山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

キアゲハとナミアゲハの違いがわからない

2020-07-31 21:28:44 | 生き物

 和宮様が草むらでまたまたきれいな蝶を発見。カメラ片手で急行すると見事なアゲハが草むらに隠れていた。梅雨の雨をよけていたのかもしれないが、積極的に逃げ出さないので蝶にも深い事情というものがあったのかもしれない。えーとこれはアゲハ(ナミアゲハ)なのか、キアゲハなのか、よくわからない。

  

 愛用している主婦と生活社『日本の蝶』図鑑で調べてみると、これは「キアゲハ」の春型であることがわかった。夏型は中央の黒ずみの面積が大きい。外敵対策の目玉模様の赤が強烈だ。春型だったので、そろそろ終活を迎えようと静かにしていたのかもしれない。飛翔している状態ではナミアゲハかキアゲハかは同定できない。

       (画像はweb[こんちゅう探偵団]から)

 ポピュラーなナミアゲハは、上の画像のとおりしっかりみるとキアゲハとは模様が違う。昆虫少年ではなかったオイラにはいまだすぐには同定できない。上翅の上側の模様が黒ずんでいるかどうかだけが同定のポイントだ。

 アゲハの幼虫はミカン科の植物へ。キアゲハの幼虫はセリ科の植物へ食べに行く。わが畑にはキアゲハが圧倒的に多いのがわかる。幼虫のデザインとしてはキアゲハの緑の地に黒と橙の星模様がまだら模様のなっているのが魅力的だ。ナミアゲハは、全体が緑色で新幹線型。

 身近な蝶だが、あらためてキアゲハはなかなか斬新なデザインと色合いであるのが確認できた。美しい。

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茂みの奥から出てきたものは

2020-07-30 21:29:09 | 野菜・果樹

どうにか雨が止みそうにになってきたなか、ぬかるみ状態になっている畑は葉物野菜はとっくに消えている。そういえばと、雑草に覆われている畝で探してみる。たしか、枝豆ができているはずだ。害獣やカメムシから防御できているはずだ。

                  

 「あった!あった!」。雑草をかき分けると莢にぱんぱんになっている枝豆ができていた。1mの背丈にはなっていた雑草を駆除しながら(肥料はばっちりだったからね)、枝豆を探し出して掘り起こしていく。

    

 篭いっぱいに積まれた枝豆に「長雨と雑草からよく耐えたね」と頭を下げる。さっそく、枝から豆を切り離す内職のような作業を行う。和宮様は「莢の両端を切ってから塩茹でしておくと塩がよく豆に沁みるのじゃ」というので、仰せの通りにしていく。そうして、当然夕食は茹でた枝豆が主食となる。食べてみると仰せの通り塩加減がちょうどよい。手と口のピストン運動が止まらず腹がパンパンとなる。 

                

 やっと、ゴーヤ第1号が実った。葉がジャングルのように茂ってやっと見つけ出したものだ。これでなんとか、夏野菜の確かさを確保できそうだ。また、ブルーベリーも碧い実を毎日着けてくれているのも心強い。梅雨明けがやっと迎えられる日が来る。             

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共生とは心地よいとはいえない妥協の産物

2020-07-29 21:39:30 | 読書

 コロナ禍のエンドレスニュースは霧の中で彷徨する日々だ。そんなとき、山本太郎というどこかで聞いたことがある名前の著者の『感染症と文明--共生への道』(岩波新書、2011.6)を読み終えた。著者は俳優から政治家となった一匹狼・山本太郎ではなく、アフリカやハイチで感染症対策に従事した学者だった。人類は都市文明を形成するとともに野生動物を家畜化し、そのことで麻疹(ハシカ)がヒトの病気となり世界へと広まっていく、という人類と感染症との始まりが前口上だった。

  

 そして、先史時代の人類は、その糞石からは寄生虫の卵や幼虫は発見されず、また、疾病に対する適応的傾向がみられるという。むしろ、農耕の開始・定住・野生動物の家畜化が人類と感染症の転換点になったと指摘する。とくに野生動物の家畜化として、天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水鳥、百日咳はブタ・イヌに起源をもつ。感染ウイルスは増加した人口・文明という土壌を得てヒト社会への定着を獲得していく。

    

 感染症というレンズで歴史を見ると、従来の歴史的事件や「帝国」の衰退などの要因や必然性が浮き彫りにされる。シルクロードを皮切りに、モンゴル帝国の拡張さらには大航海時代に見られる交易路の開発とともに感染症は猛威を振るう。14世紀のヨーロッパを襲ったペストによる死者は、当時の人口の三分の一に達したという。

                 

