明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな 藤原道信朝臣
百人一首の第52番は、「夜が明け、また日が暮れると分かっていても、それでも恨めしく思う明け方よ」と詠んだ、いわゆる後朝(きぬぎぬ)の歌です。雪の降る日に女性のもとから帰ったあと、その女性に贈った歌だそうです。
「大鏡」によると作者の藤原道信は、「いみじき和歌の上手、心にくきものにいはれ給ひしほどに失せ給ひにき」とあり、弱冠23歳で惜しまれて早世した才子でした。
以前は、「女のところから帰るくらいでいちいち恨めしくなっても仕方ないだろう」、なんて情緒のないことを思ったりもしましたが、この作者が夭逝したことともつながっていますが、もともと今とは人生の持ち時間が違うわけで、平均寿命が80歳を超える現在に比べて時間の流れに対する感性が全然違っていたのだろうと思います。一期一会的なことを思う気持ちがずっと強かったと想像出来ます。
ところで朝ぼらけに、「今日の天気はどうだろうか、半袖と長袖のどっちがいいだろうか」てなことしか頭にないのは、かえって幸せなのか、それとも日々無為に暮らしていることを恥ずべきなのか、どちらとも取れますが、二日酔いになって「なほ恨めしき朝ぼらけかな」となるのは、情けなく思わねばならないでしょう。
百人一首の第52番は、「夜が明け、また日が暮れると分かっていても、それでも恨めしく思う明け方よ」と詠んだ、いわゆる後朝(きぬぎぬ)の歌です。雪の降る日に女性のもとから帰ったあと、その女性に贈った歌だそうです。
「大鏡」によると作者の藤原道信は、「いみじき和歌の上手、心にくきものにいはれ給ひしほどに失せ給ひにき」とあり、弱冠23歳で惜しまれて早世した才子でした。
以前は、「女のところから帰るくらいでいちいち恨めしくなっても仕方ないだろう」、なんて情緒のないことを思ったりもしましたが、この作者が夭逝したことともつながっていますが、もともと今とは人生の持ち時間が違うわけで、平均寿命が80歳を超える現在に比べて時間の流れに対する感性が全然違っていたのだろうと思います。一期一会的なことを思う気持ちがずっと強かったと想像出来ます。
ところで朝ぼらけに、「今日の天気はどうだろうか、半袖と長袖のどっちがいいだろうか」てなことしか頭にないのは、かえって幸せなのか、それとも日々無為に暮らしていることを恥ずべきなのか、どちらとも取れますが、二日酔いになって「なほ恨めしき朝ぼらけかな」となるのは、情けなく思わねばならないでしょう。