【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ブレイディみかこ

2019年06月28日 18時52分53秒 | 読書(海外事情)
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ブレイディみかこ

ブレイディみかこ最新刊。
ソッコー書店に行ったが在庫なし(入荷していない)。
取り寄せて読んだ。

著者は英国在住で、大型ダンプ運転手のアイルランド人配偶者との間に息子が1人いる。彼は上品なカトリックの小学校に進学したが、中学は地元のワイルドな学校に行くことになった。
そのあたりの事情と学校生活が描かれる。

私が勤めていた託児所は失業率と貧困率が非常に高い地域の事前施設の中にあり、DV、依存症などの問題を抱えた子どもが多く通っていた。彼らは表情に乏しかったり、うまく感情を伝えられないことが多かった。他人に自分の感情を伝えられない子どもは、他人の感情を読みとることも出来ない。他者がつらそうな顔をしていたり、嫌がって泣き始めても、それが彼らに痛みを与えている自分に対する「ストップ」のサインなのだとわからない。

P241
英国では、お上に認められていない理由で子どもが学校を欠席したりすると、親が地方自治体に罰金を払わなければならないのだ。これは、両親に科される罰金で、父母それぞれに60ポンドずつ請求される。21日以内にこれを払わないとひとりあたり120ポンドに上がり、それより長く支払いを放置すると、最高2500ポンドまで罰金がはね上がって、最長で3か月の禁固刑に処せられることもある。

P250
デジタル・ネイティブと呼ばれるこの世代は、英国ではコスモポリタン世代とも呼ばれる。

【参考リンク】



【ネット上の紹介】
優等生の「ぼく」が通い始めたのは、人種も貧富もごちゃまぜのイカした「元・底辺中学校」だった。ただでさえ思春期ってやつなのに、毎日が事件の連続だ。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり……。何が正しいのか。正しければ何でもいいのか。生きていくうえで本当に大切なことは何か。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子と パンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。連載中から熱狂的な感想が飛び交った、私的で普遍的な「親子の成長物語」。

「城塞」(下)司馬遼太郎

2019年06月27日 19時35分51秒 | 読書(歴史/時代)
「城塞」(下)司馬遼太郎

上中下の最終巻を読んだ。
夏ノ陣が描かれる。
家康の陰湿さとあくどさが、克明に描かれる。
まわりの大名は、保身の為の忖度とよいしょの嵐だ。
逆に、真田幸村と後藤又兵衛の潔さが引き立つ。

P102
「秀頼を討つ」
とは、さすがの家康も公言しなかった。
(中略)
「諸大名への命令はこうせよ。大坂移封のために軍を発する、と」

P231
家康は関ヶ原の戦勝のあと、この大教団の存在をおそれ、別個に本願寺をつくった。ふつう東本願寺とよばれる存在がそれであり、このためモトの本願寺は西本願寺と通称された。(幕末でも、東本願寺=佐幕派、西本願寺=討幕派だったそうだ)

P263
討死とは敗北であろう。戦国にあっては合戦は勝つために存在し、みすみす負けるときまったいくさは避けた。避けざるをえない場合は降伏した。降伏しない場合は、その悪条件をもってなんとか勝つべく知恵をしばり、不可能と思われる行動までとった。
 死をもって美と考えるようになったのは江戸初期、ことに中期前後からのことで、泰平が生んだ特異な哲学であったが、ともかくも戦国にあっては武士はあくまでも勝たねばならず、ひとびとは勝利をのみねがい、たとえ万策が尽きて一時降伏してもそれはあとで勝つための便法であることが多かった。
 ところがこの大坂夏ノ陣ぐらいから、死への賛美がはじまるのである。それも勝って死ぬのではなく負けて死ぬことを壮烈とした。

【感想】
起死回生のチャンスは何度もあった。
真田幸村と後藤又兵衛にもっと好きにさせていたら・・・。
淀殿も秀頼も大野修理も戦の素人なんだから、もっと任せるべきだった。
家康はそこのところを巧妙かつ、執拗に突いてきた。
結果、家康は勝利と引き換えに、後世の悪名を背負った。
そこまで頭が回らなかったのだろう。

