメージを持たれがちですが、1年に単純計算で32人の研修生がヤレル程度のことですよ。死ぬことを前提とするほど、難しい訓練なはずないでしょうが(呆)。
映画のせいで変な先入観を持ってしまった方に言いますが、「潜水夫研修は、手足がちゃんと合計4本付いている人間なら、誰でもできます!」
4 教官
研修を主催する幹部学校には、この研修専門の教官が2人います。映画では藤竜也しかいませんでしたが、本当は2人います。
ただ、教官2人だけでは16人を見るには全然足りないので、プール実習時に1隻、海洋実習時に2隻、うちの会社の潜水夫を積んでいる船を派遣し、その潜水夫を「アシスタント教官」、乗組員をデッチとして使う制度が確立しています(ちなみに私は若き日、この「デッチ」を4回やりました!!)。
派遣船の潜水夫教官のことを、各バディに1人ずつ教官がわりにつくことから、「バディ教官」などと呼んでいます。
このバディ教官、たまにはすごい人もいますが、大方が普通、あるいは普通以下の「教官」です。私の時はたまたま、プール・海洋ともおだやかなで実力ある方であったため、(私が)暴力を振るうことがなくてよかったです。
5 お休み
カレンダー通りです。
ですんで、金曜日の夕方になると私はとにかく、実家に帰ることしか考えていませんでした。
コンパなんて馬鹿らしくて(←モテないから)。
いちおう研修中、しょうがないのでイヤイヤながら人数合わせで出たコンパがありましたが、当然早く帰って実家でメシを食ってました。
考えてみりゃ、寂しいヤツですね。
6 サラメシ
ウィークデーのごはんは、幹部学校の食堂です。
同じ学校の食堂なのですが、私が韓国語研修をしていた頃のメシは、本当にひどかった。
ゴムのような肉、ダシのない味噌汁(しかも具がキャベツ)、糊のようなゴッチンメシ。ちなみにそんな飯を供与していた当時の補給長は、後日、収賄で捕まりました(笑)。
なので4年ぶりに潜水夫研修で戻ってきたとき、メシがあまりにも普通の飯になっていたので、違う意味でびっくりしました。
でも、昼イチで行われる呼吸停止が苦しいので、どんなにうまいものが出てきても、月、火、木、金曜日の飯は腹いっぱい食えませんでしたっけ(泣)。
学校の寮内では酒が飲めないので、当時学生寮で売っていた、ノンアルコールビールをよく飲んでいましたっけ。
(その3)からはまた、個別のお話に戻しますね。
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