山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

♪「青空に残された 私の心は夏模様」♫

2023-02-27 22:42:47 | 出会い・近隣

 先日、集落の新年会が行われた。そこでは、ヤマノイモの芋汁が準備された。オイラも午後からすり鉢を押さえたり、すりこ木を回すお手伝いをさせてもらった。また、買ってきたばかりのタコ焼き器でのたこ焼き初披露もあり、いずれも、新年会を事前から準備するという画期的な?集いとなった。

 それ以上に画期的なことは、ドリンクは自前で持参するということにしたことだ。というのは、昔は全員が酒が飲めるのが前提で、酒とつまみだけだった。しかし、オイラのような下戸がいたり、大酒飲みもいたり、酒の種類にこだわる人もいたり、飲む量が違うのに会費が同じだった。これでは女性も参加できない仕組みでもあった。今回も男だけの出席は従来通りという限界もあるが、飲まない人をも考慮するという歴史的な新年会となった。これは次のステージを展望した第一歩にもなる。

          

 新年会の後半に、オイラの提案で「少年時代の遊び」をテーマに話をしてもらった。「Sケン」はみんな経験があったが、「Sケン」とは言わず、「エスデコ」と称したらしい。石の上に足を置けばケンケンしないで休める場所だったという。(イラストは「ミックスじゅーちゅ」webから)

 

      (イラストは「みんなの教育技術」webから)

 定番は「三角ベース」。ボールはまだ手製で、バットはショイゴの「ニンボウ」という休む時に使う杖を利用したという。当時高学年中心だったメンバーは、今では60歳代後半から70歳代の顔ぶれだ。それは日本の高度経済成長を担ってきた団塊の世代とその後継者でもあるが、その余波は中山間地の子どもにはまだ届いていない。

        (画像は「久保浩の昭和ダイアリー」webから)

 「長馬」は60歳代以上はやったことがなかったようだが、40歳代は学校で遊んだ経験がある。しかし、人数が少なかったので忙しかったという。馬側の負けは馬が崩れたとき。乗る側の負けは落馬したとき。勝負がつかないときはじゃんけんで決める。ただし、腰椎の怪我もあったようで、全国的に禁じられた遊びになっていく。オイラはちびだったので一番最後に飛び乗った記憶がある。

       (イラストは「いらすとや」webから)

 「缶けり」は人気の遊び。学校の校庭でダイナミックに遊んだ時もあるが、山本さんち周辺で遊んだのが忘れられないという。缶は玄関前近くに置き、隠れる側は竹林と家との狭い路地を利用したりして蹴っていった。また、近くに下水管がありそこを通って隠れたが、さすがに親に怒られた。隠れる場所が多く狭くても複雑な環境が魅力だった。

   イラストは「syanaiunndouk(ai .com」から) 

 自転車のリムを竹の棒で転がして遊んだ「わっぱまわし」もよく遊んだ。カーブは棒の当て方を少し変えないと失敗する。また、「ネコ玉鉄砲」は近くにあったジャノヒゲの紫の実を玉にして、しの竹で鉄砲を作った。「水雷艦長」の遊びは、艦長を捕獲した組が勝ち。ただし、艦長を捕まえられるのは水雷だけ。水雷を捕らえられるのは駆逐艦、駆逐艦を捕らえられるのは艦長。「けいどろ」は、警察と泥棒の鬼ごっこ。     

              (イラストは「shutter stock」webから)

 「くびっちょ」という、鳥わなで野鳥を獲ったのも大きな想い出のひとつ。今は法律で禁止されているが、当時の中山間地では焼鳥にして貴重なたんぱく源、おやつにもなった。獲った野鳥は、ヒヨドリ・ジョウビタキ・カケスなど。通学前に仕掛けをいくつか作り下校途中に獲物を見つけ、鳥をポケットに入れて持ち帰るのがうれしかったという。イラストのわなは参考例。

                   

 青年になると、消防団の仲間とゴルフボールを打ち飛ばして危険を楽しんだり、お盆には4地区対抗の野球大会をやったりしたのが楽しみだった。また、むかしは中折れ式の「空気銃」が自由に使えたので銀玉で猫を撃つようないたずらもあったとか話は尽きない。話は盛り上がりすぎてそれぞれの話が交錯して聞き取り不能。

 難解な歌詞の「少年時代」のメロディが、短い少年時代の変幻を井上陽水が謳う。

 ♫…「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう

    青空に残された 私の心は 夏模様 」 ♪

 

 

   

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犯人は網を破って侵入!!