 それが近代の世界大戦においても、軍隊の移動と共に感染症が広まっていく。つまり、「帝国主義が流行をもたらした」と著者は断言する。さらには、「開発」という名の自然への介入は、「開発原病」と称する感染症を次々生み出してしまった。アフリカや途上国のダム建設・鉱山開発・ゴム農園などで住血吸虫症・「河川盲目症」・マラリア流行などを事例としてあげている。

 そして、「狩猟がうまく生き過ぎると、生態系のバランスは崩れる。牧畜がうまく生き過ぎても牧草地は荒廃する」ことから、人類と感染症の関係も同じだと提起する。

  

 エピローグで著者は、「病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた<適応>といえなくはないだろうか」、「心地よい適応は、次の悲劇の始まりに過ぎない」と提起する。したがって、「共生とは心地よいとはいえない妥協の産物として、模索されなくてはならないものなのかもしれない」と結ぶ。

 2011年に書いたこの著作は、9年後の今年の新コロナを予言するかのような予言書でもあった。新型コロナは、宿主の人間が死滅しては自分も生きられないわけで、毒素を弱くして広く感染させて子孫を残すという高度な生き残り戦略を持ったウイルスなのだ。

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毒蛾だけど安心?かわいい!?

2020-07-28 15:05:03 | 生き物

ブルーベリーの樹の上で黄色い毛虫を発見。見事な長い毛で色も鮮やかだが、いかにも毒蛾っぽい。ブルーベリーにはけっこう毒蛾がやってくる。背面には4本の歯ブラシ状の毛束(ケタバ)を整えている。これはいったい何のために束ねているのだろうか。人間だってヘアアレンジしているけどそれとおんなじなのだろうか。

    

 小学館の「イモムシ・毛虫図鑑」(小学生向きだが内容が濃い)で調べたら、この毛虫は「リンゴドクガ」(ドクガ科)だった。リンゴの葉を食害することでこの名前がある。リンゴ以外でもサクラ・コナラなどの広葉樹の葉も食べる。赤系・白系の毛虫もある。

                

 正面の顔はなかなかおちゃめな風貌だ。これ以降の画像は、大阪のweb「北河内昆虫記」からの引用だが、プロ並みの画像だ。幼虫も成虫も毒針はないので触っても安心というが。

                

 オスのスタイルはいかにも都会風のオシャレに満ちている。上半身のモフモフは夏は暑苦しそうだなー。 

            

 成虫のオスの正面は、「風の谷のナウシカ」に出てくるキツネリス「テト」みたいだ。ナウシカの肩にいつも乗っていたパートナーだ。櫛状の触覚が近未来を予測するアイテムのよう。このままぬいぐるみになりそうだ。成虫にはきっと、出会っていたに違いないがこうしたまばゆい自然界のアートは、硬直したオイラの感性は見落としていることは確かだ。   

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梅雨の長雨・大雨による被害と生命力

2020-07-27 21:58:29 | できごと・事件

 長雨と大雨が続く毎日、やらなければならない農作業ができない。とりあえずは、種から芽が伸びたポットのアスパラガスやソシンロウバイを大き目のポットに移植したり、アジサイやレンギョウの挿し木を軒下でしこしこ作業することが多くなった。それ以上に、イノシシが荒らしまわって倒れたコンニャクの玉を集めていく作業もバカにならない。イノシシが運ぶヤマビルも気になる。和宮様はさっそく首を嚙まれた。そんななか、隣の茶園では、カビによる炭疽病が発生していた。

                 

 降雨や多湿が続くとこの炭疽病をはじめ葉にブツブツができる「もち病」も見られた。几帳面な若き茶園主もあきれ顔だった。まもなく、枝の刈込や農薬使用も行われるようだが、長雨続きでそれもいつになるか。

 わが家庭菜園も、ナス・ズッキーニはあまり口に入らず、パクチーはついに根元から腐ってしまった。スイカは全滅へ向かっている始末。例年では生きのよいはずのクウシンサイさえ元気がない。

               

 さいわい、亡くなったセニョールさんからいただいたブルーベリーの樹から碧い宝石を先週あたりから見せてくれた。さっそく、野菜ジュースに活用したり、ヨーグルトに入れて生食を楽しんだりしている。葉もの野菜を切らしてしまったのも計画的ではなかった。イノシシにやられる前に枝豆を早急に収穫しなければと空を見上げる。

  

 また、多湿のわりにはトマトが病気にもならず順調だ。例年だと突然枯れてしまうことがあったが、今年は珍しく安定している。今年はタヌキやアナグマらからの被害はあまりないが、食われる前にと真っ赤になる前早めに収穫をしている。キュウリはウドンコ病が伝染しないよう危ない葉をどんどん除去したせいか、食べきれないくらい豊作だ。

 気候変動の激変のなか、影響をすぐ受ける野菜あり、マイペースの野菜あり、人間と同じように振る舞い、与えられた命を精一杯つないでいるこもごもの命はたしかだ。イノシシの猛攻は相変わらずで、しばらくミミズ取り放題をあきるまでやらせることにする。

 

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世界に高貴を伝播したユリ王国ジャパン

2020-07-26 21:25:33 | 植物

 隣の地区で土砂崩れがまた起こり、奥の国道は通行止めとなった。雨が止んだ合間に、国道をウォークする。そろそろ終わりになりそうな「ヤマユリ」が最後のきらめきを見せてくれていた。幕末に欧米のプラントハンターを衝撃させたユリの美しさがフツーにあった田園国家ジャパンの片鱗を見た。

  

 紅茶大国イギリスの基礎を作ったプラントハンター,R・フォーチュンは、幕末の日本の園芸市場を見て、その量質の高さは世界の最高水準だと絶賛したほどだった。その一つの最高峰がヤマユリだった。その後、ヤマユリなどの球根は日本の外貨獲得の主要な輸出産業となっていく。そのユリを西洋では品種改良し、カサブランカなどを生み日本に逆輸入されていったのは周知のことだ。

  

 ヤマユリをよく見ると、水はけのよい斜面に生育している。また、株の周りには他の草が生えていて根の周りが日陰となっている。陽が強烈だと生育が悪い。最近、道路清掃で2mほど斜面が刈り込まれたが、ヤマユリはいつも刈り込まれないのが素敵だ。

               

 「存在に耐えられない重さ」の花弁をしょいながらもその美しさを誇示しようとする気迫。道路際のヤマユリも草刈機の犠牲にはならない。そんな優しさが山里のユリ王国をいまだ存在させているのかもしれない。長老に言わせると、むかしはごそっとヤマユリの群生地があちこちあったという。幕末の外国人が驚喜したどこでも植物が花咲く田園国家ジャパンは、経済優先でどんどん開発され感染症を呼び込む素地に貢献?してしまった。

   

 あらためて、都会の路地裏に育てられた植木群の意味を再評価し、地方の里山の復権に人格を呼び戻すことが必要だ。それは、人間の大規模な開発行為が広がるたびにコロナ禍があるからでもある。コロナは、人間の利益優先エゴへの「おしおき」なのだ。もう一度、人間は原点に立ち戻って環境に負荷をかけない生き方を模索しなければならない。ヤマユリの高貴はそんな人間のエゴを告発しているのかのようだった。

 

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図鑑に載っていないチョウを発見

2020-07-25 22:18:54 | 生き物

 雨が止んでいるときをチャンスに国道を歩く。車だと「見落とすこと」がある。オイラがかねがね注目していたジャーナリストの斎藤茂男は事件現場を車ではなく歩いて回ると見えてくる背景があるという。それはテレビで毎日のように垂れ流している殺人事件ドラマにもこの視点がない。

 さて、運動を兼ねて歩いていたらガードレール近くの葉の上に見たことのないチョウがじっとしていた。黒地に白と赤の斑紋が鮮やかだった。

                 

 いくつかの図鑑で調べてみてもどうも該当しない。強いて言えば、尾状突起のない「ナガサキアゲハ」に似ている。パソコンで調べていくうちに、ついにそれは「アカボシゴマダラ」(タテハチョウ科)であることがわかった。これは中国産の外来種を人為的に放蝶したらしい。主に関東圏が中心だが、静岡市にも侵出、浜松市にも2年ほど前に確認されたという。

                   

 赤い斑紋は夏型で、春型は白黒だけの斑紋だそうだ。アサギマダラのような模様にも似ていて繁殖力も強いようだ。きっとこれから、お目にかかる機会が増えるかもしれない。ただし、在来種のゴマダラチョウが駆逐されてしまう危険もあり、特定外来生物に指定されてもいる。歩いてこそ出会える発見ストーリーだった。帰化植物の図鑑はあるものの外来動物専用の図鑑が必要になってきているようだ。

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「まいった!!」-イノシシの完璧な荒行

2020-07-24 18:37:37 | できごと・事件

 昨日は久しぶりの焚き火完遂で気を良くしていたが、夕方たまたまコンニャク畑を見たところ、イノシシが暴れまわっていたのがわかった。暗くなる前にあわてて、植え直したり、まわりの草刈りをしておく。敏感なイノシシは人間の手がすぐさま入ると慎重な行動になることが多いからだ。それが相手への警告サインでもあるのだ。

  

 しかしそれは大いに外れた暢気な予想だった。翌日二度目の襲撃があり、50本近くあったコンニャクの苗は数えるほどしか残っていなかった。まるで苗を倒していくのが目的にさえ見えた。ただしよく見るとコンニャク玉は食べていないのがわかった。一部かじったような形跡もあったが有毒のコンニャクを食べれば相当な打撃があるはずだ。人間が生で食べれば救急車で運ばれるほどの症状となる。

          

 つい数日前には、2年生のコンニャクは見事なジャングルを形成していた。3年生のコンニャクは背の高さに迫る大きさだった。それなのに…。

 有毒のコンニャク畑にくるイノシシの狙いはミミズだった。そういえば、このところ、無農薬や有機農法の成果かミミズがかなり多くなっているという実感を持っていた。だけど、イノシシにとって小さいミミズでは腹の足しになるのだろうか。

    

 ため息をつきながら畝をちょっぴり平たくしていく。掘り返してみると、驚くほどミミズの姿が消えている。こうなったら、「ミミズ食べ放題だよ」と開き直る。ただし、無事だった40本近くの苗を植え直さなければならないがどうしたらよいか戸惑ってしまう。「くそ忙しいというのに余計な仕事をくれたものだ」と、ため息をつきながら被災地の人の気持ちを想う。

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やっと焚き火ができた幸せ

2020-07-23 21:16:53 | 野外活動

 長ーい梅雨と天候不順が続き、私設焚き火施設がコロナと連動?して自粛が続いた。古い竹の支柱や雑草・畑の残滓が積もっていくだけでなく、焚き火会場にさえ草が生えてしまっている。毎日天気予報と空をうらめしく見つめる。山の梅雨空は突然大雨が襲うことがある。やっと、「きょうしかない」日がやってきた。晴れの日は避けて小雨があるくらいがいいのだ。火災とその延焼にはかなり気を使っているのだ。

         

 竹の支柱はよく燃えるはずだが、今回はどれも濡れていてなかなか火が回らない。乾かしながら少しづつ燃やしていく。ついでに、周りの雑草も刈り取っていく。今まで草取りを専念してきた和宮様も「きれいになってきたぞよなー」と顔をほころばせる。

         

 山のように積んであった支柱もずいぶんなくなってきた。最近は害獣対策で支柱の数が多くなってきている。また、挿し木から育てた樹木の植栽も増やしてきているからでもある。今年は、裏山の伐採の影響で竹林がかなりなくなってきているので、支柱の供給が課題となってきている。

         

 いつもだと、うどんやそばを茹でるのが定番だったが、今回は燃やすのに精一杯だったので余裕がなかった。それを察してか、和宮様が「トビウオのクサヤがあるからに」とのたまうので、さっそく七輪で焼いていく。夕飯に食べてみたがこれが実に旨い。さめていても味がきちんと濃縮されている。地元の人は意外に食わず嫌いの反応なので強くすすめないことにしている。

                 

 最後に、ミントのハーブ茶を作る。いつもだと、焚き火コーヒーとなるが昼食に間に合わず。この傷だらけの七輪も土中に捨てられていたのを掘り起こして使ってみたが、まったく問題がない。まさに七輪文化のゆかしさを満喫する瞬間を楽しめる。炭はほとんど焚き火からの消し炭でまかなっているので、市販の炭はほとんど使っていない。畑の残滓がここで灰となり、再び畑に返されていく循環型農業の一翼を実感する一日となった。 

          

 ゴミの山がこんなに小さくなった。そして土壌改良として草木灰がまもなく畑に散布される。                 

 

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ウバタマムシの品格

2020-07-22 21:06:58 | 生き物

  和宮様が「タマムシみたいぞえ」と持ってきたのは、「ウバタマムシ」(タマムシ科)だった。一瞬七色に輝くタマムシが目に浮かんだが、洗濯物についていたという 「ウバタマムシ」は、その名前の通り渋いデザインだった。

   

 車検済みの車を歩いて取りに行く途中に出会った「アマガエル」。2cmほどの小さくかわいい子どもだったが、それに比べて「ウバタマムシ」は大きくじっとしていて風格があった。色が地味というわけでもなく所作に品格を感じるのだ。日本やアメリカの政治家からはとても感じられない品格だ。政権と自分の保身のために汲々としている姿は悲しいが、それを選んでしまう国民の無頓着さも悲しい。

      

 そんなナーバスな感情移入を吹っ切るほどの渋さが「ウバタマムシ」にはあった。松をちょっぴり食害する害虫ではあるが、近年その個体数は少なくなっているという。神奈川では準絶滅危惧種に指定されている。松の減少と松への薬剤投入による影響があるようだ。桐のタンスにときどき見られる隆起条の縦線といい、四つの黄色い紋といいジャパンを感じさせる。

          

 成虫になるまでには2~3年かかるだけあって、年輪のような縦のデザインと色合いがマッチしている。裏山を伐採したときの松の枯れ木にきっとこの「ウバタマムシ」がいたのに違いない。だから、森には枯木も必要なのだ。桐のタンスにウバタマムシの翅を貼りつけたら国宝になるかもね。            

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