集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

通常営業・或る阿呆黒帯による「マキワラ鍛錬の有用性」

2017-06-05 22:02:04 | 格闘技のお話
 タイトルに関しましては、「段位もないヤツが、空手の話を語るな!」と言われるための予防線として、有段者である旨を記載していることをお許しください。なお、私の所有する段位は、空手は空手でも、フルコンとグローブ空手の2流派における段位(初段と三段のふたつ)であり、修行の機序から言えば、「マキワラ鍛錬」を語る資格はほとんどないのですが…いちおう空手を愛好する有段者の発言、ということでご寛恕下さい!

 「巻藁(まきわら)」という、空手の伝統的鍛錬器具がございます。
 まず、オリジナルの巻藁とは一体いかなるものなのか。
 ベストセラー作家でありつつ、自らも「空手道今野塾」を主宰し、古い沖縄の空手を窮めている今野敏先生畢生の名著「琉球空手、ばか一代」(集英社文庫)によりますと、スタンダードな「巻藁」とは下記のようなものだそうです。
「まず、十センチ四方の粘りのある角材を探す。固く粘りのある材質が望ましい。その一方を、端に行くほど薄くなるように削る。そして、反対側に短い木材を十字架のようにくくりつける。つまり横木だ。横木は長いメインの角材を挟むように二本取り付ける。
 大きな穴を掘り、横木ごと埋めてしっかり固定する。この横木の支えが重要なのだ(中略)。
 上に行くほど薄くなるように削った角材が地面に立った。今度はその上端に縄などの藁を巻いていくのだ。
 さあ、これであなたも空手家の仲間入りだ。」

 ビジュアルイメージとしては、「地面から上に向かって薄く削られた板がひょこっと立っている」でいいのではないでしょうか。
 ちなみに、この「角材」の長さは、地面に埋める部分の長さも併せると、3~5mほど必要だそうです( ゚Д゚)。
 この巻藁なる鍛錬器具、大昔に一世を風靡した劇画「空手バカ一代」のせい…だけでもないのですが、実際にこれを殴って修行した方の意見が顧みられることなく、都市伝説だけが独り歩きした結果、「何やらよくわからない伝統鍛錬器具」という意見と、そのその揺り戻しのような心理作用から「古い因習に煮しめられた、現代のカラテには全く役に立たないもの」という誤解が生じたまま、現在に至っているような気がしてなりませぬ。
 しかし、この巻藁というものは、その設置の意味をよく理解したうえで、方法や設置場所にさせ工夫をこらせば、実はサンドバッグなどに勝るとも劣らぬ、すばらしい逸品たりえるということを、私の如きゴミのような空手修行者を含め、今日の空手家はぜひ知るべきでございましょう。
 
 巻藁などという、ねばりのある材質の、しなる柱状のものを殴り続ける理由とは何か?

 もし、巻藁を殴る目的が「相手の動きに大して正確に追従し、殴る練習」であれば、それはボクシングのミット練習や、パンチングボールの方がよほど優れています。わざわざ動かない柱のようなものを殴る理由とはなりません。
 また、古の空手は一対一の素手の勝負ではなく、一対複数の戦い、あるいは武器を持った相手との戦いも想定した総合格闘技であったことから考えれば、サンドバッグやミット、パンチングボールと言った、「サシで素手で殴り合う」ために必要なトレーニングは、「必要ない」の一言で切り捨てていいものとなります。

 ではマキワラ鍛錬の目的は「拳を鍛える、固くする」ためなのか?
 これもおそらく、違うと思います。
 むろん、巻藁を殴らないより、殴った方が拳の皮膚は鍛えられるでしょう。
 しかし、「拳自体を鍛える」ためには、殴る力をすべて受け止め、逆に拳に向かって反作用を叩き返していくくらいの質量・硬度を持ったものが必要となるはずです。巻藁のように、柱のしなりによって殴る力が抜けてしまうものは、「拳自体を鍛える」という目的を果たすには、造りが弱いように感じます。
 「拳を鍛える」ことを主目的とするなら、「グラップラー刃牙」の愚地独歩のモデルとなった、中村日出夫拳道会総師(故人)のように、作用・反作用が明確な巨大な砂袋を毎日毎日殴るべきでしょう。
 そう考えると、巻藁を叩く目的が「拳自体を鍛える」というのも、的外れな気がします。

 ちなみに、巻藁による鍛錬は、江戸時代後期に「武士(ブサー)松村」こと松村宗棍が、薩摩示現流の立木打ちをヒントに考案したとされており、「ティー(手)」の修行方法としては比較的歴史の浅いものなんだそうです。

 もともと「ティー」の修行方法としては比較的新参者でありつつ、時代を経て「空手の修行になくてはならない」とされるようになった巻藁鍛錬の意味…これはあくまで「私個人の見解」ということをお断りしたうえで…巻藁を殴って鍛えるべきもの、それは「全身の関節を揃え、その力を拳に集中させる」ことを実現するためではないかと思います。

 人間の体は400いくつの筋肉で構成されておりますが、それが各個にバラバラに動いていては、最高のパワーは出力し得ません。
 むろん、型を練ることによって「関節を揃える」ことはかなりのレベルまで可能になりますが、「画竜への点睛」を決めるためには実際にモノを殴る、しかも比較的人体に近い強度(ある程度の固さと反発力がある)であり、かつ幅が狭く、適当に粘度のあるものを殴ることにより、拳を中心として全身の関節を一つにそろえ、自分の身体のパワーを、文字通り拳一点に集中させるということが、巻藁鍛錬の本来意義ではないかと思うのです。

 後年、「関節を揃えて突く」ことと「ヒットマッスルを養成する」ことを二つながら実現すべく、日本拳法空手道(防具組手の日拳とは無関係の団体)創始者・山田辰夫先生が「提巻藁」(巨大な球形のバッグに、自転車のチューブの切れ端を大量にねじり込んだもの)を作成したらしいのですが、これは巻藁鍛錬の本来意義を十分に理解した上でマイナーチェンジを行った、驚嘆すべき鍛錬器具であると思います。
 ただ残念ながら、世の中には巻藁を叩く目的を「拳の皮をめくるため」あるいは「昔の人がやっていたから、仕方なく殴る」と思っている指導者が山のようにおり、「仏作って魂入れず」ならぬ「巻藁殴るが(本当の意味での)拳鍛えず」みたいな状況になっているのは、残念としか言いようがないところですなあ😞。