2023-02-24 20:53:05 | できごと・事件

  バタフライガーデンの整備をそこそこ始めているが相変わらず牛歩の歩みだ。そんなとき、防獣柵をひょいと見たら、見事に網が切られ、何者かが侵入したことが判明した。穴の大きさからみて人間でもイノシシでもないようだ。

   

 その網には、紫色の実が残っていたのに気づく。そう言えば、この網の近くでネットで入手した「ツルギキョウ」という種を蒔いていたのを思い出す。しかし、ツルは伸びたもののなかなか花が咲かなかった。そこですっかり諦めていたのだった。ツルギキョウはツルニンジンに似ているが花の大きさが小さすぎて気が付かなかったらしい。

     

 左の画像が「ツルギキョウ」(mirusiru.jpから)、右の画像が「ツルニンジン」(「山・蝶・寺社巡り」webから)。ツルニンジンはときどき里山歩きで身近に出会うことがあり、その釣鐘型の花の美しさに心を奪われる。しかし、「ツルギキョウ」には会ったことがない。それほど希少種であるらしい。同じ仲間で、ツルニンジン・ツルリンドウ・ツルギキョウを通称「ツル三兄弟」と言うらしい。

  

 当局は犯人にアナグマ説を挙げていたが、網の破り方の酷さからシカ説も捨てられないようだった。とにかく、あわてて網を補修しようと試みたがうまくいかない。始めは木材やプラ板も考えたが、アナグマならそれを土台に登ってしまうのではないかと、いろいろ考えた挙句、寒冷紗に落ち着く。

 

  外側から見ると、いかにも見栄えは悪いが害獣さんにはかなわない。以前、友人の話では箱わなのトラップにアナグマが入ったが、その金網を破って逃げてしまったという。そのくらいアナグマの歯は強靭だと驚愕していた。だから、害獣柵のポリ網くらいでは簡単に侵入できるというわけだ。トホホホ。さいわいなことに、冬季だったので食べられるものがなかったようだ。よほど、腹がすいていたのかもしれない。周りに迷惑をかけながら成長していくのは人間と同じだ。

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始皇帝以来の皇統を破った男

2023-02-22 22:14:27 | 読書

 このところ、現在では目立たないが戦前で活躍したキーパーソンに注目してきた。今回は、「国父」と呼ばれた『百年先を見た男-孫文』(新人物往来社、2011.5)を読む。著者は朝日新聞の記者だった田所竹彦。孫文の遺言が表紙に出ている。「革命はいまだ成功していない。あとを頼むぞ。」というわけだが、確かにそれは現在も成功していない。

    (ナガジンwebから)

 孫文が起こした「辛亥革命」は、始皇帝以来続いた数千年にわたる中国の皇帝支配を一時的にせよストップさせたことに歴史的意味があることに気づいた。しかし、孫文が提唱した「三民主義」は実現しているとは思えない。異民族支配からの独立の「民族主義」、主権が君主ではなく国民とする「民権主義」、地主・資本家の独占支配を打破する「民生主義」。残念ながら日本は孫文死後も植民地支配を侵した。

              (画像はasahi.comから)    

 本書は、人物論、孫文思想、日本人との交友、の三分野にわけて展開している。やはり、関心があったのは、辛亥革命を推進していく前線基地は日本だったことだ。したがって、犬養毅・内田良平・頭山満・梅屋庄吉など多くの日本人が支援している。とりわけ、宮崎滔天(トウテン)は生活苦にあえぎながらも終生孫文を支援した。そのことで、彼の家族は中国にたびたび国賓として招待されている。

 滔天というと何となく、内田・頭山ら国家主義者と同じ仲間のように思っていたが、純粋に孫文のアジア主義を応援しているのがわかった。彼の欧米の植民地支配からアジアを守るという信念は本物だった。日本の大東亜共栄圏構想は結局のところ利権を獲得するところにあった。

