山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

つくしのゴマ油炒め

2020-03-31 01:10:16 | 食彩・山菜・きのこ

 食欲にはかなわない。春の味覚を味わおうとやっぱりツクシを収穫してしまった。バケツ一杯分ほどを採って水に浸けて泥を落とす。そして半日近くをかけてはかまを除去していく。

           

 すると、いっぱい採ったわりには手元の食べる分は残らない。いっぱいあれば近所にお裾分けをと考えていたがとても無理そうだ。しかも、胞子が飛び散る前に確保と思ったがやはりタイミングは遅かった。胞子が開く前のものを収穫したいところだった。

  

 なるべく新鮮なものをと選択するうちに、収穫したのは三分の一くらいしか残らない。予想はしていたがそこは山菜の手間のかかるゆえんだからいたしかたはない。まだ、山奥の危険な場所にへ立ち入ったわけではないから良しとしよう。

   

 大まかに茹でてから水であく抜きして、ゴマ油で炒めていく。みりん・酒・醤油のご三家を入れるが、いつものように適当な量だ。思う通りの味にはならなかったので、砂糖・胡椒・炒りごまを少々投入する。

          

 鰹節を入れてから食べ出すが60点くらいのできだ。春らしい土筆の苦みがそこそこ感じられる。人にわけられる量でもなく、味もそのレベルではないので内輪で食べる。ただ、土筆を久しぶりに自前で食べられたのが何よりうれしい。

                  

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『川柳は乱調にあり』『だから、鶴彬』

2020-03-30 18:39:18 | 読書

 戦時下で川柳を武器にときの権力に抗い続けた作家「鶴彬(ツルアキラ)」を知った。15歳からデビューした彼は、特高や監獄の支配下の中で29歳の若さで事実上獄死した。川柳にしても鶴彬にしても歴史から削除されてしまう位置にいる。文学的位置が低く見られている川柳、非合法の反体制作家も同じ抹消と風化の運命をたどることになる。

        

 その埋められた遺産を掘り起こしたのが、楜沢健(クルミサワケン)氏だ。息苦しい時代状況は戦前と今とでは質が違うが、今のほうが敵が見えないからいっそうその抑圧の本質が見いだせない。そういうときこそ、庶民が生んだ川柳の穿ち・弾劾・怨嗟・告発・風刺の精神が迷妄を吹き飛ばす。

   

 鶴彬の命がけの川柳。

 〇「張り替えが利かぬ生命の絃が鳴り」 / 鶴彬の反戦の自負・誇り・覚悟が伝わる

 〇「修身にない孝行で淫売婦」 / 東北を襲った冷害で身を売った女性、道徳時間の効果

 〇「タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやろう」 / 翼賛標語をおちょくる

 〇「手と足をもいだ丸太にしてかえし」 / 故郷に帰った傷痍軍人への痛み

 〇「肺を病む女工故郷へ死に来る」 / 帰郷した死亡者の7割が結核だったという

 〇「首を縊るさへ地主の持ち山である」 / 川柳蔑視に対し川柳リアリズム宣言を提起

 〇「万歳とあげて行った手を大陸において来た」 / 時流に乗る川柳作家に告発され検挙される

  

 じっくり何度も読み返していくとその裏側の意味・輪郭が現れてくる。福島県双葉町には、「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」という原発標語の看板がむなしく放置されている。これ自体がブラックユーモアとなる。

 本書のブックデザイン・レイアウトも栞もなかなか斬新なのが魅力的。

       

 

 街中に乱発された戦時下の戦争標語が庶民・マスコミの脳髄を占有する。「贅沢は敵だ」「産めよ殖やせよ国の為」「一億一心 銃とる心」「国が第一 私は第二」「拓け満蒙!  行け満州へ!」「撃ちてし止まむ」

        

 作者は指摘する。「原発は社会から異論や反対を排除し、それを許さないシステムである。社会のすみずみまで、異論や反対の入る隙間なく、同意とと同調を行き渡らせる。それゆえ異論や反対を偏執狂的なまでに恐れ、監視する」と。それに対する宣撫予算もばかにならない。それも庶民の電気代から支払われる。

