花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

人生を終わらせるため東大へ向かった

2024-05-12 19:25:52 | Weblog
 2022年の大学入学共通テストの日、東大理三を目指していた高校2年生が東大前で人を刺した事件は、人々に大きな衝撃を与えました。この事件の初公判は2023年10月に開かれました。以後、法廷を傍聴し続けた記者による記事が、5月11日の朝日新聞朝刊に掲載されていました。

 記事によると被告の高校生活は勉強一色。休み時間も放課後も土日も勉強漬けで、高2の夏休みの勉強時間は日に14時間でした。そして、周囲は「ライバルで蹴落とす対象」としか見ていなかったそうです。高2になって成績が下がり出し、三者面談では東大理三からの志望校変更を勧められます。東大理三の旗を降ろすと、周りからバカにされるのではと心配し、自殺を考えるようになりました。

 「テスト会場のような所で死ねたらいいんじゃないか。人を殺したり放火をしたりして人様に迷惑をかければ、死への踏ん切りがつくのでは」と思い、犯行に及びます。

 以下、公判でのやり取りです。
 検察官「勉強をやめてみて、他に誇れることはありますか」
 被告「皆無と言っていいほど、何もないです」
 裁判長「秀でたもの、本当にないですか?『人よりできること』だけを探している感じがしません?」
 被告「『秀でたこと』ならそういうことではと思い、そう答えました・・・・」
 裁判長「社会に出た時に、本当に『秀でたもの』が必要だと考えてる?」
 被告「うん・・・・」
 裁判長「お父さんは『家族に優しい』と話していた。人はたくさんいるので『人に勝ること』は、見つかりにくいんですよ。物差し、価値観はたくさんある。考えて下さいね?」
 被告「はい、精進いたします」

 少年期から青年、大人へと至る過程で、人は思うに任せられないことに遭遇します。それと同時に、自分が向き合うさまざまな人々に合わせて、自身違う面を持ち、それらを束ねる自分の核といったものを見出していきます。ままならぬことがあっても、それは自分の一部であって全部ではない。だから、挫折がそのまま自分の人格の全否定とはなりません。そうやって、自分との折り合いの付け方を学び、少しずつ大人になっていきます。

 人より秀でる物差しが理三か否かでしかなく、自分が付き合う同級生は「蹴落とす対象」でしかなく、向き合う相手が自身よりほかになければ、自分が持っている様々な可能性に気付きにくくなるのかもしれません。勉強一色の日々が、彼を少年のままに閉じ込め、大人へと成長するステップに歩を進めることを妨げていたのでしょう。人は人に向き合うことによって、自らのいろいろな面や、自身が持つ可能性の束を知り、自身を鍛え成長するものなのだろうと、この記事を読んで思いました。

のめり込んだ勉強 待ち受けた挫折 人生終わらせるため 東大へ向かった 朝日新聞デジタル:朝日新聞デジタル

のめり込んだ勉強 待ち受けた挫折 人生終わらせるため 東大へ向かった 朝日新聞デジタル:朝日新聞デジタル

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