 また、資金援助を惜しまなかった梅屋庄吉は、孫文と宋慶齢の結婚披露宴をも引き受けている。また、田岡嶺雲もそうだったが、うずもれた英傑がまだまだいる。それを積極的に掘り起こさないマスコミの責任も大きい。

                 (画像は南方熊楠顕彰館から)

 孫文と南方熊楠とがイギリスで交友を深めたというエピソードも意外だった。医師でもあり理工系にも強い孫文も博覧強記な知識を持つ熊楠とがかなり話し込んだようすが描かれている。

   表題にあるように、「百年先を見た男」と題した理由について著者は、孫文は階級闘争至上主義を危惧し、中国伝統思想の調和を重んじた平和路線の改革開放の道を模索していたからだという。毛沢東と周恩来との暗闘も読み応えあった。欲を言えば、国家主義者・右翼の人との交友や大企業・軍部との交渉も展開してもらえたら、より総合的に孫文が見えてくる。

  

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正義の行き先は

2023-02-20 22:06:03 | アート・文化

 最近注目している戯曲家は三好十郎だ。すでに故人だが戦前に書かれた「斬られの仙太」は三好自身の姿でもあり、今日の政治・宗教を告発しているかのようだ。それを原作とする映画「天狗党」をDVDで観る。監督は社会派の巨匠・山本薩夫。空前の学生運動が華やかなりし時代を背景とする1969年の製作。仲代達矢がうってつけの百姓上がりの無頼役「仙太郎」を好演している。原作は「仙太」。

       

 脇役だが、利根の甚伍左親分の中村翫右衛門の風格が見事だ。孤児を保育するお妙役の十朱幸代のはつらつとした演技も光る。仲代と若尾文子とは本作が初共演となる。神山繁・山田吾一の顔も懐かしい。天狗党内部の抗争や矛盾は学生運動の過激派テロをも想起させるが、それは監督の狙いでもあるのかもしれない。

       

 百姓の仙太郎が貢租を減免してもらいたいと百姓を代表して訴えたことで、気を失うほどの百叩きの刑を受ける。それを救ったのが天狗党の侍・加藤剛と親分の中村翫右衛門だった。加藤剛の真っ直ぐな説得で仙太郎は天狗党に入るが、その正義とは裏腹に内部は身分格差や略奪・略取が横行する。また、指導者の二面性も見てしまう。尊王攘夷というイデオロギーの教条に固執する武士やインテリの限界を仙太郎は血と汗を流しながら体感していく。

       

 山本薩夫としては組織や指導者を一律的に見ないというところは原作に忠実で優れていた。また、武士の殺陣や残酷な処刑、農民の乱入などの迫力ある描写はさすがだ。畢竟、組織や指導者の実態、その理想と現実との大きな虚しさを仙太郎を通して描いているところはわかりやすい。  (画像は、サザンクロス情報局webから)

 吉野弘のポエムから。

 「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい。正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」という、言葉が沁みてくる。

 

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移動式遊び場の出前 !!

2023-02-17 23:08:40 | 市民活動・まち育て

   かかわるごとに感動がある。一昨日の14日、西田夫妻が主催する冒険遊び場にゲストがやって来た。移動式遊び場を全国で出前している星野諭(サトル)さんだ。ボディーには子どもたちが絵を描いた車がすでに来ていた。午前中に、星野さんのお話がおもむろにされた。新潟県妙高市生まれで一級建築士の星野さんが、エリートコースをあえて選ばずにこの活動を貫いてきた経過とそこから学んだこと、これからめざすものなどを焚き火を囲みながら聞く。

            

 1978年生まれの星野さんの幼少時代は、まさしく妙高という自然豊かな山野を駆け巡った。その暮らしが当たり前だと思っていたが都会に出てきてその落差に驚愕。そこから、子どもや若者の欠落しているものは、「時間・空間・仲間・隙間」の「4間」であることを痛感。それを取り戻すのは子どもの「遊び場」と人と自然との「つながり」だと、活動を開始する。

    