 この同調圧力は日本そのものを縛る。女性の世界、行政の忖度、政治の世界、ムラの暗黙の決まり、学校のいじめなどなど、すべてがこの空気感染で構成されている。コロナ並みの感染力だ。「だから、鶴彬」を登場してもらうのだ。戦前も戦後もこの同調圧力は変っていない。だから、豊かなのに幸福感を得られない。だからいじめはなくならない。だから歪んだお笑い芸人に浸る。

   (『川柳は乱調にあり』春陽堂書店、2014.6  / 『だから 鶴彬』春陽堂書店、2011.4)

   

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アジとマグロのソーセージ

2020-03-29 20:05:56 | 特産品・モノ

 和宮様が持ってきたソーセージをうやうやしくいただく。魚肉ソーセージと言えば、スケトウダラなどの白身魚のイメージがあるが、アジやマグロのソーセージとは珍しい。生産・販売している愛媛の西南開発KKによれば、昭和26年に日本で初めて魚肉ソーセージを開発販売したという。しかし、製法等の規制があり一時生産をストップしていた。

                

 昔の味が忘れられないとの要望で、2008年から復刻生産を始める。アジソーセージはいかにもアジらしさの味が素朴だった。マグロソーセージはマイルドな味で、マグロの自己主張が出ていた。このほかにも、柚とか青のりのソーセージもあるらしい。ふつうの魚肉ソーセージは魚味を消そうとしている感じがあるが、このアジ・マグロソーセージは魚それぞれの味を大切にしている。しかも、保存料・発色剤・卵白は無使用とはありがたい。ごちそうさま。

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知の巨人を囲んだ絶望の壁

2020-03-28 19:26:34 | 読書

 以前、やっとの思いで読んだのが、自死直前の書『保守の神髄』だった。横文字も多く難解でもう一度読み直すことにしていた。著書は死臭漂う遺書でもあった。もう少し肩の力を抜いて読めるものはと、『国柄の思想』(徳間書店、1997.1)を次に読んでみた。

 あとがきで著者は、「私の思想の心身がこの溶けて流れていく世紀末日本の状況のなかでいかに戦慄したか、自分は自らの心身の祖国をどこに見出そうとしているか、についての記録である」と本書の源泉をとらえる。

           

 東大闘争の闘士だった彼が保守派の論客となり、核武装・徴兵令・防衛力強化容認も打ち出していたし、原発には珍しく歯切れの悪い表明をしていた。しかしながら、彼がめざす保守主義とは、「真正の保守派ならばソビエティズムとアメリカニズムの双方にたいして明確に距離をおくほかないはずである」とし、「保守はある程度、反米愛国にならざるをえない」と明言する。

      

 しかしその立場は、米国に追随する「自称保守派のアメリカニスト」から批判を受け、西部氏は保守派の中でも孤立していく。また、民主党政権が誕生したとき、いち早くその脆弱性を指摘してその崩壊をすばやく予告していた。極左にいた彼は左翼の論拠、市民主義の浅さを見抜きここでも絶望していく。そしてその牙は、「ありとあらゆる問題に口を出しながら、みずからは安全地帯に身を置く」知識人へと向いていく。かくして、知の巨人・西部氏の孤立は絶望へとひた走る。彼の文章のシャープさは同時に感受性の高い表現となって読者を揺るがす。オイラもその論拠だけではなくその修辞からも感銘を受ける。幅広い人脈の信奉者が多いのもうなずける。

       

 保守派の真骨頂は、<「歴史的持続(慣習)のなかに含まれている歴史的英知(伝統)」を人間の活動の拠るべき大前提>とかまえる。そしてその伝統とは、<「理想と現実」を平衡させるための規制>であること、「現実に対してどういう形で理想の方向を指示すべきか、また理想に対していかなる形で現実の制限を付与すべきか、それを示唆するのが伝統である」とする。

                                                

 これらの文章から、歌舞伎の伝統と革新とのせめぎ合いの精神が想起してくる。それが政治や行政にはなかなか反映されていない。それどころか、政治主導による行政の隠蔽体質が赤裸々になってきている現状にある。彼には知識人も大衆もマスコミもどこを見ても隠蔽と愚鈍と虚偽が見えてしまう。知の巨人の絶望は病気と共に自死の誘惑へと向かってしまった。

