コロナが落ち着いてきて、これまで自粛していた仲間内の活動のいくつかに少しずつ再開の動きが出てきました。例えば、もう30数年参加を続けている山歩きの会は、最初の緊急事態宣言が出た後1年半以上休止していましたが、今月再開。先日、清々しい山の空気、紅葉、適度のビールを楽しみました。
ただ、30年以上も同じメンバーで登っているということは、それぞれ30以上齢を重ねている訳で、そこにコロナによる大きなブランクが加われば、体力の低下で足が揃わなくなってきたりもしています。皆さん、そのあたりは自覚があるのでしょう、ジムで筋トレをされている方、ペース配分に気を遣ってゆっくりゆっくり歩かれる方、これは残念なことですが、参加を見合わせる方、それぞれの対応が見られます。
今まで通り歩けるよう脚力を鍛える積極派がある一方、自分の体力に合った山選びや歩き方に考えを切り替える路線もあります。鍛えて強くなれば良いですが、頑張りすぎて身体を痛めることもあるので、ここは思案のしどころです。少なくとも若い頃以上に自分自身との相談が必要なのは確かです。
さて、同じことが受験勉強についても言えると思います。高い目標に向けて刻苦勉励するも良し、自分を追い込み過ぎて精神が参ってしまわないよう、実力相応で行くのも良かろうと思います。目標を下げることに対して敗北主義と見る向きがあるかもしれません。しかし、山に登るのは登って楽しいからであって、脚力を付けることばかり考えていては、肝心の山の魅力が見えなくなってしまいます。受験勉強の場合、進学先で勉強し成長していくのが大事であって、偏差値を上げることばかりに執着していれば、学ぶ楽しさから遠ざかってしまうような気がします。
「人を玩(もてあそ)べば徳を喪(う)しない、物を玩べば志を喪う」(書経より)という言葉があります。肉体を玩んで山の楽しみを喪い、偏差値を玩んで学問の楽しさを喪っては本末転倒。そうならないように、手段の虜とならず、自分の心をしっかり見つめて目的をはっきりさせたいものです。人生の意味を喪わないために。
ただ、30年以上も同じメンバーで登っているということは、それ
今まで通り歩けるよう脚力を鍛える積極派がある一方、自分の体力
さて、同じことが受験勉強についても言えると思います。高い目標
「人を玩(もてあそ)べば徳を喪(う)しない、物を玩べば志を喪