山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

地蔵も青面金剛も願いは同じ?

2020-02-29 22:01:33 | 石仏・石造物

 ウォーキングの楽しみの一つが古い石塔との出会いだ。左に「享保十三戌申十一月日 岩川村」、右に「庚申講中」と刻字された庚申塔に出会う。日にちは庚申の日が使われるが省略されている。それはこのころから信仰変化つまり形骸化の進行ではないかと思われる。

 1728年江戸中期に作られた駒型の青面金剛像(39cm)は、左手に輪宝・弓、右手に三叉槍・矢という定型の持物に、三猿。珍しいのは頭巾にとぐろを巻いた蛇らしきものが絡んでいることだ。

           

 表情は眼が吊り上がった憤怒相。駒形のてっぺんから「月」と「太陽」をつないだラインがあるのも珍しい。そのラインの意味はわからない。300年近くの時空を越えてこうして現代に存在する意味もあり、それを大切に保存してきたムラの慎ましさに驚嘆する。

 

 その横にも、地蔵菩薩の庚申様が並んでいた。左に「元文二巳天十一月六日 岩川村講中」、右に大きく「庚申供養」、と刻まれた、1737年江戸中期の庚申塔だ。年号の「巳天」は本来「丁巳」のはずだが間違いなのかどうかはわからない。左手に「宝珠」右手に「錫杖」という定型を守っている舟型像だ。

 近世庚申塔の造立は11月が多いが今回の二つの像もそれを踏襲している。造立日は60日目のあたり日(庚申)が刻印されるが、「吉日」とされることも多くなっていくらしい。

                                             

 庚申塔の造立を江戸・関東周辺調査によれば、1690年代と1710年代がピークであるという。その意味では、ピークが終わってしまった1720~30年代の庚申塔だが、ムラ(関東)の「庚申講」がしっかり生きている証左ではないかと思う。

 オイラの集落ではいまだに「庚申講」が60日毎に行われている。庚申の絵図に向かって「真言」を唱えて、お供えした生米一掴みをみんなで味わう。地元では農業の神様と解されている。昔は徹夜で晩餐を楽しんだらしいが、今では数人で酒とつまみの飲食をしながらよもやま話や情報共有で終わる。しかし今は顔ぶれは決まってしまい女性はほとんど参加しない。

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お寺の入口に庚申塔!

2020-02-28 08:21:49 | 石仏・石造物

 ぷらぷらウォーキングしていたら、とあるお寺の入口に庚申塔が鎮座していた。正面にはお地蔵さんが彫られていた。足元には三猿がいた。つまり、道教の庚申信仰と神道・儒教の三猿の教えが仏教のお寺で混淆しているという、典型的で日本的な神仏混淆の象徴を見つけたというわけだ。石塔の一番下には、ムラの名前と奉納した有志8人の名前が彫られているが解読できない。

       

 地蔵菩薩の表情は慈悲深いというか、新人地蔵のような親しみやすい表情がいい。右側には「南無庚申奉供養者也」と明記してあった。左側の文字は解読が難しかったが「寛政十二庚申○○○十一月四日」と読み込んでみた。おそらく江戸後期1800年ころの石仏と考えられる。石塔全体の形は、板状駒型で正面頭部には出っ張りがあり、梵字が見られる。駒形の石塔のなかに舟形のラインを引き、その中に菩薩を配置しているのも珍しい。

           

 神道では祭神が「猿田彦」であることもあり、石仏に三猿が彫られることが少なくない。この三猿の「不見、不聞、不言」の教えは論語からの引用らしい。8世紀に天台宗系の留学僧が日本に持ち帰ったようだ。相手や自分にとって悪いことは見ない・聴かない・言わないという世俗的な道徳律。これは権力にとっても都合いいが、今のおとなしい日本人の所作にも影響しているように思える。

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鉄もソフビも路地を謳う

2020-02-27 01:38:03 | 路上観察

 現代では貴重な子どもの歓声を聞きながら、路地裏をウォーキングする。すると、道端に錆びた鉄製のポチ兄弟がいた。錆びているとはいえ、年齢は若々しく眼もかわいらしい。しゃがみ込んでニヤニヤする。心がほどけていく。制作した作家の心遣いが伝わってくる。すごいことだ。人間でもなかなかこうはいかない。バケットには何を入れていたのだろうか。二匹のポチはこの路地で何を見てきたのだろうか。この家の家族のおおらかさがオイラの尖った心を融解する。

  

