山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

世界を変えたアーティストは朝霜だった

2019-11-30 19:33:11 | 風景

 いちだんと寒くなった朝の目覚めだった。意を決して飛び起きてみると、和宮様が「なんということか、外は銀の世界にかわっておるぞ!」と言うではないか。さっそく、サンダルのまま外に出てみると仰せの通りの銀世界になっていた。いつもの癒しの緑なす風景と秋の紅葉とが見えるはずだったが、赤い絨毯ならぬ銀の絨毯が敷かれていた。

      

 紫モクレンの葉も霜で縁取られている。春に咲く冬芽は固く寒さを防御している。背景の枯草の荒れ地は真っ白な雑草絨毯が敷き詰められている。歩いていても霜柱を潰す音感が快感となり、寒さに勝っている。

       

 ふだんは服に付いてしまうひっつき虫、こと「コセンダングサ」の実が白く変身していた。今年はこのコセンダングサの猛威に手を焼いていたが、この変身は容認できる。この銀世界は心傷む光景も消去してくれる。かりそめのアーティストは世界を一色に染めることで閉塞の世界は変ることを示唆してくれる。

       

 地に近い所に精力を伸ばしているハーブの「ペパーミント」は白い髭を伸ばしていた。これをちぎってカップに入れて熱湯を注げば髭は消えてしまうというわけだ。そのうちに、陽が昇り雲もなくなり空はジャパンブルーに塗られていった。一瞬にして世界を変えてしまう朝霜アーティストの神業に目を瞠る。裏庭のヤーコンやパプリカの葉はすべて萎れてしまった。早く収穫しなきゃと思っていたが遅かったー。

 

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シイタケにナメコに食べきれず

2019-11-29 20:05:28 | 野菜・果樹

 このところの梅雨のような雨で突然キノコがのこのこ原木から「咲き」だした。ナメコはすっかり大きくなってしまって大急ぎで収穫する。原木ナメコは土に直接原木を倒伏してあるので、収穫するとゴミが付いてきてしまう。しかも、ネバネバのゼラチン質にゴミがくっついてしまうと取りにくい。

 

 加えて、この時節の水道の水は冷たいときている。凍えながら水洗いしながらゴミを取っていく。ナメコ汁の温かい湯気を想像しながらきれいにしていく。もちろんその後、ナメコ汁にして暖かい僥倖を飲み込む。食べ過ぎると胃が騒ぎだすので控えめに押し込んでいく。冷凍保存にしておけば一年中楽しめる。

   

 ナメコのすぐ近くにシイタケのほだ木場がある。予想通りシイタケがぎっしり「花」が咲く。天候が悪いので天日干しができない。そこで、急いでお世話になっていた知り合いに送る。ほだ木もそろそろ使命が終わるので味もいま一つになっているがそれでもけっこう肉厚だ。来月早々、ほだ木の整理をしなければならないがなかなか腰が上がらない。裏の畑の隅には今年の4月にいただいたコナラの原木にシイタケの白い菌糸が見えた。これは来年の秋には期待できそうだ。ほだ木が途切れず毎年のように確保できているのがうれしい。ありがたい。さっそく、鍋に入れる。   

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捨てることで「生」を獲得する

2019-11-28 19:45:04 | 風景

 毎年、ギンナンを採らせていただいているイチョウが、黄色い絨毯を見事に敷いてくれた。ここは近隣の通行の要となっている。ほとんどはここを車で通過してしまう。自然豊かな中山間地のわりには歩く人はあまり見かけない。わが家もつい車で通過してしまい、ときどき歩くことにしている。

  

 ギンナンも落ち始めているはずだが、落葉のおかげでよく見えない。それにしてもまもなく、ここを車が往来するとこの鮮やかな絨毯に二本の轍ができてしまう。あと数日したらこの絨毯は分断されることになる。つまり、ゴミ状態になってしまう。スピードを出すとすべってしまい危険ですらある。

    