遭難頻発

2019年06月27日 09時36分06秒 | 読書(山関係)

遭難した人は3129人でした。いずれも統計の残る1961年以降で最多となりました。
(中略)
2009年と比べると、件数は約6割増、遭難者数は約5割増で、いずれも大幅に増えています。
(中略)
道迷いが多い傾向は近年続いています。
(中略)
60歳以上は全体の半数にのぼります。登山は中高年世代に人気ですが、比例して遭難も多いことになります。

【感想】
装備は、昔に比べて格段に良くなっている。
(スマホのGPS機能など隔世の感がある)
その分、自然への畏れが減ったのだろうか?

「城塞」(中)司馬遼太郎

2019年06月26日 20時39分52秒 | 読書(歴史/時代)
「城塞」(中)司馬遼太郎

上中下の中巻を読んだ。
冬ノ陣が描かれる。
それにしても、家康の陰険なこと。

P25
九度山における最大の寺院は、慈尊院という古刹である。次いで名のある寺として、
「善名称院」
 という文字のふんいきのいい寺号をもつ寺がある。昌幸・幸村の父子が九度山にいたときは、この寺はなかった。じつはこの寺そのものが真田屋敷で(後略)

P152
家康にとってかれの大坂攻めは戦争ではなかった。本質は犯罪であった。

P305
豊臣秀頼をほろぼすのは家康ではなく、前田利常において代表される旧豊臣系の世間がそれをほろぼすのだというぐあいにもってゆかねばならない。

P328
大坂城の東にひろがる広大な湿地帯でおこったのが、いわゆる冬ノ陣最大の戦闘とされる「鴫野・蒲生・今福」の戦いであった。

P457
セルバンテスもシェイクスピアも徳川家康も同時代人であることで共通しており、さらに3人に共通していることは、死んだ年までおなじであることであった。


「城塞」(上)司馬遼太郎

2019年06月25日 21時16分51秒 | 読書(歴史/時代)
「城塞」(上)司馬遼太郎

P72
神道は日本古来の土俗であるため、死者は当然、土葬される。一方、火葬のほうは仏教渡来とともにつたわった。このため火葬すれば仏になり、土葬をすれば神になるという素朴な宗教分類法が、秀吉にはあった。

P174
ヘイホウとよむときは軍隊の進退法をあつかう軍学のことで、ヒョウホウとよむときは剣技、槍術、組みうちのための小具足術などといった個人的な武技になる。

P516
物事を利害で考えてゆこうという頭のはたらきは、じつに複雑な思慮や分析力を必要とするが、正邪のほうは判断も簡単で済み、しかもそれがことばであらわされるとき、短剣のようなするどさで相手に訴える。

P557
いまの茨木市の市街をあるいても、その城あとはほとんど住宅街になり、ここがおそらく本丸跡ではないかと推測された場所(茨木市片桐町の茨木小学校校庭)に石碑がたてられている。

P570
片桐勢は、鳥飼の渡しをめざしていた。その渡しから淀川を西へわたれば片桐領である。(鳥飼じゃないけど、私の小学校時代にも淀川に無料の渡し船があったのを思い出す。豊里大橋のあたり・・・「平田の渡し」。 バッタを捕りに、このあたりまで出かけた。この文章を読むと、鳥飼大橋のあたりにも渡しがあった、と。内環と中環では、離れてるから、渡しが欲しかったのでしょうね。私が小学校の頃は、ビルなんてなくて畑が続いていたように記憶する。年長者に聞くと、中環のあたりは、蓮根畑だった、と。 水はけの悪い泥地だったのだ、ということか)

P588
道理などは、もはや家康に必要はない。家康だけでなく、強大な側にはつねに道理は必要でなかった。自分の側の必要が道理になるだけのことであり、この一点だけは古今を通じてかわらない。

【感想】
冬の陣、夏の陣が描かれる。
トップの人間が重要と、つくづく感じられる。
家康側の謀略に、易々と引っ掛かってしまう。
家康から見たら、大阪側なんて赤子の手をひねるようなものか?
ああ、情けない、と思うのは、現代人の視点だから?

