湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/5 今回は重い話が続きます(元市議友人の訃報/瀬戸大作氏の5/4)

2021-05-06 04:34:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/05/05 記
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元市議の大関さんが亡くなった。癌闘病が続いていたので、恐れていたことがの気持ちが強い。就労支援の件で、横須賀上町から京急県立大学までの坂道を歩き、施設まわりをしながら、不登校・引きこもり支援活動と、発達障害等障がい者支援活動が、二系統の無縁な活動のように反目している不毛な状態のことを語っていたことを思い出した、古い話である。

ふたつの見学施設がそんなセクショナリズムを越えて、地域にふくらむ豊かさを見せてくれたことを、ふたりでうなずき合っていた。私は大関さんの、どこにでものりこんでいくパワーと、施設取材にみせた共感力の強さを認めていた。この出来事を契機に、私の数少ない友人のひとりとなった。

身の回りから地域の友人がまたひとり去って行った。今、壁を片目で睨み、おもかげを追っている。
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反貧困ネットワークの瀬戸大作の追憶に、込み上げるような悲しみをおぼえシェアさせてもらった。

ここにでてくる女性は、昨年11月東京・幡ヶ谷のバス停で、近所の男性が路上生活者排除として撲殺した被害者として、社会的排除の淵で亡くなった事件の連想となった。まずは、当時のニュースをごらんください。

●「NHK おはよう日本」

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>5/5 瀬戸大作氏FBシェア
-----------ここから-----------

5月4日(木)
❶5月4日は必ず神奈川県の公園に向かう。今年は松本徳子さん、村田弘さん、満田夏花さんも来てくれた。私たち「避難の協同センター」の相談者であるNさんが公園内で自死した日だ。
★2017年5月4日の事だった。Nさんは2012年に夫の反対を押し切って2人の子どもを被ばくから守るために郡山から200キロ離れた東京に母子避難した。私との本格的な出会いは2016年の年末に差し掛かる頃だった。パルシステム本部の2階で開催した相談会に切羽詰まった状態でNさんが現れた。仕事はダブルワーク、自分の物を切り詰めて子どもたちの大学の入学費を貯金していた。2017年4月には二人目の子どもの大学進学を控えていた。Nさんを追い詰めた理由は別にあった。政府は2017年3月末で区域外避難者の住宅無償提供を打ち切る方針を決定、2016年春から個別に説得工作をはじめた。「いまお住まいのみなし仮設住宅から退去して頂く」Nさんは追い詰められた。住んでいた雇用促進住宅の居住条件から外れた状態、入学金と初年度の学費を貯金してきたが、住まいから退去を迫られたが、新たに東京で住居を借りる余裕は最早なかった。Nさんは既に体調を崩しており、顔面が少し麻痺している事が解った。
★私は年明けから2か月、Nさんが雇用促進住宅に継続居住できるようにJKK、SK公社に出向き交渉を続けた。Nさんとは同学年、交渉先に向かう車中で、浜田省吾の「もうひとつの土曜日」を一緒に聞いた。何とか継続居住が実現できた。しかし月6万3000円の家賃がかかるようになった。今後は元気だったころの自分の貯金を取り崩しながら2人分の大学授業料と家賃、生活費を支払っていかなくてはならない。3月の終わりにNさんの父が病に倒れた後、Nさんも疲れ果てても入院となった。「入院費がかさむと、大学に通う子どもたちを退学させなければならなくなる」私に病院からメールが来た。郡山の病院まで自家用車で迎えにいった。「少しずつよくなればいいから」と励まし一時住宅を用意した。
★2017年5月4日は午後から会う約束をしていた。福島県からの家賃補助を受ける方法があったので説明と久し振りにファミレスでご飯を食べようと思った。朝7時30分位に別の女性支援者が電話で話していた。しかし8時30分頃、住宅から500メートルほど離れた公園途中の階段にある木に洗濯用ロープを張り、首をかけ、体重を預けた。私が病院に駆けつけた時は既に脳死状態だった。その日の深夜にNさんは亡くなった。夫は遺品を片付ける事もなく私たちに部屋の掃除、遺品整理の作業を預けた。
★避難の協同センター松本徳子さんと満田夏花さんと部屋の掃除をおこなった。1枚の卓上カレンダーに書かれてあった「ゴメンね」のメモ あれから5年が経過した。私の現在の困窮者支援の原点がNさんです。そしてどんなに月日が経っても5月4日はNさんに会いにいきたいと思います。「独りにしちゃってゴメンね」
❷夕方は、昨日の朝に配送車と接触して重体となってしまった小田原の母がいる市立病院に向かい「オンライン面会」幸いに頭からの出血は収まり、強力な麻酔で痛みを和らげていたのでタブレッドの向こうにいる母は元気だ。元気な理由は、自分が車と接触して入院してている事が認識できていないのだ。明日にでも帰れると思っている。骨が10本以上折れていて肺に穴が開いている。予断は許さない。長期の入院での身体の衰えが気になる。でも私の困窮者支援の様子をテレビで欠かさず見てくれて「頑張れ!」と励まし続けてくれている母、元気に帰ってきてほしい。
-----------ここまで-----------
瀬戸さんは、はご母堂の事故入院という非常時まで、活動との二股を押し切るパワー。身が悲鳴を上げなければいいがとさえ思うのだが。
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母の打ち身がだいじょうだったので、一安心。私は久々に起床時足がつって、温湯を患部にかけて回復させた
。バイタルが低く、関連を調べている。

(校正1回目済み)

コメント
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