花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

レーニンとは何だったか

2006-08-17 22:41:30 | Book
 エレーヌ・カレール=ダンコース著 「レーニンとは何だったか」(藤原書店刊)は、権力に捧げられた男の生涯が綴られている。レーニンは、反政府活動家の中で指導的立場にあったプレハーノフらのような影響力はなかったが、新聞発行権を握ることで徐々に力を蓄え、ボリシェビキ内に地盤を築いていった。レーニンの活動母体であるボリシェビキはメンシェビキに対して劣勢にあったが、レーニンは革命諸勢力による意思決定の会議で巧みに政治力を発揮し、ボリシェビキの存在を高めていった。さらには、帝政ロシアを潰したいドイツから援助を受け、資金力でも他の革命諸勢力の優位に立つ。帝政ロシア打倒後は、革命政権の中でやはり巧みな政治力を駆使し権力掌握を目指していった。だが、レーニンは皆が待ち望む存在ではなかった。かつて、プレハーノフに衆望が集まっていたように、今度はトロツキーが指導者にふさわしいと思われていた。しかし、ドロドロとした権力闘争においてトロツキーはインテリ過ぎたのか、あるいはレーニンの力を見くびったのか、権力を握ったのはレーニンであった。レーニンは党を中心に据えた支配機構を作り上げ、人民と離れたところで政策を決定する共産党独裁体制を敷き、党幹部には忠誠を求めた。レーニン体制に反対する者には容赦なく「純化=粛正」をもって応えた。結局、レーニンは自らを頂点とする権力装置を作り上げたところで、歴史上の役割を終えたかのように病で死ぬ。
 ダンコース女史が描くレーニンは、理想の実現を目指す革命家ではなく、権力を我がものとするためにありとあらゆる手を使った王位簒奪者である。また、この本を読んで「ロシア革命とは王朝交代劇」との印象を受けた。レーニンは自分のことをマルクス主義の正統的継承者であると言い続けていたけれど、実際には民衆を支配の対象としか見なかった。政治的価値の実現に命を張るのではなく、あくまでも権力それ自体に命を賭けた。議論よりも「死人に口なし」を選んだし、ロシア革命の前と後で、庶民は相変わらず虐げられたままであった。レーニンの革命は同じ革命でも、西欧における革命、例えばピューリタン革命や名誉革命よりも、易姓革命と呼ばれる中国における放伐に近いような気がする。
 余談だが、レーニンの死後、レーニンの遺品である権力装置を徹底的に使い切ったのがスターリンである。権力を追い求め王朝を創始したレーニンと、権力を使いまくり暴君に終始したスターリン。そして、レーニンはレーニン廟に祀られ、そこで今もなお眠り続け、かたやソ連崩壊後スターリンの銅像は引き倒された。これも、王朝史にふさわしいような気がする。

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