                                                          

  立場は対極にいる友人の評論家・佐高信氏は「アメリカべったりでありながら<保守>を自称する人たちのことは耐えられず、今回の自殺は覚悟の死でもあるだろうけど<憤死>でもあったと思う」(「週刊現代」から)とのコメントに納得がいく。つまり、国民ひとり一人の生き方への異議申し立てでもあると思う。           

 

 

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待ってくれー、土筆の子よ

2020-03-27 18:21:50 | 食彩・山菜・きのこ

 近所を散歩していたら5分もたたない所で「つくし」の群落を発見。むかしはキャンプ場の近くや東北の道路際やきのこの師匠らと収穫をしたものだった。

  

 しかしいつも、土筆の袴を除去するのに時間がかかってしまう。人手さえあればキンピラのような土筆料理を食べられるのだが。春を前にやらなければならないことが多すぎて手が出ない。

  

 「もうちょっと待ってくれよー」と叫びたくなる。道路際だと排気ガスや犬の糞などが心配されるが、ここは小さな原っぱになっていて収穫には絶好の場所。収穫が遅れると茎が硬くなったり、胞子が粉っぽくなったりして味が落ちてしまう。山菜は収穫したその日に調理するのが原則。もう胞子が飛び出しているので遅いかもしれないが、よだれをふきふき立ち尽くしてしまった。

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たった5枚の地域マガジン完成へ

2020-03-26 20:43:03 | 出会い・近隣

 このところ、気温は高いものの寒風や烈風が強いので、農作業をやめてチョロチョロ始めていた地域マガジンの編集をやり、ついに印刷までこぎつける。何度読んでも間違いが出てくる編集作業。今年度中に発行するにはいつのまにかあとがない。掘り炬燵の上に印刷済みのA4用紙を並べる。裏表正味18頁、1年に1回のみ発行、今回で3号目となる。オイラが住んでいる地域11軒と近隣の植物や生き物・地域史を内容とした超ミニ手作りマガジンだ。

      

 発行部数は50部ほど。それでも毎回、パソコンや印刷機が言うことを聴いてくれなくて手こずるばかり。とくに裏面は紙が凸凹してしまうので印刷のトラブルが絶えない。昨日から今日まで、印刷・製本だけでまる二日かかってしまった。それでも年度内に発行出来てホッとする。

     

 今回の目玉は、ジャケツイバラの地図だ。棘が鋭く周りを荒らすのでどんどん伐採されてしまう。その結果、トンネルの上とか崖に多いのがわかった。10年くらいの調査?の成果だ。

 また、集落のお互いの名前を呼び合う「屋号」を特集した。すると「屋号」には、職業・地形・一族名・分家・元住人名などに分けられるのがわかった。故郷を懐かしむ人も少なくない。某新聞社の論説委員のかたからもコメントをいただいた。これからはマンネリズムと闘えるかが課題。目標は10号発行、それまでまずは生きなくちゃね。    

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まずはジャガイモを植えていく

2020-03-25 22:47:09 | 農作業・野菜

 耕運機を修理に出したり、日常の些事に追われたりして、畝づくりがまたもや遅くなる。また、近所から「牛糞があるから取りにおいでよ」と言われていたので、「バーク追熟堆肥」もあわせていただきに行く。

            

 牛糞は丸っこいものだった。空いた肥料袋にそれぞれ詰めていく。バーク堆肥は取りに行くのはこれで三度目となる。さっそく、それをざっとわが畑にブレンドしていく。

 昨年収穫したジャガイモはすっかり芽が出ている。あわてて整枝して植える準備をする。後日、昨年のシャドウパープルとメークイーンをそれぞれひと畝ずつ植えていく。

   

 購入した新しいジャガイモの種は、アンデスレッド、グラウンドペチカ、タワラヨーデルの三品種だ。いずれも赤い皮に中身が黄色い青森産の南米系のものだ。

       

 「アンデスレッド」は、黄色の肉はカロテンがあり甘く生命力が強いという。「タワラヨーデル」はその変異株で同じく、皮が赤く、肉が黄色。「グラウンドペチカ」は赤黒いグロテスクな模様がある外見なので、「デストロイヤー」とも呼ばれている。病気に強く、育てやすいという。名称に不安があるが好奇心が盛り上がる。

  

 

 

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菜の花だけど、な~んだ!?

