花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

終戦の日に

2015-08-15 16:42:39 | Weblog
 8月15日が近づくと戦争を振り返るテレビ番組が多くなります。それらの番組は、悲惨な経験をした人の記憶をたどるものが少なくありません。戦争体験を風化させないことは大切ですが、被害者の立場だけで良いのかなと思います。戦争で多くの人が苦しんだのは事実です。しかし、戦争がなければ銃を取ることのなかった多くの人たちが、命を奪う側に立ったことも事実です。私たちがテレビで見る戦争被害者と同じような人たちが世界中にたくさん居て、それは、日本兵によって殺された大勢の人たちがいることを意味し、おそらく、その日本兵は戦争が始まる前は善良な市民であったろうと思います。「あの辛く悲しい戦争を繰り返さない」といった視点のみならず、「いったん戦争になれば、私たちも殺す側に回りかねないこと。そんな人間性を破壊するような事態は絶対に起こさない」、この視点からの訴えもまた忘れないようにしなければならないと思います。

ローグ・ネイション

2015-08-14 17:33:15 | Weblog
 先日、会社が引けてからレイトショーで「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」を観ました。「ミッション・インポッシブル」は過去4作品とも見ており、今回も度肝を抜くようなアクションを楽しみにしていましたが、トム・クルーズの身体を張った活躍は期待通りでした。しかし、敵のシンジケートに迫る終盤、展開は私の予想を裏切りました。トム・クルーズのアクションがこれでもかとスクリーンに繰り広げられるのをワクワクして待っていたら、シンジケートの武闘派の頭であるボーン・ドクターは、英国MI6の女性エージェントが死闘の末、倒します。そして、シンジケートの総大将はIMFチーム全員による生け捕りとなりました。トム・クルーズの八面六臂のアクションで締めくくるのではなかったことは、意外ではあったものの、不満ではありませんでした。テレビシリーズの「スパイ大作戦」では、メンバー個々の能力もさることながら、実行不可能と思われたミッションが果たせたのはチームワークによるものでした。ヒーローひとりの独壇場で幕となるのではなかったことで、この「ローグ・ネイション」が「ミッション・インポッシブル」の原点に返ったように思われました。トム・クルーズが率いるチーム全体の力で大団円を迎え、生け捕られた敵役が護送されるのをチーム員が笑顔で見送るシーンは、その象徴でした。私は、心地よい「やられた」感を持って家路に向かうことが出来ました。

花火

2015-08-03 21:03:18 | 季節/自然
 8/1付朝日新聞朝刊の天声人語は花火を題材としたものでした。「恋は、遠い日の花火ではない」というウィスキーの名作コピーが、「明るさや元気さに欠ける印象を与えたらしい」として、初めはスポンサーのお気に召すものではなかったことが紹介されています。天声人語子自身、このコピーは「確かにどこか哀愁も漂う」と感想を述べています。また、このコピーは、「少年時代の思い出として残る夏の風景」をイメージしたものであり、「魅力的な寂しさ」があったと作者の小野田隆雄さんは回想しているそうです。「花火」、「少年時代」と言えば、井上陽水さんの歌が思いだされます。「八月は夢花火、わたしの心は夏模様」の歌詞も、どこか哀愁が漂っています。花火にどこか哀愁を感じるのは、華やかさ、美しさが一瞬だけのもであることから来るのでしょうか。もしそうなら、私たちが桜の花に感じる心性とも相通ずるところがあるのかもしれません。そう考えると、花見にはお酒がつきもの、花火にもお酒が、となります。先日、近所で花火大会があったので、ベランダからお酒を手に眺めていました。花火の豪快な音に合うのはサントリーの「響」かと、ロックグラスのウィスキーをちびちびやりながら花火観賞のつもりでしたが、花見酒のゆったりさに対して、電光石火の花火ではお酒を味わうゆとりがありません。連続発射に見とれているうちに、グラスから汗が滴り落ち、ちびちびが急かされたようなずずずっとなってしまいました。はかなさの美学に相通ずるものがあっても、お酒に合うのは桜の方だなと思いました。