 さっそく、神田にあった空き家を自前の児童館にしていくのを手はじめに、それを支えるために地元の人とのコミュニケーションを大切にしていく。行動力は勿論、周りの人とのコミュニケーションを大切にしていくのが素晴らしい。若さだけではなかなかできない着眼点だ。そうした「コミュ」力を生かした結果が、全国のネットワークとして形成されていく。

    

 問題は活動の資金力でもある。当初は、さまざまな補助金や委託金を企業や行政から受けていたが、その書類を作るのに翻弄されてしまうのに気づく。子どもと直接遊ぶ暇もない。そこで、補助金や委託金をあてにしない活動を模索していく。土日は懸命に建築関係の仕事をして稼ぎ、平日は移動式遊び場を全国に出前する。遊び場の出前だけでなく、防災講座やまちづくりなどのコーディネーターもやるなどマルチな才能を発揮している。

             

 その車の中は、遊具や資材がぎっしり詰まっていた。親が車座で話をしている間に、子どもたちはさっそく遊具や資材で遊び始める。ときおり、星野さんは事故を未然に防ぐためのアドバイスを子どもに送る。

   

 子どもたちも慣れているようで危険を察知しながら遊びの天才ぶりを発揮していた。車の上に登るなんて子どもの好きな非日常の世界だ。焚き火の煙を体験するのも計算済みだ。遊び用具を一斉に出すのではなく、小出しに出している星野さんの動きもなるほどだ。女の子の方が活発に見える。

  

 プラスティックではなく木の素材のおもちゃや手作りの遊具が中心なのも星野さんのポリシーが伝わってくる。親はベーゴマやコマでむかしを懐かしむ。なかには、プロ級と思えるくらいのコマの技をさりげなく披露してくれる親もいた。

   

 そのうちに、ロープワークの講習をしてから「ターザンケーブル」を設置していく。木とトラックとをつないだ一時的な遊具だ。いずれは、林間で設置するのが目標だ。ケーブルをできるだけピンと張るのがポイントのようだ。オイラは、コーヒー豆やエビスグサの種(ハブ茶)をフライパンで焙煎する。また、竹を半分に割ってその皿に卵を落とし、目玉焼きを焚き火の熾火にかける。子どもはすぐ「食べてもいい?」ととびついてきた。

          

 限界集落と言われる過疎地に30組ほどの親子が集まっていること自体が驚異だ。集落から子どもがいなくなっているというのに。来月は「親子で桜を見る会」の花見をするという。その企画を親たちで相談する。殺人だ強盗だ戦争だという心痛むニュースが絶えない昨今、このプレーパークの穏やかな世界のなんとも心暖まる空間だろう。おかげで、ここで移住して間もなくの地元の人との交流もできた。

 こうしてこの場は、結果的に地域づくりや地域の平和に貢献している。ここに、星野さんという栄養剤・存在価値がある。今回もここで大きい感動をいただいた。おいらも老体をなんとか動かしながらその応援団・勝手連の小さな一員となった。

  

    

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生存の根拠を問い直す「火だるま」な生涯

2023-02-15 21:35:04 | 読書

 先月、山田風太郎の『魔群の通過』を読んで、水戸天狗党の実態を知る。戦前、その天狗党を「斬られの仙太」として作品化していたのが三好十郎だった。日本が国際連盟を脱退し、満州国や軍事体制がピークを迎えたころだ。その作品は、戦後、仲代達矢主演の映画(1969年、山本薩夫監督)にもなり、一昨年の2021年、平成生まれの気鋭の演出家・上村聡史が新国立劇場で上演するなど、それは三好十郎の代表作とも言われた。そこで、三好十郎とはどういう人物なのかを知りたくなり、片島紀男『悲しい火だるま、評伝・三好十郎』(NHK出版、2003.6)を読む。

           

 十郎は、事実上親に捨てられ、貧困と孤独に追い詰められ、自殺未遂・飢餓など辛酸をなめる。そこから、左派の階級闘争へとはけ口を向けたが、その指導者への違和感が十郎を襲う。「斬られの仙太」は、闘病中の妻の看病の中から生まれていく。

 1934年、築地小劇場で初演された舞台では、滝沢修主演に松本克平・嵯峨善兵・宇野重吉・東野英治郎など錚々たる顔ぶれがそろう。しかし、獄中から出てまもなくの気鋭の村山知義はそれを批判するなどして波紋が劇団や組織の分裂にまで及ぶこととなる。

