かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

当施設の五階からの眺め

2015-06-18 | 気ままなる日々の記録

オソマツ君は当施設の五階の廊下の突き当たりからの眺めが大好きで、朝も昼も夜も、何時もここへきてぼんやりとこの田園風景を見ています。上の田圃は田植え前で、田植えのためのすべての作業を終了しています。近々に見事に田植えがなされることでしょう。

 夜はこの水面が大きな鏡になって、近隣の民家の明かりを映し出して五階まで届けてくれます。そのとき、そよ風が吹くと水面が波立ち、民家の明かりが、小さな妖精になったかのようにダンスをはじめ、あたかも、ボリショイバレー団のアイスショーを見せてもらっているような素晴らしいステージを見せてくれます。

 大型の耕運機が作業をしていて、雑草を次々になぎ倒し土の中に埋め込んでいくのを見せてもらっているのも大変楽しいです。

夕方ぼんやり眺めているといつの間にか居眠りしていることもあります。そんなとき、この田圃の中に小学生くらいの男の子が二人出てきて泥んこになりながらも、走り回ったり腰をかがめて田植えを始めたりします。オヤ!と思ってよく見るとその二人は自分と一つ違いの兄だと気が付きます。

オソマツ君の小学校も中学校も「農繁休暇というのがありました。7月の上旬が田植えでした。この頃田圃に行くと、友達も来ていて田植えのお手伝いをしていました。田植えと云ってもそれほど簡単な作業ではありません。先ず、深植えは禁止です。深く植えると、稲が痩せて脇芽の出が悪く増産できません。しかし、浅く植えると苗が浮いてきてしまって失敗になります。中指と薬指の先で苗の根を意識して、泥に根が触れたときに、少し指を曲げて根を泥に貼りつけるようにして、そっと指だけを引き上げるというのが、田植えのコツです。それでも難しいのは列をまっすぐに植えることです。そのために、ロープを張ってそのロープに沿ってうえます。

1列植え終わるとロープの張替えが必要で、これがまた大変注意が必要な作業です。植えた苗に触らないようにロープを引き上げロープをゆるめず引っ張ったまま、新しい場所に落として、決められた間隔の位置に張り替えるわけです。これを兄と二人で両端を持って、息を合わせてしていました。勿論当時のオジサンで田植えのベテランの人はロープなしで、見事に美しく田植えをして於られました。腰を曲げたままロボットのような正確な動作で田植えをされ終わった後もロープを使った人よりキチンとしていました。

その息子さんも田植えの名人でした。オソマツ君は昭和27年中学1年せすからこの思い出は丁度そのころのことです。居眠りしながら、窓から田を見ながら昔のことを思い出していると、突然あの田植え名人もその息子さんも随分前に亡くなられたなと云う声が何処からか聞こえてきます。現実に連れ戻された証拠です。うたた寝に出てくる人たちは殆ど亡くなった人ばかりです(ただし、兄は元気です。) カクシャクトしています。今しばらくは頑張って貰いたいものです。

ここから見える田圃は、オソマツ君の家の方の田圃より1枚の広さがずいぶん広いです。少なくとも5倍の広さがあります。間もなくアメリカで見たような大きな機械がやってきて、田植えを済ませてしまうことでしょう。っそれをここから眺めるのを楽しみにしています。