「関ケ原」(下巻)司馬遼太郎

2019年06月23日 19時55分18秒 | 読書(歴史/時代)
「関ケ原」(下巻)司馬遼太郎

引き続き、上中下の最終巻を読んだ。

福島正則、加藤清正、加藤嘉明について
p22
徳川家は、それらのいずれの家をも断絶せしめた。天下を取りおわったあとの徳川家の感情としては、かれらに好感がもてなかったのであろう。

P185
三成の不幸は、こんにちの家康や、過去の信長・秀吉のように自前の大軍をもたぬことであった。

P192
この時代の庶人のその後の庶人とちがう習性は、声が低くないことであった。政道を声高に論議しても、よほどの場合でないかぎり、役人にとがめられることはない。

【感想】
八犬伝に出てくる仁義礼智のよう道徳は、徳川幕府の江戸時代に浸透した。
戦国時代は、「利」で動いた
「義」で動かない。
恩を受けているから、後ろめたく思うが、家の存続を考えると、義理より利益。
大名の地位と土地を失い、家臣が路頭に迷うことを思うと、不義理をしても、
かっこ悪くても、長いものに巻かれ、寄らば大樹の陰、になる。
それに反旗を翻し、立ち向かった石田三成たちはよくやった。
真田幸村が人気なのも分かる。
「関ケ原」は終わったが、続きは「城塞」。
引き続き読んでいくつもりだ。

【ネット上の紹介】
天下取りの見果てぬ夢を追い求めて関ヶ原盆地に群れ集った10数万の戦国将兵たち…。老獪、緻密な家康の策謀は、三成の率いる西軍の陣営をどのように崩壊させたか?両雄の権謀の渦の中で、戦国将兵たちはいかにして明日の天下に命運をつなぎ、また亡び去ったのか?戦闘俯瞰図とも言うべき雄大な描写の中に、決戦に臨む武将たちの人間像とその盛衰を描く、波瀾の完結編。

「関ケ原」(中巻)司馬遼太郎

2019年06月22日 19時20分52秒 | 読書(歴史/時代)
「関ケ原」(中巻)司馬遼太郎

引き続き、上中下の中巻を読んだ。

P212
西洋の概念でいう友情というものは明治後の輸入倫理で、徳川期の儒教思想にもあまり見られないし、まして戦国、またはさかのぼって鎌倉期の武士の倫理のなかでは皆無といってよかった。

P270
玉子は、明智光秀の三女である。
その才色は、「比類がない」と当時いわれた。忠興より一つ上の三十八歳になっていたが容色はすこしも衰えず、おそらくまりあさまの再来であろう、とまで彼女の同心の切支丹信者のあいだでささやかれていたほどである。
 忠興は、切支丹ではない。むしろその異教を憎悪していたが、これほどの気儘者が夫人の洗礼を禁ずることができなかったのは、それを遠慮せねばならぬほど夫人を愛していたからに相違ない。(ここまで忠興が執着妄執しなければ、後の悲劇は防げたと思う)

P312
現在の毛利家を動かしているのは、内にあっては元春の子吉川広家であり、外にあっては伊予で六万石の僧侶大名安国寺恵瓊である。(この分裂が関ヶ原に大きくひびいた・・・西軍はチームワーク悪すぎる)

P344
三成は戦国の離合集散のなかで叩きあげた男ではなく、秀吉の秘書官として大名に成りあがった官僚育ちだけに、自分自身が秀吉に随順したように他人もそうするものと頭から思っていた。

P416
秀吉の陪臣は、最初は竹中半兵衛重治、ついで黒田如水、それらはいずれも動乱期の軍師であった。晩年の治世時代にあっては石田三成がその地位についている。如水にすれば、自分が動乱のなかで秀吉をたすけて取らしめた天下を、三成がまるでわがもの顔にして威権をふるっていることに、我慢できるはずがなかった。

P468
ひとつには神業といっていいほど小気味いい合戦の明神だったということもあるし、ひとつには、ひそかに秀吉の絵像までおがんでいたという意外な他愛なさが愛嬌になって、
「安房守殿は古今まれな名将」
 という評判のよさをとっていたのであろう。(下巻終わりになって、真田昌幸登場!だ)