2020-03-24 19:18:29 | 植物

 畑で収穫した「菜の花」を根っ子ごと収穫してバケツに投入。食べるときはハサミでチョキチョキ切って、みそ汁やカレーやサラダに使っている。根っこは人参くらいの太さになっていた。

 正解は「小松菜」でした。ほんのり苦みがあるのがいいです。

           

 早春にいち早く反応していた「シデコブシ」は、そろそろ花が萎れてきている。コブシより花弁が多いが、ほんのりした紫色が魅力的だ。樹によってはもっと紫が強いのがあるが、だんだんと白色が強くなっていく。人間とおんなじだ。

             

 シデコブシの自生種は都市化でどんどん範囲をせばめ、今では絶滅危惧種に指定されるほどになってしまった。庭木によく見られるのは、植木屋が挿し木で増やしていったものだ。「ヒメコブシ」という名前で販売していったようだ。シデコブシとヒメコブシとが混同していった原因の一つだ。

 そんな花を愛でながら鶯はきょうも鳴き声の練習に余念がない。風は冷たくときおり強風となる。黒マルチをセットするが風であおられてしまう。途中であきらめて、掘りごたつに逃亡して地元集落の超ミニ「マガジン」の編集に向かう。

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南極にも侵出のヤノウエノアカゴケ

2020-03-23 21:27:31 | 植物

 裏山の道草山で枯木を鋸で伐っていたときだった。いつもはナメコが出るはずの朽木にビロード状の苔が生えていた。そういえば、道端にもときどき目撃することのあるさりげない苔だった。

   屋根やブロック・コンクリート側溝にも南極にも侵出する苔だそうだ。漢名は、「屋の上の赤苔」というわかりやすいネーミングだ。茎が赤いので赤苔。緑色の先端は「蒴(サク)」という胞子嚢で、そこから胞子を拡散する。この蒴も成熟すると赤茶色になっていく。

 乾燥には強いが、大気汚染には弱い苔類。つまり、都会からどんどん駆逐されていく運命でもあるわけだ。苔はそんな指標の一つを表現しているのかもしれない。

           

  そのヤノウエノアカゴケの近くでは、待ちに待っていた「フキノトウ」が咲いていた。まともなフキノトウを見るのはわが家では初めてだった。畑のフキノトウは畝の拡大のせいか、採りすぎのせいか、壊滅状態となってしまった。春の到来とともに大地をめぐる植物と人間との格闘はこれからが本格化する。     

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骨付きチキンを持参

2020-03-22 22:16:35 | 野外活動

 山猿さんが持ってきたのはかわいい「骨付きチキン」だった。塩と胡椒だけで味付けしてきたのだという。小さくて食べやすいので次々手が出てしまう。またもや料理が得意の心優しい山猿さんの配慮だ。翌日の朝食も残りのチキンとなった。

               

 自称「天竜七輪党」党首のオイラは、焚き火をやれば必ず七輪が登場する。主に魚や肉を焼いたり、コーヒーのためにお湯を沸かすのがルーチンワーク。当日は「くさや」を焼いた。「くさや」は焚き火の直火だとどうしても焦げてしまい、へたすると真っ黒になってしまう。そんなとき七輪はまろやかにくさやを焼いてくれる。

         

 購入した木炭ではなく、焚き火で残った消し炭だけで火をおこすのも本旨なのだ。卑近な例だがこれでも循環型暮しの実践のささやかな事例であると胸を張る。これだけ消し炭があれば、やかんの水を何回か沸かせることができる。

     

 沸かしたお湯でコーヒーをいれる。椅子に座ってコーヒー片手で空の雲や山を眺める。山猿さんは癌の手術をしないことを選んだが、家族の強力な意向で手術を行う。生きることをすぐにあきらめないで良かった。こうして、骨付きチキンでオイラに幸せを運んでくれるんだから。「また遊びに来るよ。新車でね」と言ってニヤッと笑って帰路についた山猿さんだった。    

 

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