 わが家の裏の畑には大きな「ホウノキ」が鎮座している。この落葉を集めて堆肥にしている。落葉する前にホウバ味噌用の葉を確保しようとするがいつも時期を逃してしまう。成長が早く大木になってしまうので畑がその陰になってしまうのが残念なところだ。しかしこの落葉の上をかさかさと歩くのが快感でもある。都会ではまず経験できないばかりではなく近隣からのパッシングにあってしまうのは間違いない。都会にいると落ち葉を観たり踏んだりする喜びを感じる余裕を捨ててしまった。

 イチョウやホウノキらは落葉することで自らの肥料を自前で生み出すとともに、寒さに耐えることによって新たな「生」を生み出していく。その自立の姿は都会では公園や寺院しか見られず、まさに過疎地でこそ輝いているのではないか。

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勝手連のエゴマを収穫

2019-11-27 19:06:34 | 農作業・野菜

 昨年のこぼれ種で勝手に大きくなった「エゴマ」をついに収穫する。畑のあちこちに伸びてきたエゴマの苗を一つの畝に集めて、強風に倒れないよう支柱を立てただけだった。肥料も一切あげずに放任状態だったが、エゴマの生命力は紫蘇以上に強いように思える。背の高さが2mくらいになっていた。

        

 とりあえず、先端にできている実を切り取ってビニール袋に集める。問題はこれからだ。実と殻を分離しなければならない。「唐箕」を初めて使うつもりだが、それでも大まかに茎から実は分離しておかなければならない。昔のように茣蓙の上で枝を叩きながら実をはじいていく古典的な方法もある。雨続きの中なのでひとまず休憩をたっぷりとっていちばん楽なやり方をとる作戦だ。

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ジョロウグモついに侵入

2019-11-26 19:20:18 | 生き物
 掘り炬燵で暖をとっていたら、上からスルスルと何かが落ちてきた。すぐにそれは蜘蛛だとわかった。というのもときどき小さな蜘蛛が天井からおりてくることがあったからだ。しかし、大きな蜘蛛は初めてだった。模様に赤い色があったのでそれはジョロウグモであることがわかった。蜘蛛は益虫なのでそのままにしていたら、次は台所にも降りてきた。同じ蜘蛛が移動したのだろうか。わが家にはタランチュラのようなでっかいアシダカグモが居候しているが、上から降臨するとはうかつだった。わが家はそんなに獲物がいるのだろうか。いるんだなー、確かに。いよいよ蜘蛛屋敷になり果てるのか。
           
 ジョロウグモの名前の由来は、派手な模様ということだった。これには二つの説がある。ひとつは遊郭女性、もう一つは大奥の高級女官の「上臈」、の派手さということだ。模様の上品さからは上臈か、いや花魁のことか。
 大きさがメスの三分の一しかないオスは、カマキリじゃないけどメスに食べられないよう慎重に交尾の機会をうかがう。オスの交尾も命がけなのだ。
 しかし、ジョロウグモが目の前で突然スルスルと降臨したときはドキッとする。そのスピードが意外に早い。昆虫食では、ジョロウグモは素揚げの天ぷらがうまいという。台所に出てくるんなら食っちゃうぞ!!   
 
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戦闘的教皇に懺悔すべし

2019-11-25 21:06:59 | 意見・所感

  広島・長崎に会いに来たフランシスコ教皇(画像はLivedoor newsから)。その戦闘的なメッセージに日本国民として恥ずかしいと思った。広島市平和記念公園の「平和の集い」に出席した教皇は「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何物でもない」と指摘し、「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」と核抑止力を唱える国々を批判した。

                

 さらに、フランシスコ教皇は人々に三つの行動を呼びかけた。これからの世代に「二度と繰り返しません」と言い続けるために「記憶すること」。自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。そして、原爆と核実験、紛争の犠牲者の名の下に「戦争や兵器はもういらない」と叫び、平和を「守ること」。これらが「広島においてより一層強く、普遍的な意味を持つ」と強調した。(記事は朝日新聞digitalから引用)

  

 核兵器廃絶をはっきり明示し、その行動も提起したのも画期的。ここまではっきり世界に提起した宗教指導者はどれくらいいるだろうか。日本の政治家はもちろん仏教・神道の高位の指導者からのメッセージは聞いたことがない。日本宗教者平和協議会(日本宗平協)の動きも注視したいが政党色の臭いがときおり出てしまって本来の趣旨が活かしきれていない。そのためか、メディアも取り上げるのに慎重だ。