 まもなく、とある家の玄関前で立ち止まってしまう。カエルや亀の古典的な石の置物にさらにウルトラマンやバルタン星人らが共存して玄関の空間を守っているではないか。ウルトラマンも50近いヒーローがいるらしい。バルタン星人も20億人くらい宇宙に生息しているという。このソフトビニールことポリ塩化ビニールの「ソフビ」人形はきっとパパの趣味だったのではないかと推測する。

 ウルトラマンの基本任務は地球防衛と地球環境保全にある。地球温暖化の今、まさに彼らの出番だが、ウルトラマンは怪獣やバルタン星人ではなく一見「善良な市民」たちを敵にしなければならなくなった。敵は地球外ではなく自分の利益しか考えない人間となった。そのせいか戸惑いに沈潜するウルトラマンの憂鬱な葛藤を見てしまった。

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早春にまずうごめいたものは

2020-02-26 20:24:27 | 路上観察

 きょうも都会でのウォーキング。駅周辺の住宅地は面白みがなかなか発見できないけれど、里山を開発してまもない路地が魅力的だ。行き止まりや昔は田んぼだったらしいくねくねの路地で方向感覚を失う。焦って汗が流れる。そんなとき、子どものざわめきが聞こえてきた。

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 おとながいたらきっと止めていたであろう梅の木での木登りだった。先頭は女の子らしい。大都会ではこうした行為は難しいに違いなく、さっそく木登り禁止の看板が立てられてしまうだろう。梅の花の勢いが子どもの心を弾ませたに違いない。心の大きい梅に感謝したい。

          

 その近くの道路にはチョークで描いた絵がふんだんに残されていた。きっと、木登りした輩の残した作品に違いない。そこにはそれほどに自由闊達な空気が漂っていた。

                

                

 もう陽だまりには春が来ていた。沈丁花の匂いがウォーキングの方向を誘うし、ショカッサイの紫の花は群落力を誇示していた。春のうごめきはすでに子どもたちが動いていた。こうしたうごめきがある限り日本は健全だ。ゲームに夢中の子どもの姿が見られなかったこと、群れで遊ぶ子どもの姿を発見できたことがウォーキングの最高の収穫だった。

 そんな感動もつかの間、経済学者の金子勝教授のツイッターはまたまた咆哮を止めない。【何もしない対策は言語矛盾】アベ内閣の丸投げ基本方針に仰天。診療は「一般病院」に丸投げ、イベントは「主催者」に丸投げ、「休校」は学校に丸投げ、そしてPCR検査は「自治体・保健所」に丸投げ。加藤厚労省・脇田感染研が住民の検査は1日104件しかやっていないと報道。                    

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戦場を伝令とともに駆け巡った

2020-02-25 12:12:43 | アート・文化

 アカデミー賞「撮影賞」「録音賞」「視覚効果賞」の三部門を獲得した映画「1917・命をかけた伝令」(英米合作)を観る。時代は第1次世界大戦さなかの1917年、フランスの西部戦線でのドイツと連合国との戦争下の物語だ。サム・メンデス監督の祖父の体験をベースにした伝令の命がけの戦場スぺクタクルとなっている。

 

 撮影手法は全編「ワンカット」の長回しを採用している。つまり、主人公と観客は戦場をずっと一緒に駆け巡る手法のため臨場感があった。まるで、絵巻物のように次々と塹壕を走り、破壊された廃屋を狙撃されながらも走り続け、濁流に翻弄されながらも最前線に向かう。カットがないから次々と主人公と戦場を並走するだけだが突然の想定外のことが起きるのでハラハラする。オール野外ロケで塹壕だけでも数キロにわたるセットを作っただけにリアル感がまとわりつく。

                (各画像は映画パンフから)

 戦場の現場は死体・廃墟・武器片・爆弾破片・塹壕などが荒涼とした大地に散乱するが、それが単調ではなく抒情性ある描写で表現されている。それも1910年代後半の軍事・衣装・武器などの小物にも美術造形スタッフのこだわりが出ている。さらに、前半の荒涼とした戦場から後半の花散る緑地への戦線描写の変化も見ものだ。戦友の死を乗り越えひとり任務を完遂したものの、サクセスストーリーではなくむなしさが残る。反戦は叫ばなくても戦争の残酷さ無残さをこれでもかと周りに散りばめている手法も従来にない戦争映画でもある。

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石灯籠の珍品を発見

2020-02-24 11:40:42 | 石仏・石造物

 足腰がだいぶ弱くなってきたのでウォーキングを始める。ふだんは車で通り過ぎてしまう所だったが歩いてみるとやはり発見がある。歩いてみると効率や速いだけがすべてではないことを実感する。そこで見たものは、「笠」と「火袋」が特異な変形石灯籠だった。「火袋」の形は花弁のように丸く先端に切込みがある。三日月・満月(太陽)・茶筒・瓢箪などの形を刳り貫いている。この形も珍しい。てっぺんの「宝珠」が大きすぎて全体のバランスを崩しているのがもったいない。