         

 その作品は戦前に書かれたものの現代にも十分通用する普遍性がある世界でもある。十郎の怒りは、「上に立ってワアワア言ってやる人間は当てにゃならねえものよ。…ドタン場になれば、食うや食わずでやっている下々の人間のことあ忘れてしまうがオチだ。」と、仙太に語らせている。本書は、600頁に迫る大部な評論だが、できるだけ十郎のナマの表現を引用してるような気配がある。しかし、読み手としてはもう少し直截に短く表現してもいいのではという愚痴も湧いてくる。

    

 とはいえ、地獄を知った人間だからこそ言える叫びが作品にはある。「<現実の歯車>を見た者にこそ、他人の歯車、社会全体の歯車の真の姿は見えて来る」という叫びは、そのまま戦後の赤貧の暮らしに人生を見てしまったオイラには痛いほど突き刺さる。

 文芸評論家の奥野健男氏は三好十郎を絶賛する。「戦後初期の新劇の不振の約十年間の中で、真にあふれるような、火山の噴火のような仕事で、新劇というジャンルを、いや劇作家の光栄と責任を負ったのは三好十郎だけと言ってよい。三好十郎は日本の戦後新劇をひとりで負っていたのだ」と。

           

 1951年、新橋演舞場で三好十郎作「炎の人・ゴッホ小伝」が上演された。滝沢修・清水將夫・細川ちか子・宇野重吉・小夜福子・多々良純・北林谷栄・奈良岡朋子・芦田伸介など劇団民芸総力を挙げたキャストだけに、新劇史上空前の記録の約10万人の観客を集める。

 エピローグに宇野重吉が詩を朗読する。「あなたの絵は今われわれの中にある。/ 貧乏と病気と、世の冷遇と孤独とから /  あなたが命をかけて、もぎとって / われわれの所に持って来てくれた / あなたの絵は、われわれの中にある。/ … 貧しい貧しい心のヴィンセントよ!  /  同じ貧しい心の日本人が今 / 小さな花束をあなたにささげて / 人間にして英雄 / 炎の人、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに / 拍手をおくる !  」

         

 「ゴッホの炎のすさまじさは同時にこの天才がどんなに苦しんだか」の証左でもある。「炎の人」ゴッホは、三好十郎その人自身でもあった。十郎の作品そのものが命がけだった。だから、十郎の提起した作品はいまだ現代を問うている。吉本隆明は、「三好十郎には文学的な営みがすべて、生存の根拠を問い直す死活問題だった」と評し、その生涯は「悲しい火だるま」みたいだとたとえた。表題の意味がやっと首肯できた。

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山から川から杭づくり!!

2023-02-13 21:03:15 | 屋外作業

 裏山の灌木を伐り出し、先端を削り、土留めのための杭を作る。急斜面なので本当は石積みがいいのだが、それだけの体力と資材がない。そのため、まずはあるもので作ろうと木の杭を作り出す。これらの木を伐採することで、下のガーデンに陽が当たるようにするという一石二鳥を狙ったものだ。

       

 同時に、近所の人からいただいた流木も先端を削って杭を作っていくことにする。流木は広葉樹が多いようで硬い木が多い。太い木は楔や斧を使ってハンマーや掛矢で半割していく。長くやっていると手がしびれてくるので、テキトーにほかの作業をして気分転換をする。つまりはがんばらないよう手抜きすることで諦めないでゆっくり続けることをモットーとする。

       

 裏山の灌木は、ミズキの樹が多かったようだ。こけしの原材料にもなるほど材は白く、比較的まっすぐで柔らかい。次に多かったのがコナラだった。あと、数年すればシイタケのほだ木にピッタリで良かったが、それよりは陽ざしが欲しいということにする。

          

 削りかすがけっこう溜まってきたので、それを七輪で燃やしてあったかいコーヒーを飲むことにした。ついでに、イワシも焼いて夕飯に食べることになった。そのため、ついつい木の杭づくりは遅々とした進行になる。まあ、いつものことだけど。

        