【感想】
関ケ原は天下分け目と言われる。
徳川VS.豊臣、である。
家康は、この本質を、豊臣家・家臣(大名)同士の内紛、にすり替えた。
そうしないと、加藤清正や福島正則など、恩を忘れた「逆賊」になってしまう。
そうなると、徳川方に味方になってもらえず、敗北したかもしれない。

それには、石田三成のキャラクターが影響した。
三成は人気がなかった、嫌われ者だった。
特に、加藤清正や福島正則などに嫌われた。
優等生の委員長がクラスの暴れ者に嫌われるようなもの。
官僚と政治家、事務と現場、文吏派と武断派。
本来、権力者の側近は嫌われるものだ。
それを巧く家康に利用された。

【ネット上の紹介】
秀吉の死後、天下は騒然となった。太閤の最信任を獲得した能吏三成は主君の遺命をひたすら堅守したが、加藤清正、福島正則ら戦場一途の武将たちは三成を憎んで追放せんとする。周到な謀略によって豊家乗っ取りにかかった家康は、次々と反三成派を籠絡しつつ、上杉景勝討伐の途上、野州小山の軍議において、秀頼の命を奉ずる諸将を、一挙に徳川家の私兵へと転換させてしまう。

「関ケ原」(上巻)司馬遼太郎

2019年06月21日 20時04分22秒 | 読書(歴史/時代)
「関ケ原」(上巻)司馬遼太郎

「新史太閤記」の後日談に当たるのが、「関ヶ原」。
引き続き読んでみた。
上中下三巻なので読みごたえがある。
とりあえず上巻。

P38
本多正信について
「佐渡守正信は、大久保家の失脚後、三年を出でずして、顔に梅毒が出、顔かたちが崩れ、奥歯までむき出て死んだ。正信の子上野介正純は改易されたが、これは忠隣を落とし入れた因果の報いか」大久保彦左衛門「三河物語」より(当時、梅毒が流行っていたのだろうか?秀吉も梅毒が原因で子供が出来なかった、といわれている。同じ絶倫のヘンリー八世も梅毒といわれている)

P48
淀殿について
彼女は、北政所とはちがい、その人間的な味わいを伝えるような逸話は皆無といっていい。おそらく閨房以外での彼女は、なんのおもしろみもない平凡で愚痴っぽい女であったであろう。(司馬氏らしからぬ偏見と決めつけ?)

P49
いずれにしても、関ケ原という史上空前の大事件は、事のおこりを割ってみれば、ふたりの女性のもとで自然と出来た閨閥のあらそいであったといえる。

P357
 ――あの女のどこがいいのであろう。
 と、近臣がかげでささやくほどに、阿茶は不美人であった。頬が削げ、眼がつりあがり笑うと歯がむき出た。
 歳も、ふけている。もう五十のなかばになるであろう。老婆といっていい。
 が、家康はこの女をなんと十七年も側室にしつづけてきているのである。
(時代を感じる・・・現代の作家がこのような表現をつかったら、フェミニストに袋叩きにあう?)

P359
淀殿は容色こそすぐれていたが、才気はなく、政治むきのことを秀吉に告げたことはおそらく一度もなかったであろう。(司馬氏は淀殿が嫌いだった?)

【疑問】
P57
膏薬陀羅尼助売りになり、高井田を出てからは、山伏の姿にもどっている。
――陀羅尼助は胃腸薬だから、「膏薬」ってのはおかしい・・・著者の勘違い?
私の間違い? 知ってる人がいたら教えて?

【感想】
関ケ原にどう、雪崩れ込んでいったのか、詳細に描かれている。
石田三成は「いいやつ」かもしれないが、徳川家康に対抗するほど、キャラクターとしては面白みがない。
この長篇3巻を持たせるには、複雑で魅力的な人物でないといけない。
そこで島左近登場だ!
ダブルキャストで、なんとか(徳川家康に)張り合うことが出来る。

【追加】
映画では初芽は忍びという設定だったが、小説では淀殿の侍女、って設定。
その後恋仲になる、ってのは同じだけど、映画はプラトニック。
ファンに対する配慮か?