                    

 なんといっても、その「笠」にマグマのような彫りこみがあるのが珍しい。石灯籠というと「春日燈籠」のような伝統的な定型パターンが圧倒的に多い。そんな中でこうした前衛的な「笠」は見たことがない。何を表現したかったかはわからないが、まさに伝統の固定的な概念を打ち破る作家のエネルギーマグマが表象されているように思える。それが成功しているかどうかは迷うところだが、創作歌舞伎のようにこうした挑戦に賛意を表したい。

                 

 その近くにも、自然石を乗せた石灯籠を発見。「火袋」だけがオーソドックスだが、自然石の「笠」が大き過ぎて圧迫感があるのが残念。地震の時はその笠は崩落してしまう心配が先行してしまう。いかにも、建設業らしい庭の大胆な石灯籠だが、やはり自然との調和が欲しいところだ。ウォーキングした場所はたまたま都会の住宅街だった。創作燈籠の刺激に楽しんだものの、設置した場所がいかにも狭い庭なのが残念。里山を借景にすれば風景から生かされるんだけどと、ないものねだりをした街中散歩だった。

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武器ではなく水を

2020-02-23 19:02:04 | 読書

  昨年12月、アフガニスタンにおいて凶弾に倒れた中村哲さんの著書『天、共に在り』(NHK出版、2013.10)を読み終える。困難・夢想と思われた砂漠への用水路開削を住民とともにやりとげていく手記だ。医師として診療を続けていたが、戦乱の被害以上に栄養失調で病気になる村民が多いことがわかる。さらに、自給自足の農業国であるアフガンは、内戦以上に地球温暖化による大旱魃が廃村を拡大していったと指摘する。離村した村民は兵隊に雇われるしかない現実。それをマスコミはまったく報道しないことを告発する。そこで、中村哲は砂漠に用水路を開削し農村地帯を形成することを決意する。

                

 用水路を掘り出すだけではなく、洪水・鉄砲水・貯水池・堤防の浸水対策・堤防も同時並行に実施する。盛土を運ぶのにダンプカー2万台、周りの地固め・砂防~熱風のための樹木75万本以上の植林なども実施していく。洪水対策としては日本の昔ながらの工法を参考にする。すでに、1600本の井戸を掘削してきた中村哲氏は25kmにおよぶ用水路を灼熱と砂嵐さらには戦乱・銃撃戦の中でついに敢行・現実のものにしていく。

                       

 奇跡の全線開通への原動力は村人であったと中村哲氏は語る。「用水路の成否には、彼らの生存が掛っていた。作業員の大半が近隣農民である。成功を信じて多くの者が家族を呼び戻していた。用水路が失敗すれば、再び過酷な難民生活が控えている。まさに生死の境で生き延びようとする健全な意欲こそが、気力の源であった」と。

       

       

 終章で彼は、自信を持って語る。「世の流れは相変わらず<経済成長>を語り、それが唯一の解決法であるかのような錯覚をすりこみ続けている。経済力さえつけば被災者が救われ、それを守るため国是たる平和の理想も見直すのだという。これは戦を図上でしか知らぬ者の危険な空想だ。 大地を離れた人為の業に欺かれず、与えられた恵みを見出す努力が必要な時なのだ。それは生存をかけた無限のフロンティアでもある。」

「<信頼>は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。

 私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。私たちは、いとも安易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる」と、哲学者の顔を持つ。

 中村哲の魂は前線にいる斬り込み隊長のような冷静さと精悍さとが同居している。クリスチャンでありながらも住民が渇望するモスクさえ建設してしまう。「人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。」 ノーベル平和賞を日本中からこぞって推薦するべき人物だった。 

 錯乱する日本の情報ジャングル、金儲けしか考えない財界、モラルと針路を失った政治家、問題の本質に迫れないマスコミの思考停止、目の前に武器はないがそんな真綿に絞められている平和ボケ日本のなか、中村哲氏の生きざまは静かに「これでいいのか」とひとり一人の人間に問うのだった。

 

 

 

 

 

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ヘチマたわしを作ってみる

2020-02-22 08:28:57 | 特産品・モノ

 またもや遅くなってしまった作業だが、収穫しておいた乾燥ヘチマの皮を剥いていく。予定では焚火の火を利用して大鍋で収穫まもなくのヘチマを煮るつもりだった。冬や早春の焚火は風が強いのでついセーブしてしまうことでこの作業も延び延びになっていた。また、水につけ置く方法もあったが臭いも強く失敗した経過もあった。そんなこんなで、放置したままの乾燥状態で今に至ってしまった。