  
 とは言っても、日本の宗教界の長老は平和を実現するためにどれだけ汗をかいただろうか。内輪では小さな発信をしているだろうが、葬式仏教に相変わらずうつつをぬかし、現状を打破できないお粗末さをどれだけ痛恨としてとらえているだろうか。また、国家神道によって戦時体制に関与してしまった神道はまったく反省がない。天皇を盾にうやうやらしく利用してしまい、祭政一致の疑問すら持たない思考停止は、国民の大衆迎合主義(ポピュリズム)を着々と強めているではないか。

 その意味で、今回のローマ教皇の戦闘的発言と弱者に寄り添う姿勢は日本の沈滞と閉塞を穿つ契機となる。個人的にはかつてのキリスト教の宣教師が帝国の植民地支配の尖兵となった歴史的経過もあり、それをいまだ払拭できていない現状は不満ではあるが、教皇の弱者へのまなざしに本物を感じる。
             
          
 加えるに、教皇が安倍首相に世界の核廃絶の仲介を明確に要請したとき、安倍くんは胸を張って「橋渡しに努める」と断言したが、これはまるで国会答弁と変わりはない。憲政史上、在任期間が歴代第1位を更新している総理ではあるが、その期間中平和への強い行動は全く見られなかった。むしろ、防衛予算増額つまり軍備増強と、アメリカへの忖度・依存をますます強化するばかりではなかったか。安部くんの言う「積極的平和主義」とは、アメリカの世界戦略に積極的に加担するというふうにしか受け取れない。平和のための予算を積極的に増額もしていない。教皇のメッセージを謙虚に内面化するどころか胸を張ってしまうところが致命的だ。
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シシウドの実を見直す

2019-11-24 22:20:15 | 植物

 以前、山菜狩りを始めたときのころ、本命の「ヤマウド」と「シシウド」の違いがよく分からず師匠に教育的指導をされた。おかげで今では間違えることはなくなった。そのシシウド(猪独活、せり科)が畑の周りや裏山にちょくちょく2mほどの巨体をさらすのだ。シシウドは邪魔でいつもは草刈りの対象だったが、玄関の近くにその実ができていて、よく見ると花火を観るみたいな見事さに感心していて駆除できないでいた。

          

 しかも、そこにはキアゲハのハイカラな幼虫が鎮座していた。そういえば、白い花があるときは蝶や蜂などがよく集まっていた。花茎ができるには4~5年もかかるそうなので、これから草刈りは慎重にしなければならないかも。ヨーロッパでは古くから慢性病の薬にしたり、根や実を精油にしたり魔除けにも利用されていたそうだ。また、魔女の霊草としてこの「アンジェリカ」は、新芽を砂糖漬けにしてケーキの彩りにしたり、実をクッキーの材料にしていたようだ。ヤマウドの旨さからするとどうも邪魔者扱いしてきたが、乾燥した葉はハーブティーにしたり、かきあげの天ぷらでも食べられるというので余裕があるときは山菜として挑戦する価値がありそうだ。

 

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陽だまりで仲良く

2019-11-23 18:10:01 | 生き物

 葉物野菜の殆んどには防寒を兼ねた防虫網をかけてある。その一角に赤トンボとアブが日向ぼっこをしていた。赤トンボの頭は赤くもないのが日本特産種のアキアカネ。個体数が減少しているのが心配だ。それ以上に、仲間からはぐれた孤独なトンボなのだろうか。

  そう言えば長渕剛が歌う。「ああ、しあわせのとんぼよ、どこへ。ああ、しあわせのとんぼがほら、舌を出してわらってらぁ」と。さらに吉田拓郎は、「死に忘れたとんぼが一匹石ころにつまづきました。なんでもないのに、あぁ泣きました」(線香花火)と、感性あふれたナイーブさがありながらも、わかったようなわからないような歌詞にトンボが登場する。

 

       

 トンボの隣に、アメリカミズアブ(ミズアブ科)も喧嘩せずじっとしている。オイラが近づいても動かない。やっぱり昼寝なのだろうか。幼虫、つまり蛆虫はペットなどに栄養ある飼料として注目されている。眼はメタリックで、アメリカ原産の帰化昆虫。ひょっとすると、畑のコンポストから成長して成虫になったエリートだったのかもしれない。