【ネット上の紹介】
東西両軍の兵力じつに十数万、日本国内における古今最大の戦闘となったこの天下分け目の決戦の起因から終結までを克明に描きながら、己れとその一族の生き方を求めて苦闘した著名な戦国諸雄の人間像を浮彫りにする壮大な歴史絵巻。秀吉の死によって傾きはじめた豊臣政権を簒奪するために家康はいかなる謀略をめぐらし、豊家安泰を守ろうとする石田三成はいかに戦ったのか。

「まんがアフリカ少年が日本で育った結果 ファミリー編」星野ルネ

2019年06月20日 18時54分53秒 | 読書(マンガ/アニメ)
「まんがアフリカ少年が日本で育った結果 ファミリー編」星野ルネ

「ファミリー編」が出たので、さっそく読んでみた。

学校の教科書では習わないような選択を迫られる瞬間が人生にはたくさんあるね

無愛想な接客は誤りか、 規則に準じて笑うことこそ誤りか

【ネット上の紹介】
カメルーン生まれ関西育ち、アフリカ少年が紡いだ家族の記憶。フルカラー&総ルビでパワーアップ!星野家からご近所さん、カメルーンの親戚まで!地球サイズで考える「家族関係」。甘辛家族観察記、第2弾!
第1章 アフリカママが日本で子どもを育てた結果編
第2章 袖振り合うも多生の縁編
第3章 愛しき日本のご近所さん編
第4章 遺伝子のうずき編
第5章 人類みなファミリー編

山岳保険

2019年06月20日 18時17分11秒 | クライミング(一般)
セブンエー山岳保険の加入者証が郵送されてきた。
5月初めに、手続き完了のお知らせが来たが、
加入者証は後ほど郵送します、とあった。
現物郵送に、約2か月掛かったことになる。
よっぽど忙しいのでしょうね。

「新史太閤記」(上・下)司馬遼太郎

2019年06月15日 20時09分47秒 | 読書(歴史/時代)
「新史太閤記」(上・下)司馬遼太郎

P8
「猿」
 とよんでやるのはいくら子供でも酷すぎると思い、高野聖たちはひよし、とよんだ。猿は、叡山の守護神日吉(ひえ)明神の使いものである。ひよしは猿の宗教的美称といっていいい。

P10
三河には、徳川家康とその家臣団の気風で代表されるような、
「三河気質」
 というものがある。極端な農民型で、農民の美質と欠点をもっている。律儀で篤実で義理にあつく、侍奉をすれば戦場では労をおしまず命をおしまず働く。着実ではあるが逆にいえば、投機がきらいで開放的でなく冒険心にとぼしい。印象として陽気さがない。家康とその三河衆は、こういう農民的特質をみごとなほどもっている。
(中略)
 が、隣国の尾張はまるでちがう。
 地形がちがうのである。
(中略)
当然、土地にしがみつく保守的な生き方よりも、外に出て利をかせぐ進取的、ときに投機的な生きかたをとらざるをえない。

羽柴という姓について
P317
なんと芸のない姓のつけ方であろう。織田家の重臣である柴田勝家と丹羽長秀の二姓一字ずつをとっただけのことではないか。

P291
城というより、山塞であろう。眼前に、浅井、朝倉軍が籠城している小谷城(標高400メートル)がそびえている。その小谷城に対し、姉川河原をはさんで南に盛りあがっているのが、猿の横山城である。標高312メートル。

P313
藤吉郎はそのころには、横山城を守りつつも前線陣地をさらに進め、虎御前山(とらごぜやま)で包囲軍の指揮をとっていた。

【感想】
秀吉一代記が上下2巻にまとめられている。
様々なエピソードがあるが、2巻では収まりきれない。
かなり割愛されているが、その分、スピーディな展開が楽しめる。
晩年は、性格が変わったような陰惨なエピソードが多いが、カットされて辞世の句になって終了・・・これには意見が分かれるでしょうね。
淀殿も登場しない。
落城のシーンにも浅井三姉妹が出てこない。
合戦と謀略を中心に展開する。
PS
秀吉がなぜ文字が書けて算術が出来るのか説明がない。
普通の百姓に出来ることではない、と思うのだけど。
寺に預けられていたときに学んだ、と言うことなのか?

