10年ほど飼っていたセキセインコが死にました。老衰だと思います。近頃では一日の大半を眠ってるようになり、温熱器の横でじっとしている姿を見ながら、人間でいえばもう百歳くらいだろうか、体力が落ちたなぁと思っていました。死んだ日は午後から様子がおかしくなって、止まり木に掴まることが出来なくなってました。最後は妻の手の中でぐたっとしたまま、月並みな言葉ですが眠るように死んでいきました。たまたま家族全員が揃っていて、みんなに看取られての旅立ちでした。
夏目漱石は文鳥を飼ったことがあり、その時のことを「文鳥」という短い文章に残しています。漱石の弟子にして児童文学者として名を成すこととなる鈴木三重吉に勧められ、漱石は文鳥を飼うようになります。ある時、用事が立て込み文鳥の世話を1日、2日失念してしまいます。外出から戻って縁側へ出てみると、文鳥は死んでいました。「文鳥」の文章を借りると、その時の様子は次のようです。「文鳥は籠の底に反っ繰り返っていた。二本の足を硬く揃えて、胴と直線に伸ばしていた。」「黒い眼を眠っている。瞼の色は薄蒼く変った。」「餌壺には粟の殻ばかり溜っている。啄むべきは一粒もない。水入は底の光るほど涸れている。」
海の向こうアメリカでは、渡り鳥がビルに激突して死ぬ例が年間3億6500万羽~10億羽あると見られています。夜も渡りを続ける鳥にとって、光に照らされるビルの窓と空の区別がつかないようで、飛んでいる最中にガラスにぶつかり墜死する悲劇が起こっています。そこで、渡りの季節にあたる3月半ばから5月、それから秋には、鳥を救うために「明かりを消そう運動」が呼び掛けられ、2020年秋までに全米で35の都市が参加しているそうです。
鳥の死もまたそれぞれのようですが、うちのインコは安らかな死に方だったのではないか、そう思っています。
夏目漱石は文鳥を飼ったことがあり、その時のことを「文鳥」という短い文章に残しています。漱石の弟子にして児童文学者として名を成すこととなる鈴木三重吉に勧められ、漱石は文鳥を飼うようになります。ある時、用事が立て込み文鳥の世話を1日、2日失念してしまいます。外出から戻って縁側へ出てみると、文鳥は死んでいました。「文鳥」の文章を借りると、その時の様子は次のようです。「文鳥は籠の底に反っ繰り返っていた。二本の足を硬く揃えて、胴と直線に伸ばしていた。」「黒い眼を眠っている。瞼の色は薄蒼く変った。」「餌壺には粟の殻ばかり溜っている。啄むべきは一粒もない。水入は底の光るほど涸れている。」
海の向こうアメリカでは、渡り鳥がビルに激突して死ぬ例が年間3億6500万羽~10億羽あると見られています。夜も渡りを続ける鳥にとって、光に照らされるビルの窓と空の区別がつかないようで、飛んでいる最中にガラスにぶつかり墜死する悲劇が起こっています。そこで、渡りの季節にあたる3月半ばから5月、それから秋には、鳥を救うために「明かりを消そう運動」が呼び掛けられ、2020年秋までに全米で35の都市が参加しているそうです。
鳥の死もまたそれぞれのようですが、うちのインコは安らかな死に方だったのではないか、そう思っています。