集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

通常営業 続・台形の体力の上に二等辺三角形の技術が乗っかる

2017-02-20 09:31:05 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 現在、「日本伝武道」と呼ばれるものは、間口の広いスポーツになっております。

 まあ、それはそれで悪いことではないのですが、ショボい体力しかない人が「合気道とは体力のいらない武道で…」とか、「柔道とは柔能く剛を制するのだから、力がいらない…」などといういわゆる「人寄せキャッチコピー」をうのみにすることは、武道の本質を見失わせるのではないかと思うのです。

 「日本刀真剣斬り」(並木書房)によりますと、武道武術が、掛け値なく人殺しの技術だった鎌倉時代、武士の表芸は馬術と弓術。
 当時武士の家では、10歳ころから去勢していない荒馬に乗せ、強弓を引かせることをガンガンやらせていたそうです。そのころから専門的体力と専門的技術を叩き込まないと、間に合わないということの証左でもあります。
 当時の武士が引いていた弓は六分弓とか七分弓(弓のけん引力が40キロ~50キロくらい)だそうで、そうしないと実際に戦場で相手を殺すのに必要な飛翔力を与え得ないそうです。
 更にツワモノは、「二人張り」とか「三人張り」と呼ばれる、大人が2~3人かがりでないと弦を張れないような強弓を引いていたとかで、驚くばかりです。そうした強弓を自在に操ったツワモノとしては、鎮西八郎為朝とかが有名ですね。
 ちなみに、それくらいのけん引力の弓を平気で引くためには、米俵(重さ60キロ)くらいは、片手でヒョイと持てるパワーが必要であったそうです。
 なお、現代の弓道で使われる弓のけん引力は二分(14キロ)程度。これじゃあ、人を殺せるだけの矢は飛ばせない…

 時代が下って、武士の表芸が剣術になった江戸時代には、やはり専門的体力を養成するため、入門者には極太の振り棒を、筋骨が砕けるくらい振らせていたと聞きます。
 坂本龍馬が幼少期、日根野弁治の道場に入門したとき、最初は極太の振り棒の素振り三千回、それが終わったら道場をすべてぞうきんがけして帰る、ということだけをひたすら続けさせたそうです。
 坂本龍馬のみならず、幕末の剣豪の修行時代の話は「極太の振り棒をひたすら振った」というところで一致しており、重い刀を意のままに扱うためには、まずは初期段階でそうしたことを徹底しないといけないという証左です。
 
 もし、冒頭にあげた「武道は力がいらないんだ」みたいなことが本当なら、武術を窮めた昔の名人の鍛錬が、すべてウソということになります。
 やはりその道を窮めるためには、専門的体力の向上は避けて通れない道であり、その道を窮める過程で、技術の先鋭化にともなういわゆる「省力」、つまり、技術レベルが一定以上に達した結果、従前より少ない力で、大きな力を発揮できるようになるという現象が起きることはありえますが、入門のときと同じ体力のままで、「省力」のレベルに立ち至れるかというと、それは絶対違うんじゃないかと思うのです。
 「省力」の現象、本稿でいう「先のとがった二等辺三角形の技術」を窮めるためには、反復練習が必要です。
 その反復は、体力があればあるほど有利であることは論を俟たず、そういった観点からも「力はいらない」「そんなに体力はいらない」というのは、絶対に鵜呑みにしてはならないキャッチコピーであると断言できます。

 現代武道では、ともすれば「●●には力はいらないのだ」「フィジカルトレなどで身に着けたパワーは動きを固くするし、●●の上達には却って害をなす」みたいなことを平気で言う人がいますが、それは武道の本質を見誤る妄言であり、ただ「しんどいことをしたくない」という言い訳に過ぎないと思います。
 武道は「一朝ことある時には、実力でその敵を害する」という気概を忘れてはなりませんし、それができる力を涵養し、また、技術水準を高めるためには、専門的体力を向上させることを怠っては絶対にダメだと思います。

 しかし、米俵をヒョイと抱える鎌倉武士のパワー、憧れます。