花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

敗北主義から見えてくるものもあるんじゃないか

2021-11-27 09:16:00 | Weblog
 コロナが落ち着いてきて、これまで自粛していた仲間内の活動のいくつかに少しずつ再開の動きが出てきました。例えば、もう30数年参加を続けている山歩きの会は、最初の緊急事態宣言が出た後1年半以上休止していましたが、今月再開。先日、清々しい山の空気、紅葉、適度のビールを楽しみました。

 ただ、30年以上も同じメンバーで登っているということは、それぞれ30以上齢を重ねている訳で、そこにコロナによる大きなブランクが加われば、体力の低下で足が揃わなくなってきたりもしています。皆さん、そのあたりは自覚があるのでしょう、ジムで筋トレをされている方、ペース配分に気を遣ってゆっくりゆっくり歩かれる方、これは残念なことですが、参加を見合わせる方、それぞれの対応が見られます。

 今まで通り歩けるよう脚力を鍛える積極派がある一方、自分の体力に合った山選びや歩き方に考えを切り替える路線もあります。鍛えて強くなれば良いですが、頑張りすぎて身体を痛めることもあるので、ここは思案のしどころです。少なくとも若い頃以上に自分自身との相談が必要なのは確かです。

 さて、同じことが受験勉強についても言えると思います。高い目標に向けて刻苦勉励するも良し、自分を追い込み過ぎて精神が参ってしまわないよう、実力相応で行くのも良かろうと思います。目標を下げることに対して敗北主義と見る向きがあるかもしれません。しかし、山に登るのは登って楽しいからであって、脚力を付けることばかり考えていては、肝心の山の魅力が見えなくなってしまいます。受験勉強の場合、進学先で勉強し成長していくのが大事であって、偏差値を上げることばかりに執着していれば、学ぶ楽しさから遠ざかってしまうような気がします。

 「人を玩(もてあそ)べば徳を喪(う)しない、物を玩べば志を喪う」(書経より)という言葉があります。肉体を玩んで山の楽しみを喪い、偏差値を玩んで学問の楽しさを喪っては本末転倒。そうならないように、手段の虜とならず、自分の心をしっかり見つめて目的をはっきりさせたいものです。人生の意味を喪わないために。

継続は力なり

2021-11-18 18:50:00 | Weblog
 先日、実家に帰省した際、朝は何時に起きているのかの話になり、母親はラジオ体操をするので6時に起きていると聞きました。私自身も、コロナ下の巣ごもり生活による運動不足を懸念して、テレビに合わせてラジオ体操をしていたので、翌朝は一緒にラジオ体操をしました。毎朝のラジオ体操が習慣化していると、身体に変調があった時など気づきが早くなります。毎日やっていればこそ、ちょっとした変化や違いに敏感になるものです。

 これはだいぶ前に聞いた話です。会社の某大先輩はお酒が大好きで、毎日晩酌を欠かさずにきました。ある晩、お酒を美味しく感じられず、「酒好きの自分にしては変だぞ」と思い、すぐに病院で検査を受けたそうです。検査が終わって、医師から「早期発見で良かったですね。大丈夫、治りますよ」と言われたとか。それから10年ほど経ちますが、その先輩は今でもご存命です。「継続は力なり」本来の意味とは違うものの、継続が力となった例と見たいところです。

 今日はボージョレ・ヌーヴォの解禁日。毎日のお酒、毎年のお酒、ふたつの継続に、乾杯!

10万円給付にがっかり

2021-11-11 19:45:00 | Weblog
 今日の朝日新聞朝刊では第2次岸田内閣発足、それと自民・公明の協議による経済支援策について大きく報じていました。経済支援策は主に次の3つとありました。

・親の年収が960万円以上を除く18歳以下に10万円相当給付
・住民税非課税世帯に一律10万円給付
・マイナンバーカード新規取得で最大5000円分のマイナポイント付与など、マイナンバーカード関連で最大2万円分のポイントを付与

 10万円給付には、自公それぞれの思惑、来年の参院選に向けた布石などが絡んでいるようです。昨年の国民1人一律10万円の時は、多くが貯蓄に回ったと聞きます。効果的な支援になるか、疑問符がつきます。朝日新聞でもこの政策に懐疑的な方の声をいくつか紹介していました。大門未知子は「患者が助からなければ意味がないんだよぉ!」と怒鳴っていますが、本当に困っている人が10万円で助かるほど今の事態は甘くないでしょう。大門先生なら「意味がない」と言うような気がします。

 政策の実効性はさておき、私には寂しく感じていることがあります。コロナになってから、あるいは少子高齢化や経済の停滞など日本が抱える構造的な問題が指摘され出した頃に遡っても良いかもしれませんが、生活困窮者の存在が強く意識されているにも関わらず、社会保障のあり方を抜本的に見直そうとする動きがなかなか前面に出てこないからです。岸田内閣の政策や先の衆院選における各党の選挙活動を見ても然りです。おそらく制度と社会の乖離が相当に進んで、その結果、困っている人に手を差し伸べようにも、今までの枠組みでは無理があるのではないでしょうか。「10万円配れば」で済む話では、そもそもなくなっています。だからこそ、国全体が大変な目に合っているこの時に、制度設計の話が出てくるべきではないかと思います。ところが党利党略やメンツ、選挙のことばかり考えているとしたら、東帝大学の蛭間先生や海老名先生と同じ穴の狢のようです。国家百年の計とまでは言いませんが、20年とか30年くらいの計を考える政治を期待しています。