 それでも、なんとか山から川から集まった木から100本近くの杭が完成。長さは70cm~100cm、太さは4~10cm以上はある。太い杭は掛矢でないと食い込まない。1m間隔で杭を打ち込むがあっという間になくなってしまう。これらを買うとなるとけっこうな金額になってしまう。

     

 杭の先端に「焼き」を入れる。これをやらないと腐ったり折れたりしてしまう。形も太さもまちまちなのも風情があるということにする。ボーとしていると杭も燃え尽きてしまうので目が離せない。端から見れば悠長な風景だが、意外にも忙しい。煙が目に沁みたり、鼻水が垂れてくる。

    

 ついに、全部の杭に焼きを入れることができた。ほんとうは今月早々、畝づくりを始めなければならないが、思うとおりにならないのが人生だ!?  しかも、天候・買い物・病院通いなどの合間にやらなければならない。といっても、義務でやっているわけではないので、日々をいきいき過ごすことが大切だ。土から離れた暮らしは人間をダメにする。それは歴史の教訓でもある。インターネットやバーチャルな世界が発展しているというのに、人間は少しも幸せではない。それを鍬を打ち込みながら振り返る。

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バンツマの現代劇を観る

2023-02-10 23:10:15 | アート・文化

 きょうは久しぶりにたっぷりの長雨だった。春を待ちに待っていた植物には命の水だ。オイラはこれ幸いと、往年の大スター阪東妻三郎主演の映画「破れ太鼓」をDVDで観る。戦後間もない1949年製作されたモノクロの松竹映画で、監督は木下恵介。教え子の小林正樹が共同脚本・助監督をしている。  バンツマといえば戦前から時代劇のヒーローだった。その彼が現代劇を挑戦するというから、本人も周りもずいぶんと勇気・期待が必要だっただろう。監督もあえてそれを挑戦するところに監督の「野心」が秘められている。

    

 バンツマを観ていると、所々で田村正和にそっくり。いや、田村正和がそっくりというわけだ。たたき上げで苦労人の親父は、建設会社の社長となる。住まいは高級住宅街の田園調布で、家も当時としては洋風のモダンな内装が舞台だ。それだけに、親父は貧乏を抜け出し労働一徹に生きてきた自信が自分にも家族にも他人にも頑固を強要する。それに対し、戦後に育った子どもたちはそれぞれの道を勝手に歩いている。だからそこには、当然に反目もあり葛藤もありへたすると家族崩壊・会社倒産の危機もはらんでいる。

       (yukiko arikiさんのwebから)

 戦後すぐの家族らしく、子ども6人がそれぞれ気ままに生きているのも、頑固おやじの経済的基盤の上にある。だから、みんな親父の命令にはいっせいに服従する場面がコミカルに出てくる。脚本の当初は喜劇を意識していなかったが、「バンツマの大御所的風格を逆利用したコミカルなものへと変貌」していったという。

       (我が家・楽の釜盥ブログより)

 そこへなんと、青年役の宇野重吉が婚約者が決まっていた娘に結婚したいと割って入っていく。それに賛意を示す妻が、反対する頑固おやじとぶつかり家出をしてしまう事態に。老練な宇野しか知らないオイラには青春に生きる貧乏画家の宇野の映像とがハレーションを起こしてしまった。

       (我が家・楽の釜盥ブログより)

 そこへ、宇野の家族である東山千恵子が演ずる母とバイオリン弾きの父役の滝沢修とが二人を応援する。つまり、封建的気質のバンツマと自由奔放な宇野家族とを二項対立させることで、バンツマ家族の矛盾を激化させようとするしかけである。それで、バンツマの家からみんなが離れていこうとしたとき、窮地に立ったバンツマは、冬の北海道でかつて苦心・孤立した労働を思い出す。

       (garadanikki blogから)

  「破れ太鼓」とは、音が鳴らない、お金にならない、という落語の落ち(鳴らない)につながるが、映画の中身としては、相手や自分の心が破れているのに気づかず、どんどん不協和音を鳴らし続けるさまをいうようだ。そのことを、次男(木下恵介の実弟・忠司)はバンツマに伝える。それを機に、バンツマも和解に活路を見出していく。破れ太鼓・オルゴール・劇中歌とが呼応して大団円を迎える。

