花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

多様性の多様さについて

2023-08-28 20:40:00 | Weblog
 今日の朝日新聞朝刊社会面に、不登校だった自身の経験を原点とし、高校教諭を経て文部科学省職員となった藤井健人さんの記事が載っていました。

 祖父母と両親のそれぞれが病気を抱えた家庭環境から、藤井さんは小中学校時代に自分が普通ではないと思うようになり、学校へ行けなくなりました。定時制高校に入った後、自分を変えようと勉強に打ち込み、早稲田大学に進みます。大学では全日制の高校から進学してきた人たちと話が合わず、人と距離を置くようになりますが、自分の経験を言語化してみたいと東京大学の大学院で教育社会学を学びます。その後、埼玉県の定時制高校で教師の職に就き、自らの経験を踏まえて生徒と接することにやりがいを感じつつも、現場の努力には限界があると感じ、教育行政に携わるため4年で教師を辞職して文部科学省の職員になりました。

 その藤井さんは、不登校の頃、「人と比べる必要はない」、「ありのままの自分を大切に」と声を掛けられることに対して、現状を変えようとする意欲をそぐことになるのではと思ったそうです。記事の中で藤井さんは次のように述べています。「私は望んでその『個性』を得たわけではなく、『普通になりたいのに、なれない』という葛藤をずっと抱いていた」、「だから、いま不登校で悩んでいる子、定時制高校に進んで人生の選択に悩んでいる人に、私から『ありのままでいい』とメッセージを発することは不誠実になってしまいます。」

 多様性を認めると言えば耳障りは良いですが、場合によっては現状への固定を促し、内に持った力を伸ばすことを阻害する恐れがあります。「多様性の尊重」と言われた時、言った時の良いイメージに流され思考を停止させてしまえば、多様性の実態から目を逸らすことになりかねません。人生や日々の生活の充実にとって多様であることがどう関わっていくのか、そういった視点が必要だと思いました。


(#withyou~きみとともに~)葛藤抱えながら、もがいていた 文科省職員・藤井健人さん:朝日新聞デジタル

(#withyou~きみとともに~)葛藤抱えながら、もがいていた 文科省職員・藤井健人さん:朝日新聞デジタル

 今春、文部科学省の職員になった藤井健人さん(30)は、小中学校時代に不登校を経験しました。定時制高校を経て大学、大学院に進み、定時制高校の教諭から文科省に転じ...

朝日新聞デジタル

 


政策・目的合理性・説明責任

2023-08-14 19:07:00 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「政策とは政策目的を達成するための手段です」 

 社会の課題解決が政策目的なら、解決のための目的合理的な手段が政策です。政策選択の過程では、目的に対していかに合理的であるかの説明がなされます。仮に意図しない結果となった際は、政策の妥当性やなぜ合理性を欠いたかが検証されます。「自己責任」・「自由市場」のスローガンを掲げるネオ・リベラリズムの場合、市場の競争性を高める政策を打ち出しても、主義信条への価値合理性を指向しているに過ぎません。人々の幸福と結びついた課題解決の視点がない以上、説明責任を果たすことをせず、ただ競争の敗者を他人事視するだけなのです。

小野塚知二著 「経済史」(有斐閣刊)から

読むことと、考えること

2023-08-08 20:15:00 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「(自由の感覚と権力の概念を手に入れた)その理由は、プロテスタントが、聖書を読む人びとだからである」 

 教会の権威から離れたプロテスタントは、自ら聖書を読むことで神との関係を自分の頭で考えるようになった。結果、王の存在を同じ神のもとにあるものとして相対化でき、自由の感覚を生む契機となった。そのことは権力の暴力性、恣意性を封じ込める動きを呼び、権力を法の下でコントロールすることにつながった。そして、これが法に基づく民主主義という近代国家の原型となっていく。カントの「啓蒙とは何か」に倣えば、自ら聖書を読み、信仰に支えられた勇気をもって自由に考えることで、「未成年の状態から抜け出した」と言えるであろうか。

橋爪大三郎著 「権力」(岩波書店刊)から