  ちなみに、ヘチマたわしは静岡県が発祥地、江戸時代ころから使用されたというから歴史はまだ浅い。10cmほどの小さなヘチマは食用にしてきたが、太くなったヘチマは食中毒になるきらいがある。つまり、メタボなヘチマはたわしに向いているということになる。

           

 包丁で乾燥ヘチマを輪切りする。種は長箸でつついてきれいにする。乾燥期間が長いと繊維がどうしても茶色くなってしまうが、まさしくそんな状態になってしまった。漂白したら市販のヘチマのように白くなるのだけど。

 ヘチマたわしを愛用して何十年になるだろう。入浴にはこれでゴシゴシ美肌?を誇っている。1年以上も続く堅牢である優秀な素材だ。ヘチマの状態によっては柔らかいのもあれば硬いものもある。女性にはソフトなたわしを勧めたいが、男性は硬いたわしを勧めたい。汚れや垢もよくおちるし、台所でも食器洗いに大いに活用もできる。

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山にはもうフキノトウが

2020-02-21 10:24:23 | できごと・事件

 つい先日、砂川地区の山奥にある「宇野茶園」にほうじ茶と紅茶を買いに行った時のこと。山奥に引っ越して間もない「宇野茶園」には山を拓いた日当たりのいい場所に自宅と工場があった。庭にはすでにフキノトウが咲いていた。

                 

 オイラだったらさっそくいただきと食卓に出してしまうところだが、京大農学部卒の若夫婦は欲望をむき出しにすることはない。官僚にならず過疎地の山間にあえて斜陽の茶園と取り組んでいるつつましさが家の周りに充満している。

                       

 しかもよく見ると、ヒメスミレや名前がわからないスミレもちらほら春を先取りしている。日陰気味のわが家にはそんな兆しはこれからだ。とくに畑にあったフキノトウは採りすぎてすっかり元気をなくして小さな群落になってしまった。かわりに花壇に数本移植したフキが勢力を伸ばしてきている。いつも目にするフキって、新天地を求めるなかなか行動的な山菜であるのを思い知った。

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なんとか生き抜いた「砂川」の青面金剛像

2020-02-20 00:07:55 | 石仏・石造物

 春野町でも風光明媚な「砂川地区」の公民館(寺院境内)横に、石仏群14体が並んでいる。その多くが朽ちたのか破壊されたのか、まともな石仏がない。おそらく、明治の廃仏毀釈(キシャク)の影響で破壊されたのは想像できる。そのなかで、庚申様の主尊・青面金剛像が2体あった。1体は破壊されてかすかに弓矢を持っているのがやっとわかるくらいの石仏だが、もう一体を見てみる。

 

  庚申石仏の標準形式は、「6手合掌型」が多い。この像も、上の手の右側に「弓」、左に「矢」が確認できる。中央の手は合掌し、下の手の右側は煩悩を破る武器「金剛杵(コンゴウショ)」、左側の腕や手は欠損して不明だが、不倫の女人・「ケショラ」か逮捕用?の「羂索(ケンサク)」かを持っていたように思える。ケショラであれば女性蔑視が堂々と表現されていることになる。そこは民間信仰の「道教」らしい。

        

 青面金剛の表情は眼が吊り上がり憤怒の形相だ。石のてっぺんには、左右に月と太陽が定型配置されている。真ん中に何かが彫られているようだが解読できない。ふつうは何もないはずだが、間が空き過ぎなので「法輪」か「鶏」・「梵字」かがあったのではないかと謎が深まる。

        

 足元には、定番の三猿(聞かザル、見ザル、言わザル)を何とか読み取れる。石碑の形式は上端にまろやかなカーブを持つ「舟型」(C類)のようだ。その裏側は粗削りに彫ってある。それはともかく、破壊された石仏をきれいに並べた集落の心が美しい。

 

  上の表は従来、庚申塔の形式を板碑型・特殊型・光背型・板状駒型・笠付型・柱状型の7種類に分類してきたものをさらに手直しした、石神裕之『近世庚申塔の考古学』(慶応義塾大学出版会、2013.4.)からの引用だ。これで読み解くと石碑の傾向がわかりやすくなる。

  石碑の8割が欠損・破壊状態のなか、何とか生き抜いた庚申の主尊・青面金剛の憤怒の形相が歴史に向かっている。嘘と隠蔽がまかり通るのを許してしまっている日本の平和ボケを青面金剛は苦々しく思ってはいないだろうか。歯をむき出しているように見える。

   

 

 

 

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