            

 往年の大スターの沢村貞子・森雅之・村瀬幸子らが続々と登場して贅沢にフォローしている。全編にわたって木下恵介の人間に対する優しさ・温かさがみなぎる。黒澤明と双肩と言われた恵介だが、彼の庶民へのまなざしは確かだ。戦争が終わった自由の息吹が木下忠司のピアノとともにコミカルに躍動する。

 今の時代から見ると、粗さやダサいところも気にはなるが、当時としては木下監督の斬新な挑戦がところどころみられる。これがテレビドラマにも再演

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ホームレス住居か隠れ家か

2023-02-08 20:56:11 | できごと・事件

 近所の人から、「ちょっと、河原に来てみて」と連絡があったので、「何だろうか」と、むかしキャンプ場があった河原に直行した。そこには怪しい建物があった。ホームレスの住まいか、秘密の隠れ家か。聞いてみると、ニヤニヤしながら「俺が作ったのさ」という。そういえば、彼は河原の整備を一人でやっていたのだった。あまりに寒いので暖を取る場所を作ったのだという。

          

 外観のシートは、捨てられていたシートを利用している。そこに、伐採した雑木などを利用して作ったというわけだ。ここで、暖を取ったり、休憩しながら、河原の景観が良くなるよう雑草や竹林・灌木を伐ったりする基地にしている。たまたま、河原の石がたまっていた所がかまどとなった。少々、風が強くても、ここなら安心して焚き火ができるという。外観は貧相な感じだが、中側はきわめて整頓された合理的な休憩所・作業場だった。

        

 さっそく、火入れして暖を取った。ときおり外では強い風があったようだが、頑丈な室内は外気の影響はないほどの作りだった。といっても屋根はない。だから、雨天のときは作業は中止となる。

 そのうちに、インスタントのコーヒーとつまみも出てきてなんだかんだ夕方まで話し込む。地元ではこうしたボランティアをやっている人は少ない。ひとりボランティアをやるとはそれなりの信念がないとできないものだ。彼も自分はここで成長させてもらった場所だったからだという。しかしそれを行動で結果を出していくのは至難の業だ。おかげで、今まで荒れ放題の河原がずいぶんと見通しがきくようになっていた。            

             

 しかし、その彼の行為を知っている人は少ない。またそれを知っていても、その努力や大変さに心を寄せる人は残念ながら少ない。決められた共同作業とか日当が出るならやるものの、自らの判断でボランティアをやる「訓練」ができていないのが日本の現実だ。仕事以外に自分が自分になる世界があまりにも少ない。忙しい流れに身を任せているのが気になる。そうなってしまう根っことはいったい何なんだろうか。働くこと以外に自分を取り戻す世界が見つからないということだろうか。

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油槽のマンホールを発見

2023-02-06 21:19:54 | 路上観察

 きょうの午前中、たまたま立ち寄ったガソリンスタンドで油槽のマンホールを発見。今まで、スタンドでこうしたマンホールを見ようともしなかったので、意外性を期待した。かたちは、二連結の角型蓋だった。路上の角型マンホールと形に変わりがなかった。

      

 やや中央には丸形の子蓋に「JTO」の英字がある。これは、「日本タンク装備株式会社」の略だ。そこに、「開閉注意」の文字を入れているものもあるようだ。石油ならではの危険性を促している注意書きだが、ここにはそれがない。この子蓋がど真ん中にないのにはなにか意味があるのだろうか。

 地紋は、タンクの「T」と「逆さT」を図案化したデザインと思われるが定かではない。「逆さT」は、給油タンクを表現したものではないかと推測するがどうだろうか。この狭いデザイン空間にもわからないことが満載だ。

      

 もう一方の正方形の蓋中央にある「JTO」の周りにはきっと赤カラーを塗ってあったような気がする。周りには8個の固定ボルト止めと4個のフックがある。この配置(MKB-400)は、品番によって個数も場所も違うようだ。あまり派手ではないのが役目でもあるようだ。日本タンク装備KKは、地下貯蔵総合メーカーの大手「タツノ(龍野)」出資のグループ会社でもあった。

 

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