【追加】
このあと「関ヶ原」「城塞」と続く。
(「新史太閤記」の前は「国盗り物語」・・・こちらは読了済み)
引き続き読もうと思う。

「姑の遺品整理は、迷惑です」垣谷美雨

2019年06月11日 20時27分51秒 | 読書(小説/日本)
「姑の遺品整理は、迷惑です」垣谷美雨

独り暮らしの姑が亡くなり、その遺品整理をすることになった嫁の望登子。
断捨離のできない姑のマンションは、無駄なものにあふれていた。
これって2か月で片づくの?

P138
「(前略)あれから思ったんだけど、親っていうのは、死んで初めてどんな人間だったかがわかるね」
(中略)
「親とはありがたいものだけど罪なものね」
「そうよ。私の人生に多大な影響を及ぼしたわ。本当に迷惑な存在よ」
(中略)
「親になるって、実はすごく難しいことだと思うようになったの」
(中略)
「親になるというのは誰にとっても初めての経験でしょう。だから、うまくやれる方が奇跡だと思わない?」
「そういえば、そうかも」
「子供たちに、もっとこうしてやればよかった、ああしてやれていればって思うことがいっぱいあるもの」

【感想】
「(前略)親っていうのは、死んで初めてどんな人間だったかがわかるね」
・・・とあるが、死ななくても分かる。
人は「こうありたい」「このように思われたい」という自己演出がある。
(意識、無意識を別にして)
認知症になると、そのバリアがなくなる。
素の部分、演出されない「芯」がダイレクトに表出する。
「あぁ、こんな人間だったのか・・・」、と。
(あるいは、「やっぱりな・・・」、とか)
そしてさらに進行すると、「芯」も溶けてくる。
「炉心溶融」、だ。
人間メルトダウンは、素人の対処が困難・・・。
(元気なときの自分が見たら、不本意で情けなく思うでしょうね、でも看る方も情けなくも不本意だ)

【追加】
あと、介護が疲れるのは、人間関係の距離が崩れるから。
本来、1人1人楽で、居心地の良い距離、ってのがある。
仕事をして疲れるのは、これも一因と思う。
様々な距離感の人を相手にする必要があるから。
人は自分の距離で接することができないと疲れる。
(その反動で独りになりたくなる・・・その繰り返しだ)

【おまけ】
今年から、不要な物を捨てていっている。
粗大ゴミの日は月に2回ある。(大型+小型)
その日に、不要な物を捨てていっているが、出てくる出てくる。
いっこうに片づかない。
なぜこんな物を残しておくの?
何に使うつもりでとってあるの?
昭和一ケタ、って、皆さんこうなの?

【誤植】
P130
誤「パーリー?今パーリーっておっしゃいましたか?」
      ↓
正「パーティ?今パーティっておっしゃいましたか?」

【参考】
断捨離を意識するあまり、勝手に同居する家族の所有物を捨ててしまう、売却してしまうことでトラブルになる例も多々有り、妻が夫の貴重なコレクションを同意無しに捨てる、子供が大切にしていた思い出の品を親が勝手に捨てるなどで、離婚問題に発展することもあるが、断捨離とは自分と自分の所有物に行うものであり「家族を含めて他人のものを勝手に捨てるのは断捨離ではない」と、提唱者であるやましたひでこ自身も発言している。by Wikipedia

【ネット上の紹介】
独り暮らしの姑が亡くなり、住んでいたマンションを処分することになった。業者に頼むと高くつくからと、嫁である望登子はなんとか自分で遺品整理をしようとするが、あまりの物の多さに立ちすくむばかり。「安物買いの銭失い」だった姑を恨めしく思いながら、仕方なく片づけを始める。夫も手伝うようになったが、さすが親子、彼も捨てられないタイプで、望登子の負担は増えるばかりである―。誰もが直面する問題をユーモラスに描いた長編小説。

炊飯器

2019年06月10日 19時31分36秒 | 身辺雑記
タイガー炊飯器を買った。29,800円
以前のはガスで、それなりによかったのだけど、
鍋のコーティングが剥げてきたから。
さっそくゴボウ炊き込みご飯を作ってみた。
さらに、調理機能もあるので、里芋とサツマイモを蒸してみた。
予約機能でお粥(全粥)も作った。これもなかなかgood。