   

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アジアをめぐる東西の攻防

2019-11-22 14:17:32 | 読書

 「東インド会社」の名前をよく聞くが、当時の歴史とその後の世界に大きな影響を及ぼしたという、この独占国際企業の実態を知りたいというわけで、羽田正『東インド会社とアジアの海』(講談社、2007.12)を読んだ。人類史上はじめて世界全体が人・モノがつながり一体化したのが16世紀以降からだった。東インド会社がその要にあり、その後の世界の方向を決定づける要因となった。(イギリス東インド会社創設/1601年、オランダ東インド会社創設/1602年、フランス東インド会社設立/1664年)

 

 東インド会社創設の前史として、バスコダガマの航海が西洋とアジアの航路をアフリカの喜望峰経由で開拓したのは有名だ。しかし、国を挙げて大船隊を率いたポルトガルやスペインが武力によって植民地略奪や現地人へのジェノサイド・皆殺しの実態は知られていない。同じことは南米のインカ・アステカ文明をも滅亡させた。しかし、その武力支配を維持するには巨額の軍事費がかかり、またその支配の網をくぐった交易が拡大したり、ポルトガル人の致死率が高かったりして、その影響力は低下していく。

    

 そこに闖入したのが、海運力のあったイギリス・オランダだった。とくにオランダは相手国に応じて武力・を使ったり、貿易に徹したり(例えば長崎のオランダ商館)するなど、柔軟な姿勢を取ることで最大の貿易量を誇っていた。しかしそれも、要塞・兵器・兵隊の人件費及び輸送費の高騰や社員の私的貿易の横行をはじめとして、1780年の英蘭戦争でイギリスに制海権を奪われ急速に失速する。同時に、イギリスも軍事・行政費の増大により赤字となり衰退していく。ただし、イギリスは民間の東インド会社から国の直接支配を強め、インドの植民地化する帝国になっていく。

   

 作者は、「東インド会社が運んだアジアの産物とアメリカの銀がヨーロッパに豊かさをもたらした」とし、近代ヨーロッパは独力で生み出したものではなく、一体化した世界のつながりから産み出されたもので、それが19世紀の幕開けとなると結んでいる。

     

 これらを開拓した有名な探検家や宣教師の名前はよく流布されているが、その実態は植民地支配だったり、軍事的殺戮だったり、経済支配だったりしていた裏の部分が意外に知られていない。テロを告発することは大切だが、それ以上の殺戮をしてきた欧米の帝国は自らの行為を懺悔することから始めなければならないし、その後の日本も例外ではない、と改めて思わざるを得なかった。

 

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再び肥料をいただきに行く

2019-11-21 19:01:50 | 出会い・近隣

 明日から雨天ということで、あわてて肥料をいただきに近隣に急ぐ。前回は大きな袋に入れたが、今回は肥料袋をいっぱい持参した。その際、ポリカ(ポリカーボネット)波板の切れ端があったのでそれも持っていく。

          

 この波板を肥料袋に入れておくと肥料をスムーズに詰むことができる。これを教えてくれたのは亡くなった慎ちゃんだった。これがないといちいち袋の口を押えながらスコップから肥料を入れなくてはならない。これは意外に時間がかかる。

       

 時間短縮と肥料がこぼれにくいところが優れている。ポリカの端材もたまたまピッタリの大きさだった。どちらにせよ、肥料をスコップで入れるこの作業は腰が痛くなる。後半はさすがに辛くなってきた。

 

 詰め込んだ肥料袋は約25袋くらいになった。金額にすると3万円近くにはなりそうな量だ。ありがたくいただく。とりあえずこの上にブルーシートを掛けて保存する。

     

 作業中、近くのおばちゃんからサツマイモをいただく。品種はベニハルカとベニアズマだという。わが家はイノシシに完膚なきまでにやられたが、おばちゃんの畑は電気柵があったので無事だったという。しかし家で食べる人が少ないのでどうぞという。こうしたおすそわけの関係があるのが素晴らしい。オイラが入植?したときはそうした関係があまりなかっただけに今は手ごたえを感じる。

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