今日の朝日新聞朝刊社会面に、不登校だった自身の経験を原点とし、高校教諭を経て文部科学省職員となった藤井健人さんの記事が載っていました。
祖父母と両親のそれぞれが病気を抱えた家庭環境から、藤井さんは小中学校時代に自分が普通ではないと思うようになり、学校へ行けなくなりました。定時制高校に入った後、自分を変えようと勉強に打ち込み、早稲田大学に進みます。大学では全日制の高校から進学してきた人たちと話が合わず、人と距離を置くようになりますが、自分の経験を言語化してみたいと東京大学の大学院で教育社会学を学びます。その後、埼玉県の定時制高校で教師の職に就き、自らの経験を踏まえて生徒と接することにやりがいを感じつつも、現場の努力には限界があると感じ、教育行政に携わるため4年で教師を辞職して文部科学省の職員になりました。
その藤井さんは、不登校の頃、「人と比べる必要はない」、「ありのままの自分を大切に」と声を掛けられることに対して、現状を変えようとする意欲をそぐことになるのではと思ったそうです。記事の中で藤井さんは次のように述べています。「私は望んでその『個性』を得たわけではなく、『普通になりたいのに、なれない』という葛藤をずっと抱いていた」、「だから、いま不登校で悩んでいる子、定時制高校に進んで人生の選択に悩んでいる人に、私から『ありのままでいい』とメッセージを発することは不誠実になってしまいます。」
多様性を認めると言えば耳障りは良いですが、場合によっては現状への固定を促し、内に持った力を伸ばすことを阻害する恐れがあります。「多様性の尊重」と言われた時、言った時の良いイメージに流され思考を停止させてしまえば、多様性の実態から目を逸らすことになりかねません。人生や日々の生活の充実にとって多様であることがどう関わっていくのか、そういった視点が必要だと思いました。
祖父母と両親のそれぞれが病気を抱えた家庭環境から、藤井さんは
その藤井さんは、不登校の頃、「人と比べる必要はない」、「あり
多様性を認めると言えば耳障りは良いですが、場合によっては現状