車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

亀山八幡宮~其の二 in 山口県下関市中之町

2024年03月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

国道9号線に面し、関門海峡を一望できる立地に鎮座される「亀山八幡宮」。「かってこの境内地は江戸時代初めまで島でした。島の形は丸く、陸や海から眺めると亀に見え、さらに夏の日照りが続くと亀甲模様の亀裂が現れていたことから、亀山島と言っていました。また亀は水中でも陸上でも生きることが出来ることから、あの世(神の世)とこの世(現世)を行き来できる動物として神聖視されています。」公式HPより

という事で2002年に奉納された御影石の「神亀」。長さ130cm、幅70cm、高さ65cm、重さ650kg、なでると延命長寿といわれます。

もちろん手水舎で吐水してくれるのも子亀を乗せた親亀。

ちなみにこちらの神社には「亀」だけでなく、下関の名産品「ふくの像」も奉納されています。明治21年(1888)、時の総理大臣伊藤博文公が下関でふく刺しを賞味し、その美味を絶賛したことから全国に先駆けてふく食用禁止が山口県で解禁されました。

ちなみに私の数少ない好物の一つが「てっちり」。これだけの大きさ、たらふく食べても一回では食べきれそうにない~♪(笑)

珍しく食い気に走っていますが、話はこれで終わり。境内に建立された碑、順を追って紹介です。

拝殿下右手に昭和天皇御在位60周年を祝して建立された御製碑。昭和8年の歌会始め御題「朝海」から。ちなみに昭和15年に紀元2600年を奉祝してこの御歌に作曲振付けされたのが「浦安の舞」。全国の神社で神楽舞として奉納されています。

【 あめつちの 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を 】

「中野水月句碑」【 風かほる 宮居や洋を 右左 】大正4年(1915)建立。

室町時代末期の連歌師「飯尾宗祇」の句碑。【 秋遠し 亀の上なる 嶺の松 】文明12年(1840)、京都から九州への旅の途中に参拝した時に詠まれたもの。大正3年(1914)建立。

「前田喜代人」歌碑【 赤埴の 馬関は寒しと君云へど 吾がこゝろ燃ゆ 瀬戸の潮に 】昭和62年(1987)建立

「金子みすゞ詩碑 夏越まつり」。2003年建立

【 うぶすなの 神の潮路や 六連雲丹(むつれうに)】 古川薫

ふくの像で登場した伊藤博文公に縁の「お亀茶屋跡」。お亀茶屋のお茶子木田梅子が長府藩に追われた伊藤博文公を助け、のちに夫婦になったと言うゆかりの地。2012年の参拝時にはこの岩の上に神亀がいました。

何処に行ったのか気になってついつい探してしまう「神亀」の行方。なんと、こんな所に出張していました。

「力石」。撫でると力がつくと信じられています。左は勧進相撲の記念石で、文政10年(1827)の奉納。・・おや、神亀がこんな所にも。

「針塚」昭和57年建立・右「扇塚」昭和45年建立

「亀山砲台跡」碑文抜粋

「文久3年(1863)5月11日、午前2時久坂玄瑞の指揮によりアメリカ商船攻撃合図の砲弾が亀山砲台より発射され、米仏蘭三国相手に6回にわたる馬関攘夷戦の火ぶたがきられた。同年6月1日、藩主は亀山八幡宮に夷敵降伏を祈願した。敵弾は楼門をかすめただけで社殿守兵とも損傷なく、時の人は「これ八幡大神の御神意なり」と称え弾除八幡と称えた。」

最後に色々調べていて偶然見つけた「!ビックリ!」情報。畳三畳分の亀山宮鳥居額。この「山」の文字の左下にある白い物が問題の「!ビックリ!」、何とこれ野球ボール!!しかも昭和33年からここに!?。実は近くにあったガソリンスタンドの従業員が、野球をしている際に打ったボールがスッポリとハマってしまった・・と。これをきっかけに、験担ぎとして地元の高校球児たちがお参りをした所、甲子園で優勝する事となり、地元の球児たちの必勝祈願の場所となっているそうです。

参拝日:2012年11月15日&2017年12月3日

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする