山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

時間と空気と水のぜいたく

2022-02-28 21:59:38 | 読書

 北欧のサーカスで働き、その周辺国からアジアの山里へ旅を続けている秋元幸久さんが、茨城の山里・関沢に家族と住み始めてエッセイを綴ったのが『沢暮らしの旅人』(連合出版、1989.1)だった。たまたま読む機会があった。本書が出たころといえば、東欧革命とソ連崩壊が現実のものとなりつつあり、冷戦の幕が閉じようとする激動の時代だった。

     

 いっぽう、日本の80年代は、平成に改元した前後から戦後の価値観が金属疲労をきたし、知識人や政治家らが占有してきた体質・思想に対して、若者の「サブカルチャー」があらゆる分野でうごめいていった時代でもあった。また、空前の土地・株への投資によるバブル経済は、ますます都市中心主義へと向かい日本の農山村や自然はその補給部隊となり、荒廃が加速していった。

   

 そんなとき、著者が世界を旅して得たことは、「偽物ではないほんとうのシンプルライフ」を貫いて人生を愉しんでいる人との出会いだったという。ところが、「極東の島国の都会生活は、複雑怪奇な異常生活の最たるものだった」。そこで、新聞もテレビも見ないで車も使わず、山奥の小屋でまずは生存に必要な水を、それも天然水を確保しながら生活しようと、シンプルライフを始める。

          

  そうして、「仕事が忙しいことは結構なことだが、生活が忙しいのは不幸なことであって、そのような多忙な人生にあっては、緊張状態が慢性化している。これでは人間おかしくならないほうがおかしい。」と、さっそく畑を耕し、晴耕雨読をしつつ、近所の人の叡智と優しさとともに、「要するにのんびりと生きよう」と実践していく。

 しかし、現実の「日本の田舎は寂しい」という。「動物(家畜)が自然な姿でのびのびとくつろいでいる光景をみることがまずできない」と断言する。そう言われると、確かに自然に溶け込んだ動物の姿を見ることは難しい。それは同時に、そこの人間も同じことが言える。 

             

 著者はこんな言葉で最期を結んでいる。「田舎での自然に順応した生き方、自然のなかでの地球に対して後ろめたさのない人生。それこそ、これからの世界において、新たに見直される生き方だ。それは…自分たちの子供や孫を生かす生き方でもある」とね。ややアバウトな展開のエッセイではあったが、大いに首肯できる内容だった。これをバブル崩壊前から提起していて、それを暮らしに生かしている謙虚さが素晴らしい。

     

 わが集落もみんなよく働く。江戸の「勤勉革命」がいまだに生きているのを目撃する。しかし、その忙しさで失うものもあるのではないかと思わざるを得ない。エンデの『モモ』は、「時間泥棒」という影が人々の心を支配して、忙しい現代人を象徴している物語だが、まさにこれは日本型労働の告発した作品だとつくづく思い知らされる。先駆者・秋元さんのシンプルライフが近年じわじわと田舎に広がりつつあることも事実だ。

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世界史を汚すプーチンのウクライナ侵攻

2022-02-25 20:24:48 | 意見・所感

 ロシア帝国のウクライナ侵攻がついに始まってしまった。クリミア併合からすでにウクライナ本土侵攻は予定の行動であるのは明らかだ。ピンポイントのミサイル攻撃は突然できるものではない。

 ウクライナ出身のグレンコ・アンドリー氏は「プーチン大統領の狙いはウクライナの全土、もしくは半分以上の占領だ」と断言する。彼は2019年3月に『プーチンの幻想』(PHP新書)をすでに上梓している。

    

 彼によれば、「プーチン大統領は典型的な大国の強権的指導者であり、強いものを尊敬し、弱いものを見下す徹底した力の信奉者です。歴史認識においても、第二次世界大戦の結果を絶対視しており、日本を敗戦国として完全に見下しています」として、北方領土をロシアは絶対譲らないとし、日本側の甘い期待を指弾している。たしかに、日本の報道はプーチンの日本通を歓迎するおめでたさが目立ったことは否めない。

    

 ロシア人の「領土に対する異常な執着」はどこからくるものだろうか。

 教科書的には北極圏にあるロシアの港は、永久凍結・流氷地帯にあり常設できにくい港だったので、南下政策や肥沃な領土拡大が民族の悲願だった。しかしそれは他国との軋轢を生んでしまうのは当然の帰結、だから、武力で突破ということなのだろう。

        

 さらには、17・18世紀、西欧が植民地獲得を激化している競争にロシアが出遅れた、という一因もある。だから、遅れたバスに乗るためには手段を選ばないという手練手管が発達する。グレンコ氏によれば、ロシアにとって「友好」とはロシアへの服従であり、「約束」は破るためのものと弾劾する。

  そういえば、オリンピックに対するロシアのドーピング工作も驚き入る手口だった。国家の組織ぐるみの戦略だったのに、IOCはロシア(ROC)の事実上の参加を認めてしまった。その被害者は、まじめにルールを守ってきたほかの参加選手であり、フィギアのワリエワ選手でもあった。ロシアは国全体がKGBとなった。

           

 ちなみに、ロシア民族の歴史的なかつての中心地は現在のウクライナの首都「キエフ」だった。なーるほど、野望のルーツが見えてしまった。平和に過ごしてきたウクライナを血で汚してはならない。ロシア帝国の国際的な孤立が始まった。「プラハの春」どころではない絶望をプーチンは世界にもたらした。今のロシアの傲慢さと軍事支配は、戦前の日本の言論弾圧状況とそっくりだ。諜報員だったプーチンはみずから墓穴を掘ったことを自覚できないでいる。

 

 

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境界に抜根した茶の木を植える

2022-02-23 21:31:45 | 屋外作業

 隣の土地はしばらく耕作放棄地となっていた。ススキが一面に繁茂している。隣との境界を破ってシカやイノシシが自由に侵入していた。モミジなどを植えてみたがことごとくその樹皮や若い芽を食べられてしまって、成長が止まっていた。そこで、現在抜根している茶の木を植えてみた。

              

 抜根して数日たっているので根っこが伸びていく保証はない。とりあえず、境界に沿って穴を掘り、抜根した茶の木を運搬して多少剪定して植えつけていく。そこに、たっぷりの水をあげて上から発酵した木材チップの肥料をかける。うまくいけば、春には葉が出てくるはずだがそうはうまくいかないことはわかっている。しかし、抜根した茶木を放置するよりはこちらの可能性に希望をかけたい。

   

 茶樹を植える溝を掘っていたら、1時間足らずで大きな石が面白いように出てくる。ツルハシで石を掘り出していくがその鋭い先端が石に当たるとバウンドしてしまうことがある。手がしびれる。寒風のなか、そんなことを楽しみながらその石を境界に沿って置いていく。拳くらいより小さい石はまとめて山の階段に活用する。

 昨日、第3回目のワクチン接種をしたが、朝から注射した肩がこわばっていた。しかし、作業をやっている間にそれを忘れるくらいとなった。適度に体を動かすのはいいことなのだ。

 

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北洋船団に初の女医が

2022-02-21 22:31:08 | 読書

 きっと面白い物語があるのではないかという予感がした。それが、田村京子『北洋船団 女ドクター航海記』(集英社、1985.12)だった。1000人以上の男漁師が172隻の独航船と母船のサケ・マス船団を組んだなかに、史上初めてという女医ひとりが赴任することになった。その閉ざされた環境のなかでの航海記の中身が読者をぐいぐい惹きつける。

    

 本番のサケマス操業そのものが記述していくのは本書の半分以上たってからのことだった。というのも、初めて女医が決まっていくあらましや決まってからの船内の改造をはじめ、素人では計り知れない船内のしくみや当時のソビエトの不当で厳密な漁区指定や船団スタッフの構成等など、好奇心のかたまりの田村医師のはつらつとした見聞録がこれでもかと思うほどに展開していく。

    

 また、漁業に関係する専門用語が紹介されたり、米ソの「監視員?」も乗船していることなど、事実上北洋船団の入門書にもなっている。それ以上に魅力的なのは、同乗の船員たちへの暖かなまなざしだ。それは同時に、田村女医が麻酔科という内科や外科の花形からみると亜流に見える専門医だったことと関係する。エリート制服組とは違う、同乗の船員たちの肉体労働にかけるいのちがけの猛者の立場と重ね合わせる。

    

 そのような感性が田村女医のコミュニティー能力の高さやおおらかさと合わさって、船員たちが心を開いていく過程が軽快に表現されている。いわば、ピュアな荒くれ男たちと好奇心のかたまりの女医との仲間意識が本書を貫いている。それに至るには、「肩振り」という船内の特殊用語に表れている。つまり、医者という鎧を脱ぎ捨てて何気ない世間話・声掛けをしてきた田村医師の柔軟性・適応力に感心するばかりだ。そこに著者の「牛若丸」(船員の証言)のような変幻自在・自由闊達な生き方が表れている。

           

 極限ともいえる環境の中でも、そんなはつらつとした発露ができるとはすばらしい。ひるがえって、バーチャルと武力が支配している日本や世界の閉塞状況にいかに元気にいられるかがひとり一人に問われている。その意味で、好奇心と共感・怒りというものを失ってはならないとつくづく思うばかりだ。

      

 

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石拾いから石並べへ

2022-02-18 20:30:16 | 屋外作業

 10年前のこと、果樹園を作ろうと荒地を掘ったところ、石だらけでしかも岩盤らしきものもあって断念したことがあった。しかし、あきらめきれずピンポイントで果樹や庭木を植えてみた。もちろん、生育は惨憺たるものだったうえに、シカの食害に遭ってまともなものはいまだにない。とりあえず、樹木の食害を防御するために防獣柵をつくるために、支柱周辺の土にある石を掘り出す。

          

 大小様々な大きさの石があるので、これは山道の階段に並べていけばそれぞれの石が活かされる。そこで、しこしこのんびり石集めとなる。「ネコ」が重さに耐えかねて横転することも何度かあったが、これも足腰の有酸素運動のリハビリと言い聞かせて荒地と山道の往復を重ねる。

       

 大きい石は傾斜の補強を兼ねて階段の左右に、小さい石は中央に配置していく。大きい石を中央に置くと階段を降りるとき滑ってしまう危険性がある。中ぐらいの石は満遍なく配置していく。

             

 石を配置していくと、かなりの量が必要なのが分かった。石の間から雑草が生えてしまう可能性もある。少なくとも7cmくらいの砂利の厚さが必要のようだ。大きさ2cm未満の砂利は市販の砂利を撒いて完成としたいところだが、へたすると、1段にひと袋も必要になってしまう。すると、年金生活者としては予算的に苦しい。

           

 完成は、上の画像の下部分のようなイメージとなる。したがって、握りこぶしぐらいの石が下のほうに頑張ってくれると砂利が少なくて済む。石がこれほど必要と思ったことはない。今までは石は邪魔者であった。これから、バタフライガーデンを造成するにあたってはますます石の存在が重くのしかかってきている。石拾いをこれから強めるしかない。

 

 

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休眠を邪魔してしまったか

2022-02-16 22:21:11 | 生き物

  このところ、シカが出現したことで防獣柵づくりがにわかに忙しくなった。柵の出入口用として廃材にあった樹脂製の波板を使ってみた。しかし穴があったり劣化があったりして1年はもつかどうか頼りない代物となってしまった。そんな波板の間にカメムシが隠れていた。

         

 隠れていたのは、ポピュラーな「クサギカメムシ」のようだった。模様を見るとモダンな感じもするが、一見すると地味で汚れた害虫にしか見えない。とにかく、豆類の野菜や果樹を吸汁するやっかいな相手なのだ。2018年にはニュージランドに入港した自動車運搬船がそこにカメムシがいたため国外退去を食らった事件すらあった。家屋や人工物にも適応できる戦略を持っているので、波板に休眠していてもおかしくはない。

   

 一方、荒地に植えてある「ユズ」はいくたびもシカの被害に遭っていて、鋭い棘があるのに樹皮や葉を食われてきた。簡易な防御をしつつ何とか生きながらえてきた。そこで、風花が流れてきた寒風の中、ユズや梅の樹木をガードするためのしっかりした防獣柵を作ることにした。しかし、ここは〇万年前河原だったようで石がザクザク、支柱が土中になかなか入っていかない。もちろん大判小判は今のところ出てこない。

 この石を裏山の階段の石にも有効利用しようとついでに掘っていたところ、そこから「ニホンカナヘビ」が出てきた。トカゲに似ているが尾が長く皮膚がざらざらで光沢がないのでカナヘビに間違いはない。寒いので動きが悪くじっとしている。休眠中を襲われたので機嫌が悪い。捕まえて茶の木の暖かそうな根元に釈放する。今週中にはまだまだ小春ちゃんは来ないようだ。夕方、満月が森から揚がってきた。

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まんさくの 音沙汰に 山ぐらしあり

2022-02-14 22:34:54 | 植物

 先日、ハンターがシカを捕獲したというのにもうシカの気配がある。梅の樹皮が食われていたし、糞も散らかしていた。柵を越えて畑に侵入した足跡もあった。が、トンネルマルチをしておいたのでノラボウ菜の若葉は食われなかった。そんななか、畑の隣ででひょっこりマンサクが咲いてくれた。このマンサクもシカになんども食われて成長が思わしくなかった1本だった。

    

 いっぽう、去年バタフライガーデンに植えたマンサクはもうつぼみをいっぱい着けていた。「まんさくの音沙汰に山くらしあり」(金子皆子)の俳句についついうなずいてしまった。

 また、そのそばに植えたジンチョウゲにもつぼみをつけていた。今のところシカやイノシシが侵入していない場所だが早急に手を打たないと被害が出てきてしまうのは明らかだ。春が近づくにつれて害獣との戦いが残念ながら始まっている。俳句にうつつを抜かしている場合ではない、かー。

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言葉をデザインする

2022-02-11 23:04:44 | ポエム

 < [ 抑止力 ]       黄門様の印籠には  「核」が入っていた >

 <   [ 温暖化 ]  富士山麓がサボテンの群生地になった

         鳥取砂丘で鯨が砂を噴き上げている  > 

       

 竹内徹『短詩集 いざ! 言葉のデザイン帖』(東銀座出版社、2021.12)は、 こんな感じの短詩が散りばめられた詩集だった。読み方を変えれば、川柳とでもとれるが、言葉の深度ではやはりポエムと言える。最近のツイッターやラインなどの短絡的なやり取りが日本を跋扈しているが、同じ短いつぶやきでもこの短詩のひねりにはかなわない。プレパトに乱入しても充分通用する。

   

  <  [ 孫 来たる ]  なにも たべない  なにも しゃべらない  なにも……

            スマホに両目を埋め込んでいる >

  < [ 認知症 ]       歳月を頑張り過ぎて つい 脳みそを齧ってしまった >

   

        <  再延 できない   休止 できない  中止 できない 観客 入れない

     で   [ できた ] >

           <  [ 新詩人]  和装から割烹着へ  五・七・五でも 七・五・三でも

          時代を自在に料理する >

  

 本書冒頭の詩は、上記の「新詩人」だった。プレパトで俳句ブームが巻き起こっているが、短詩はあまり聞いたことがない。こんなとき、著者はさらりと短詩の密かな毒と高踏の価値を宣言した。どうでもいいような情報の氾濫や軽佻で残酷な事件が蔓延してきた現代の荒涼を笑うしかない著者の寂寥が伝わってくる。この短詩から、教科書に載らない前衛詩人の北園克衛のモダニズムも感じる。

 オイラがときどき読んでいた田村隆一のアバンギャルドな詩と通じる柔らかな戦闘性も感じる。そういえば、著者は寺山修司と同窓であり、接点があったのかもしれない。著者はかつて『仮面中毒』(あざみ書房)という詩集も上梓している。内容は北園克衛に近いよりシュールな作風だった。

  さりながら、谷川俊太郎はやはり詩人としての奥行といい感覚といい宇宙といい、群を抜いている。

 

 

 

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リュウノヒゲを移植する

2022-02-09 22:11:06 | バタフライガーデン

 裏山の階段づくりをしていたら、リュウノヒゲが周りにいっぱい生えているのがわかった。悪く言えば、作業の邪魔な所に生えているというわけだ。そこで、それを邪険にしないで移植して生かそうというのがわが方針なのだ。しかし、繁茂しすぎているメタボなものやひょろっとした株のか弱いものもある。

            

 メタボな株は硬すぎてとても株分けは困難だった。今まで株分けで硬くて難しかったときはナタを置いてハンマーで叩きるやり方で分割するのが有効なのだと経験的にわかった。教科書には載っていない裏のやり方だ。失敗もいく株か出てくるがこれがそれでもいちばん確実な方法だった。

            

 株分けした苗をバタフライガーデンの外縁に植える。時期としては一番最悪の極寒の季節だ。これも教科書はすすめない。確かに霜の被害が予想される。しかし、そんな余裕がないオイラとしては、今やらないとチャンスが遠くなってしまうので決行することにした。移植した当日は水はやらない。翌日の日中には水をやるが夕方には水はやらない。

            

 というのも、以前雑草で手を焼いていた箇所にリュウノヒゲを移植したら数年後には成功した経験値があったからだ。これが定植すると雑草がある程度抑えられるというわけだ。外縁をコセンダングサやススキ等に代わるリュウノヒゲ群落を育てていきたい。

 ちなみに、ジャノヒゲとリュウノヒゲとは違うらしい。ネットでも混乱している。リュウノヒゲのほうが葉が長いイメージがあるが、じつはジャノヒゲのほうの葉が長くて幅広い。両方ともわが地に野生化している。花や実は隠れてしまうのでいつも確認を忘れる。この機会にしっかり花や実を確認していきたいものだ。

 

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いよいよ第3期抜根作業

2022-02-07 22:15:51 | 屋外作業

 第2期までに活躍したユンボが故障していたので、しばらく茶樹の抜根作業が遅れていたが、代わりのユンボを確保したので今月から第3期の抜根作業に着手することになった。朝はかなり寒く寒風も辛いがA君の腕と若さにユンボの運転は任される。

 ユンボは三菱重工が国産化して高度経済成長の一端として日本の国土開発を席捲したもの。ユンボの呼び方は、ショベルカー・パワーショベル・バックホー・油圧ショベルなどの総称として呼んでいるが現場でも混乱している。

   

 この建機の名称はいつも混乱させられている。以前は大型クラスを油圧ショベル、小型クラスをバックホーと呼んでいたが、近年、呼び方が細分化され、今は大型クラスのものを「油圧ショベル」、小型クラスのものを「ミニショベル・ミニバックホー」と呼ぶようになったという。この使い始めたユンボは、ヤンマーの「GLOBAL Vio20」で、ミニショベルということになる。上部が360度旋回できる。

 ついでに、ショベルは英語、スコップはオランダ語、定義はいろいろあるが、上方に足をかけられるほどの真っ直ぐなものがあるのを「ショベル(シャベル)」、小型で足をかけられないのを「スコップ」という。

  

  しかし、東日本では、大型のものを「スコップ」、手で扱う小型のものを「シャベル」という(オイラは東日本派)が、西日本では全く逆だという。よけいに混乱してきたぞ。

 この建機は、狭小道路や住宅密集地の現場で掘削や積み込みに活躍している。もちろん、起伏の多い山里では絶好の働き手でよく見る建機でもある。人手不足・省力化に貢献する頼もしいショベルだ。

 そのためわが家でも期待通り順調に作業は進んでいった。A君の柴犬マルは日向ぼっこを楽しみながらのんびり作業を眺めている。キャタピラの音も前作業車より静かな低騒音車だった。

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