テレプシコーラ再読

2019年06月10日 18時48分41秒 | 読書(マンガ/アニメ)
テレプシコーラを再読した。
第一部最終巻、金子先生が六花を迎えに来るシーンから最終ページが圧巻。
また、第二部ローザンヌでの描写が超リアル。
「アラベスク」に匹敵する人間ドラマだ。
PS
「ボレロ」と「水戸黄門」のリズムが同じ、って指摘が目から鱗。


「日本人の9割が間違える英語表現100」キャサリン A.クラフト

2019年06月09日 18時32分27秒 | 読書(英語)
「日本人の9割が間違える英語表現100」キャサリン A.クラフト

P84
until とbyの違い
until・・・「~までずっと」という〈継続〉をあらわし、ある動作や状態がある時点まで継続していることを示します。
by・・・「~までには」という意味の〈期限〉をあらわす前置詞です。ある動作や状態がその特定の時点かそれ以前に完了していることを示します。

P140
at last とfinallyの違い
at last は結果のできごとがよいことの場合のみに使われるのに対してfinallyはよい結果だけでなく、悪い結果に対しても用いられるのです。

P151
go online to find out A 「インターネットに接続してAを調べる」
I went online to find out how much the tickets were.

P162
heart とmind の違い
日本語の「心」をそのまま言いあらわす英単語はありません。日本では「考えるところ」と「感じるところ」を一体のものとして捉え、これらはすべて「心」がつかさどると考えています。(中略)
「考えるところ」、すなわち「知性・思考・意思決定をつかさどるところ」はmindが対応します。mindは、頭で考えたり決断したりする、理性としての「心」をあらわすのです。
(中略)
「感じるところ」、つまり「頭で考えてもどうにもならない喜怒哀楽をつかさどるところ」はheartの範疇です。

P186
meet vs. see
seeは「姿を見かける・目で捉える」が原義です。(中略)
「会って言葉を交わす」という意味を含むこともあります。医者に会い(see)に行き、「診てもらう・相談する」というときにも用います。(中略)
meetの原義は、2人以上の人が異なる方向からやってきて、約束して「会う」です。そこから、日時を決めて「会う」という意味をもつようになりました。(中略)
初対面のあいさつでは、相手を知らないので、たんに「会う」ことを意味するmeetを用います。2度目以降は相手の顔を知っているので、「あなたの顔を見られて(see)うれしい」と言います。

P208
includeとcontainの使い分け
includeは「それだけを取り出すことのできる一部を目的語する」
containは、一般的に「全体の中に溶け込んでいる成分」や「バラバラの状態で含まれている要素」を目的語にします。


【参考リンク】



【ネット上の紹介】
See you again.は、永遠の別れのときだけに使う?「ドンマイ」「ハイテンション」「ファイト!」は全然通じない?教科書に載っていても実は通じない英語、何気なく使っている和製英語など、日本人が身につけている英語には勘違いがたくさん!長年日本人の英語に接してきた著者だからこそわかる、日本人が間違えやすいポイントと、その正しい言い方を伝授。これを読めば、しっかり伝わる英語表現が身につきます!
第1章 日本人の9割が知らない英語の基本(会社の同僚(リサ)です。―名前を言わない日本人
じゃあ、またね。―“See you again.”を連発する日本人 ほか)
第2章 ネイティブの英文法(「私のこと、愛していないの?」「ううん、愛しているよ」―否定疑問文の応答
ほとんどの赤ちゃんはよく眠る。―まぎらわしい“almost”と“most” ほか)
第3章 「英語の発想」と「日本語の発想」(夕べあなたの夢を見た。―“see a dream”と言えるか?
彼の英語が理解できなくて恥ずかしかった。―「恥ずかしい」の使い分け ほか)
第4章 あなたの英語は誤解されている(何時が都合がよろしいですか?―“convenient”は人を主語にできない
彼女は私がいちばん好きな歌手だ。―目立つ“favorite”の誤用 ほか)